小室に騙された兵庫県芦屋市の個人投資家2

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362山師さん
>>360
80年代~90年代の音楽シーンは作曲家にそれほど脚光が集まる時代だったとは言えない。
作家は大体著作権を音楽出版社に譲渡していたし、それが当たり前の時代。
84年にデビューしたTMも同様で、所属事務所の親会社のJun&Keiという音楽出版社が著作権を管理していた。
そうした中で、でうにか小室はイニシアチブをとりたくて、グッズ販売の関連会社の社長や、
角川書店と手を組んだメディア会社(グラデミー)を設立するものの、上手くいかない。
事務所との関係も悪化して最終的には事務所を独立した。
この前後、avexとの接点が生まれる。
「スーパーユーロビート」などを出して徐々に脚光を浴びつつあったavexが、
TMの楽曲をユーロビートにリミックスして販売したいという申し出を出す。
小室は条件として「所属レコード会社との話をつけること」を提示したが、
松浦がそれをこなした事で(使用するのは楽曲のみで制作にはTMの3人が参加しない。音源も使用しない等の条件がついた)
彼との関係を重視するようになった。
その中で生まれてきたのがtrf。ただしこれは、当時EPICソニーとの専属契約をしている小室にとっては、
契約違反ともいえる行為だった。(その当時目立ったソロ活動をしていなかった事、TMが休止状態になっていたことが原因かと思われる)
EPICと生まれた軋轢を、当時の社長だった丸山氏が解決させるために、
当時独立状態にあった小室を、ソニーがマネージメントする事で、小室=ソニーの専属という枠を堅持させて解決した。
これがアンティノス。(TMRなんかが所属したレコード会社の前身)丸山さんはそこの初代社長に就任した。
ただ、その後ほどなく小室はこの会社から離れて独自のマネージメント会社を設立したので、
ここで丸山さんとの直接的な関係はいったん途絶える。
後年丸山氏がSMEの社長に就任した際に、複数のアーティストにオリジナルレーベルをもたせる計画が浮上した。
これに参加したのが、小室、辻仁成など。
誕生したレーベルがTKD。ここには再結成したTM NETWORK、鈴木あみ、KISS DESTINATION(吉田麻美とのユニット)が参加した。
しかし鈴木以外のアーティストの売り上げが予想以上に伸びなかった。
特にTMに関しては最終的なイニシャルセッティングが大幅に下げられ、
小室が目論んでいた自由な活動とはほど遠い活動やリリースを余儀なくされていた。
また、この頃から「小室プロデュース」と呼ばれる楽曲のセールスも次第下降線をたどっている。
小室としては何か手を打たなければならない危機感があったが、
その時に目をつけたのが、当時未開拓だった「インターネット」と「アジア」だった。
アジアの中で有能な歌手を見つけてプロデュースを行う。
日本だけでなく、アジアを対象にしてそれを展開させることで多くの注目を集めたい。

その戦略の中で生まれてきたのがRojam。
設立時にディスコも常設したのは、trfやglobeもここから見つけ出してきたこと、
アジアでのダンスミュージックのニーズを探るためのマーケティングの目的があったと思われる。