【隔離】駒大苫小牧☆裏70☆【避難所】

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目上・上司、主力やベテラン選手相手にゴマスリしたり媚を売ったりしない監督。
学校教師なら、学級の委員長などリーダー・ボス的存在、目立つ生徒、有力者の子などを相手に、堂々とした教育をし、妙なえこひいきなどをしたりしない先生。
こういう監督・教師こそ、「指導者」として立派な存在といえる。

角三男『プロで生きる』マイストロ(99年7月)に、
指導のプロとプロの指導 藤田流“怒り方”という小見出しで
「藤田さんの管理術は選手の怒り方ひとつとっても巧みだった。監督というのはレギュラーの選手を怒りたがらないものだ。
主力選手をへたに怒ってスネられたりでもしたら面倒だからだ。だから、たいてい下っ端を怒ってお茶を濁す」
と述べている。

これは、教師でいえば、委員長やリーダー・ボス的存在、見た目や言動・行動が派手な生徒などに対して、悪いことをしても、面倒だからとお茶を濁して叱責せず、
(とくに年輩の先生は、自分の噂などを気にしやすい)
反対に地味でおとなしい子を叱られ役として標的にする教師が少なくない、という意味だ。

自分の小・中学校時代を回想しても、どこの学校にも、歴代こういう腹黒い性格の先生はいたであろう。
しかし、角いわく
「ところが、藤田さんはめったに怒らないが、怒るときは主力選手をバチーンと標的にする」
との事(そのときの怒られ役は常に山倉だったらしい)。

学級・授業でも、藤田監督を見習って、お茶を濁さずに委員長やリーダー格をバチーンと標的にして叱責してほしいものだ。
また、藤田監督は正力亨オーナー相手に「私が嫌なら1年で辞めます」とタンカを切っている。

藤田氏は監督に就いた際、斎藤雅樹、川相、駒田、デーブ大久保(92年途中移籍)などを一本立ちさせ活躍させた。
(駒田徳広『プロ野球場外乱闘!』01年7月・角川書店参照)
学校教育でいえば、藤田先生はこうした生徒を発掘し起用した実績を持つことになる。

つまり、野球監督に限らずに学校教育などでも、藤田監督のように圧力に屈することなく、生徒の才能や学力、個性を開花させたり、人生を軌道に乗せてくれる指導者こそ、名監督・名教師だと思う。

そんな藤田元司氏(投手出身監督)みたいな人物が、野球部監督に限らずに学級担任・社会科教師をしてくれたら、才能や人生を引き出してくれるんだが…
>>692 >>709
投手出身監督としては最強監督の藤田元司氏。
滅多に怒らないが怒るときは、代表格的な存在人物を、他の人たちの前で平気でバチーンと標的にして、あっという間に全員を浸透させるということになる。
野球だけでなく、小・中学校時代なども含め、歴代こういうことが出来た学級担任や教科の先生はまずいないが、巨人軍最強助っ人のクロマティも、『さらばサムライ野球』講談社(91年3月)の中で、
「藤田は中肉中背の五十代の男で、べっ甲縁の眼鏡をかけ、もとピッチャーというよりは学校の教師のように見える」と言っている。
プロ野球も高校野球も、メタボ体型の監督に名監督はあまりいない。

角氏だけでなく、藤田監督の下でレギュラーとなり、後に名球会選手にまで成長した駒田も、駒田徳広『プロ野球 場外乱闘!』角川書店(01年7月)で、藤田監督について、“チームプレーを教えてくれた師”という小見出しで、
「プロ野球選手としてだけでなくて、人間としてもずいぶん勉強させてもらったと思っている」と述べ、たとえば、
こういう場面ではバントで送りなさい、右方向に打ちなさい、というのはチームプレーではなくて戦術だが、藤田監督がいうチームプレーとは、
「送球するときは、相手がとりやすいように、胸にめがけて投げてあげなさい」など、形をどうしろという前に、必ず相手の身になって考えなさい、ということがきて、
バッティングでも、守備でも、ピッチングでも、私生活でも全部そうだった。相手の身になって考えたらこうだろ、こうしてもらったら楽になるよな、という風に教えていく。
そんなことは当たり前だと思われるかも知れないが、案外、選手だけでなく監督やコーチなども忘れている。

というような主旨を、本の中で述べている。

これはプロ野球だけでなく、高校野球は勿論、日常の学校生活、教室、学外、私生活でも同じことがいえないだろうか。
実際、高校野球の監督や学校教師たちは、この大事さを忘れている。

また、藤田監督は、選手の失敗を決して怒らない人だったが、怒るときは、選手がチームの和を乱すような行動、発言をしたときだそうだ。

以上が駒田氏から見た“藤田評”だが、野村監督のいう「人間教育」とはまた違ったチームプレー(社会性)論である。
藤田氏は見た目以外にも先生っぽさが窺える。
中日の落合監督は、01年春に横浜臨時打撃コーチに就いた。
その後、落合は『コーチング』ダイヤモンド社(01年8月)を出したが、この本を参考にしていくと、当時の横浜キャンプでは主に、多村仁(現・ソフトバンク)、石井義人(現・西武)、田中一徳(引退)の3人の打撃指導をした。
多村は04年に40ホーマーを放ち、石井義も05年に西武へ移籍してから芽が出た選手だが、当時の落合はまだ彼らのことを簡単にしか知らなかった。
当時の横浜は、前任監督の権藤博の「マシンガン打線」と称されたアベレージヒッターが多く、石井琢朗や鈴木尚典(首位打者経験有)などが主力であり、落合は彼らには打撃指導をしていない(彼らが質問に来た際のみ簡単にアドバイスをした程度)。
なぜか。
石井琢や鈴木尚のような3割打者に細かく(弱点や欠点を)・打撃指導をした場合、打率が3割5分までアップする可能性もあるが、2割5分(あるいはそれ以下)まで落ちる可能性もある。
だから、チームの主力であり、数字を残している選手や実績のある(億単位の年俸を貰うような)選手は手がつけられず、指導者としての冒険はできないのである。
しかし、打率1割台から2割程度の1軍半バッターを2割8分〜3割くらい打てるように取り組むことは楽だ(当時の多村や石井義はまだそのレベルだった)。
なぜなら、現状でダメなのだから、何かに取り組んでダメでも諦めがつき、指導者も選手本人も納得するからだ。

さて、この落合臨時打撃コーチの話を学校教育や授業に置き換えて考えよう。
例えば、数学の先生なら、数学で学年末評価を4(以上)を取っている生徒やまた中学・高校を通して学年末評価で4以上を(1年間でも)取ったことがあるような生徒。
落合の話からすれば、こうした生徒を細かく(弱点や欠点を矯正)指導すれば、5にアップ可能性もあるが、一方で3(あるいは2以下)に落とす可能性もある。
だから、細かく指導するなら、評価が1や2の生徒を捕まえてやるべきだ。

落合は、よく「見ているだけのコーチ」などと言うが、口を酸っぱくして指導したため、かえって主力選手を潰してしまったという話もあるが、学校の授業でも口を酸っぱくして指導したために、かえって生徒(主力)を潰した教師も少なくないはずだ。
指導能力の高い教師ほど、主に評価1や2の生徒などから教育を始めている。
712スポーツ好きさん:2008/07/02(水) 07:05:23 ID:9kPrM/l7
野村監督は現役時代、北米のおおじかに由来して「ムース」と呼ばれ、後に沙知代夫人がオーナーを務めた中学のシニアリトル野球「港東ムース」というチーム名にも使われた。
※沙知代夫人の脱税容疑逮捕により、「東京青山シニア」に名称を変更。現在に至る

