中国嫌われてるな。
953 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/07(日) 01:29:24 ID:FfRmIjKr
冷静がどうのとか言うのはちょっと消し忘れて書いてしまいました。失礼ですので撤回します。
部屋に暖房がなくて手がかじかむのでミスタイプも多いんですがご勘弁を。
「啓蒙(公共圏の立ち上げ)」についての「困難性」「不可能性」の区別はまさにその通りです。
ただ、それが本当に東氏大塚氏の違いに精確に対応しているかまでは、僕は保証できないんですが。
あくまで便宜的推測的対応関係ですからね。カウンター啓蒙云々もその範疇です。
これぐらい留保を付けないと、論争について中立的であることができないと言うのは、不便な話ですけれども。
普遍さんの思想要約みたいなものは、思いつきでつい書いてしまったのですが、
とりあえず@は意見=レス全般とみなした、広義の立場表明理解のようなものとして、
A以降が、実際の理論的実践的な内容と整理しました。
僕としてはA以降の普遍さんの方向性は、結構普遍さん独自のものであるように思えるんですよね。
そもそも2ちゃんのような空間にも、議論が成立していることを認めているわけですからね。
そうでなければ2ちゃんにおけるある言論の形式的正しさと言うものは原理的に主張できないでしょう。
日常言語、つまり議論で無い場での言語は、形式よりもある種の習慣性や政治性が先行するわけですから。
普遍さんはさらに、議論に対してメタな議論に移行することで、もとの論点から話をずらして結論付ける人を、
危険なレトリックとして指摘することをしているわけですが(もちろん誰に要請されたわけでもなく)
それを僕はCにおいて書いたつもりです。そしてDという目標が無いなら、
Cまでのような普遍さんの方針は全て無意味になるというような構造があることも、僕はDを付け加えることで示したつもりです。
Cについての話は・・・部分的には、普遍さんは意見それ自体の理論的間違いを指摘すると言いつつ、
相手の政治的凡庸さや無配慮さを非難する方向に傾きがちだったのではないかなと僕が思ったと言うことです。
全体としてはもう少し広範な話をしているつもりですが。
議論の行われる空間の性質によって、あるレトリックがどれぐらい危険かは異なってくるわけですから、
それぞれの空間や危険度にどう対応して排除(危険なレトリックを無くす方法。指摘、批判、アーキテクチャ的な接続拒否など)されるのかが、
当然問題となるべきだということを言いたかったのです。
>951
なるほどね。レスありがと。
そのうち送ってみようと思う。
あと>964と>947もレスありがと。
束にも送ってあげてね☆
957 :
普遍君:2008/12/07(日) 02:41:20 ID:1pxGERMV
>>954 >>930の「決定論としての「啓蒙は不可能」」という文面を考える上で、私が938で行った「困難性」
「不可能性」の区別が東さん・大塚さんの意見と対応しているかどうかは、関係がないと思います。
拘りも追い討ちをかけたい気持ちも全くないのですが、
>>938で指摘した点が、関係がない話に
置き換わってしまっているのに、全く触れないのもおかしいので、一応断っておきます。
私の思想?要約に関しては、基本的に
>>938に書いたとおりです。
「2ちゃんねるのような空間にも議論が成立していることを認めている」は、正確には「2ちゃんねる
のような空間にも議論が成立しうることを認める」でしょう(常に成立していると考える人はいな
いでしょう)。2ちゃんねるで議論が成立しうることは誰でも認めると思います。
それから、「2ちゃんねるにおけるある言論の形式的正しさと言うものは原理的に主張できない」は
不可解です。ある言論の形式的正しさはある言論の論理的な正しさの問題です。ある言論をネットに
載せるか、書籍に載せるか、口頭で話すかによって、形式的正しさに違いが出たりはしません。
「日常言語、つまり議論で無い場での言語は、形式よりもある種の習慣性や政治性が先行する」は、
ごく素朴な実感レベルではそう言えるでしょうが、実際には、そのような状況自体が、ある種の習慣や
政治性、「議論」観を合理化(=形式化)する議論の先行を表しています。
また、「議論に対してメタな議論に移行することで、もとの論点から話をずらして結論付ける人」と
書かれましたが、その点については
>>938の最後に書いたとおりです。メタな議論に移行することは、
議論を自覚的に処理できることを前提とします。私が問題としたことが、それに限定されないことは、
文章をきちんと追ってもらえれば明らかだと思います。
5(議論自体をそれぞれ健全化する。)という目標がないなら、4までの方針は全て無意味になるという
構造?について語ってらっしゃいますが、そのような構造である理由が全く書かれていないし、そうなる
理由があるとも考えにくいので(というのは、仲山さんは「普遍君の立場」として1〜5を語りましたが、
特定の立場から議論を「健全化」する方法論などありようがないからです)、どういう意図で書かれた
のかわかりません。正直、訝しく思いました。「意見それ自体の理論的間違いを指摘すると言いつつ、
相手の政治的凡庸さや無配慮さを非難する方向に傾きがちだったのではないかなと僕が思った」ので、
「思いつき」で「構造」をでっちあげたのかな、という感じです。
958 :
束浩紀:2008/12/07(日) 09:31:15 ID:K7UYjlYN
おはヨーロピアン
おっはー
そういえば束さんていつから東スレに居るの?
