さて、本日は数々の愚鈍極まりなく、民度の低い投稿の数々の情報を元に松山コナミの現状を解析していきたいと思います。
>>64の投稿は言うまでもなく在日朝鮮人の金光の投稿である。
この人間の投稿の性癖は、朝方に書き込む誹謗中傷である。概ねして投稿時間は8時台なのが特徴なのだ。
毎回の投稿からも見受けられるように、自分の学識に自負している点が散見される。
文脈が単なる誹謗中傷に終始しているにも関わらず、他人の言論に盾突く様は、何処から見ても劣等感を満身に帯びた人間の言動であると思う。
さて、本題に入ろう。前々から、意味不明な句点、読点の指摘があったのだが予てからの宿題であったので、ここに見解を記すとしよう。
句読点とは如何なる存在なのか?先ずはそこから分析せねばらないと思い、簡単に検索して調べてみたのだが、その答えは意外にも単純なものであった。
その答えとはつまり「句読点にはルールが無い」ということだ。それと、明治初期には句読点は存在しなかったという情報も入手した。
なので知見としては句点、読点は執筆者の感性に委ねられるものだと感じた。
だから在日朝鮮人金光の指摘する、句読点の問題とは、本質を欠いている。
つまり金光は、筆者の伝えたい論旨を表現するために使われている、句読点の使用方法を単なる誤用と錯誤して論評しているのである。
句読点の使用目的とは、筆者が伝えたい内容を微細に亘り表現するための手段であり、その使用方法は執筆者の表現方法に委ねられるのである。
なので読者の判断で、その表現方法の正否を問うという行為は文学的な障壁にしかなりえない。
句読点とは、論法に含有されている手法であり、意思伝達を行なっている執筆そのものではない。
その点ばかりを論い酷評を垂れる行為は文学的にアウトであり、本末転倒であると思う。
自発的に、この様な文章を構成できないのにも関わらず、針の孔を突く様な行為。そして、針の孔ではなく論旨を屈折させる行為。
非常に遺憾極まりない。