TBSは不倫容認か?

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TBS放送局窓際社員の独り言

“うちの局がこんなになってしまった経緯
” をお話しましょう。

(1)1960年代〜
テレビ放送が始まってまもなくの頃、放送中のちょっとした言葉づかいの問題(例えば「朝鮮民主人民共和国」を“北朝鮮”と呼んでしまった、など)に対して、朝鮮総連から会社及び経営幹部の自宅に対して脅迫に近い抗議行動が繰り返される。

抗議行動に対する「手打ち」として、採用枠に“在日枠”が密かに設けられる。総連幹部の子弟を中心に入社試験無し(カタチだけの面接)での採用が毎年続く。

在日枠の密約を所轄官庁に対して内密にしてもらうよう局側から総連に 「お願い」をしてさらに弱みを握られるなど、素人のような甘い対応で身動きがとれなくなっていく。
340A:2006/12/08(金) 20:59:25.74 ID:yKMVskng
(2)1970年代〜
政府を叩きさえすれば世論が喝采する狂った時代。

在日社員の「反日番組」を「権力に対するペンの戦い」「調査報道」と勘違いした経営幹部が社内で在日を積極登用。

「日本人社員と在日社員に昇進の差別があってはならない」などと理想論を述べたのは良かったが、
結果を見れば、昇進差別をしなかったのは甘い日本人幹部だけで、課長、部長と昇進した在日社員は、帰化した在日二世を理不尽なまでに優遇する逆差別人事を徹底。

異を唱えた日本人社員は排除リストに載せられ、営業や総務などの番組制作の第一線から退けられる。

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341B:2006/12/08(金) 21:04:20.36 ID:yKMVskng
(3)1980年代〜90年代初頭

 昇進した在日社員が主要な報道番組のプロデューサーや報道局長など、決定的なポストを占めるようになる。

某サヨク週刊誌の在日編集長(筑紫哲也)をキャスターに迎えたニュース23が、かつて学生運動に没頭した団塊の世代の視聴者の支持により高い視聴率を得る。

1989年の参議院議員選挙では「土井社会党」「マドンナブーム」を「消費税反対キャンペーン」で徹底的に援護。
宇野総理のスキャンダルを連日報道しつつ土井党首を「おたかさん」と呼ぶなど、露骨であからさまな社会党支持。

社会党が浮動票のアヤフヤな支持により地すべり的に勝利すれば、土井党首の「山が動いた」発言を取り上げ、感動の報道。
(スーパーサッカーで放送された韓国人実況「富士山が崩れています!」を連想するサッカーファンも多いと思う)
342C:2006/12/08(金) 21:11:56.48 ID:yKMVskng
(4)1990年代後半〜2000年代
 誰もが知るオウムへの坂本弁護士個人情報提供。

オウム被害の社会現象化により《取材源を守るべき報道機関が守秘義務を破り殺人教団に市民の命を売り渡した》ことが明るみに。

坂本家遺族の記者会見前には、必ずTBSクルー退席命令があった。
遺族がそれを望むのは、人間として無理のないことである。

当然、放送免許剥奪の世論が起きたが、頭のおかしい文化人たちの擁護で辛うじて命脈を保つ。

新世紀になると、在日の支配者金正日が日本人拉致を認め、TBSは拉致被害者家族会から痛烈な叱責を受ける。
(TBS在日幹部から謝罪の言葉が無かったのは言うまでもない)

土井たか子が有本さんの嘆願を握り潰し、総聯に家族会情報をリークしたことも判明し、
20年間TBSの御輿となった土井の名は残虐悪魔の代名詞となった。

最近は
小泉改革で追放された野中を対談番組に迎え情報工作に出たが、
30年前には通用した政治的嫌がらせも小泉内閣には通用しない。
むしろ
6者会談で北朝鮮が追いつめられ、利権絡みの売国行為情報が流れれば野中はお仕舞い。

野中をいつ捨てるか?次の御輿は誰にするか?TBSの悩みは尽きない。