ハンドル変えたりしてますか?
>>936 >その意味で曖昧さが生じることは基本的にありません。
でも彼の立ち位置は実際に曖昧でしょう。そう感じませんか?
逆に大塚英志は明確に教師としての役割を引き受けようとしています。
そこは評価できますが、引き受けようとした時点から彼の声に真摯に耳を
傾ける人は少なくなっているようにも思えるのです。(と東も考えるでしょう)
そこで、東が(どういう理由にせよ)「僕は生徒に受けている(多くの生徒が僕の言動に注目している)」
ということを根拠に、不良の先輩としての今現在の振る舞いを教師のあり方に倒置しているように見えます。
>管理に啓蒙的な役割を期待しているような見方とはちょっと違うような気がします。
確かに彼はそこまで明確な発言をしていませんが、環境管理型権力
(マクドナルドの椅子の話ばかり彼はしていますが…) の話を社会状況に
あわせてトレースするだけでは、彼の存在価値はネタキャラ以外になくなってしまいます。
このあたりは、コミケ―ゼロアカ飲み会報告 その10から13を念頭において書いています。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm4336673 実際にこの動画で大塚さんのリアルのゆくえの話もしています。
大塚の言う公共性は、古くからあるイメージ(学校−教師−生徒)だと東は考えており、
東はそう考えることを嫌っているように思います。上の動画で東は「大塚さんには公共性=
グーグルという発想はない」というような発言をしています。
このあたりのズレの根拠が漠然としているので、中学校=公共圏と単純化して考えています。
>>957 東さん大塚さんと「不可能性」「困難性」の対応関係の話は、
用語は普遍さんが訂正したものですが、対応関係自体は「僕が」推測したことなので、
これは僕の推測ですから正しい保証はありませんと念を押しただけです。
要するに言論責任を僕が持つことを明記しようとしただけで、別に普遍さんの意見を否定したわけではないのであしからずです。
思想要約についてですが(とりあえず断っておきますが、
これは本当に普遍さんを遠まわしに批判したくて書いてるわけではないんですよ。
ただ普遍さんがこの場において他の人たちと違う意見や文体を持っていることを主観的な前提とした上で、
さらに普遍さん自身に自らの立場を語って欲しいと僕が思っているだけで。)
まあいきなり僕が普遍さんの考えを憶測で纏めて質問してみても、訝しがられるのは当然ですが、
そういういぶかしみがなぜ発生するかと言えば、そもそもここが2ちゃんで、顔も見えないままやり取りしていることも大きいと思うのです。
そしてそのようないぶかしみは、そもそもこの2ちゃんが議論の場として成立するための圧倒的困難性を意味していると思います。
顔の見えるような場や、あるいはレスポンスの速度が遅いような場で無いと成立が難しい議論と言うものがあるでしょう。
僕が普遍さんの言う「議論」について思うのは、まさにそのそれぞれの場におけるそれぞれの「議論」の困難性に、
普遍さんが「着目しているのか怪しい」あるいは、「気付きつつ知らないふりをしているのではないか」と言うことなんです。
とまあ、こういう風に僕が疑わざるを得ないのも、普遍さんの立場(ある議論についてでなく、議論一般に対しての)が僕の中でまだ不明確にしか見えないのと、
