日本マラソン史上もっとも強いランナーは?

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920アスリート名無しさん:04/04/20 09:28 ID:pH9hUWor
1970年(福岡)国際マラソン終了時のパフォーマンス上位ランキング

Derek Clayton 2:08:33.6 1st Antwerp 30 May 1969
Ron Hill 2:09:28 1st Edinburgh 23 July 1970
D Clayton 2:09:36.4 1st Fukuoka 3 Dec 1967
R Hill 2:10:30 1st Boston 20 Apr 1970
Akio Usami 2:10:37.8 1st Fukuoka 6 Dec 1970
Bill Adcocks 2:10:47.8 1st Fukuoka 8 Dec 1968
B Adcocks 2:11:07.2 1st Athens 6 Apr 1969
Eamon O’Reilly 2:11:12 2nd Boston 20 Apr 1970
Jerome Drayton 2:11.12.8 1st Fukuoka 7 Dec 1969
Sei-ichiro Sasaki 2:11:17.0 2nd Fukuoka 3 Dec 1967
Akio Usami 2:11:27.8 2nd Antwerp 30 May 1969
Kenny Moore 2:11:35.8 2nd Fukuoka 6 Dec 1970
R Hill 2:11:54.4 2nd Fukuoka 7 Dec 1969
Morio Shigematsu 2:12:00 1st Chiswick 12 Jun 1965
J Drayton 2:12:00 1st Detroit 19 Oct 1969
Hayami Tanimura 2:12:03.4 3rd Fukuoka 7 Dec 1969
Jim Alder 2:12:04 2nd Edinburgh 23 July 1970
Abebe Bikila 2:12:11.2 1st Tokyo 21 Oct 1964
Yoshiaki Unetani 2:12:12 3rd Fukuoka 6 Dec 1970
B Adcocks 2:12:16.8 1st Karl Marx Stadt 19 May 1968
Jack Foster 2:12:17.8 4th Fukuoka 6 Dec 1970
Don Faircloth 2:12:19 3rd Edinburgh 23 July 1970
David McKenzie 2:12:25.8 3rd Fukuoka 3 Dec 1967
Y Unetani 2:12:40.6 2nd Fukuoka 8 Dec 1968
Pablo Garrido 2:12:52.8 4th Fukuoka 7 Dec 1969
John Farrington 2:12:58.4 5th Fukuoka 6 Dec 1970
Toshiharu Sasaki 2:13:06.4 5th Fukuoka 7 Dec 1969
Akio Yoshida 2:13:21.0 6th Fukuoka 7 Dec 1969
921アスリート名無しさん:04/04/20 09:31 ID:pH9hUWor
1968年(福岡)国際マラソン終了時のパフォーマンス上位

Derek Clayton 2:09:36.4 1st Fukuoka 3 Dec 1967 当時世界新
Bill Adcocks 2:10:47.8 1st Fukuoka 8 Dec 1968 年間トップ
Sei-ichiro Sasaki 2:11:17.0 2nd Fukuoka 3 Dec 1967
Morio Shigematsu 2:12:00 1st Chiswick 12 Jun 1965 当時世界新
Abebe Bikila 2:12:11.2 1st Tokyo 21 Oct 1964 当時世界新
B Adcocks 2:12:16.8 1st Karl Marx Stadt 19 May 1968
David McKenzie 2:12:25.8 3rd Fukuoka 3 Dec 1967
Yoshiaki Unetani 2:12:40.6 2nd Fukuoka 8 Dec 1968
S Sasaki 2:13:23.8 1st Beppu 4 Feb 1968
Nicolae Mustata 2:13:26.2 2nd Karl Marx Stadt 19 May 1968
Kenji Kimihara 2:13:33.4 1st Beppu 5 Feb 1967
Tadaaki Ueoka 2:13:37.6 3rd Fukuoka 8 Dec 1968
S Sasaki 2:13:38.6 2nd Beppu 5 Feb 1967
Toru Terasawa 2:13:41 2nd Chiswick 12 Jun 1965
Ismail Akcay 2:13:43.6 4th Fukuoka 8 Dec 1968
Alastair Wood 2:13:45 1st Inverness-Forres 9 Jul 1966 年間トップ
Jurgen Busch 2:13:45.2 3rd Karl Marx Stadt 19 May 1968
Akio Usami 2:13:49.0 1st Otsu 14 Apr 1968
A Usami 2:13:51.8 5th Fukuoka 8 Dec 1968
Basil Heatley 2:13:55 1st Chiswick 13 Jun 1964 当時世界新
Mike Ryan 2:14:04.6 1st Fukuoka 27 Nov 1966
Hidekuni Hiroshima 2:14:05.2 2nd Fukuoka 27 Nov 1966
922アスリート名無しさん:04/04/20 09:37 ID:pH9hUWor
Landmarks
First under 2:40: 2:38:17 Harry Green GBR 1913
First under 2:30: 2:29:02 Albert Michelsen USA 1925
First under 2:20: 2:18:41 Jim Peters GBR 1953
First under 2:10: 2:09:37 Derek Clayton AUS 1967
First under 2:09: 2:08:34 Derek Clayton 1969
First under 2:08: 2:07:12 Carlos Lopes POR 1985
First under 2:07: 2:06:50 Belayneh Dinsamo ETH 1988
Subsequent record progression:
2:06:05 Ronaldo da Costa BRA 1998
2:05:42 Khalid Khannouchi MAR 1999
2:05:38 Khalid Khannouchi MAR 2002
Official World Record from 1 Jan 2004 -
2:04.55 Paul Tergat KEN 2003