野村監督の弟子であり、阪神時代の捕手・田淵との「黄金バッテリー」から「優勝請負人」とまで呼ばれていた江夏豊も、野村監督のことを「ムース」と呼んでいる。
江夏豊『くたばれ!ジャイアンツ』小学館(97年5月)の中で、選手時代は江夏とチームメイト(昭和53〜55年・広島)でもあった当時の広島の三村監督(平成9年)について、
「三村監督がやろうとしていたのは、目先の野球じゃなく、将来を見据えた野球のはずだった」
「監督は指導することより、まず選手の性格を見極めること」
と語り、ドラフトで下位指名で入団した江藤や前田智、金本、緒方といった選手を名球会やタイトルホルダーへ育てたことや、
「野球界に限らず、他のスポーツ、あるいは一般の企業においても同じことが言えると思うが、上に立つ者は、技術も必要だが、リーダーとしての“器”かどうか。これが問われてくる」
と語っている。
また、野村監督(南海)について、
「野球をアタマで考えることの大事さを教わったこともそうだが、数多くの経験をしてきた人だけに、勝つことの難かしさや負けることの悔しさを知っている。
その意味では、誰が何と言おうと、私は名監督のひとりだと思っている」
と述べている。

江夏氏の言葉からすれば、これはプロ野球界に限らず、高校野球や学校教育などにも同じことが言えるのではないか。
野村監督のように、自身の人生を通じて、多くの経験をして、勝つことの難かしさや負けることの悔しさを知っているような先生は名教師の1人とだと思う。

また、三村監督のように、目先の1勝や目先の優勝ならぬ目先のテストの成績アップや受験合格などではなく、
将来(たとえば小学校の先生なら中学へ入ってからのことや、中学の先生なら高校入学後、高校の教師なら社会など数年後の人生)を見据えて授業をしたり生徒を教育をするのがいい先生のはずだし、
また、教師は指導することより、まず生徒の性格などを見極めることは重要だと思う。
学校教育を通して、金本のような後に模範的生徒となる素質を見抜いて育ててほしい。
駒田徳広『プロ野球 場外乱闘!』角川書店(01年7月)に、「こんな監督、コーチが選手をダメにする」という内容で、

バカなことを言うコーチだったら、いない方がいいくらいだ。
水泳にたとえて言えば、選手には二通りあると思う。
何も言わないで「好きなように泳いでなさい」とだけ言っておけばいいレベルの選手と、いろいろと技術的なことを教えてあげなければいけない選手。
いいコーチというのは、それを見極めていて、選手みんなの力を高めていくことができる。ダメなコーチというのは、それが分かっていない。
自由にさせておけばいい選手にまで、ここをこうしろ、そこはこうしなきゃダメだ、といちいち指導しなければ気が済まなくて、いいものまで悪くしてしまう。
それでいて、指導しなければいけないレベルの選手の方はとっくに見放していて、結局ダメにしてしまう。
しかし、そういう素質のある選手は、放っておいても活躍するし、下手な指導をしない方がいい場合が多い。
選手が悩んでいるんじゃないかな、と思ったら、「どうした。何か悩みでもあるんじゃないか。相談にのるぞ」
と言ってあげるのも、コーチの大事な仕事だろう。そういうことを言ってもらえると、選手はすごくうれしいものだ。こういう気配りが大事なのは、プロスポーツのコーチに限らず、普通の仕事の上司でも、学校の先生でも何でも同じだと思う。

などと書かれている(一部略有)。

たしかに、学校教育についても駒田氏の指摘するとおりである。
バカなことを言う教師だったら、いない方がいいくらいだ。
「自由にしていいよ」というレベルの生徒と、いろいろと技術的なことを教えてあげなければいけない生徒の二通りあると思う。
ダメな教師というのは、自由にさせておけばいい生徒(おとなしい真面目な生徒)にまで、あれが悪い、ここをこうしろ、そこはこうしなきゃダメだなどと、指導しなければ気が済まなくて、
他の生徒のいる前で平気で欠点や弱点ばかり指摘し、いいものまで悪くしてしまう(とくに年寄り教師)。
それでいて、指導しなければいけない生徒(金持ち・有力者・PTA・教師・モンペなどの子やヤンキー・不良、学級内のボ、うるさい女子)の方は見放していて、結局どちらもダメにしてしまう。
しかし、素質のある生徒とは、放っておいても勉強するし、下手な指導をしない方がいい場合が多い。
714スポーツ好きさん:2008/08/18(月) 07:39:33 ID:eFsIPO1Y
   ┌───┐
    │  智  │
    │  弁  │
    │  学  │
    │  園  │
    │  和  │
    │  歌  │
    │  山  │
    |  高  |
    |  校  |
    │  之  │
    │  墓  │
  ┌┴───┴┐
  │羆の怨念 |
┌┴─────┴┐
│  平成二十年  │
│  八月十六日  │
│    永眠    |
┴───────┴

寄贈:どことは言わんが、誰とは言わんが

※ソース
http://orz.2ch.io/p/-/sports11.2ch.net/hsb/1217596913/
715スポーツ好きさん:2008/11/06(木) 12:18:13 ID:8B3i8Pb/
駒大珍小牧
近藤唯之『プロ野球 新・監督列伝』(PHP文庫、99年8月)の中に、故・根本陸夫監督のことが書かれている。
例えば、昭和55年のロッテ対西武のある試合で、西武の先発投手の東尾が初回からロッテ打線に捕まり、3点を失った。

この本には、
しかし、根本(当時の西武監督)は動かない。根本の選手起用はこうだ。
「いいところを伸ばしてやろう。悪い部分はよっぽど眼にあまるところ以外は、あまりいじらない」
簡単にいえば、いいところだけ見てやろう。その逆でわるい部分はできる限り眼をつぶろう。プロ野球だけではないのだが、日本人はわるい部分を一番さきに直そうとする。そのためにかえって、いいところも潰してしまう。
と書かれている。また、
「プロ野球に入ってくる男は、こと野球にかけてはみんな天才なんだよ。指揮官はそこのところを、きちんとわかってくれないと困るんだ」(根本陸夫)
とあるが、プロ選手ではないが、やはり、学校教育でも、生徒一人ひとりのいいところをきちんとわかっていないと困るということが言えるだろう(生徒のいいところより悪いところを意識している担任教師が一体学校に何人いるのか)。

さらに、本の中で、
この試合は最終的に5対3でロッテが勝った。もし東尾をもっと早く交替させていたら、西武は勝っていたかもしれない。
「その日の試合では負けても、5年さきを見て育てる」
という根本の思想が東尾にとっても、西武にとっても、大輪の花を咲かせた。
とある。根本監督は昭和56年で監督を辞めてフロント入りしたが、翌昭和57年には東尾を擁する広岡監督の西武が日本一になり、次の森監督の時代でも常勝・西武王国になるが、その基礎をつくりあげたのは根本監督である。
広島は、昭和50年代に山本浩二や衣笠らがいる赤ヘル黄金期を築くが、その土台は根本監督が築いている。
王監督のダイエーも、前任だった根本監督が築いている。
監督としての戦績はよくなかったが、前述の(根本監督の)5年ほど先は、監督に就いたいずれの球団で優勝、そして黄金期を迎えている。

学校教育でも、
「今は偏差値が低くても、長所・才能や目標をみつけた後に、5年先とかに学力がアップしたり、大学受験、採用試験・難関資格試験に合格するなどして、(1人でも)生徒の人生に大輪の花を咲かせることができる」
教師が“いい先生”・名教師なのだが。
故・藤田監督(巨人)の『「情」のリーダー論』(ネコ・パブリッシング、01年5月)の165頁にて、
藤田さん自身が「小学校時代に教師に歌が下手だからという理由を指摘されたことで、65歳になってもカラオケなど人前で歌うことに拒否反応を起こしてしまう」と書かれており、
そこから巨人へトレードで入団したデーブ大久保(現・西武打撃コーチ)の才能を開花させた経緯が説明されている。

その藤田監督と森監督(西武)の『監督』(光文社、97年4月)という本にて、
“馬車を引いている馬は、どう頑張っても競争馬になれない”という項で、人材育成論が書かれている。プロ野球選手について、
「資質、能力の違いがあったり、育成に時間のかかる選手、短期間で頭角を表す選手、さらに、精神的、性格的に強い選手、弱い選手等々あって、育成法というのは人さまざま、多岐にわたる。
また、それゆえ指導する側の手腕が問われるところだ」
とある。
なるほど、これは学校教育でも
「資質、能力の違いがあったり、育成に時間のかかる生徒、短期間で頭角を表す生徒、さらに、精神的、性格的に強い生徒、弱い生徒等々あって、育成法というのは人さまざま、多岐にわたる。
また、それゆえ指導する側(教師)の手腕が問われるところだ」
と置き換えることかできると思う。

