【踊ってみた】DANCEROIDスレ51

このエントリーをはてなブックマークに追加
381パンツ ◆7vYOZotTDo
80歳まで、じっと我慢して生きて、
信長や、秀吉にペコペコして、
やっと80歳で目前にまで迫った自分の天下

それなのに、真田幸村という名将に陣地を崩されて、

その時に「ちくしょー!」と、すぐに切腹しようとした80歳の徳川家康も凄味がある
そういう気迫が無ければ、徳川家康も天下を取れなかった

徳川家康は、武田信玄に攻められたときに、信長がビビッって援軍を送らないから、

「援軍を送らなければ、俺は武田信玄の味方になって、お前を殺すぞ!」

と織田信長にいったんだよ
だから、織田信長は、他人を馬鹿にしてる人間だけど、徳川家康にはそういう態度は取れなかった

武田信玄は、徳川家康を無視したんだよ
「三河の小僧なんて相手にしない」と言って、

なんと、徳川家康の領土を、行進して京都に行こうとした

徳川家康の家臣は「武田軍は素通りするようです。こっちが仕掛けなければ戦争は起こりません」
とホッとした

だけど、徳川家康は
「俺の領土を行進されて、俺がそれを城の中で黙って震えて見ていたら
 腰抜けと馬鹿にされて、もう誰も俺に従わなくなるぞ!」
と言って、出陣した

武田信玄は「ほう。三河の小僧が出て来たか。意外に気迫があるじゃねえか」
と言って、両軍が激突、徳川家康はアッサリと秒殺された

しかし、武田の家老、馬場美濃守が

「戦場で、徳川軍の死体を調べましたが、全て、こちらを向いています
 逃げようとして、背を向けて死んだ死体は1つもありません」

それを聞いて、武田信玄は「ふむ、ふむ、やりおるわ。ムハハハ」

のちに、武田家が滅亡した時に、武田家の家臣が
「次に仕えるとしたら、この人しかいない」と選んだのが徳川家康だった

徳川軍の先鋒は、井伊直政で、一番先に、敵に突っ込むんだけど、
徳川家康は、武田家の旧家臣を、先鋒の井伊直政に所属させた

それを「井伊の赤備え」と呼び、その戦闘力の高い突撃が敵に恐れられた
382パンツ ◆7vYOZotTDo :2013/06/03(月) 11:54:07.70 ID:g60mF1EbP
織田信長がついて、豊臣秀吉がこねた餅を、座ってるだけの徳川家康が食べた

なんて、言う歌があるけど、
徳川家康の生涯は、戦いの連続だからな

だいたい、織田信長の軍隊は弱いんだよ
浅井、朝倉の連合軍に殺されそうになった
その時も、徳川軍の突撃によって救われている

大坂の陣の時点でも、徳川家康は、すでに伝説で、
もう、老人だから、戦場には出て来ないと言われていた
だけど、徳川家康が戦場に出て来たので、
戦場の敵味方が全員震えたというんだから、凄まじいもんだよ