Most durable world best: 2:08:34 Derek Clayton 1969 (12 years)
Most times under 2:10: Abebe Mekonnen ETH 10

Superlatives
Most Olympic titles:
2 Abebe Bikila ETH 1960/1964
2 Waldemar Cierpinski GDR 1976/1980
Most World titles: 2 Abel Anton ESP 1997/1999
Youngest Olympic/World champion: Juan Zabala ARG 1932 (20) Oldest: Carlos Lopes POR 1984 (37)
923アスリート名無しさん:04/04/20 09:37 ID:pH9hUWor
Three all time greats
Jim Peters (GBR): Revolutionised marathon performances: the world best was 2:25:39
until he successively ran 2:20:43, 2:18:41, 2:18:35 & 2:17:40 between 1952 & 1954.
Abebe Bikila (ETH): As a complete unknown he won (barefoot) the 1960 Olympic title
in world best 2:15:17; four years later (in shoes) he retained the title in another
world mark of 2:12:12.
Carlos Lopes (POR): An inspiration to more mature runners, he won the 1984 Olympic
marathon at the age of 37 and the following year set a world best of 2:07:12.

以上4つの投稿はIAAFのサイト
ttp://www.iaaf.org/theSport/whatisathletics/TrackandField/disc=mar/index,newsId=9448.html
より。
924アスリート名無しさん:04/04/20 11:43 ID:pH9hUWor
IAAFのサイトに載っている福岡マラソンの歴史は面白いです。このスレッドの住人
必読かも。そもそもIAAFがマラソンの世界選手権として位置づけていたのですね。
67年にクレイトンが記録を出す前のベストが18分台とかライアンが意図してハイ
ペースで引っ張ったとか生き生きとした記録になっています。
925アスリート名無しさん:04/04/20 11:55 ID:JLGXcity
ボストンマラソン1953年優勝の山田敬蔵、76歳、
今日異常気象で28℃の猛暑のボストンマラソンを
3:56:34で完走。 彼は1995年から毎年ボストンを
走っているそうです。 ゼッケンは彼専用の「1953」。
926アスリート名無しさん:04/04/20 12:13 ID:/59qHlqp
>>924
デレク・クレイトン (1967年福岡国際マラソン ラップ表)

5km 15.06
10km 29.57(14.51)
15km 44.57(15.00)
20km 59.59(15.02)
25km 1.15.11(15.12)
30km 1.30.32(15.21)
35km 1.46.11(15.39)
40km 2.02.16(16.05)
2.195km(7.20.4)

(優勝 2時間09分36秒4 世界最高記録 )

人類史上初の2時間10分突破として当時、陸上界では衝撃的出来事であった。
アベベの東京五輪優勝&世界最高は当分、最新ができないだろうと云われて
から高々3年。
次の五輪を待たずしての怪記録。今ならば2時間2分台がでるくらいの当時の衝撃度。
927アスリート名無しさん:04/04/20 15:14 ID:t6R+qour
東京国際での中山の5キロごとのラップも教えてください
中山の東京国際での走りは勝負というよりショーアップに徹した走りで
面白いレースではあった
中山が東京国際を真面目?に走ったのはバルセロナ五輪の懸かった92年の
大会ぐらいか?  
928アスリート名無しさん:04/04/20 15:52 ID:/bmuSVQt
>>927
中山は東京国際を4回(86年、87年、90年、92年)と走っているが、
どのレースがご希望かわかりませんが、90年の東京国際での初優勝のラップを
記載します。

1990年 東京国際マラソン 優勝 中山竹通のラップタイム
5km 14.44
10km 29.27(14.43)
15km 44.21(14.53)
20km 59.19(14.58)
25km 1.14.22(15.03)
30km 1.29.41(15.19)
35km 1.45.30(15.49)
40km 2.02.28(16.58)
2.195km(8.29) 2時間10分57秒

ボストンマラソン途中棄権(89年)から復活をかけたレース。大会前は中山自身、様子を
見ながら慎重なレースをすると語っていたが、レースはお得意の前半独り旅。
35Kmまでは何とか最小限の落ち込みでラップをキープしていたが、35キロ過ぎに
JOGのようなペースへダウン。競技場まで見に行ったが、もう歩くくらいのペースで
落ちていた。2位のトレーシーに途中、2分以上の差をつけていたがゴール差は26秒差。
ゴール後は疲労困ぱいでインタビューにもろくに答えられず、表彰式でトロフィーを
持ち上げることもできないくらいであった。翌日は辛コメントもあったが、大筋「中山復活」
と出ていた。
929アスリート名無しさん:04/04/20 16:02 ID:GEI84k8F
君原を見たか?
930アスリート名無しさん:04/04/20 16:04 ID:/bmuSVQt
>>907
北京国際マラソンで大記録を樹立した児玉、谷口のラップも記載します。