続いて、藤田監督がこう語る。
「精神的にも、肉体的にも、技術的にもスパルタ式に鍛えればいいというものでもないし、やり方はいろいろあると思うけど、いちばん大事なのは、まず、その選手の特徴を早くつかんでやること」
「どの選手にも、いい面と悪い面が必ずあるから。そのへんの特徴を早く把握して、いい面を伸ばしてやるようにする」
「なぜいい面を伸ばすかというと、人間には不思議なもので、いい面が伸びれば、いっしょに悪い面も伸びていくことはない。
いい面が伸びれば、悪い面は自然に消えていくものだ」
と語っているが、
やはり、これは学校教育でも同じで、
「どの生徒にも、いい面と悪い面が必ずあるから。生徒の特徴を早く把握して、いい面を伸ばしてやると、同時に悪い面は自然に消えていくものだ」
とも言えるはずだ。
ちなみに、イチローや野茂を育てた故・仰木監督も、『勝てるには理由(わけ)がある』(集英社、97年1月)の中でも、「長所を伸ばして短所を隠す」という話をしていた。
「人は育つ」と苑田聡彦内野手(現・広島スカウト部長)の事例のように、広岡監督が学校教師だったら、学力的に低迷・伸び悩んでいるような素直な性格の生徒を育ててたかな?

広岡監督のような昭和1桁生とか戦前生まれの学校教師(今では定年退職済)って、
金持ちとかPTA、有力者、議会議員、公務員、学校教員、経営者、(歯)医者、各種会合理事・役員、イジメっ子、モンペアなどの子供(結構陰で悪さをしているのが意外に多く教員採用試験などで汚職も起きやすい)を腫れ物扱いして成績評価しようとする一方(マネーゲーム化)、
逆に貧乏人、片親や生活保護受給者、運動音痴、身体に軽い障害がある生徒やイジメられっ子など、人前で体罰を振るうなど権威をチラつかせたり…
また、校長や教頭など管理職へのゴマすりも少なくなかった。
当時はこんな教師が多く、性格はいいが伸び悩んでいる生徒がこういうふざけた教師たちに育てられたら、伸びないか、伸びても、教育に対してふざけた、間違えた考えを持つ(将来いい先生にはなれない)。
だから、こんな指導者はいい先生とは呼べない。

プロ野球なら、例えば、V9巨人の監督だったドン川上に太鼓持ちをしていた某コーチ、今ならドラフト1位で逆指名してくるような選手を腫れ物扱い、逆に下位指名などの選手をロクに育てようとしない(学校で例えたら前述の権威をチラつかせて…である)。
こんな指導者はいいコーチとは言えない。

しかし、広岡監督は指導者として、そういう怪しいエコヒイキみたいなことを一切しないし、前出の某コーチみたいに目上に媚を売るようなこともしないで選手を育てようとする(だから根本陸夫や弁護士でもあり当時の佐藤邦雄ヤクルト球団社長とも反発して退団している)。
巨人を出てから、広島で苑田の内野守備を育てた反面、西武ではドラフト1位入団かつ新人王・遊撃手ゴールデングラブ賞の石毛の守備をけなしている。
また、万年Bクラスのヤクルトを率いて巨人を倒して優勝・日本一、黒い霧事件以降低迷していたライオンズを率いて日本シリーズで巨人を倒して日本一になっている。

苑田のように元来、真面目で優しい性格の生徒は、バカな先生が素質を潰し、広岡型指導で開花している。

広岡監督は早稲田大学教育学部卒業と、学校教育に無縁とは言えない存在。
そんな広岡監督に、一度学校教師をやって欲しかった。
修学旅行での万引き事件で店員に口止めをしたとされる某私立高の教師とやらは、“いい先生”なんでしょうか? それとも“悪い先生”になるんでしょうか?

例えば、投手だった王貞治をバッターにしたのは当時の水原監督のお陰であり、一本足打法を授けたのは荒川コーチのお陰である。
また、NHKドラマ『フルスイング』のモデルであり、高校教師に就いた故・高畠康真(導宏)氏だが、現役時代は目立った成績はあげられなかったが、打撃コーチとして適性を見抜いたのは南海時代の野村監督である。
その野村監督のお陰である高畠コーチは、ロッテ時代の落合をはじめ、ダイエー時代に小久保、オリックス時代に田口、伸び悩んでいたサブロー(ロッテ)らを育てた。
楽天の山崎武司のように、本を出して「自分を再生してくれたのは野村監督と田尾前監督のおかげ」とアピールする選手もいる。

プロ野球のように、性格のいい生徒に関して、「今のあの子があるのは、あの先生のお陰」「あの先生があの子を育てた」とか
「俺の成績(人生)を再生をしたのはあの先生」「私の目標をつくってくれたのはあの先生」などのような美談が、
果たして教育現場にいくつ存在しているのか。

例えば、「数学嫌いでいじめられっ子だった××君の数学の面倒を見て、国立大学とか工学部の入試に合格した」
とか
「人見知りが激しく萎縮した性格の女子●●さんの素質を見い出し、学校卒業後、セールスレディーの仕事に就いた」
みたいないい話はあるだろうか?
↑こういう生徒を(1人でも)つくれた教師は、“いい先生”

しかし、「いじめをしていた生徒ダレソレの成績を(裏金で)アップさせた」「陰でカツアゲをしていた奴を部活で育て上げ、レギュラーにした(でも素行の悪さは相変わらず)」
↑“いい先生”とは思えない = 性格の悪い生徒を開花させる

性格のいい生徒(優しい、真面目、澄んだ目をしている)は、いい先生が引き伸ばすが、悪い先生は引き伸ばせない。
性格の悪い生徒は、悪い先生が引き伸ばすが、いい先生は引き伸ばさない。
だから、悪い生徒ほどいい先生を批判したり挑発したりする。悪い生徒には、「本当のいい先生とはどんな先生か」がわかっていないからである。

教師生活を通して、一体誰を育てたか、そしてその育てた生徒とやらがどんな性格だったのか気になるね。
720スポーツ好きさん:2008/12/03(水) 07:33:55 ID:bTi/CxoF
今の時代、親も生徒も世の中も「いい先生」「いい指導者」の定義を履き違えてる人が多くないか?
多くの学校教師(とくにプライドが高く私利私欲や売名意識で管理職に上がりたいような中年オヤジ)は、金満家・有力者・PTA・教師・公務員・金融マン・医者・議会議員・ヤ●ザやモンスターペアレント等ら保護者の自分の評判や噂をやたらと気にしたり、
学級にいる学級組織の権力を握った悪いボス的生徒(女子生徒に多い)などに嫌われると終りだからと、
これら保護者や生徒らに正しい教育、辛口指導ができず腫れ物扱いや特別扱い(成績改ざんなど公文書偽造)をしている先生が多い(とくに中学)。
※例えば、同じ名字の生徒がいるわけでもないのに、常に下の名前やニックネームなどで呼んでいる(他の生徒は名字で呼ぶ)などしてボス的・権力的生徒の機嫌を取る

それだけでなく、生徒や保護者からの印象や好感度を気にする余り、逆に学級で立場が弱い(イジメられっ子・貧乏人・運動音痴・生活保護・片親・体が弱い・手足に軽い障害があるなど)生徒らに侮辱や暴言を吐いたり、イジメたりしてカッコつけたがる始末。

たとえ、授業が上手く、生徒から人気があるとしても、立場が強い保護者やボス的生徒(とくに女子)から嫌われたくないからと、
評判や噂ばかり気にする調子がいい八方美人な先生や、大分県教員採用試験汚職事件のように陰で賄賂を貰ってるような悪い先生を「いい先生」とは呼べない。
むしろ、生徒から嫌われ(衝突し)たり、授業が下手クソでも、賄賂などを受け取らずに、そうした間違った保護者やボス的生徒らの噂や評判を気にせず、
「悪いものは悪い」という具合に悪い生徒に対し堂々と正しい教育や辛口指導ができる先生のほうが、よっぽど人間的魅力があって「いい先生」だと思う。

