東浩紀 その214

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478文字化
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第六回関門 第一回原稿 動画

坂上秋成
一言で言うと、坂上くんの原稿はくどくてダラダラとしてます
ぼくの考えでは直感的にこれは半分か三分の一の量にするべき内容、全体がすごく間延びしている
文学の全体を見通すんだと言って柄谷行人に対する批判からはじまっているわけですけど、それはすごく大きな
教養とかがないとなかなかできないことなわけですよ、柄谷行人の近代文学の終わりについての研究からはじまって
いるわけだけど柄谷行人を批判するのって批評家としては非常に難しいことで柄谷の批判がなぜできるのかってこと
に自分でもっと自己防衛していかない、君の文章は柄谷さんがこういうことを書きました、これについてぼくはこう
思いますみたいな感じで終わってて、つまり対象があって自分はこう思っているというやりとりで評論が書かれている
でも普通は評論を書くときは例えば柄谷行人は近代文学の終わりの論文は一般にこういう風に言われていている、しかし
そういうことに対して自分はこう思うみたいなワンクッションを入れる
例えば芥川賞、三島賞についての総括をボンとしちゃってるところがあるが普通の評論の書き方としては芥川賞受賞作
の多くはこうこうだと言われている例えば誰誰はこう言っている、それに対して自分はこう思うという議論の立て方を
する、そうでないと単なる感想、坂上くんはそういうところが多くて参照項がすごい少ない、もっといっぱい固有名が
出てこないといけない
君は文学史全体を書き変えるみたいなことを言っているわけだから教養勝負をしないといけない
一言で言えば君は想定読者として自分と同世代とかを意識し過ぎというか実は意外と狭い人を考えている
具体的には大森望さんみたいな人を説得すると考えて書き直すといい
大森望さんだったら君の文章を最初の三ページくらいで鼻で笑う、小説の全体について何も知らない、自分の思い込みで
文学とかライトノベルとか書いている、これじゃ駄目だと大森望さんだったら言うに違いない、坂上くんが言いたいこと
が間違ってるとかじゃなくて大森さんがそういう風に言わないように防衛していく必要がある、防衛を考えた文章をつく
らないといけない
479文字化:2009/06/12(金) 21:45:19 ID:U00OHLJL
>>478続き
字面的にのっぺりしている、坂上くんのしゃべりがダーッと続いている
評論はモザイク状みたいになっているもの、ここではある人の言葉が引用されここではある人の言葉が引用され・・・と
字面がゴチャゴチャしている、ガタガタきているもの
坂上くんののっぺり感はちょっと学生レポートに似ている、一つの語りで最初から最後までいっちゃう
柄谷さんのを読みました→これについてはこう語られている→こう語られていることに関してはこう思う→こう思うって
ことを言ったらこういう風な反論が想定されるかもしれない→しかしそれに対してはこうだ、みたいな形のガチャガチャ
と立場が動くみたいな感じが欲しい
ライトノベルの固有名の並びをとってみても大森望さんに鼻で笑われるのは明らかなんですよ、例示は大事
並べる順番もズサン、もっと緻密にやらないとダメ、「(笑)」をつけられてしまう、ぬるい
「なんだコイツ」と読まれる、そういうのを一個一個潰していかないと人の価値観を変えるような評論にはならない
坂上さんは通史を書こうとしているからハードルが上がる(←太田)
通史を書くには本当に深い教養と未来に対する洞察が必要、通史を書くとは未来はこうなるから今までの歴史はこうなんだ
と無理やりでっちあげる作業、通史を書くには過去と未来に本当に目配せがきいてないと書けないもの、書く以上はこんな
ことをやりたかったのにという人から厳しい目で晒される、前提条件の極めて難しいことに挑戦しようとしている、それに