1986年 優勝 児玉泰介のラップタイム
5km 14.52
10km 29.37(14.45)
15km 44.22(14.45)
20km 58.53(14.31)
25km 1.13.51(14.58)
30km 1.29.24(15.33)
35km 1.44.58(15.34)
40km 2.01.09(16.11)
2.195km(6.24) 2時間7分35秒 (当時日本最高、世界歴代3位)

1988年 2位 谷口浩美 ラップタイム
5km 15.07
10km 30.59(15.52)
15km 46.19(15.20)
20km 1.01.08(14.49)
25km 1.16.14(15.06)
30km 1.31.01(14.47)
35km 1.45.56(14.55)
40km 2.01.22(15.26)
2.195km(6.18) 2時間7分40秒 (当時日本歴代2位、世界歴代7位)
931930続き:04/04/20 16:16 ID:/bmuSVQt
86年と88年の北京は正反対のレース展開。イカンガー、シャハンガが前半飛ばして
高速レースになった86年と谷口、メコネンの一騎打ちになって飛躍的にペースが
中盤から跳ね上がった88年。その中でラストの2.195kmが児玉(6.24)そして
谷口が(6.18)という高速の上がりになっている。
84年の喜多がこの区間(6.30)、85年の宗茂が(6.24)で皆、軒並み
ラストでタイムが良くなっている。特に88年。この時は工人体育場の手前でメコネンが
スパート。谷口と差がついたが、競技場に入ってのホームストレートでメコネンは
口から遺物を戻した。その隙に谷口が差をつめる。結局メコネンが5秒差で逃げ切り優勝
しているが、遺物を戻したメコネンのラップがなんと(6.13)。
ここが北京の距離疑惑の上がるところであろう。後日。宗兄弟も「北京の40キロの標識は
正確な位置にないように思う」と語っているのでどちらかではないかと思われる。
932アスリート名無しさん:04/04/20 16:18 ID:pH9hUWor
IAAFのサイトにある通り、世界選手権の代替として開設された(福岡)国際マラソンの
権威は高く、1966-1969年のTrack & Field Newsでの年間ランキングの1位、2位はその
まま福岡の1位、2位であったことは驚くべきである。実際メキシコ五輪のあった1968年
のランキングの1位と2位もアドコックス(オリンピック5位)と采谷であり、マモ・
ウォルデと君原はそれぞれ3位、4位と評価されていた。宇佐美が優勝した第5回に至っ
て初めて年間ランキング1位の座をロン・ヒルに譲った。この年のヒルは英連邦で歴代2
位、ボストンの大会新でも宇佐美の記録を凌いだのだから仕方がないのであるが、歴代3位
の日本新をもってしてもヒルを凌げなかったことが福岡の特別な地位を徐々に低下させる
原因となったのは残念である。

宇佐美のラップは

5Km 15:24
10Km 30:55 (15:31)
15Km 46:32 (15:37)
20Km 1:02:15 (15:43)
Half Marathon 1:05:39
25Km 1:17:27 (15:12)
30Km 1:32:26 (14:59)
35Km 1:47:32 (15:06)
40Km 2:03:27 (15:55)
42.195Km 2:10:37.8 (7:10.8)

で35キロからの失速が惜しまれる。
933アスリート名無しさん:04/04/20 16:40 ID:pH9hUWor
因みにTrack & Fields Newのランキングは
ttp://65.110.36.121/archive/rankings/
で閲覧可能。そこからMen's World Rankingを選びmarathonを選択すると過去
の上位ランカーが全て分かる。国別、アスリート別もあるので日本の昔日の
栄光を偲ぶには最適かも。
934アスリート名無しさん:04/04/20 19:04 ID:t6R+qour
>>928 中山の90年の東京国際のラップ、アリガトサンクス
このどこが様子を見ながら慎重なレースやら とても病み上がりの走りとは思えん
最近、このような大会や選手は日本には皆無になった  
あと北京のラップで20キロ手前の5キロが児玉、谷口ともに跳ね上がっているけど
この辺の疑惑はありませんでしたか?
あと他の東京国際の中山のラップもお願いします     
935アスリート名無しさん:04/04/20 19:15 ID:pH9hUWor
Track & Fields Newsのランキング表を1位10点、2位9点,,,10位1点
として点数化すると以下の歴代ランキングになった。

1.瀬古 55 (79,83が2位、3位3回)
2.君原 39 (63の3位が最高だが7回ランクイン) 
3.宇佐美36 (70,71が連続2位) 
4.広島庫夫32(57に2位、59に3位。本当に強いのかという疑問がだされて
    いたが評価されていたようだ)
5.中山  31(87に1位)
6.寺沢  27(61,65に2位)
7.中尾  26(62,65に3位)
8.宗猛  25(6回ランクイン)
9.谷口浩美19(91に1位、87に2位のみ)
10.貞永信義、宗茂18