また、こういう考え(バカな親や悪い生徒らから嫌われても構わないからと頑固で正しい教育の信念を貫ける)を実践する先生こそが、
意外と生徒を改心させたり、生徒の素質を見抜いて育て(学力を上げたり才能を開花させ)ている。
あるいは素直でいい生徒から「あの先生が俺の才能(学力や人生の目標など)を見い出した」とか「今の私があるのはあの先生のおかげ」と感謝の意を言われたりしている。

学級内のボス的生徒相手に堂々と厳しく出た先生は、それを見ていた他の生徒らが心の中で拍手している。
721スポーツ好きさん:2008/12/03(水) 07:37:14 ID:C6LVhaN2
駒大煙草牧
野村監督みたいな学校の先生

ダラダラと板書してそれを時間をかけて選手にダラダラ写させて、「ハイ、ウチはこんなに字を書かせてます。ノートをたくさん使いました。アタマいいでしょ? アタマ使ってますから」
などと、高卒のヒガミを野球のミーティングでしたように、
中学や高校の国語(古典)や社会科(歴史・倫理)の教師として「野村の考え」の国語バージョンや社会科バージョンが学校でも炸裂。

しかし、今の中学生や高校生はゆとり教育に伴う学力低下がひどくなっており、またノートの取り方や板書事項の写し方を小学校の頃からロクに教えてもらってないため、野村先生がダラダラと黒板に字を書いても、
書く作業に慣れてなく、年々書く技術も衰えている生徒たちに、野村先生が書くスピードに生徒らは追いつかずに写しきれずじまい。
プロ野球監督時代に得意だった「ハイ、ウチはこんなに字を書かせてます。ノートをたくさん使いました。アタマいいでしょ? アタマ使ってますから」
をやろうと思っても、今の学校の授業では思うように事が運ばず、野村先生はイライラ。
一方で、携帯でメールを打つのは早いが、字を書くのは遅いから、ダラダラと書き写す作業に対し、活字離れとキレる・ムカつくが重なっている世代ゆえ、野村先生への授業に今どきの生徒たちの不満が炸裂。

野村がヤクルト監督に就任した頃の中学・高校は中年教師(昭和1桁など戦前生まれ)が多く、授業も野村のミーティング同様に、どの座学教科でも教師が黒板に書いた内容を生徒らが必死にノートに写していくのが主流だった。
勿論、管理教育のため生徒が教師に逆らったり授業に不満をぶつけたりすのはご法度とされていた(先生に叩かれるのが当たり前)時代である。
しかし、95(平成7)年頃を境に、中学や高校での学校教育は次第に変化していき、野村が阪神に行った頃には、浦島太郎の状態に陥ってしまう図式となる。

したがって、「野村再生工場」の野村監督は、学校教師として現代っ子の生徒の学力を再生できずに終わる。
野村は、教師として阪神時代と同じ目に遭い「ヤクルト組の生徒は大人だったが、阪神学級の生徒は子供だった」とボヤき、「名監督イコール名教師あらず」などと皮肉られて学校を後にした。

※黒板の字をノートに写すスピードや漢字の駆使能力が年々落ちているのは事実
今の学校教育は、悪いことや間違ったことをしても叱ったり注意しない、いわゆる「放任」により、教師が生徒にご機嫌を取りながら授業や学級経営をしている始末である。
「学校の先生」とは教育者であり、保育士や介護士のような福祉従事者と混同していないだろうか。これでは、“魔術(マジック)”と同じである。

広岡達朗『勝者の方程式』講談社(88年4月)の中で、
「“魔術”と呼ばれた監督采配もあったが、それは、所詮、一時的な催眠術かマジックのようなものであり、選手のあり合わせの力の組み合わせの妙に過ぎず、チームと選手の力を向上させるものだはなかった」
とか
「また、かつて“魔術”といわれ、頻繁に奇襲や奇策を行った監督がいたが、こうした戦法も、そればかりにとらわれすぎると、選手が大きく育たないのは自明である」
と述べている
※広岡監督が批判する魔術采配とは、三原脩監督のことである

これを学校教育に置き換えると、
「“魔術”と呼ばれた学級経営や授業もあったが、それは、所詮、一時的な催眠術かマジックのようなものであり、生徒のあり合わせの力の組み合わせの妙に過ぎず、学級と生徒の力を向上させるものだはなかった」
「また、かつて“魔術”といわれ、頻繁に奇襲や奇策を行った教師がいたが、こうした授業も、そればかりにとらわれすぎると、生徒が大きく育たないのは自明である」
と言える。

また、本の中で、
「意識革命は監督と選手の嘘隠しのない戦争からはじまるのだといえる」 と述べているが、学校教育でも、
「意識革命は教師と生徒の嘘隠しのない戦争からはじまるのだといえる」 と思う。
意識革命とは、「これが正しい」と信じ込んでいる者に、「それは間違いだ。正しいのはこうだ」と、頭を切り換えさせる作業なのであり、人間の心の持ち方にかかわる抜本的な改革のことである。

今の女子中学生が、高校生かそれ以上の年齢の男子と恋愛をした挙げ句、彼氏に殺害されてしまうような事件にまで進展してしまうというような話は朝のワイドショーや女性週刊誌でよく目にする。
女性高校生ならいざ知らず、一昔前なら女性中学生が彼氏をつくるなどということはほとんどあり得なかった。
しかし、三原魔術のような「年上の男性と恋愛OK」と放任する中学教師が少なくないのは、教育者として「問題あり」ではないだろうか?
管理教育(平成5年頃まで)時代と違って、
今ではまるで生徒にご機嫌を取るべく、宿題や小テストも実施しない、甘くてラクな授業ばかりを提供しまくり、あまり板書をしなくなった。
だから、社会科や理科を中心に、単調でグループ学習などを取り入れたりして生徒に飽きがこない授業をするわけだが、そうなると、グループに入れない(入れてもらえない)仲間外れ(いじめ)が授業内で起きるのはなぜ?
そして、見て見ない振りをして仲間外れを放置する教師がいっぱいいる。

例えば、ロクに字も書かないラクで単調な授業は、社会性や集団組織への適応性が育つのだろうか?
漢字を覚え、書く力(作文)・読む力など国語力が育つだろうか?
行儀がよくなったり、落ち着きがある性格になるだろうか?
これが社会科などの授業の正しい在り方なのだろうか?
こんなのが“いい先生”なのだろうか?

野球のピッチャーの登板過多による投げ込みと違うのだ。ノートに字を書き過ぎたからといって肩や肘を壊したり痛めることはない。
(その割に携帯でメールをたくさん打つときやオ●ニーをするは手や指が疲れないのはなぜ?)

生徒に機嫌を取るような授業をしまくった挙げ句、修学旅行先の海外で生徒が集団犯罪をしたりするということは、生徒の社会性は育ってなく、
また、「社会科教師」などとは名ばかりで、刑事事件を隠蔽していた教師とやらも社会性がない証拠ではないだろうか?

一方で、管理教育時代は、授業が始まると教師が黒板に字を書いて、終始一貫、生徒にノートを取らせていた先生も少なくなかったし、
また、書きっぱなしだから「手が疲れる」「肘が痛い」などと考えたり不満を抱いて教師に反発する生徒もいなかった(そんなこと言ったら先生にひっぱたかれた)。
当たり前な話だが、授業で字を書き過ぎても、肩や肘を壊したり手や指を疲労骨折した生徒は誰もいなかった。勿論、携帯も普及する以前である。

教科に関わらず、先生が黒板に書いた事項をひたすらノートへ写すだけで、生徒は漢字を覚え、書く力や読む力といった国語力が身について、また行儀も学び、落ち着きとか社会性や集団組織への適応性が育っていった。だから、学校行事内で集団犯罪など起きることもなかった。

少なくても、そういう授業をしていた頃の先生のほうが、社会性がある“いい先生”ではないのか?
早稲田大学教育学部卒業でもある広岡達朗は、『監督論』集英社インターナショナル(04年4月)の中で、“阪神・岡田(当時は新監督)の場合 「人は育つ」の信念を持て”という項で、

彼は4年間(98〜02年)の2軍監督時代、何回かファームを優勝させている。それでいて、あの選手は岡田が仕込んで育てた選手なのだという声が聞こえてこない。
ひとりぐらいはそういう選手がいてもいいと思うのだが、いない。何をしていたのかと考えざるを得ない。(>>709参)

