【ごるステ】まんごるもあ【皇居のお堀に入浴剤】1包目
アンゴルモア(Angolmois, アンゴルモワとも)とは、ノストラダムスの『予言集』百詩篇第10巻72番に登場する言葉である。
この詩を直訳した場合、その2行目と3行目は、「『恐怖の大王』が『アンゴルモアの大王』を蘇らせに天から来るだろう」
(Du ciel, un grand Roi d'effraieur viendra ressusciter le grand Roi d'Angolmois.) と読めるので、20世紀後半によく見られた
恐怖の大王と破局的事態を結びつける解釈においては、アンゴルモアの大王もそれに関連する者と位置づけられることがあり、
また時には両者が混同されることもあった。
信奉者による解釈の歴史 [編集]
この詩は17世紀前半までの注釈書の類ではまったく言及がなく、20世紀に入るまではほとんど注目されないものであった。
よってこの語に関しての解釈も、17世紀になるまで現れてはいない。
なお「恐怖の大王」との関係については、直訳どおりアンゴルモアの大王とされるものが恐怖の大王とされるものによって蘇ると
解釈した事例と、後者を前者の比喩とし、恐怖の大王はアンゴルモアの大王の再来のような人物であると看做す事例が混在している。
アングーモワ説 [編集]
初めてアンゴルモアの解釈に言及したのは、1672年に『予言集』の英仏対訳版を出した医師のテオフィル・ド・ガランシエールであった。
彼は、原文を le Grand Roy d'Angoumois と綴った上で、こんな注をつけた。
ここでアングーモワの大王と呼ばれているのはフランス史上で最も勇敢な君主であったフランソワ1世である。彼は王となる前はアングレーム伯
の称号で通っていた。詩の残りの部分はわかりやすい。[1]
つまり、アンゴルモアはアングーモワ地方を指すに過ぎず、その大王とは、ヴァロワ=アングレーム家出身でノストラダムスの青年時代にフランス王
の座にあったフランソワ1世を指しているという解釈である。17世紀末の解釈者バルタザール・ギノーは、アンゴルモアに直接言及したわけではなかったが、
アンゴルモアの大王は「フランスの大王」の換称とした[2]。
1816年にはアングレーム公の結婚にあわせて出版されたパンフレットで、この詩がとりあげられた[3]。こうした流れでは、「アンゴルモワの大王」が
アングーモワ地方にかかわるフランスの王であることはほぼ自明のこととされていた。
アッティラ説 [編集]
1930年代にこの詩を解釈したマックス・ド・フォンブリュヌは、アンゴルモワをアングーモワと捉えるところまでは従前の論者たちと同じだったが、位置付けに変更を加えた。
彼はアングーモワが古代にフン族が侵攻した地であることに着目し、「アングーモワの大王」はフン族の王アッティラを指し、「恐怖の大王がアングーモワの大王を蘇らせる」
とは、アッティラが蘇ったと思わせるようなアジア人の指導者に率いられた軍隊がヨーロッパに侵攻するという意味だと解釈した[4]。この黄禍論的解釈は、フランスの他の解
釈者だけでなく、英語圏の論者たちにも踏襲するものが現れた[5]。