見落としもあるだろうし、各年のランキング自体も変に思うこともあるが
全部を足すと(昔の選手に甘い気もするが)大体妥当な結果ではなかろうか。  
936アスリート名無しさん:04/04/20 19:51 ID:lEMOXzHG
>>935
お疲れ様です<(_ _)>
昔の選手はよくわからないけど(君原、宇佐美は妥当でしょうね)
瀬古・宗兄弟以降をみると
瀬古 55 (79,83が2位、3位3回)
中山 31(87に1位)
宗猛 25(6回ランクイン)
谷口浩美19(91に1位、87に2位のみ)
宗茂18

優勝回数、レース数など妥当なポイントの気がします。
937アスリート名無しさん:04/04/20 23:32 ID:9nmiMX9j
>>935 同様に1947-2002の非日本人のランキングを極めていい加減に作ると

1. カルボーネン(フィンランド)61
2. イカンガー(タンザニア)51
3. ショーター(米)
  ド・キャステラ(豪) 48
5. アベベ(エチオピア)40
6. ロジャース(米)39
7. ヒル(英)37
8. クレイトン(豪)
  ドレイトン(カナダ)
  サラ(ジブチ)
  ハヌーシ(モロッコ->米) 34

といったところである。惜しいところではポポフ(ソ連)33,
ピータース(英)は32,エル=ムーアジス(モロッコ)も32となっている。

メルボルンオリンピック銅のカルボーネンが1番ポイントを稼いでいるのは意外で
あったが後は順当な顔ぶれが並んだ。日本人も混ぜると

瀬古が2位、君原が7位、宇佐美がクレイトン等をしのいで10位に入る。瀬古は惜し
かったが、世界マラソンの歴史上稀に見る偉大な選手の一人であることはこのラン
キングからも裏付けられたことになる。
938アスリート名無しさん:04/04/21 05:18 ID:5azXKQit
瀬古利彦 1981年 ボストンマラソン 優勝時のラップタイム

5km 15.01
10km 30.21(15.20)
15km 46・02(15.41)
20km 1.01.25(15.23)
25km 1.16.24(14.59)
30km 1.31.38(15.14)
35km 1.46.54(15.14)
40km 2.02.06(15.12)
2.195km(7.22) 2時間9分26秒 (大会新記録 日本歴代2位 世界歴代5位)

瀬古の全盛期は78年から83年までの6年間だと思うが、そのシーズンで7戦6勝。
徹底的に相手をマークして終盤にかわす走法ばかりがクローズアップされるが、
この81年のボストンでのラスト2.195kmは全盛期の中でいちばん悪いタイム
(7.22)でゴールしている。すでに81年のボストンの模様は前スレで既出だが
心臓破りの丘の手前で優勝候補の1人、ビル・ロジャースが後退(結局3位)。
アメリカの新鋭クレッグ・バージンとの競り合いになったが瀬古は心臓破りの丘を
過ぎると珍しくロングスパートでバージンを振り切った。その代償でか、ボイルストン
ストリートからボストン図書館前のゴールに向かう直線で相当苦しい表情に変化
していたのを覚えている。はじめてへばっている瀬古をこの時見たが、何とか持ち
こたえ、2位のバージンに約1分の差をつけゴール。79年に負けたロジャースの
大会記録、2時間9分27秒を1秒破るコースレコードだった。
939アスリート名無しさん:04/04/21 05:33 ID:5azXKQit
1986年 シカゴマラソン優勝 瀬古利彦 ラップタイム

5km 15.00
10km 30.07(15.07)
15km 45.16(15.09)
20km 1.00.21(15.05)
25km 1.15.43(15.22)
30km 1.30.44(15.01)
35km 1.46.06(15.22)
40km 2.01.16(15.10)
2.195km(7.11) 2時間8分27秒 (日本歴代2位 世界歴代10位)

瀬古の生涯記録で優勝を飾った86年のシカゴマラソン。
めぼしい選手がジブチのアーメド・サラくらいしかいなく、またサラは
前に出て引っ張るタイプでない為、記録最新を目指す瀬古としては
厳しい条件だったようだ。案の上、20kmまでは理想的なペースで進んだが、
25kmでラップが15分22秒に落ち込むと、たまらず瀬古がペースを上げる。
それについてきたのはサラのみだった。瀬古が前にでるとタイムが上がり、
サラに先頭を譲るとペースが落ちるの繰り返し。サラは本調子でないようだった。
瀬古は35kmがまた15分22秒に落ちたのをきっかけにサラを振り切る。
後半ペースが落ちたものの独走。2位のサラ(2時間9分57秒)に大差をつける
自己新記録でテープを切った。結局、瀬古の最後のサブテンになってしまった。
優勝賞金65000ドル(当時のレートで1040万円)を獲得した。
940アスリート名無しさん:04/04/21 05:48 ID:5azXKQit
>>935
>>936
>>937
そろそろこのスレッドも終了に近づくにつれ「日本最強ランナー」の
分析が出きてきましたね。
とても興味のある結果ですね。。
941925:04/04/21 05:55 ID:kHOfJaLq
>>925
山田さんのように年とってからもレースで走り続けている
往年の名ランナーって他にいますか? 
942アスリート名無しさん:04/04/21 11:03 ID:j+4GOVzq