と書かれているが、これは学校教育も同じで、

彼は何年間か学級担任をし、その中で大学受験や公務員や企業などの採用試験、検定試験などに生徒が合格している。
それでいて、あの生徒をこの先生が仕込んで育てた選手なのだという声が聞こえてこない。ひとりぐらいはそういう先生がいてもいいと思うのだが、いない。何をしていたのかと考えざるを得ない。

と置き換えることができる。さらに、

2軍のことをファーム(農場)とは、よく言ったもので、選手を育成、耕すところと認識することだ。

あくまで基礎をしっかりとたたき込み、適性を見抜いて一人前の選手に仕上げることなのだ。岡田はどうだったのかということである。

私の経験からいえば、若手の選手は一生懸命やっても上手くなりたいのだが、どうやればいいかが分からないことが多い。だから教育が必要なのである。

などと述べ、昭和45年の広島コーチ時代の苑田の内野守備を育てた話(>>718参)に触れているいうが、これも学校教育でも同じで、

学校とは、選手を育成、耕すところと認識することだ。

あくまで基礎をしっかりとたたき込み、適性を見抜いて一人前の生徒に仕上げることなのだ。この先生はどうだったのかということである。

私の経験からいえば、真面目で素直な生徒は一生懸命やっても上手くなりたいのだが、どうやればいいかが分からないことが多い。だから教育が必要なのである。

と考えることができる。

ちなみに、岡田彰布は早稲田大学出身で広岡の大学後輩に当たる。広岡は大学の後輩だろうと苦言を述べることができる。
駒大苫小牧の場合、在校生や飲酒・喫煙をした生徒、教師らに対し、広岡のように苦言を述べることができるOBが果たして何人いるだろうか?
野村監督の『野村ノート』、街中の本屋でも並んでいるのを目にするが、
この本、中学の教科『選択国語』に導入されることになったらしい。そしたら、苫小牧の中学でも、選択国語は「野村ノート」が採用されるのかな?
中学の国語の先生は、ヤクルトや阪神の選手同様に、生徒に『野村の考え』をノートにたくさん書かせるほうがいいね。中学のみならず、駒大苫小牧の国語の授業や野球部でも、「アタマ使う」ができるように、『選択国語』で野村ノート導入したら?
その野村監督は、「勝負」の正体を突き止めようと、いろいろな書物を読んだり、人の話に耳傾けたりした。その中からヒンズー教の「考え方が変われば人間や運命が変わる」とか「念ずれば花開く」といった野球に還元できるような名言・格言を作った。
野村克也『ノムダス 勝者の資格』扶桑社(95年11月)によると、かなりの歴史的文献を読んで、それを言葉にしていることがわかる。たとえば、

仏教
怠は欺、瞋、恨、怨と並ぶ罪である

金色夜叉
ああ金なりき金なりき、すべてこの世は金なりき…智者も勇者も豪傑も金の前に倒るべし

論語
故旧ハ大故ナケレバ則チ棄テズ

老子
天は一を得て以て清く、地は一を得て以て寧し

菜根譚
得意の時、便ち失意の悲しみを生ず

利休百首歌(千利休)
茶の湯とはただ湯を沸かし茶を点てて飲むばかりなる本を知るべし
釜一つ持てば茶の湯はなるものを数の道具をもとむ拙なさ

孟子
終身の憂いあるも、一朝の患いなし

どうだろう。高卒のプロ野球監督すらここまで口にしているのに、学問を教える立場である学校教師(しかも仏門系など)や高校野球の監督が、こうした書物を読もうとしたり、
また授業やミーティングで喋ったりできずに板書もおろそかにしているから、試合に出ても勝てず、選手の学力は年々下がり、選手の素行も悪くなる一方なのだ。
野球部監督や学校の国語の先生は、立場的にも「古典や漢文を教えるのではなく、野村監督のように古典や漢文を使って生徒(選手)を育てる」べきである。
727スポーツ好きさん:2008/12/12(金) 18:13:15 ID:LbL6N1a2
t
728スポーツ好きさん:2008/12/12(金) 18:13:58 ID:PoAulMa2
o
監督としてリーグ優勝1回の近藤貞雄(故人)だが、ユニークな采配が目立つせいか「名監督」の部類に入る近藤が、学校教師になったら奇抜な授業をする一方で、あまり生徒に勉強させないだろう。

近藤は、先発完投が当たり前だった中日コーチ時代、「投手分業制」を取り入れてリリーフ専門の板東英二(現タレント)を発掘した。
また、フジ番組『とんねるずのみなさんのおかげです』を観ていたほど大正生まれにしては珍しいハイカラな人で、
投手分業制以外にも、中日監督時代に「アメフト型野球」、大洋監督時代に「内野陣総コンバート」「スーパーカートリオ」といった面白い(変わった)アイデアを実践をしていた。

3年間の日本ハム監督時代(平成元〜3年)のキャンプでは、中日や大洋時代同様に、投手陣がブルペンで投げる量を減らした。
このやり方を歓迎したのは、当時エースの西崎や血行障害を抱えていた柴田といった投手たち。
一方で、このやり方が合わなかったのは前年の高田監督(現・ヤクルト監督)時代の昭和63年に最多勝(西崎や現・西武監督の渡辺久信と並んで)を取った「ゼロ戦のマツ」こと松浦ら若手投手陣。
松浦は「キャンプで投げ込まないなんて、とても勇気がいることなんです」と漏らしていた。

不安はてきめん、成績に反映し、松浦は前年15勝からわずか1勝に終わり、同じく前年最多勝の西崎も前年より1勝多い16勝したが、防御率を2.50から3.55に落としている。
チーム防御率も昭和63年の1位から、翌平成元年には3位に落とした。

しかし、この方式が体質に合った投手もいた。
血行障害もあり前2年で5勝だった柴田は、近藤の下で投げた3年間で30勝を挙げ、平成2年には東京ドーム初のノーヒットノーランも達成した。
また、武田も近藤のいた3年間で20勝31セーブで平成3年に最優秀救援のタイトルを獲得した(後の平成10年のダイエー時代に最多勝、平成14年の巨人時代に史上3人目の12全球団から勝ち星投手になる)。


学校の授業でも、見た目や年齢などと裏腹な近藤方式のように、「体調管理」を目的に定期試験や受験シーズンにあまり勉強しないやり方を唱えたり、
授業ではハイカラな感性の先生のやり方が合う生徒と、合わない生徒が出てくるだろう。

※参考
浜田昭八『監督たちの戦い 決定版 上』日本経済新聞社(01年4月)
730:2009/07/05(日) 00:39:16 ID:8siSVm55
駒大剣道部A年σTのイ皮女
早< タヒね
731スポーツ好きさん:2009/07/09(木) 14:04:59 ID:3PTsPdbt
駒大煙草牧
732スポーツ好きさん:2009/07/13(月) 21:23:50 ID:f/r3ajnF
立ちション世代ファイト!
733スポーツ好きさん:2009/08/21(金) 01:44:30 ID:9gY3RzX6
衆院選、民主勝利後の最悪シナリオ

民主が国政第一党になる

公明「外国人参政権などの党としての本懐で民主党と一致した」
民主、公明の連立政権成立

国政での外国人参政権が成立
国政選挙で民主、公明、社民更なる躍進

人権擁護法が与党の賛成多数により成立
行政、在日朝鮮人、中国人、宗教法人を批判すると罰せられる様になる

国籍法の更なる緩和
日本国籍と生活保護資格だけ持つ、日本人の血が一滴も入ってない中国人が急増

在日朝鮮系、中国人系の国会議員も出現
親中国の自民議員が民主に寝返る
自民党完全無力化、または解散消滅

日本乗っ取り完了

 「民主党の正体」 「ミコスマ」 「韓国は“なぜ”反日か?」で検索
734スポーツ好きさん:2009/09/07(月) 13:07:32 ID:9tv3rszx
駒大珍小牧
735スポーツ好きさん:2009/09/08(火) 07:31:15 ID:XLv16xJQ
275 :名無しさん@実況は実況板で:2009/09/07(月) 11:53:15 ID:zUBoSEGCO
>>270
鵡川のスレで暴れて来いよ
http://9112.teacup.com/adjust/bbs?M=THAL&
ここで暴れられたらほめてやるよ


276 :名無しさん@実況は実況板で:2009/09/07(月) 12:00:10 ID:9TALk2F10
>>275
全国制覇してないチームをいじっても詰まらん!


