ロンドンの曇り空の下、英語で移籍会見を行っている中田選手を想像していた私は一瞬、
目を疑った。もう一度読み返してみた。firmato(サインした)。そう書いてある。
フィオレンティーナ行きが決まったという記事には少なからずショックを受けた。何か
ひっかかるものがあった。何を思って承諾したのだろう。プレミアリーグへの挑戦を何故
こうも簡単に諦めてしまったのだろう。英語をマスターし自身将来プレミアでプレーする
希望を公言していた中田。私は彼の心が既にイタリアから離れてしまっているものだと思
っていた。未だに八百長事件や暴力沙汰に悩まされ、事実上経営破綻している様なビッグ
クラブとは名ばかりのクラブが軒を並べ、衰退への道を辿る一方のセリエA。もはや今、
有名、有望選手達の眼の先にイタリアはない。
中田選手の存在は欧州のサッカー界においてかなり特異な存在だ。Corriere dello Sport,
Gazzetta Sport,Tutto Sport,Guerin SportivoによるセリエA昨シーズンの成績ランキング
における順位は155位。それに反し長者番付では11位。現代スポーツは実力+人気の商売で
副業はなんら揶揄されるべきではない。もし彼が副収入のある強みを生かして本業の給料
カットの条件を飲めば彼の他リーグでの活躍、世界の桧舞台での活躍を見ることも夢ではな
かったはずだ。給料カットを受け入れることはプロの世界では自分に対する評価を自ら下げ
る行為と見なされる。彼の考えるプライオリティーにおいて”プライド”は絶対外すことの
出来ないものなのだろうか。もしくは完治のめどがたたない怪我が彼を及び腰にさせてしま
ったのだろうか?中田以上に稼ぐベッカムが、「ただ働きでもサッカー選手になっていたと
思いますか?」という問いに対して「もちろん」と答えていた。果たして彼なら何と答える
のだろう?
監督と確執のあったパルマから追われる様にボローニャに移籍。その直後それまで経験し
たことのない腰痛に襲われる。心の痛みと直結した腰痛を経験したことのある私は、その
ニュースを聞いた時”彼の心は悲鳴をあげている”と直感した。強靭な精神力の持ち主と
される彼の心は限界まで来ていたのではないだろうか。その後も怪我を抱えながら残留争
いに身を投じた結果、鉄人とまで形容された彼が長期のリハビリを強いられることになる。
激動のシーズンを経て導き出されたのが”クラブの格にとらわれずプレーする方も観る方
も楽しめるサッカーがしたい。そしてこの考え方は今後移籍する局面において大きな指針
となる”という様な発言。果たして本当にこれは、彼自身が考え出したことなのだろうか?
今までのような挑戦する為の移籍とは異なり、消去法的な選択の結果という守りのイメー
ジをどうしても払拭しきれない。”代表の為”。現在の代表にとって中田主将は不可欠な
存在足り得ているのだろうか?”怪我の完治の為”。環境を変えることを恐れなければい
けない程重篤な怪我なのだろうか?もしくはオファーを出す方が躊躇う程の重症なのか?
怪我を理由に移籍金や給料を下げさせようとするのは何処のクラブもやる常套手段だ。
純粋に選手として必要としていれば、例え怪我持ちであろうと最終的には選手側の要求に
クラブ側が屈するのが通常だ。ボローニャでのたった数試合における高評価でもってして
は中田サイドが満足出来る条件のオファーは無かった。つまりマーケティングの旨味抜き
で彼を欲しがるクラブは皆無に等しい状況なのだ。未だにこれが欧州における日本人選手
達が置かれている厳しい現状なのだ。
今回の移籍が中田の本当の意志のもとに決断されたものだったとは信じられない。批判的
ジャーナリストを遠ざけている内に彼は己を見失ってしまったのではないだろうか。スポ
ーツ界の枠に収まりきらない”中田産業”や、真のアスリートたらんとする彼を盲目的に
応援(批判精神を持ち合わせずただ己の慰みものにしている行為)するファンの存在は、
一アスリートの純粋な野望の”足枷”になると彼は考えたことはないのだろうか?一流の
アスリートとしての自負があるならばマスコミへの対応も然るべきものにすべきだ。過去
の朝日報道や日本のマスコミのレベルの低さ等彼には同情を禁じえない部分が多分にある
のも否めない事実ではあるが、彼の純粋な(子供じみた)対応が日本のスポーツジャーナ
リズムの質の向上に貢献しているとは思えない。彼の周りにマスコミとの関係の修復を図
ろうと腐心する人間が一人もおらず、彼を裸の王様扱いし食い物にしている連中しかいな
いのであれば彼にとっては悲劇以外のなにものでもない。
某菓子会社でCBOを務める彼の特集をテレビで見た。既存商品のリニューアルがテーマだっ
た。中田CBOが名づけたプロジェクト名は"project unito"。”爆発的な人気があった発売
当初のように再びみんなと繋がりたい”という想いが込められているそうだ。"中田英寿"
という商品のリニューアルにも外部の新しい風が必要なのではないか?
一度堕ちたヴィオラというブランドの再生。そこにナカタブランド再生への想いを重ねて
ヴィオラ復活夢物語パート2の主人公たらんと青写真を描いているのだろう。誰もが驚い
た移籍金の暴落。一番ショックを受けたのは本人自身に違いない。移籍会見で強調する様
に口にした”ゼロから”というフレーズは彼自身今まで自分が裸の王様であった事を自覚
したことの現われであったと思いたい。彼の復活にかける意気込みが、相当なものであろ
うことは想像に難くない。己の傷に塩を塗りこむことなくロマンティシズムという甘露を
舐める方を選んだのではないことを切に願う。
中田がペルージャ時代、彼のゴールでフィオレンティーナをやっつけた数日後、日本人が
フィレンツェを旅行中、スキンヘッドやタトゥーだらけの太い二の腕をした、激しいので
有名なティフォージ達に火炎瓶を投げつけられ「ヴァッファンクーロ・ジャポネーゼ!」
と恐ろしい形相で連呼されたとか。あと彼がユヴェントス相手に活躍した時も、トリノに
住む日本人は大変だったそうだ。 日本人に優勝をさらわれたとあって、地元の人が日本人
全体を逆恨みをするからだ。元来イタリア人は日本人をサッカーなんか出来ないと馬鹿に
している。何故そんなに馬鹿にするのかというと、おそらく某選手の功績だろうと思う。
「プロ野球・珍プレー好プレー」の イタリアサッカー版みたいな番組で、某選手の失敗
シーンばかりを集めて大うけしているものがあった。何だ彼はこんなに馬鹿にされている
のか、と当時大変ショックを受けたものだ。
フィレンツェ。ティフォージが世界一美しいと言ってはばからない街、カルチョストリコ
の生まれた街、この街の名を冠するチームは栄光を体現しなければならない。敗北は即ち
街全体の屈辱なのだ。 だから素晴らしい選手は街の英雄と讃え賞賛を惜しまない。 一方
チームの名を汚す存在とみなせば、一流選手さえも許さない。 全てが「フィレンツェの
名のもとに」なのである。私の取り越し苦労が杞憂に終わるような輝かしい金字塔を彼が
ルネサンスの地に打建てることを祈っている。