2ちゃんという場の特性があるからなのですが。
あと「議論」の困難性の話をすれば、一体誰が議論の正しさを保証することができるのかと言った問題や、
その保証人の不在から派生する、議題によって変化する「議論」の困難性の問題があると思うのですが。
とりあえず、
Q.普遍さんは「議論一般への態度(=立場)」を、明言化(意見化)はしなくても、持っているのか。
と言うことに答えていただきたいのです。
これ以外の、上に書いたようなことは、意見というよりは僕自身の疑問の出自についての説明ですので、
批判しても結構ですが、疑問の出自自体の間違いや不純さ(があったとして)を指摘しても、
Qへの回答とはみなせません(なんだか妙に上からないい方になってしまっていますが、議論自体を必要最小限にスリム化したいので)
ので、よろしくお願いします。
しかし、Qの問いの立て方(つまりQの文面)自体がおかしいと言うことでしたら、もちろん直すなり取り消すなりします。
あと無回答や回答拒否や回答不能ということでもいいです。(また妙に限定的で「訝しい」かも知れませんが笑・・・)
ちなみに僕は議論一般への意見というのは現状では個人差があり、
そして議論自体の正しさと言うものは制度的(ある種の合意)に決められるものだと思っています。
よって僕は議論における正しさと言うのはその議論の性質全般(扱う題材、意味論的か語用法的か、議論の行われる場所、
演繹的か帰納的(仮説演繹的)か、議論に参加する人間についての情報、etc)を総合してその都度ごとにしか決められないと考えています。
つまり言い換えて、ある議論のルールは厳密にはその議論の中でも作られている、と考えています。)
あともう一つ付け加えると、僕は2ちゃんでは議論になったとしても、
議論に参加しているつもりなのかただの無関係なレスなのか意図的非意図的な野次なのかあやしいレスが多すぎるので、
議論自体を成立させたり、議論の正しさを判定するのが難しいと考えています。
あおしてそれは必然的に、相手の意見に(部分的あるいは全体的に)同意したり、あるいは(部分的あるいは全体的に)批判したりする上で、
客観的に見てパフォーマティブに捉えうる部分が多くなりすぎると言うことを意味します。
またこの理由としては、2ちゃんの議論の殆どは、参照できるデータや資料が参照しづらい状態で行われますから、
相手の発言の真偽が原理的に確かめづらいのが理由と考えられます。
よって僕は2ちゃんでは議論をするより、話題に関連して様々な情報へとリンクを貼ったり、
本や人の名前を紹介していくような「勉強会」方式の方が、圧倒的に「場」に適していると考えています。
そして、普遍さん的な「議論」を厳密に維持しようとすると、「勉強会」の可能性全ては同じ場で実現できないと思うんですよ。
逆に、「勉強会」を全面的に展開するとなれば、「議論」も全面的にでは無いですが、部分的には厳密に実行できると思います。
その上で僕は「議論」と「勉強会」の方式なら、2ちゃんでは「勉強会」を採るべきだと思います。
実は2ちゃんねるを健全化したかったのね
966 :
普遍君:2008/12/07(日) 18:53:03 ID:1pxGERMV
>>962 > でも彼の立ち位置は実際に曖昧でしょう。そう感じませんか?