277 :名無しさん@実況は実況板で:2009/09/07(月) 13:05:32 ID:unRvfq3m0
>>275
アンチ駒苫なんじゃなくってアンチ駒ヲタだから。
誉めてもらえないのは残念だけど駒ヲタにかまってもらえるのが一番。


278 :名無しさん@実況は実況板で:2009/09/07(月) 13:34:12 ID:zUBoSEGCO
話にならんわ
小心者の集団か?
まぁ、面と向かっては言えない連中だからな
精々、ここで頑張れや


279 :名無しさん@実況は実況板で:2009/09/07(月) 13:57:28 ID:zUBoSEGCO
>>269
札幌に強豪校なんかあったか。?
初耳だね。なんかの間違いでしょ。
出ると負けの北海は知ってるが。
駒が休んでる間に結果出せよ。


283 :名無しさん@実況は実況板で:2009/09/07(月) 17:09:05 ID:zUBoSEGCO
未だに多くみられる
馬鹿のひとつ覚え
736迫田由明:2009/09/13(日) 06:55:22 ID:0qc1IYAm
駒大苫小牧の皆さん、頑張ってください。
737スポーツ好きさん:2009/09/13(日) 21:12:07 ID:ffpB2eja
立ちション
738スポーツ好きさん:2009/09/14(月) 18:44:38 ID:cX10TD2K
「口の開け方がおかしい」「とろい」などと平成16年の小5時代の担任から侮辱的発言を受け、隔離性障害を発症し不登校になったことで、
平成20年11月、中学の女子生徒(14)と保護者が福岡地裁に当時の担任教師および市を相手に1億5000万円の損害賠償請求訴訟を起こした。


この話を野球で例えたら、コーチや監督ら指導者(部活担当の教師)から「投げ方がおかしい」などと言われた野球部選手がフォームをいじくられた挙げ句に肩を壊し、プロ野球選手への道を断たれて不登校になったから、
選手とその両親が当時のコーチや監督(教師)や学校(公立校なら市や道)を相手に損害賠償請求を起こすような話だ。


しかし、今から15年くらい前までの学校教育はいわゆる管理教育世代だから、例えば、音楽や特別活動などでクラスが合唱隊をつくった際に、担任や担当教師から「口の開け方がおかしい」と言われたり
先生が書いた黒板の字をノートに写すのが遅いと
「書くのがとろい」と教師から言われるのは日常茶飯事で
(まぁヤンキーやヤ●ザの子、有力者・金持ち、教師の子が言われたりすることはないが)
単に教師から言われたからといって、裁判はおろか、隔離性障害だかPTSDだかを患って精神科に通院するだの、不登校(当時は登校拒否と言ったが)になるなんて話、聞いたことがなかったがな。

時代が変わったとは言え、訴訟社会のアメリカならいざ知らず、管理教育時代の学校教師(昭和1桁生まれなど)が今どきの学校の生徒を相手に教育をしたら、一体何人訴えられただろうか…
あるいは、今どきの学校の生徒なら当時の学校教師らの言葉を受けると、一体何人が隔離性障害だか不登校だかになるんだろう?

今どきの野球部の監督やコーチも、部活指導で「フォームがおかしい」「足が遅い」などと選手に言ったことで、結果的に裁判沙汰にされる羽目になりかねない学校教育環境だから、ある意味大変だ…
739スポーツ好きさん:2009/09/15(火) 13:26:35 ID:mjBRvoA5
楽天学級
担任:野村克也(担当教科・国語)
(神戸市の中学の選択国語で『野村ノート』を採用しているため)
生徒:田中将大 岩隈久志 山崎武司 草野大輔 土谷鉄平…

横浜ベイ学級
担任:権藤博→森祇晶→山下大輔→牛島和彦→大矢明彦
→田代富雄(担当教科・職業)※ラーメンのつくり方
(現役引退後に田代ラーメンをやっていたため)
生徒:金城龍彦 内川聖一 村田修一 吉村裕基 三浦大輔…

担任教師をコロコロ変えても成績(順位)がなかなか上がらない学級

日本ハム学級
担任:トレイヒルマン(担当教科・宗教=キリスト教)※Wikipedia トレイヒルマン参照
→梨田昌崇
生徒:ダルビッシュ有 稲葉篤紀 森本稀哲 武田勝 武田久 二岡智宏 小谷野栄一 田中賢介 金子誠 高橋信二…

成績は常に優秀だが、金髪・茶髪、ロン毛、髭、ピアスなど校則違反な派手な外見が目立つ学級
740スポーツ好きさん:2009/09/18(金) 07:22:26 ID:8VHsKmP8
731 :名無しさん@実況は実況板で:2009/08/21(金) 00:16:40 ID:HbGaxukW0
>>720
いい加減糞駒ヲタはこのスレ来るなよ。
偏差値33の低偏差値学校のくせにさらに特待生でDQN集めやがって案の定の不祥事三連覇。
控え組の唾吐きだの立ちションだの普段の態度も最悪だったしセクハラ市長まで追従して
すっかり苫小牧=不祥事の町のイメージが定着してしまった。北海道の恥。
鵡川まで糞駒を真似することなかろうに・・・

741スポーツ好きさん:2009/09/20(日) 21:01:50 ID:psxEmjfD
昔の先生の特徴

通信簿の主要5教科の評価で4や5を取るほどテストの成績がいい生徒は、たとえ授業崩壊・妨害・居眠りをしたり、陰で万引き(窃盗)、ユスリ(脅迫)、暴行、傷害、イジメなどをしたり掃除当番を平気でサボっても、
通信簿の所見欄で“いい子”と見なし、推薦入試などで推薦書を書いたり、上記悪さ(成人でそれをしたら刑事事件になる)をしても、注意一つしない(できない)。

反対に、通信簿の主要5教科の評価で1や2を取るくらいテストの成績が悪い生徒は、たとえ授業崩壊・妨害・居眠りもせず、万引きや暴行、傷害をするどころか、
素行態度もよく掃除当番もサボらないで、素直で真面目で目立たない・おとなしく、イジメやユスリをされてるような子でありながら、勉強が苦手というだけで一方的に“悪い子”と評価したり
推薦書を書くどころか、通信簿の所見欄などに“役に立たない”みたいに酷評したり、授業でイジメたり雑用を押し付ける始末。


野球部で例えると、エースで4番の選手の場合、たとえ授業崩壊・妨害・居眠りをしたり、陰で万引き(窃盗)、ユスリ(脅迫)、暴行、傷害、イジメなどをしたり掃除当番を平気でサボっても、
通信簿の所見欄で“いい選手”と見なし、推薦入試で推薦書を書いたり、上記悪さ(成人でそれをしたら刑事事件になる)をしても、注意一つしない(できない)。

反対に、補欠や球拾いで終わる選手などは、たとえ授業崩壊・妨害・居眠りもせず素行態度もよく掃除当番もきちんとし、万引きや暴行、傷害をするどころか、素直で真面目で目立たない・おとなしい性格で、
野球部寮などで先輩等からイジメやユスリをされてるような選手なのに、勉強が苦手というだけで一方的に“悪い子”と評価したり、推薦入試などで推薦書を書くどころか、
通信簿の所見欄などで“人の話を聞かない”みたいに酷評したり、部活でイジメたり雑用を押し付ける始末。


もう、10数年前の管理教育時代の教師(戦前生まれや昭和1桁・大正生まれ)たちの多くは、勉強の成績だけで素行態度の良し悪し、つまり「いい生徒」「悪い生徒」「いい選手」「悪い選手」と決めつけていたのだ。

昔の教師たちは、生徒・選手を見る目・鑑定眼がないというか、いい加減な評価をしていたというか…
例えば、東大を出れば刑事事件を起こしても「いい人間」と評価しているような…
742スポーツ好きさん:2009/09/20(日) 22:16:51 ID:e7wADImm
280 :名無しさん@恐縮です:2009/06/12(金) 05:34:49 ID:ZdEoC9c90
スリッパでスパンキング世代の人?
つぼ八で飲酒喫煙通報世代の人?
特待寮で喫煙世代の人?
ブログで集団立ちション世代の人?

