【おっさんが湧く】帝京科学大学PARTG【バカ大学】

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479学籍番号:774 氏名:_____
今になって確信するが、坊ちゃんをカツアゲする不良のことを、自分の婚活に協力する味方だと本気で信じる田舎女は、100%お坊ちゃんとは非協力的な人生を歩む。
お坊ちゃまとは別世界の住人だ。生きる世界がぜんぜん違う。何から何まで全部違う。
ジェーン・オースティンの長編小説 「高慢と偏見」 みたいに、高飛車キャラの女が、ズル賢い不良から坊ちゃんに乗り換える。そんな展開はない。
ズル賢い不良の言う事なら何でも信じる高飛車キャラの女が、「一通の手紙」 から、養老先生の「バカの壁」を乗り越えて、坊ちゃんに乗り換える。これが奇跡なので、名作になった。
その男を取り替える奇跡が 「ありえへん世界」 だからこそ、裏を返せば、不良から坊ちゃんに乗り換えるのは、現実世界では不可能だということを意味する。

(ちょっと難しい話だ。ゴメン。)「高慢と偏見」 はリアリティーがある。それは人間同士の「共有するある種の世界観」という土台があってはじめてリアリティーを感じる。
それはあくまで、一部の人が信じる世界観であり、現実は違う。女がひ弱なお坊ちゃまとセックスしたがるときに、女がわざとお坊ちゃまに邪悪な不良をぶつけてくる。
または、ひ弱なお坊ちゃまとセックスできるためのアドバイスを、女が本気で邪悪な不良に求める。女は詐欺師の東京不良へさまざまな代償を支払いアドバイスを希(こいねが)う。
そこで、お坊ちゃまが苦労して女の住所を手に入れ、手紙を郵送して裏事情を説明する。説明しても、養老先生の「バカの壁」で、女は「肝心な部分の文章だけ」読めない。
そして、女はお坊ちゃまのことをストーカーと濡れ衣を着せて誣告し、坊ちゃんは破滅する。「高慢と偏見」 はリアリティーがあるが、所詮(しょせん)、一部の人の娯楽フィクションだ。
ああいう田舎女は疫病神だ。ああいう女に付きまとわれると、金持ちの青年は病気になり、お金を稼げない大人になってしまう。それに、私は小説のような大金持ちじゃないし。

『田舎者の女がカツアゲする側の不良におもねり、同時に、カツアゲされる側の男(私)にエッチなチョッカイを出す。』
こういう女に出会わないために、中学生は進学高校へ、高校生は上位大学へ進学したほうがいい。