もともと
>>891さんの例えにあわせて話をしているだけなので、
>>926>>936以上に細かくしても
仕方がないと思うのですが、936に書いたとおり、曖昧さは、東さんという教師をとりまく人々が
東さんをどう評価するかによって決まる問題なので、東さんの立ち位置がどういうものであるかは
さしあたり関係がないです。ドラマのような「教師」を思い描くのでもない限り、「教師」は一定の
役割を周りから期待されます。今回の南京事件がらみでもそういう期待がかかっているから、
ああいう叩かれ方になるわけです。
> …大塚の言う公共性は、古くからあるイメージ(学校−教師−生徒)だ
大塚さんは、大学で教え、その意図をはっきり語っているので、確かに「明確に」教師としての役割を
引き受けています。しかし、大塚さんがやろうとしていることは、一般的な意味の教師(言論人でも
知識人でもいいですが)がやろうとしていることとは言いがたいです。また、
>>892に書いたとおり、
大塚さんは、リアルのゆくえの中で「啓蒙型の教養は通用しない」と発言しています。
それに、962さんが「彼の声に真摯に耳を傾ける人は少なくなっている」ことが問題だと考えるなら、
できるだけ少なくならないような捉え方をさぐるべきでしょう。そういう意味でも大塚さんを「教師」に
例えてしまうのはどうなのかなと思います。そんな例え方をする必然性は全くないでしょう。
・管理に啓蒙的な役割を期待しているか
仮に東さんがやろうとしていることにも啓蒙を見出すのであれば、大塚さんと東さんの対立は新しい
啓蒙の方法論に還元できることになると思います。
しかし、大塚さんが、リアルのゆくえ P.245で、三層(公共的判断が可能な層→波及する層/降りる層)の
人数配分のイメージに東・大塚の間でズレはない、だとすれば公共的な判断をする人数を増やすべき、と
したのに対して、東さんは、同P.246〜247で「私的にどれほど素晴らしいことを信じていたとしても、…
公的なアリーナに入った瞬間に相対化され、普遍化できない…これからの社会はそういう原理でしか
動かない」と応じています。他の部分でも、一貫して啓蒙は私的であると繰り返しています。ですから、
管理に啓蒙的な役割を期待しているわけではないと思います。
もちろん、啓蒙の定義次第では962さんのように読むこともできるのかもしれませんが、啓蒙は一般に
主体性を前提とするはずですから、環境管理に無批判に従う人たちの言動の分布が結果として問題ない
範囲に収まったとしても、それを称して啓蒙されているということはできないはずです。
> 大塚さんは、リアルのゆくえの中で「啓蒙型の教養は通用しない」と発言しています。
> 他の部分でも、一貫して啓蒙は私的であると繰り返しています。
やっぱ買うわ。普通に面白そうだわ。
紹介d
読んでないけど、議論のルールを議論してるの?w
969 :
普遍君:2008/12/07(日) 19:09:40 ID:1pxGERMV
>>963 ・「不可能性」「困難性」の対応関係の話
> …用語は普遍さんが訂正したものですが、対応関係自体は「僕が」推測したことなので、
> これは僕の推測ですから正しい保証はありませんと念を押しただけです。)
そんなことは当然承知しています。はっきり書かないと認識してくれないようなので、はっきり
書きますが、「決定論としての「啓蒙は不可能」」は、そのように書いた時点で致命的と言って
よい誤りです。それは、決定論という言葉の意味を理解していなかったからまずい、という類の
ものではありません。仲山さんの言葉の選び方の「傾向」が現れているから致命的なのです。
あと、「カテゴリー啓蒙」についても、ログ検索して一連のレスをよく読んでみてください。
仲山さんは以前私に誤読を指摘されて、不用意な読みや理解をすることを少しは恐れるように
なったのかなと思ってましたが、それ以後長らく続いた態度の通り、あまり変わっていないようで、
残念です(嫌味ではなく言葉通りの意味にとってください)。
仲山さんに悪意がないことや、まじめに書かれているのは伝わってくるので、こんなところで
私から何かを聞こうとするより、普通にいろいろな本をどんどん読んでいった方がいいですよ。
知識に頼らずに議論できることはある意味楽しいし、何かお金になる能力との組み合わせで
生かせれば有用ですが、高校生の段階でそういう方向に行ってしまうのは本当に危険です。
970 :
普遍君:2008/12/07(日) 19:42:25 ID:1pxGERMV
>>963-964 続きです。
・「2ちゃんねるの特性」ゆえの「議論の困難性」
もしそういう特性が問題なら、そういう特性の構成要素に直接言及する(匿名性とか、スレッド形式とか)
論じ方をしてほしいです。どうして困難なのか、漠然としすぎていてよく分かりません。
また、「議論」「困難」は、それぞれどんな意味に理解するかが大事です(最近こればっかりで申し訳ないが)。
大塚さんも、リアルのゆくえの中で、「人数配分」をよい方向に変えるべく「努力目標」を掲げる、といった
言い方をしていましたが、そういう言い方が出てくる背景には、難しいからほとんど無理→無理、みたいな
発想を退ける態度があります。困難を自分で断言して自分で小便をちびるみたいなことをしても仕方がない
のです(実際はちびってすらおらず、困難と言って満足してる感じすらしますが。だとしたら、そういう人が
いったい何をしたいのか、私にはよくわからんのです)。
当たり前ですが、「顔の見えるような場や、あるいはレスポンスの速度が遅いような場で無いと成立が難しい
議論」は、定義上2ちゃんねるでは成立しないのでして、そんな例を挙げて議論の困難性を言われても
なんとも言いようがないわけです。私が「」内の議論が2ちゃんねるでも成立すると言っていただとか、
仲山さんが「」に議論が限定される(真の議論は対面でなければ不可能!!)とか言いたいのなら話は別
ですが、誰もそんなことは言っていないわけで。
・普遍さんは「議論一般への態度(=立場)」を持っているのか?