考えてみれば夏二連覇なんてとんでもない偉業をやっておきながら不祥事のイメージが強すぎて
まったく印象に残ってなかったわ・・・。
しかしあんな低偏差値高校出て自力で勉強しながら夢への道を切り開くとは立派だ。これは
応援せざるを得ない。
743スポーツ好きさん:2009/10/06(火) 16:31:38 ID:lfBPJJ4X
♪た〜ばこ〜、た〜ばこ〜、た〜っぷ〜り〜、た〜ばこ〜
744スポーツ好きさん:2009/10/13(火) 14:54:43 ID:rGGHRdlB
駒大煙草牧
745スポーツ好きさん:2009/10/14(水) 15:31:36 ID:ttw17+Vu
野村(楽天)監督みたいな学校の先生

リンデンみたいな生徒に「オメデトウ(クレージー)! オメデトウ!(クレージー) オメデトウ!(クレージー)」
と言われ、監督侮辱罪で登録抹消ならぬ教師侮辱罪で停学処分にし、「目を見ればわかる。その目は謝っていない」「親を見れば子供がわかる」と言い、かつ反発してきた生徒について学校側に退学等の処分を委ねる。


リンデンみたいな生徒

教師に短パンやTシャツ姿で謝罪に行って、咎められると逆ギレする。



※田中マー君のような昭和末期や平成生まれ世代の生徒とは、学校時代に野村監督とか森監督、広岡監督みたいな管理教育世代(昭和1桁ないしは昭和10年生まれ)の教師たちは既に定年退職しているからわからないだろうが、
10数年前までの学校教師とは、リンデンを処分する野村監督のような教師たちが少なくなかったのだ。

今では、生徒が教師に挑発したり教師の方針に反発したくらいで、1教師が自分の判断だけで停学や放校(退学)などの処分を申請することはできない環境である。
746スポーツ好きさん:2009/10/14(水) 17:30:51 ID:K8TIpdIv
280 :名無しさん@恐縮です:2009/06/12(金) 05:34:49 ID:ZdEoC9c90
スリッパでスパンキング世代の人?
つぼ八で飲酒喫煙通報世代の人?
特待寮で喫煙世代の人?
ブログで集団立ちション世代の人?

考えてみれば夏二連覇なんてとんでもない偉業をやっておきながら不祥事のイメージが強すぎて
まったく印象に残ってなかったわ・・・。
しかしあんな低偏差値高校出て自力で勉強しながら夢への道を切り開くとは立派だ。これは
応援せざるを得ない。
747スポーツ好きさん:2009/10/20(火) 07:25:13 ID:mKaOo7TU
ションション
748スポーツ好きさん:2009/10/26(月) 17:27:48 ID:e+bxzvno
立ちション
749スポーツ好きさん:2009/11/12(木) 19:58:57 ID:hXQhHn7H
275 :名無しさん@実況は実況板で:2009/09/07(月) 11:53:15 ID:zUBoSEGCO
>>270
鵡川のスレで暴れて来いよ
http://9112.teacup.com/adjust/bbs?M=THAL&
ここで暴れられたらほめてやるよ


276 :名無しさん@実況は実況板で:2009/09/07(月) 12:00:10 ID:9TALk2F10
>>275
全国制覇してないチームをいじっても詰まらん!


277 :名無しさん@実況は実況板で:2009/09/07(月) 13:05:32 ID:unRvfq3m0
>>275
アンチ駒苫なんじゃなくってアンチ駒ヲタだから。
誉めてもらえないのは残念だけど駒ヲタにかまってもらえるのが一番。


278 :名無しさん@実況は実況板で:2009/09/07(月) 13:34:12 ID:zUBoSEGCO
話にならんわ
小心者の集団か?
まぁ、面と向かっては言えない連中だからな
精々、ここで頑張れや


279 :名無しさん@実況は実況板で:2009/09/07(月) 13:57:28 ID:zUBoSEGCO
>>269
札幌に強豪校なんかあったか。?
初耳だね。なんかの間違いでしょ。
出ると負けの北海は知ってるが。
駒が休んでる間に結果出せよ。


283 :名無しさん@実況は実況板で:2009/09/07(月) 17:09:05 ID:zUBoSEGCO
未だに多くみられる
馬鹿のひとつ覚え
750スポーツ好きさん:2009/11/27(金) 20:26:29 ID:0oTcEpLk
偏差値33からの不祥事3連覇
751スポーツ好きさん:2009/12/18(金) 15:08:19 ID:QRD2+7zh
未だに多くみられる
立ちション(偏差値33)
752スポーツ好きさん:2010/03/05(金) 07:26:08 ID:ANux8D2N
ホシュ
一応、プロ野球にも労働組合やチームごとに選手会はあるし、また選手会とは別にキャプテン制度を設ける場合もある。

労働組合の委員長や選手会長、キャプテンはやはりそれにふさわしい選手を指名するだろう。
高校野球部の主将だって同じだ。

さて、新年度・クラス替えの時期を迎え、学級委員長以下、生活委員とか学習委員、選挙管理委員、会計…など役員を決める時期が来た。
面倒くさい役員など誰もやりたがらないが、必ず決めなければならない。

プロ野球の名監督の野村克也は「打線は繋がり」「適材適所」「無形の力」などという言葉を用いるが、これは野球だけでなく学校教育の場においても当てはまる。

新入学時を除いて、学級担任が優れている場合、まず「適材適所」で役決めを行うはずだ。担任教師が教室内の生徒の顔を見て、一方的に割り振りをしていく。
例えば「学習委員は、将来教師を目指しているお前が向いているお前がやれ」とか、「図書委員は本を読んでいる●●だ」という具合にだ。
このように、適材適所で役決めを行うなら、役決めで難航はしないし、学級組織の結束力(卒業後)も高まり、野村監督がよく言う「無形の力」も生まれやすくなる。

しかし、プロ野球のダメ監督のように学級経営能力が足りないような教師の場合、生徒に「この役はお前が向いているから、お前がやってくれ」などと一方的に言えない。なぜなら、生徒(とくに女子)に嫌われることを恐れるが余り、面倒な役を一方的に打診できないでいるからだ。
こうなると、くじ引きか、ひどくなると学級内の生徒同士による自主的決め方(選挙方式など)になる。
しかし、自主的決め方をしてしまうと学級内で立場の弱い生徒、いわゆるイジメられっ子を中心に役を圧力的に押し付けられ、役に当たらないのは学級内のボスや地元有力者・金満家一族の子息、ヤンキーなどになってしまう。
こうなると、学級組織の「適材適所」にはならないはずだ。こんな学級は、プロ野球で低迷を続けるチームみたいなもの。

役員決めを生徒間の自主的な決め方(選挙形式など)をして選んだ学級は、だいたい学級組織の雰囲気は年間を通して良くないし、生徒間の不仲などが生じやすくなる。
生徒に機嫌ばかり取る、とにかくボス的生徒に好かれようとする担任ほど、こうした傾向にあるはず。
754スポーツ好きさん:2010/06/23(水) 20:00:24 ID:4owIkw2C
高校野球の監督に、学校教師が多いから、敢えて教師論を言わせてもらおう


学級組織を牛耳っているような生徒らを相手にペコペコして人気を得ている薄っぺらい教師が「いい先生」扱いされているが、これは大間違い
そういう教師は、一見世渡り上手だが、人気を得ているはずの生徒らのとくに素養や学力を引き出しているわけでも、また感謝されることをしたわけでもなく、なぜか人気を得ているが、
真は教育力に欠けた薄っぺらくマニュアル通りな無能教師だから世渡り上手に生徒らの顔色を見てペコペコしているのだろう
そういう教師は、陰では生徒のことを考えてない、いざトラブルが起きると無責任な教師へと変身する

また、そんな教師に人気を与えている生徒らも、じつは人間性が薄っぺらい、人を見る目がなかったりする
(だからそんな薄っぺらい教師を好むわけだ)


反対に、学級組織を牛耳っている生徒らに「悪いものは悪い」とピシャリと言って、生徒らから嫌われたり、馬鹿にされたり、反発されたり、無視されているような教師こそ、本当の意味での名教師だ

