プロレスリングNOAH非公式掲示板サロン出張所1

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227スポーツ好きさん
<『ガテン』カバーインタビュー>※ちなみに表紙の写真は小橋本人のセルフポートレート。

《この世界に入った時の初心が、七転び八起きの人生を支えてきた》

容赦なく酷使してきたヒザが、悲鳴を上げるように壊れたのは2001年1月のことだった。
全日本プロレスからノア旗揚げに名を連ね、これからと気合を入れていた矢先の入院。
「神は俺を必要としていないのか」と弱気になった日もある。「たとえ復帰したとしても、
今までのように思いきり戦えないのなら意味が無い」故障したことに悔いは無かった。常
に全力で戦ってきた結果のことだから。

病院のベッドで小橋は天井を眺めながら、プロレスの世界に入ろうと決意した時のこと
を思い浮かべ、自分を奮い立たせた。5度の手術を経て、1年1ヶ月ぶりに、その場面は
現実のものとなった。だが試合後の小橋を待っていたのは、復帰戦を終えた充実感では
無く、再び訪れた激烈なヒザの痛みだった。左ヒザ前十字靭帯不完全断裂で全治四ヶ月。
またかという気持ちに沈みかけたが、「悪いことがあっても、頑張ればまた必ずいいことも
あったじゃないか」と思い直し、危機を乗り越えた。5ヶ月後、彼は見事に復活し、変わら
ぬファイトでファンを沸かせつづけている。
228スポーツ好きさん:03/02/19 23:46 ID:QEnrEQ5c
2度の大きな故障から立ち直った彼に、主治医は告げた。「キミのヒザは消耗品だ。これ
からは試合を選びなさい。」戦える試合の数には限りがあるから、大きな試合を大切に
戦えと言うのだろう。小橋は即答した。「自分には試合の規模は関係無い。むしろ小さな
地方での試合の方が、身近にプロレスの醍醐味をわかってもらえると思う。自分はどんな
時も全力のプロレスを見せたいんです。」

子供の頃、ジャンボ鶴田やミル・マスカラスに魅せられ、砂場で技を真似て見た。中学高
校では柔道に打ちこんだが、県大会4強が精一杯。ならば会社員の世界で一番になって
みせると、地元の大企業に就職したが、生意気と疎まれ悪戦苦闘の日々。幼い日のプロ
レスラーの憧れを思い出したのは、同年代のボクサー、マイク・タイソンが脅威の新人とし
て活躍し始めたという記事を目にしたとき。何の実績も無く20才でプロレスの門を叩いた
小橋は、相手にもされず落とされたが、諦めず食い下がり入門にこぎつけた。

新人時代にはつきものの厳しい日々に屈することなく、擦り切れたせんべい布団にくるま
りながら彼は誓った。「いつか絶対名を上げ、金持ちになって最高級の羽毛布団で寝て
やる。」その初心が今も彼を支えているのだ。

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