議論は、そもそも書きたいことを書いて、それが他人の考えとずれていれば、始まってしまうものですよね。
そういうこと一般への態度があるか、みたいな話って、する意味があるんでしょうか? できなくはないん
ですが、なぜ「私の態度」を仲山さんが聞きたがるのかが、よく分かりません(仲山さんが
>>963の最後の
ように書いているなら尚のことわからない。私の態度が明らかになっても、合意が期待できないなら意味
ないのだから)。私の態度が明らかになったら、それが何なんでしょうか? そんなことをいちいち断って
議論する人なんて、議論本を書こうとしているとか、板のルールを決めようとしているとか、そういう特殊な
状況に身を置いているのでもない限り、いないでしょう。
971 :
普遍君:2008/12/07(日) 20:07:50 ID:1pxGERMV
>>969-970の続きです。
>>963-964 ・仲山さんの議論観について
「議論自体の正しさ」が、議論の形式的正しさの意味なら
>>957に書いたとおりです。
仲山さんの文章を見ると、「…総合してその都度ごとにしか決められない」と書いていますが、
議論の「形式的正しさ」を、例えば議論の行われる場所や参加者に関する情報等と総合するのは
おかしいです。誤った推論について複数の人が合意に達したので正しいとか、事実関係の議論を
2ちゃんねるで2ちゃんねらーがやっていたら、事実に反する結論が出たが、合意したのでそれが
正しいとか言われても、「何言ってるの?」で終わりでしょう。
参照できるデータや資料が参照しづらいのは、2ちゃんねるに限ったことではありません。
テレビ報道について身近な人と話す場合や、特定分野の専門家でない人が特定分野について
話す場合にもあてはまることです。簡単に原理的とか言っちゃいけません。
仲山さんがそんな考え方をしてしまうのは、仲山さんが「議論は、そこに関わった人たちすべてが
納得するところに落としどころを見つけなければならない」とか、「議論の正しさは、関係者が全員
納得できるものを理想とすべきだ」みたいな(変な)考え方を暗に前提としているからだと思われます。
前者は紛争解決(裁判)にひきつけて議論を考えてしまっている、議論=口論観を持っているだけだし、
後者は議論の正しさ(推論や前提の正しさ)は、関係者の意図で決まるという誤った前提をとっているに
過ぎません。
972 :
普遍君:2008/12/07(日) 20:10:17 ID:1pxGERMV
疲れました。仲山さん、議論一般についてのレスはこれで最後にさせてください。
973 :
世者:2008/12/07(日) 20:13:44 ID:l99StkjJ
講談社の現代新書での大塚英志の連載を読むと教師としての熱意がやばいなと感じます
974 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/07(日) 20:36:18 ID:7CGIpTn+
975 :
普遍君:2008/12/07(日) 20:42:40 ID:1pxGERMV
>>973 メルマガの連載のことですよね。たしかにあれはやばいね…。
しかし、その熱意は教師としての熱意じゃないと思いますよ。
どっちかっていうと人としての熱意ではないかな。余計熱いですけどw
そりゃ東みたいな曲がりきった根性と低能ぶりだと学生時代にバスケットボールぶつけられていじめられるわw
あいつそれぶつけられて何て言ってたん? 「痛いっすよーやめて下さいよー」とか苦笑しながら言ってたんかなwwwwwwww
大塚の熱意って、ヤンキー先生と似たものを感じるんだけどなぁ。
右か左か立場が違うだけで。
竹熊も商業原稿の依頼をほとんど絶って
これからはブログで書きたいことを書いて
あとは大学での後進の育成を頑張りたい
みたいなこと言ってた
歳取るとそういう方に考えが行くのかね
979 :
普遍君:2008/12/07(日) 22:25:49 ID:1pxGERMV
一箇所訂正。
>>969 ×カテゴリー啓蒙→○カウンター啓蒙です。すみません。
>>977 ヤンキー先生って義家弘介のことですよね?