対する野心を坂上さんは今持っていると思うけどもっと野心を持たないとこれが完成してもみんなが通史としては認めない、
マイ歴史になっちゃうだけだ、通じないんですよ、他人に通用するから通史になるわけで(←太田)
逆にオレが好きな小説について書くという感じだったこんなことやる必要もない、でも君の場合、現状は日本文学の全体は
クレオール化しているんだからその現状の確認からはじめようみたいな問題意識で書いている、現状をちゃんと認識する目的
で書くと非常にハードルが上がる、そういう点での突っ込みどころが非常に多い
480文字化:2009/06/12(金) 21:46:47 ID:U00OHLJL
>>479続き
現状追認に留まっている、刺激的なものがなかった、当事者のそのものも「え、こうだったのか」みたいな趣きがあるレベル
まで求めた、下の世代からみたらぼくたちがやってきたことがこういう風にも捉えられるのかみたいな、あるいは未来へ向けて
こういことをぼくたちはやってきてしまったのかみたいなのが読みたい感じがしたが、よくも悪くもそのままみたいなところが
あって編集者が一番なめてしまう原稿、これならオレでも書けるという原稿、そう編集者に思わせたらアウト(←太田)
坂上くんは方向性として文学の全体を見渡そうとか思っているわけだけどぼくの考えではそれは坂上くんの能力の問題ではなく
そんなことは誰にもできないのでちょっと別の切り口を考えたほうがいいと思う、文学の全体とかはあまりにも広大で一生懸命
に頑張れば頑張るほどアレについて触れないのはおかしいとか言われる
二葉亭四迷、夏目漱石、芥川龍之介、三島由紀夫といった文豪、という表現があるがありえない、この括り方はなんだ? という
ことになる、そういう形で固有名を使ってしまったらもう評論としては信用されない、小学生に向かって言うならいいが、乱暴
こういう書き方をしたいなら、こういうところにはアンケートとかを使う、2007年の小学生の文豪のイメージアンケートとか
これは一つのテクニック、そういうテクニックを駆使しないと
見通しを良くする為には乱暴な議論が必要だ、でも乱暴を自分が引き受けたら絶対に攻撃を受けるから乱暴さを誰かにアウトソース
する、それが批評のテクニック、アウトソースの為に引用や資料を使う、そうしないとお前が思い込んでいるだけじゃない? と
言われてしまう、この書き方だと
481文字化:2009/06/12(金) 21:47:50 ID:U00OHLJL
>>480続き
坂上くんはもう少しまず全体を圧縮すること、無駄な文章が多い、無駄な文章が多いから突っ込みどころ満載になる、圧縮すれば
守られる、乱暴なことを言っているなと思った時はどっかから同じようなこと言っているのを探す、率直に技術的なことをいうと
もう本なんか読まなくていい、引用する為だけに読めばいい、そういう時は一冊10分くらいで読める、誰かがこれと似たことを
言ってたはずだ、例えば筒井さんがこう言っていたはずだ、筒井康隆が1900何年にこういうことを言っているんだ、と言えば
それによって乱暴なことを言っているのは筒井さんだってことになる、しかも筒井さんだったら乱暴なこと言っていても許される、
だからオッケーということになる、そういうテクニックを駆使してもらいたい
もう少し突っ込みどころのないもっと守った文章を書いて欲しい
坂上くんの文章のいいところはわかり易いところ
坂上くんは総論を書いてから各論に入るみたいな思い込みがある、各論から書いたほうがいいかも、作品の読解とあkのほうから
書いたほうが、本としても何か固有の作品についてこういう風に読んでましたということが最初にあって説得力さえ持ってれば、で
何でこの作品はこういう風なかたちで出てきたかといえばこういう風な状況があるからだみたいな感じで書いたほうが人々は受け
入れてくれる、日本文学は今どういう状況にあるか考えてみよう総論からくると読者のほうも構えて読む、もしくは読んでくれない