日大を留年した蔭谷だ〜〜〜〜〜!
9431:04/04/21 11:42 ID:f0O3o8C8
どうもこのスレ立てた者です。
ハイレベルな内容でとても勉強になりました。
これからも濃〜いの期待してます。
944アスリート名無しさん:04/04/21 12:56 ID:WwPbrgzC
喜多秀喜 マラソン成績(1991年まで)

1、(59位)2時間30分21秒 74年別府大分
2、(49位)2時間29分59秒 74年福岡国際
3、(5位)2時間15分01秒8 78年別府大分
4、(優勝)2時間20分10秒 78年 ミルトンケーネス(宗猛と優勝分け合う)
5、(2位)2時間11分05秒 78年福岡国際
6、(優勝)2時間13分29秒1 79年別府大分
7、(48位)2時間22分19秒0 79年プレ五輪
8、(41位)2時間22分25秒 79年福岡国際
9、(15位)2時間14分37秒 80年福岡国際
10、(優勝)2時間12分04秒 81年東京国際
11、(622位)2時間36分59秒 81年ボストン
12、(14位)2時間14分32秒 81年福岡国際
13、(8位)2時間13分24秒 82年東京国際
14、(2位)2時間11分09秒 82年福岡国際
15、(42位)2時間22分37秒 83年ヘルシンキ世界陸上
16、(7位)2時間10分30秒 83年福岡国際
17、(優勝)2時間12分16秒 84年北京国際
18、(55位)2時間23分31秒 84年福岡国際
945アスリート名無しさん:04/04/21 13:04 ID:WwPbrgzC
喜多秀喜その2

19、(途中棄権) 85年福岡国際
20、(29位)2時間17分26秒 86年福岡国際
21、(17位)2時間29分19秒 87年台北
22、(9位)2時間15分23秒 87年ボストン
23、(5位)2時間13分09秒 87年北京国際
24、(12位)2時間14分40秒 88年ボストン
25、(5位)2時間11分51秒 88年福岡国際
26、(13位)2時間15分41秒 89年ロッテルダム
27、(14位)2時間17分28秒 89年福岡国際
28、(5位)2時間15分39秒 90年ロッテルダム
29、(8位)2時間18分16秒 90年モスクワ国際
30、(8位)2時間15分36秒 90年福岡国際
31、(5位)2時間16分27秒 91年防府
946アスリート名無しさん:04/04/21 13:21 ID:WwPbrgzC
児玉泰介 マラソン成績(1992年まで)

1、(4位)2時間20分56秒 82年延岡西日本
2、(16位)2時間16分20秒 82年福岡国際
3、(7位)2時間18分48秒 83年別府大分
4、(10位)2時間12分51秒 83年福岡国際
5、(2位)2時間10分36秒 84年福岡国際
6、(52位)2時間16分51秒 85年広島W杯
7、(28位)2時間19分14秒 85年福岡国際
8、(優勝)2時間10分34秒 86年別府大分
9、(優勝)2時間07分35秒 86年北京国際(日本最高記録)
10、(2位)2時間11分23秒 87年ソウルW杯
11、(31位)2時間16分49秒 87年福岡国際
12、(2位)2時間20分55秒 88年北海道
13、(4位)2時間11分36秒 88年福岡国際
14、(6位)2時間17分14秒 89年ロサンゼルス
15、(7位)2時間17分36秒 90年モスクワ国際
16、(5位)2時間12分09秒 91年別府大分
17、(2位)2時間13分07秒 91年北京国際
18、(2位)2時間13分58秒 91年防府
19、(9位)2時間13分 92年ロッテルダム
947アスリート名無しさん:04/04/21 13:27 ID:WwPbrgzC
新宅雅也(永灯至) マラソン全成績

1、(3位)2時間12分23秒 85年東京国際 (初マラソン日本最高)
2、(優勝)2時間09分51秒 85年福岡国際
3、(途中棄権) 86年福岡国際
4、(2位)2時間10分34秒 87年福岡国際 (ソウル五輪代表権獲得)
5、(17位)2時間15分42秒 88年ソウル五輪
6、(4位)2時間15分17秒 90年ロッテルダム
7、(8位)2時間12分49秒 90年ベルリン
8、(21位)2時間20分34秒 92年東京国際
948アスリート名無しさん:04/04/21 14:10 ID:rrufbOsQ
これまで、ここに登場してきたランナーをみんな集めて大会を開いた場合、
どんな結果になるのであろうか? 
949アスリート名無しさん:04/04/21 14:29 ID:Gtq6FQwf
そろそろ1000に達してしまうが、
是非次のスレッドには「男子マラソン」をスレタイに入れたものを立ててほしい!