どこが似てるんですか。似てることを強調する意味があるようなところが似てるとは、
とても考えられないんですけど。
1000取り合戦行きたいけどもう眠いや
次のスレで頑張ろう
仲山は全然人の忠告を聞かないクソガキなのにちゃんと相手をする普遍君は律儀だなぁ。
いまさらながら筑波批評社の ust をまとめて見ている。
大学生ノリがなつかしい。池面 klov 氏ばかり見ている。
といっても、ときたま観念的ゲイになることがあり、
それを自覚しているということにすぎない。
ゲイってATフィールドを失った人間のことでしょうか?
東氏は超越性と超越論性を、たしかもはや区別しない。
たぶん、突き詰めれば、単数の剰余、plus を wissen の
彼岸に求める思考になるからだ。
plus の処理として、ハイデガーは哲学素を固有名化し、デリダは転移化する。
ハイデガーは究極的に「存在」に単一化し、デリダは古名の戦略を使った脱構築を行う。
987 :
S.S.:2008/12/08(月) 01:04:51 ID:hXwHC/C/
デリダの脱構築によって、plus は破砕する。一つの光がわたしたちの
世界を照らすのではない。いわば、わたしたちがコーラとして動くとき、
plus の無数の破片が輝く。ずれを恐れてはいけない。そこでこそ強く輝く。
だからゲイでもいい。しかし子供に対してはどうなのか。
幼女趣味はない。少年に対してもない。
>>990 わたしには、幼女趣味はない。少年に対してもない。
デリダの正義とはなんだ。東氏の来週の講義が楽しみだ。
これを少しとりあげるらしい。
992 :
S.S.:2008/12/08(月) 01:18:35 ID:hXwHC/C/
>デリダの正義とはなんだ
情報自由論の最終回を参照。
http://www.hajou.org/infoliberalism/14.html 「それならそれで結構ですよ」と野蛮人は昂然として言った。「わたしは不幸になる権利を求めているんです」
「それじゃ、いうまでもなく、年をとって醜くよぼよぼになる権利、梅毒や癌になる権利、
食べ物が足りなくなる権利、しらみだらけになる権利、明日は何が起るかも知れぬ絶えざる不安に生きる権利、チブスにかかる権利、あらゆる種類の言いようもない苦悩に責めさいなまれる権利もだな」
永い沈黙がつづいた。
「わたしはそれらのすべてを要求します」と野蛮人はついに答えた。
フーコーはどう考えたのか。知らない。フロイトの性的主体に関する言説には
うんざりする。だから「経路」の概念に注目するのは新鮮だ。でもそうすると、
なおさら性的趣向はさまざまに広げられるべきだということになるかもしれない。
>>992 ネガティブな権利とポジティブな権利を、たぶんともに確保する。
タフな選択です。たしかに野蛮人に見られるでしょうな。自分が不幸に
なるのはよいが、他人に害を及ぼすことをどう捉えればよいか、難しい。
無意識において転移が働くなら、ATフィールドは
そもそもの初めから、無効だったかもしれない。
わたしは大学時代3万円代の家賃のところに住んでいた。
郵便受けのところを外から開けると中が丸見えだった。
だから紙をそこに張った。壁は非常にうすく、話し声が聞こえた。
筑波批評社の部屋を貸しているひとは、苦情がこないのだろうか。
壁が厚いのか。
997 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/08(月) 01:58:36 ID:v1I93L6f
1000なら東理論崩壊
998 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/08(月) 01:59:26 ID:v1I93L6f
1000なら東理論崩壊
999 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/08(月) 02:00:09 ID:v1I93L6f
1000なら東理論崩壊
1000 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/08(月) 02:00:41 ID:v1I93L6f
1000なら東理論崩壊
1001 :
1001:
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。