多くの生徒に嫌われたりするような教師は、独特な教育論を持っているせいか、意外に一部の生徒から(嫌っているような周りの生徒らの目線を気にせずに)熱烈に信奉されたりしている場合がある

なぜなら、その手のタイプの教師とは、人を見る鑑定眼があり、意外に生徒の人生や能力・素質を引き出せるし、引き出し方を知っている(または少数でも信奉している生徒を引き出した)からだ
また、そういう教師は、実は生徒思いだったり、いつも個々の生徒や組織のことを考えている責任感溢れている場合も少なくない
(だから熱が入り過ぎて生徒らに誤解されて嫌われたり無視されたりしてしまうのだが)
薄っぺらい無能教師なら、そこまで出来ないし、生徒のことをそこまで考えていない

そういう教師を嫌う、無視する、反発する、馬鹿にしている生徒とは、大概薄っぺらい人間性なのだ

学校教師とは、塾や予備校の講師とは目的や立場が違うし、アイドルではないのだから、教師に人気など不要なのである

だから、「いい先生」の意味がわからないような生徒や保護者、OBらもアホとしか言えないw
755スポーツ好きさん:2010/08/19(木) 22:44:22 ID:OfJ9Tjfg
会社に面接にきて履歴書に

元公務員
元大企業勤め
元管理職
難関大卒など高学歴

と書いてあるような学歴・経歴な50代以上は基本的にまず採用断れ。おっかない。

この手のやつらは、ほとんどが入社後まもなくトラブルメーカーになるからだ(勿論、人間的に立派な人もいるが宝クジに当たるくらいの確率)。

特徴は、仲間である同僚と上手くできない、新入りの癖に威張る、同僚を学歴・前職歴や体型や家族についてすぐ見下す、やたら余計な事を喋りたがり口が軽い、調子が良い、よく忘れたり間違えをする、失敗すると言い訳や他人のせいにする、よく他人の悪口を言う、
たいして働かない、仕事を覚えようとしない、やたら知り合いや後輩(元部下)の話をしたがる・知り合いや後輩、バックが多いことを今の同僚にちらつかせたがる、ただし人格に問題があるからその多くの知り合いから仕事のスカウトはされない、
クビ斬り権を持った会社幹部に対してはペコペコした態度を取ったり真面目に働いているフリをする、叱責するとすぐ不貞腐れる、困った事が起きたらすぐ他人に助けを求める、
トラブルが発生すると相当ビビる、他人(同僚)のトラブル事にはすぐクビを突っ込むか煽りたがる
「あの人がアンタのことをこんなこと(悪く)言ってたよ」などと気に触ること、余計なことを耳に入れたがる。または、確執がある間柄なことを知っていて「俺、この前、あの人と…」みたいな話をしたがる
自分の失敗や失態、叱られ事については認めないか、惚けたり、忘れたフリをする。また、間違いを指摘すると、他人の事などどうでもいいのに、「あの人も忘れていたよ」とか「あの人だってやっていた」などと子供みたいな責任転嫁を言う


この手のオヤジ共は、プライドが高いクセに使えない。
まだ若い人なら柔軟性も見られるが、子育てを終えた50代以降になるとクセがある。だから、大抵はトラブルメーカー。

ちなみに、公務員とか高学歴などの息子にも人を見下したがるのが結構いるから困る。
756スポーツ好きさん:2010/10/04(月) 01:23:23 ID:CO1/eGKn
野球の試合も学校の定期試験も入試・採用・昇進試験も資格試験も
1点差や1問差で不合格・敗北ということもある。
野球は10-0みたいな10点差で勝とうと1-0みたいな1点差で勝とうと、1勝には変わりはない。
逆に言えば、7点取っても8点取られたら負けなのである。
漢字検定や英語検定、ワープロから簿記や宅建、危険物取扱者などの資格試験なども、100点・100%(満点)を取った受験者も、かろうじて合格点(英検なら60%)をキープした受験者も「合格」の価値や扱いは同じ。
だから、資格試験の場合「1つの試験、1つの科目に対して徹底的に時間を費やしてまで100点(満点)を目指す勉強法はかえって効率が悪い」と、
資格試験予備校や本屋の資格試験・勉強コーナーに並んでいる“資格合格法”といった類の本で述べているはず。
つまり、そんなことにエネルギーを費やすくらいなら、余力や体力・時間・金銭的温存という意味を含め、もっと違ったことに労力を注ぎ込んだほうが得策だからである。
だから、試験では完璧・完全を求めずに、合格をするのにサラりと必要最低限な点数を確保する意味で1点差・1問差といった接戦に強くなることを目指すべきなのだ。

大差をつけて試合で勝とうとしたり、試験などで完璧・完全・満点を取ろうとするのは一流、つまりアタマのいいエリートや秀才の発想である。
しかし、世の中の多くの人は、エリートや秀才と異なり、頭脳が「二流」であり、また「二流人間」である。
能力が二流だから、一流のような試験や勝負事において完璧・完全・大差をつけて勝つことができないのだ。そして、1点差・1問差といった接戦にも弱いのだ。
しかし、二流は二流でも「アタマを使った“超二流”」であれば、一流に匹敵したり、一流を超えたり一流より強いのである。
超二流とは、前述の資格試験で言う「(なるべく少ない労力で)合格ラインギリギリを突破する(そして余った労力を違うことへ回す)」人のことである。

これは試験に限らず、スポーツなどでも同じで、
個人的にも組織的にも一流でないのであれば、一流より強い超二流を目指すべきである。
その超二流になるということは、やはり1点差・1問差というような接戦(合格ライン)に強い自分や組織をつくる努力をすべきなのだ。
超二流になろうや。
757スポーツ好きさん:2010/10/05(火) 12:59:59 ID:VsDIndPG
こまんこ
758「人を(1人も)残せない」学校の先生
経営の世界にて「人を残すは上」と言う言葉があるが、経営に限らず、スポーツの世界や学校教師とて同じ。
最近の学校の先生は、“人(生徒)を残せない”先生が多い。

例えば、誰かが
「あの先生は、当時は劣等生だった生徒●●君の学力を育てた」
「生徒の▲▲さんの眠っていた素養や人生(将来や目標など)を見いだしたのは、あの先生のおかげ」
と言ったり(言われたり)

あるいは、教え子側から
「僕を育ててくれたのは××先生です」
「今の私があるのは、■■先生のおかげです」
と言ってくれるような先生が、果たして今の学校に何人いるのだろう?

教師人生を通して、1人でも“生徒をつくった”と言うようなエピソードがまったく無い先生も少なくないのではないだろうか?

40人居る生徒全員を育てるのは不可能。しかし、何年、何十年と教師生活を通して、1人も生徒を作れない先生もいるようだ。

プロ野球なら、仰木彬(故人)がイチローの才能を見いだし、金村義明は仰木に感謝して仰木に関する本を出したり、番組で仰木の話をすると泣いてしまうほどの師弟関係でもある。
野村なら古田(ヤクルト)、赤星(阪神)、そして野村に関する本を出している山崎武司(楽天)を発掘・再生している。
仰木に花道をつくってもらった清原は、プロ入団時の監督である森に素養を引き出してもらっている。

プロ野球も選手全員を引き上げることは無理だが、監督生活の中で何人かの選手を育てたり、感謝されたりしているわけだ。

また、楽天の田尾は監督として采配が未熟だったために成績を残せずいい監督ではなかったが、打撃指導では山崎武司の打撃再生の橋渡しをしてくれたと山崎は本で述べている。

教師も、田尾ばりに授業が下手だったり学級経営が未熟な先生などもいるはずだ。
しかし、それでいて田尾のように生徒を育てた歴があるのなら、悪い指導者ではなく、人を残したいい先生なのだ。

巨人では、長嶋巨人の中畑打撃コーチが選手を発掘できずにチーム打撃成績も悪化させた上、当時主力打者だった駒田に離反されたが、
その駒田も楽天や横浜の打撃コーチになると、選手を発掘できず、チーム打撃成績も下げるなど、嫌いな中畑と同じ途を辿ってしまう始末(創設開始だった楽天時代は比較できないが)。

人を残せない教師も同じだろう。