徳川家康が天下を取った
勝海舟は、将軍の家来、つまり、二次団体なんだよ
そうすると、徳川家の家来になった77万石の薩摩藩の島津家も二次団体
勝海舟も将軍の家来で二次団体
薩摩藩77万石の太守、島津斉彬も将軍の家来で二次団体
形式の上では、この2人は同格
実際に、この2人は、友達付き合いをしていた
身分差別のうるさい封建社会でも、この2人の格式は同じなので、
2人で肩を組んでふざけながら歩いても何の問題もないんだよね
それとは、逆で、直江兼続という武将は圧倒的な実力を持っていた
だけど、彼は、上杉景勝の家来なんだ
豊臣秀吉が天下を取った
そうなると、
豊臣秀吉
↓
上杉景勝
↓
直江兼続
直江兼次は「三次下請け」になってしまう
雇い主の上杉景勝は、直江兼続が独立すれば「二次下請け」になれる実力を持っている事を知っている
実際に、スカウト好きの豊臣秀吉は、破格の条件で、独立して「二次下請け」になるように要請していた
直江兼続は、その要請を拒否した
だけど、上杉景勝は、三次下請けに払う給料としては破格の30万石を直江兼続に払った
そういう、自他ともに認める実力の持ち主である直江兼続
彼は、その給料だけでなく、豊臣政権下において、
三次下請けでありながら、二次下請けの格式を許されていた
豊臣秀吉の、二次下請けと言えば、徳川家康、伊達政宗、前田利家とか、そういう人達
豊臣秀吉が、凄い大きい小判、まあ、小判じゃなくて大判だよな
それを作って、二次下請けの社長が集まる場所で披露したんだよ
そしたら、その、ごっつい大判に、二次下請けの社長たちは大騒ぎ
「さすが秀吉公!まさに天下一の大判でござる!」とヨイショしまくった
だけど、伊達政宗は、三次下請けでありながら、二次下請けの格式を許され、
この集まりに参加している直江兼続が、大判を見ずに黙りこくってるのに気付いた
「おい!直江!お前は三次下請けだからって遠慮しているのか?
遠慮しないで大判を見ろよ!」
直江兼続は、伊達政宗をギロリと睨み、
ふところから扇子を出してバラリと開き、
大判を扇子ですくい上げた
扇子の上で大判をジャンプさせて表と裏を見る
伊達政宗は、おもわず吹き出して笑い、
「おい!直江!遠慮するな!手で持てよ!そんな卑屈になるなよ
手で持って見ても誰も文句は言わねえよ」
そしたら、直江兼続は、
「おい!伊達政宗!さっきからうるせえな
俺はお前や、他の人が、見ろ見ろとうるさいから見ただけだ
俺はお前らと違って商売人じゃない
俺は武士だ
お前らは、金儲けだろ
俺の手は戦うためにある
その武士の手に、こんな汚い黄金の大判を触れるかよ!」
と言って、扇子の上に乗せた大判をポーンと伊達政宗の方に投げ飛ばした