最近盛り下がり気味の競技だが、これだけファンがいたとは。
やはり五輪最後の競技には特別なものを感じてしまう人は多いわけで。
950アスリート名無しさん:04/04/21 15:13 ID:Yp9ryT9R

http://uproader2.hp.infoseek.co.jp/2004-04-20%20012.JPG
下重が日本学生ハーフで優勝
951アスリート名無しさん:04/04/21 20:55 ID:eayu0ZbJ
史上最強論争については概ね決着を見たようなので
次スレからは昔の男子マラソン全般についてマターリ語るスレにしてはどうでしょう。
例えば
【君原・宇佐美】昔の男子マラソンを語ろうpart2【瀬古・中山】
952アスリート名無しさん:04/04/22 00:02 ID:q8JsUbjO
Track & Fields Newsでは必ずしも評価の高くないクレイトンであるが、やはり
歴史を作った選手として忘れる訳にはいかない。私個人としてはクレイトンの
レースをまともに見たことがない。67年は幼すぎたし、ミュンヘンはいつの間に
か先頭集団から落ちていた。またオリンピックの再選と期待された72年の福岡でも
早々と脱落しテレビに映ることは殆どなかったためである。そういう意味では彼は
私にとっても失われたヒーローなのかもしれないが、一番熱心に見ていた時期に
ずっと不滅の世界記録を保持していただけでも偉大な伝説上の選手であると言わ
ざるを得ない。

彼の評価の低さは大試合での弱さの現れによる。大記録を出した直後かつ直前の
メキシコでは7位に終わり、ミュンヘンでも13位に終わっている。また英連邦大会
(70,74)は何れも途中棄権ということでワールドクラスの大会では67年の
福岡を除くと結果を出していない。その一方で記録だけを見ると67、69に驚異的な
世界記録を連発しただけでなくて71、73の何れも11分台前半の記録でランキング
トップになっている。(しかしTrack & Fields Newsのランキングでは69年に3位、
71,73年は4位にすぎない。69年の1位、2位を福岡の1位、2位にしたのはドレイトン
がデトロイトで好記録を出し、ヒルが欧州選手権に勝ったとしてもおかしい気が
する。因みにアテネで好記録を出したアドコックスも何故か7位にしかなっていない)。
953アスリート名無しさん:04/04/22 00:02 ID:q8JsUbjO
彼の写真を見れば分かる通り、末端肥大気味と思わせる程大きな顔をもっている。また
身長もマラソン選手としては珍しい程の長身(188)であり、迫力のある走りだったと伝え
聞く。彼は2回の歴史的な走りを成し遂げ、世界に衝撃をもたらしているが、特に1回目の
福岡については多くの記録が残っている。67年のレースの前のベストは2時間18分28秒に
すぎず、初めての海外マラソンであったために誰も期待をしていなかったというのが正直
なところであろう。そのレースの優勝候補は前年のチャンピオン(前年の世界実力ランク
1位かつ翌年のメキシコ銅)のライアンであり、前年の英連邦大会のチャンピオンのアルダー
であった。また日本側のエースは別府で君原と死闘を演じ破れたものの世界歴代4位
の好記録を出していた佐々木であった。

レースはライアンのペースメークによって5キロは15’06、10キロは29’57、15キロは44’57
という史上最も早いペースで推移した。このハイペースが功を奏したのかアルダーを始め
残りの選手は5キロもいかないうちに振り切られ2人の勝負になったかに見えた。また15キロを
すぎてライアンが遅れ始めて20キロでは始めて1時間を切ったクレイトンにライアンは23”遅れ
勝負あったかに見えた。しかしそれはドラマの序章にすぎなかった。

いうまでもなくもう一人の主役であった佐々木の追い上げが15キロ過ぎから始まったのである。
15キロから14'59",14'56"で追い上げ、ついに29キロ付近では追いつき30キロを2人並んで
1時間30分32秒で通過した。163cmの伝統的マラソンランナーの体型をしていて実績も勝った
佐々木が追いついたということでこのまま逆転すると多くの人が信じたが、クレイトンも一向に
譲らず併走は34キロまで続く。しかしそこで異変が起きたのは佐々木の方であり、腹痛で顔をゆが
め、見る見るうちに差がつき35キロでは12秒もの差がつき勝負は決した。しかし両者はその後、
大崩れすることもなくいずれも世界最高を上回るタイムでゴール。3位のマッケンジーまで歴代5位
のおまけつきであった。

以上が福岡の歴史的レースの概略である。次に歴史的レースがあるとすればやはり2時間の壁を
破るときであろうか。


954アスリート名無しさん:04/04/22 00:54 ID:1yWrtvRi
このスレは2ちゃんねる史上まれにみるレベルの高さだな
まさに永久保存版だよ
このスレに登場したランナーは100選手を越しているよ
マラソン史を戦前編、戦後〜東京五輪前編、戦後〜東京五輪後編、
瀬古・宗兄弟〜中山・谷口時代編、低迷現代編に分けてもっと細かく分析しても
面白そうだ
あと海外編、女子編なんかもあってもいいな
他にはローカル大会編なんかもやってほしいな    
955アスリート名無しさん:04/04/22 01:39 ID:izb0jMpI
84年 福岡国際マラソン 優勝 中山竹通のラップタイム

5km 15.36
10km 31.07(15.31)
15km 46.34(15.27)
20km 1.02.15(15.41)
25km 1.17.33(15.18)
30km 1.32.29(14.56)
35km 1.47.33(15.04)
40km 1.03.02(15.29)
2.195km (6.58) 2時間10分00秒 (マラソン初優勝 、84年度日本ランク1位)

