「pixkiki のアナログ作家の発表の場を造った事への批判が納得いきません」
「クラスタ事に別れて良いと言う意味において、問題ではないのではないかとおもいます」とのことですので、これについて返事をさせていただきます。
ドワンゴの場合、ニコニコ動画以降に関しては、
ネットに特化したサービスを提供することで進化してきました。ネットをやる人のことを疎かにするようなサービスの開発は極力蹴っています。
例えばネットの外の世界、CD のリリースなどに関しても、ネットに住む人間が楽しめることを前提にしています。
一般へ向けたパッケージングはほぼ行っていません。ドワンゴはよく「ネットに生まれて、ネットでつながる」という言葉を掲げていますが、
真剣にネットの人がネットで生きて楽しめることを考えています。
ニコニコ動画レベルのユーザー数ですら「ネットだけを生きる人間のため」に存在し、その中でのみ住み分けを行っています。
自分は、ネットの世界で活動するのならば、ネットを居場所にしている人間を尊重すべきだと思っています。
ドワンゴの初期の主要メンバーは、Bio_100% というゲームを作るサークルみたいなもので構成されていました。
Bio_100% はパソコン通信で集まった人間がネットを通じてコミュニケーションを取りながらゲームを作る団体です。
ある人は他の人のプログラミングの挑戦に乗って知り合い、ある人は他人が作ったゲームのデータを書き換えることで知り合ったそうです。
詳しくはこのページを見てください。
http://bio100.jp/members/ 自分も Bio_100% のゲームは楽しんだし、ドワンゴの面接ではそのゲームの話で盛り上がり、今の上司も、上司の上司も Bio_100% のメンバーです。
自分にとってネットとは、そうやって自分の居場所を見付ける場所です。
そしてそういった人は沢山います。ネット上のムーブメントの多くがそういった人々によって作られています。自分はその人達のことを無碍にすることができません。
pixkaikiki は、ネットに踏み込んでおきながら、ネットとは特に縁のないものを出しました。
自分にはこれのネット上での存在意義がよくわかりません。別の分野に出たい、という人もいなくはないと思いますが、それは別にネットに限った話ではありません。
pixkaikiki における新世代育成などの理念はわかりますが、それを住み分けで行いたいのなら、
徹底してネットに踏み込まないまま、ただ pixiv のユーザーから人材を引き出す方法を模索すべきだったと思います。
pixiv はネット社会にべったりな、居場所を作ることのできるサービスだと思っています。
だからこそ、pixiv 発で、ネットの外、自分の居場所の外に安易に人間を引っ張るのは危険だと考えます。それを「流儀に反する」と表現しました。以上です。