アルペンシンフォニーのカット方法を教えてください!
316 :
名無し行進曲:
コンクールって何を競うんでしょうね。
抽象的になるが、私は演奏技術や表現力というようなあたり、と理解してる。
なので、カットや選曲は審査する段階では評価に入らないと思う。
(もちろん審査員が個人の判断で減点してたりしたら別だが)
実際、評価に入らないからこそ全国大会でもいろんなカットが聴けるわけで。
なので、
>「この曲をこんな風にやるのは変だ。でも演奏は技術的に
>申し分ないしなあ。困ったなあ」審査員
こういう困り方はないと思うわけよ。
あ、以上は別にカットが良いとか悪いとかの議論抜きの話、ね。
で。もしも評価というものに、指揮者の音楽観だとか、美学だとか、
解釈力だとか忠実性だとか作曲者への畏敬の念だとかが入ってたら、
また違うものになるでしょうよね?
芸術性だとか言い出せば、必ずしも忠実な演奏が良いともいえないでしょうし、
もとのものにさらにプラスするだけの解釈やセンスもいるでしょうし、
それは必ずしもプラスにならずマイナスになることもあるでしょうし。
高度な戦いになるし、それだけに審査も難しいでしょうね。
しかし、芸術は自由だからだとか、評価は聴く人によって様々だからとか
言い出すとキリが無いので、一応一つのモノサシがいるわけで。
そのモノサシに従って評価をしているのがコンクールなわけで。
カットの議論はその枠に入らない問題で、そしてモノサシはカットに対する
評価を網羅してない、ということですよね。
317 :
名無し行進曲:03/07/16 18:49 ID:BtrQF55K
音楽を音楽として聴く、というと変な言い方かもしれませんが、
そうすればカットに反対という意見になるわけですが、
一つの評価法としてのコンクールを否定することは出来ないと思うんですよね。
もちろんコンクールの評価が全ての評価につながるわけではないくらいは、
たとえ昆虫だったとしても理解できる範囲の話だと思うのですが、
しかしその一方で、「コンクールのモノサシ」としての但し書きのついた
評価としては、ちゃんとそれだけの意義のある評価だと思うんですよ。
その、コンクールのモノサシに対する評価は様々だと思うんですよね。
それはそれで当然なわけで、そもそもコンクール自体に批判的な人も
いるわけで、それはそれで一つのテーマと言えるでしょうし。
たとえば、コンクールを音楽という土俵から切り離せば、決着は
つくでしょうね。競技だからだとか、そういう風にして切り離す。
ただ、それは違うでしょう。音楽の域を出るものではない。
だからといって、コンクールに観賞用音楽の性格を求めるのも、本質では
ないと思うんですよね。そもそも目的が違う。
つまりは、カットを批判するも、コンクールカットの存在というか、
そのものについては「ある」ということを認めてあげたらどうでしょうか?
その上で、自分は好まない、批判、といった意見は、それでいいと思う。
故人の意思という問題に関しては、決まりごととして決まっていれば
それは守るべきとこでしょう。しかし、全てがそうではない。
もちろん決まりを破らなければ何でも良いという考えではないですが、
だからといって、作った人の意思通りにしか使ってはいけないものでは
ないでしょう。曲に限らない話です。ダイナマイトのような悪い例から、
GPSのようなものまで様々です。
318 :
名無し行進曲:03/07/16 18:49 ID:BtrQF55K
ただ、確かに昆虫がカットされた曲を原曲と思い込んでしまうような
現象は避けたほうが良いというのはもっともな話でしょうね。
ここで行われているような議論を知ってる上でカットを演奏するのと
そうでないのとでは、やはりその内容は全く別のものになるでしょう。
ただ、どれだけ弊害があろうと、直すべき欠点があろうと、
中高を中心とした吹奏楽のクラブ活動が、子供に対してクラシック音楽の
扉を開けるための、一つの手助けの役割を果たしていることは事実でしょう。
その道を通ってきた人を無知だと叩くばかりでなく、ちゃんと
一人の音楽人、同じ世界に生きていく新しい仲間だとして、
正しい方向、正しい意識をもった人材に育てていくことのほうが、
大切なことだと思いますよ。