ロス五輪で日本勢が思うような活躍ができず、全体的に沈静化したムードの中、開催された第19回(当時)
福岡国際マラソン。優勝候補は前年の最終選考会で欲しくも五輪代表権を逃したが、自己ベストの
2時間9分35秒をマークした伊藤国光、2ヶ月前の北京で優勝している喜多、そして
前年2位、ロス五輪6位のイカンガーが優勝候補筆頭。
前半、アメリカのゲーリー・ビヨクルンドが集団を引っ張る。しかし15kmも経たないうちに、集団の
後方で伊藤国光の顔が苦しくなり、いつもの首振りが始まっていた。喜多も早々に集団から脱落。やはり
2ヶ月の間でマラソンを走るのは難しいようだった。
25km過ぎに長身の中山が抜け出す。前年、途中まで、長身の若手が先頭集団にいて注目してが、その
中山だった。この時参加選手中、2番目にタイムのいいハイルマン(東ドイツ)のみ中山につく。
この間の5kmを14分台にペースアップ。2人の先頭争いは続いたが33キロあたりでハイルマンの
顔が歪みだす。足の運びがおかしくなりみるみる後退。中山は特別にスパートを仕掛けたわけではないが
単独で先頭に踊り出た。後続では児玉がひたひたと中山を追随。40キロすぎには
ハイルマンを捕らえた。
中山が初優勝。児玉が2位と二人とも自己記録を大幅最新。3位のハイルマンは
2時間10分59秒で3位。中山のスパートで遅れたイカンガーは日本で初めての
大惨敗(23位)に終った。
956アスリート名無しさん:04/04/22 01:57 ID:izb0jMpI
1986年 ソウルアジア大会 優勝 中山竹通のラップタイム

5km 14.49
10km 29.35(14.46)
15km 44.34(14.59)
20km 59.42(15.08)
25km 1.15.01(15.19)
30km 1.30.17(15.16)
35km 1.45.46(15.29)
40km 2.01.27(15.41)
2.195km (6.54) 2時間8分21秒 (大会記録)

日本代表は中山と谷口浩美。スタートして競技場内から2人での飛び出しとなった。
85年のソウル国際マラソン以来の前半からの飛び出し。しかしこの頃は
85年の福岡で2時間10分01秒の記録を出した谷口であっても中山との実力差は歴然。
最初の5キロまでは抵抗をみせたが、中山の独走が始まった。今思うと、この時の
中山の飛び出しがいちばんの理想的なラップを刻んでいる。
2時間7分台が狙えるペースで推移していたが、40キロのラップでやや失速。
競技場内に入ってきて自己記録(2時間8分15秒)が破れるのかが焦点になった。
NHKアナの「2時間8分12,13,14,15、、うーん中山自己記録は難しく
なった。。」というラストの直線での秒を読みながらの実況が印象的。
957アスリート名無しさん:04/04/22 05:23 ID:8rJEBm/L
中山竹通
2時間10分00秒(15:29)(6:58) '84福岡 >>955
2時間08分15秒(15:05)(6:51) '85広島 >>905
2時間08分21秒(15:41)(6:54) '85ソウル >>956
2時間08分18秒(16:20)(7:34) '87福岡 >>853
2時間11分05秒(15:37)(7:03) '88ソウル >>868
2時間10分57秒(16:58)(8:29) '90東京 >>928

瀬古利彦
2時間09分26秒(15:12)(7:22) '81ボストン >>938
2時間08分38秒(16:18)(6:41) '83東京 >>904
2時間08分52秒(15:18)(6:22) '83福岡 >>904
2時間08分27秒(15:10)(7:11) '86シカゴ >>939

ラップを書いていただいたレスから瀬古と中山の上がりの分をまとめてみました。
前半からガンガン行くタイプの中山のは意味ないかもしれませんが(w
当該レスの中にもありましたが、ロジャースを破って世界に躍り出た'81ボストン、
自己ベストの'86シカゴでも独走のせいもあるのでしょうが、ラストが効いてない
のがちょっと意外でした。
958アスリート名無しさん:04/04/22 07:42 ID:v7gIPk+J
1980年 福岡国際マラソン 優勝 瀬古利彦のラップタイム

5km 15.27
10km 31.05(15.38)
15km 46.48(15.43)
20km 1.02.41(15.53)
25km 1.17.55(15.14)
30km 1.33.03(15.08)
35km 1.47.48(14.45)
40km 2.03.08(15.20)
2.195km(6.37) 2時間9分45秒 (日本歴代2位)(世界歴代7位)