まず各論から書いたほうがいい
坂上さんがこれを書きたいんだというのが伝わってこない(←太田)
原稿の熱気、異様な何かがない、柄谷さんにはあった(←太田)
大学レポートっぽい
坂上くんは第一文から間違っている、若い批評家が書く文章でない、50歳くらいが書く文章
フラストレーションがたまる(←太田)
482文字化:2009/06/12(金) 21:49:22 ID:U00OHLJL
>>481続き
坂上くんは批評家というより文学研究者みたいな感じ、客観的な立場から今の状況を見てみましょうみたいな・・・でもゼロアカの
本に誰がそんなの期待してるのか、読者も客観性がある話を期待してない
アクロバティックでコイツやばい、キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!みたいな文章がないと読んでくれない
そういうのがあれば坂上はそういうキャラになるので坂上に正しさはもう誰も期待しなくなる、逆にそのほうが好きなことができる
正しく通史を書いてくれる人は他にいる、オレはそんなのには関係なくオレの方向で行くという風に処女作を書いたほうがいい
正しいことを言う人とかになると身動きが取れなくなる
初期衝動を感じたい(←太田)
怒りがない
クレオール化しなきゃ日本文学マジやばいみたいなのも感じない(←太田)
坂上くんは小利口、いろんなジャンルがあって読者がいてお互いの個性を尊重しながら目を開いていかなきゃみたいなそりゃそうだな
みたいな話、利口なだけ、処女作はそういうものじゃない
革命家になってほしい(←太田)
クラナドはマジ神!みたいなモチベーションのほうが人を惹きつける
2ちゃんで「Fateは文学」が流通しているのは、怒りがあったから(←太田)
東さんの初期の頃の作品が好き、自分探しの文学として読んだ(←太田)
動ポモ1、2に怒りがある(←太田)
宇野くんにも怒りがある、怒りがあれば多少事実誤認があったとしても怒り自体が価値をもつので評論として通用する
坂上さんが一番大事にしていることが何かを知りたい(←太田)

「正しさ」は自分の立場を弱くしてしまう、ケータイ小説を何でとりあげないんだ、ハーレクインはどうなのか
ハーレクインは重要なジャンル、ぼくは触れたことないが月70冊配信されている、最先端はここなのかと思った、
そういうジャンルに触れないのはなぜなのかという問題になる、だから総論より各論から入ったほうがいい
中立の立場から評論を立てると攻撃に弱くなるので、「好きなもの擁護」とか言われても、オレはこれが好き、だからこれを書くみたい
な感じではじめたほうが結果的に強い評論になる
宇野さんは強い評論(←太田)
宇野は仮面ライダーが好きなだけ
最近ぼくは仮面ライダーを見てるので宇野の弱点がわかってきた
483文字化:2009/06/12(金) 21:51:03 ID:U00OHLJL
>>482
次6月30日までに今度は枚数少なくてもいいからもう一回各論からはじめて人から攻撃されないそして坂上秋成という新しい批評家が
誕生したんだという熱狂を感じさせるような文章を書いてもらいたい
坂上さんは東さんに一生で最後の文章を読んでもらうんだという気概がないとまずい(←太田)
いろんな評論が出ている、ぼくは職業柄いろんな評論を読んでいる、坂上くんはぼくとぼく関係の文芸しか読んでいない
ぼくが全然引用してない評論をいっぱい読んだほうがいい、雑誌やバックナンバーの目次だけをひたすら読むとかそういうことも必要
そういうことは必要、誰がいるんだ、固有名として誰がいてどういう人が今その業界で目立っているんだとかそういう空気が坂上くんは
読めてない感じがする
藤田さんに聞いてきるといい(←太田)
藤田くんのほうが知っているかもしれない

(坂上がKYな質問)
第二回で落とす、デスマッチだ(←太田)
坂上くんにはぼくたちに熱気や必然性を感じないといわれている、熱気や必然性のある各論を書いてその流れで総論の話へ自然と行く
ようなことができなかったら君はアウト