【ごるステ】まんごるもあ【皇居のお堀に入浴剤】1包目

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48名無しさん@お腹いっぱい。
この解釈は、フォンブリュヌの息子ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌによってほぼそのまま引き継がれた[6]。
息子のフォンブリュヌの解釈書『歴史家にして予言者ノストラダムス』は、1980年代に国際的な大ベストセラーになった[7]。



モンゴル説 [編集]


アッティラ説によって「アンゴルモワ」がアジアからの侵略者という捉え方をする解釈者が現れる中、これはモンゴルを表すアナグラムだと
解釈するものたちが現れた。懐疑派であったエドガー・レオニの注釈(1961年)の中にも、Angolmois を Mongolois とする説への言及がある[8]。
アナグラムの仕方には、コリン・ウィルソンのようにMongolians を導き出すものもあったが[9]、いずれにしてもそこで出てくる「モンゴルの大王」は、
「大ハーン」すなわちチンギス・ハーンの再来を思わせる人物の出現と解釈されていた。



のちには、ルーマニア出身の解釈者ヴライク・イオネスクのように、アッティラ説とモンゴル説を重ね合わせた解釈を展開するものも現れた[10]。
ジャックリー説 [編集]

日本では五島勉のミリオンセラー『ノストラダムスの大予言』(1973年)において、アンゴルモワはジャックリー(ジャックリーの乱)を表す古語だと紹介
された[11]。このもとになっていたのは、アメリカの解釈者ヘンリー・ロバーツの英訳だったが、ロバーツ自身は根拠を示していなかった[12]。

この説は、海外では追随する者のほとんど見られない特異な説であるが、日本では「ジャックリーの乱がフランス南西部のアングーモワにまで波及した」
といった史実と異なる紹介を行って、この説を採用する者も見られた[13]。




実証的な立場の見解 [編集]

20世紀後半以降の実証的な研究では、この語がアングーモワを指していることには異論がない。当時"o"と"ou"の違いがあいまいであったことから
"Angolmois"は"Angoulmois"と同じなのである[14]。実際、1605年版以降の『予言集』では、該当箇所が"Angoulmois"となっているものもある[15]。
アングーモワは、現代フランス語では"Angoumois"と綴るが、当時は"Angoulmois"と綴られることも珍しくなかった[16]。

そして、ノストラダムスの予言を16世紀フランス史の文脈で捉えようとする立場では、(結果的にガランシエールの解釈と一致するが)「アングーモワの大王」
をフランソワ1世の暗喩とみなしている[17]。なお、五島勉以前の日本人にも、フランス文学者の澁澤龍彦のように「アングレームの大王」と訳し、フランソワ1世
との関連を示唆する者はいた。