【バックテスト】 EXCELで売買シグナルを検証

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79山師さん
披露宴の準備は悩みに悩んだ。
何しろ決めなくてはいけないことが多く、
打ち合わせのためホテルに何度も足を運んだ。

最後まで悩んだのが、引き出物。

「想い出が残り、誰にでも喜んでもらえて、しかも実用的なもの」
これが彼女と話し合って決定した引き出物の条件だ。
はっきりいって無理難題だと思った。

いったい何を選べばいいのだろう・・・?
ぼんやりとTVに繋げたXBOX360で遊んでいた時、彼女が叫んだ
「それよ!XBOX360よ!」
目から鱗が落ちた。灯台下暗しとはこの事だ。
そして彼女の賢さに感謝した。

すぐに近所の電気屋にかけあい、300台のXBOX360を手配した。
DVD−Rに僕達夫婦からのメッセージムービーを入れた。
ゲスト一人一人に違うメッセージムービーを入れた。
大変だったけど、楽しい作業。

苦労の甲斐あり、引き出物はとても好評だった。

そして、僕達夫婦のつながりも一層強まったと思う。
ありがとうXBOX360。
初めての共同作業でした。
80山師さん:2005/12/17(土) 03:35:22 ID:V6ITpM42
発売までの経緯

当初マイクロソフトはセガのドリームキャストに技術協力していたが、ドリームキャストが商業的に失敗した後、
MS自身が巨大産業であるゲーム業界に参入するという噂が流れ始めた。この背景にはセガとの路線対立や、
ソニー・コンピュータエンタテインメントや任天堂に提携を求めて断られたことがあると言われている。

2000年3月、日本でプレイステーション2(PS2)が発売されてからわずか数日後にMSがゲーム機参入を発表。
当時ソニーグループはPS2でWintelに挑戦すると宣言しており、ソニーがトップを占めるゲーム業界にMSが
逆に挑戦するという構図になったことで話題を集めた。噂の段階から開発コードネームとして浸透した「X-BOX」が
実際の名称にも使われることとなった。製品仕様や発売前の技術デモなどは徹底的にPS2を意識したものであったと考えられる。

発売当時は「PS2の3倍の性能」を謳い、グラフィック性能の高さで注目を集めたが、PS2及びニンテンドーゲームキューブと
同じ世代の製品と位置付けられている。

日本での不振

日本に海外メーカーのゲーム機が上陸した例は3DOなどごくわずかのため、Xboxの上陸は「黒船」に例えられ話題を集めた。
2002年2月22日の日本発売に合わせてビル・ゲイツが来日し、「笑っていいとも!」に生出演したり、元X JAPANのYOSHIKIを起用
したりと大々的な宣伝を行った。しかし対応ソフトの少なさや、巨大な本体が日本人の居住環境に合わないことなどが指摘され、
話題性に反して静かな出足となった。
日本で発売直後、プレイ中にDVDやCDのメディアに傷が付く問題が発覚。米国などでも同じ仕様のハードが発売されており
特に問題にならなかったようだが、日本国内ではクレームが相次いだ。傷物を嫌う日本人の消費者心理を読み誤ったMSの
対応のまずさも手伝い、普及の伸び悩みに拍車をかけることになる。その後マイクロソフトは無償での本体修理とメディア交換に応じた。
海外では一定の成功を収めたものの、日本においてはPS2やニンテンドーゲームキューブといった日本メーカーの強力な
ライバル製品がすでに市場を押さえており、Xboxのシェアはごくわずかにとどまっている。
日本国内ではかつてのPC-FXやドリームキャストのように、一部マニア向けのゲームソフトが多くなっている。
海外でヒットした作品も日本では「洋ゲー」と呼ばれ、幅広い層からの支持は受けにくい。日本国内で10万本以上を売り上げる
ヒットとなったのはテクモの「DEAD OR ALIVE」シリーズのみであり、ハードが売れずキラーソフトが生まれない悪循環に陥っている。

Xbox Live

Xbox Liveというオンラインサービスを、2002年11月に米国、2003年1月に日本、同3月に欧州各国で、それぞれ開始した。
標準本体のみでオンラインサービスに接続できるのが最大のセールスポイントであった。(その後発売されたPS2の新型機種でも
LAN端子を標準装備し本体のみで接続できるようになった。)
しかしオンラインゲーム普及のペースが予想より遅かったことや、やはりキラーソフトが存在しないことで、ライバル機に勝る要素には
なっていない。また、Xboxはクレジットカード決済のみとなっており、まだまだゲームに対する風当たりの強い世の中で、
「ゲームをするがためにクレジットカードを貸してくれる理解ある親を持つ子供」と「暇のある社会人」という、どうみても少ないであろう層を
狙ったとしか考えられない方策により、Xbox Live不振に一層の拍車をかけており、その「不信」は、キラーソフトとして期待されていた
トゥルーファンタジー ライブオンラインの開発中止により頂点に達する。
Xbox Liveは次世代機Xbox 360にも共通して提供されている。

その他

日本において、発売当初の希望小売価格は34,800円であったが、他社と同様、激しい価格競争にさらされた。
その後数度の価格改定を経て、2004年5月より発売されている「Xboxプラチナパック2」においては、ゲームソフト2本、追加のコントローラ、
DVDビデオ再生キットなどを追加した希望小売価格は19,000円である(税別)。
北米をはじめ日本以外の地域ではプレイステーション2に次ぐシェアを獲得し、ニンテンドーゲームキューブに比べて販売台数は多いとみられる。
「Halo」「Halo 2」など爆発的にヒットしたキラーソフトも生まれた。2005年、海外で初めて関連事業の黒字利益を達成した。
2005年2月17日、MSは2003年10月23日以前に製造された1410万台の製品について、電源コードが異常発熱して火傷を負う人が発生していると
発表し、電源コードの無料交換に応じるとの対策を取った。一部報道によれば、この時点での日本国内の出荷台数は45万台とされた。