君はあの「魚ー喰らい!」を見たか?

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220アスリート名無しさん
我々のの生きている現実の人間社会、そこでは種々の出来事が起こります。
自分を取り巻く範囲だけでも様々なことが生じます。一生懸命だからこそ、
問題が起こるとも言えます。
人間社会には“訳の分かるルール”と“訳の分からないルール”があるような気が
します。そしてこの“訳の分かるルール”“訳の分からないルール”というものの
捉え方が一人一人大きく違っています。だから現実社会で人間が生きていけば様々な
問題が起こって当然のような気がします。喜怒哀楽も生じるでしょう。
悲しいこと、おもしろくないことが心の中に芽生えて、生活することに疲れます。
だからこの疲労感を少しでも取り除く努力を続けながら、人間は生きているのだと
思います。
一人々々の人間の価値感の尺度が違っているのだから、衝突や問題が起きても仕方
ないんだ、というのは現実社会における“訳の分からないルール”のせいです。
そんなものに縛られているからなのです。社会的制服を脱いだ一人の裸の人間と
いう見方をすれば、衝突しなくてもよさそうな事で衝突するような事は少しでも
減るはずです。しかし、自己防衛本能を持った人間は裸で街は歩けない。
だから社会的制服を着る。そして衝突が生じて疲れてします。
人に親切にしたいというような純粋な部分がある。しかし、そんなことをして
いたら生存競争に負けてしまうんじゃないか。
だから純粋な面をゴマカシて気張っている。そして疲れてします。
多くの人間はこのパターンを繰り返していると思います。
つまり裸の人間としての純粋な部分を捨てようとするのですが、捨て切れないのが
人間だと思います。それだからこそ純粋で一生懸命に生きることの素晴らしさを描
いたこのスレッドによって、純粋な部分を捨てきれずにいる自分はダメ人間でなく
これでいいんだという安心感が得られるのです。
考えようによっては何と素敵なことではありませんか。