明治薬科大学在校生・卒業生のスレ 〜5 Cap目〜

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561学籍番号:774 氏名:_____
http://www.tsukubasan.co.jp/sight/main5.htm
わが国における薬剤師の起こりは鎌倉時代の八州山野草子に登場する
薬駆坊(くすかけぼう)が最初とされ、自分の土地を奪われた農民が
山野に入りて薬草を採取加工して路傍にて商ったことが記録されている。
当時医師の診察を受けられるのは上層階級のものばかりで庶民はこの
薬駆坊の処方する薬をおおいに用いたとある
有名なところでは「富山の薬売り」「ガマの油売り」がこの薬駆坊でいずれも
自分の土地をもたないいわゆる「かわらもの」と呼ばれる人々であった。
562学籍番号:774 氏名:_____:2006/01/18(水) 21:09:24 ID:???
薬剤師免許は明治23年、酒類販売免許と並んで発行され
酒類と同様薬もこれを販売するには免状が必要となった
明治以降薬の販売免状として定着した薬剤師免許であるが、先達の薬剤師の努力により
じょじょにではあるがその領域を広げ昭和期以降医療資格に限りなく近づいた。
医療資格として認知された薬剤師免許は看護婦などと共に医師の補助資格として病院で
調剤業務を行うようになったが、平成に入り回顧的医薬分業論が厚生労働省を中心として
おこりこれを薬剤師会が後押しする形で、薬剤師免許を医療資格から分離、昔の薬販売資格
に戻そうという流れが現在にいたる。
http://www.ne.jp/asahi/hamaikari/yama/kinkanban4.html
薬剤師は酒類販売業者と同様軒先に看板もしくは形象物を掲げ
薬を商ったがなかには商魂たくましい商人もいたようでこのような
虚偽の立て札を掲げ庶民を店に集めたという
現在の虚偽広告のはしりであると思われる
563学籍番号:774 氏名:_____:2006/01/18(水) 21:10:15 ID:???
今日日本での医薬分業は袋詰めという単純労働を薬剤師に分担させ、多忙な医師に
少しでも診察にかける時間を与えるという考えのもとに始まった。
明治の頃の医薬分業も同様な理由と考えられるが、時代を経るにつれ医師の数が充足
し、教育程度の低い薬剤師にわざわざ医療用薬品を触らせる必要がなくなった。
その頃は比較的安全性の高い市販薬のみが薬剤師の分担であった。