モスクワ五輪の開催年。その優勝者、チェルピンスキーと日本のエース瀬古との
対決が実現した。瀬古はエスビー食品に所属後、初のマラソンレース。
前半、牽制のきらいがありスローな展開。集団にはモスクワ
五輪で10位に入り、若手として売り出し中のキャステラや、宗兄弟、伊藤、
武富、喜多らの顔が見えた。
中盤からペースが徐々に14分台にあがるビルドアップ的なレース展開になった。
瀬古、宗猛、伊藤の日本勢にオーストラリアのヘンリーが割って入る。
ラストは瀬古、宗猛の一騎打ち。勝負は競技場までもつれ込み、前年の大会同様、
ラスト勝負になった。
前年(79年)は本調子とはいかなかった瀬古だが、今回は体調が万全のようで、
宗猛を一気に引き離し、福岡国際3連覇。
今までの瀬古のレースでいちばん余裕を感じるものであった。
瀬古、宗猛と初めてサブテンを達成した。また3位の伊藤国光、9位武富豊も自己記録。
チェルピンスキーは6位、キャステラは8位だった。
959アスリート名無しさん:04/04/22 08:02 ID:v7gIPk+J
1987年 ボストンマラソン 優勝 瀬古利彦のラップタイム

5km 15.09
10km 30.49(15.40)
15km 46.58(16.09)
20km 1.02.54(15.56)
25km 1.18.56(16.02)
30km 1.34.42(15.46)
35km 1.49.40(14.58)
40km 2.04.48(15.08)
2.195km(7.02) 2時間11分50秒 (ボストン2度目の優勝)

既出事だが、このレース途中に中継トラブルで放送が中断。
自分の目で確かめることができなかったが、10キロから30キロまでの
レース展開は、20キロ過ぎまでは牽制のし過ぎで誰もが余裕の表情。
25キロ過ぎにイカンガーと中心に17.8人に絞られてきたが、まだまだ
レースが動く気配がない。キャステラが集団の後方。スタート時、転倒の
アクシデントの為、どこか負傷している感じで本来の走りではない。
青梅マラソンからの招待、谷口伴之と喜多秀喜が集団の中で健闘。日大の
武田が遅れる。
レースが動いたのは33キロ。瀬古が満を持してスパート。集団が
Sジョーンズ、ジェフ・スミス、ジョン・トレーシー、他7人になった。
イカンガー、フセイン、キャステラが後退。その後、瀬古はスパートを
緩めず、ついにSジョーンズも観念。当時、海外での新聞評に「世界一の
スピード」と絶賛された瀬古の勝負どころでのキレが遺憾無く発揮された。
後半は独走。2位争いは最後にスミスをかわしてジョーンズが入る。
日本勢が10位以内に3人(瀬古、谷口5位、喜多9位)が入った。
960アスリート名無しさん:04/04/22 10:09 ID:XWiBrdT/
70年代後半に3回世界実力ランク1位だったビル・ロジャースはショーター程では
ないにせよ日本にも馴染みの深い選手であった。瀬古同様世界大会では結果を出せ
ず、本当に強かったのかどうかは判断に苦しむ面もあるがアメリカでの人気は絶大
でシティマラソン隆盛のきっかけを作ったのは彼の功績大であろう。

彼はボストン男と異名を取るだけに実に17回もボストンを走っており、最初の13年
は連続出場である。平凡な選手であった彼が一躍注目を集めるようになったのは1975年
のボストンであり、そこで史上4人目のサブ10(2.09.55=歴代4位)を実現している。
もちろん当時はダウンヒルコースのボストンでの記録として実力を疑問視する声も多かった
が、Track & Fields Newsではランキング1位を取り、以降福岡より自国で伝統のあるボス
トンを評価するきっかけを作ったレースでもあった。それまでヒルが70年に好記録(当時
歴代2位)の記録を作ったとはいえ、レベルの低い大会と見なされがちで、事実、日本勢
は自国の福岡では勝てなかった60年代には出ると優勝していたし、上位独占も珍しくは
なかった。

ロジャースは76年のオリンピックトライアルはショーターに7秒遅れの2位になり、
モントリオールでもショーターを脅かす2番手グループの一人と目されていたが、
本番では体調不良から40位に終わっている。しかしトライアル3位のカードングが
リスモンに僅差の4位になったことから考えてもロジャースはメダルを取ってもおか
しくない実力を備えていた。
961アスリート名無しさん:04/04/22 10:10 ID:XWiBrdT/
そのロジャースが本領を発揮するのはモントリオール以降である。特にオリンピック
直後のニューヨークでは大方の予想を裏切り2.10.10の好タイムで圧勝。77は京都マラ
ソンで楽勝したあと、(ボストンは途中棄権したものの)福岡で2.10.55で圧勝。記録
も実力もランキング1位と評価された。78にもボストン, NYをそれぞれ2.10.13と
2.11.28で制して絶対の優勝候補として福岡に乗り込んだものの日本勢の上位独占を許し
惨敗。その実力に翳りが見えたように思われた。しかし翌年のボストンでは福岡の覇者
瀬古に大勝して2.09.27の好記録をマークし、歴代4位に返り咲くことになった。79年は
NYも11分台で制しているが鬼門のモントリオールでの国際マラソンではエチオピアの
新鋭バルチャが11分台で快勝した中、13位に沈み不安定要因も見せた。しかしながら
79年の実力Rankingは3回目のトップであり、翌年のモスクワに期待を抱かせた。

しかし80年のオリンピックはボイコット。その年のボストンは制したものの、
NYではサラザールが登場し、翌年のボストンは瀬古、バージンに遅れを取り、ロジャースの
時代は終わった。
962アスリート名無しさん:04/04/22 10:12 ID:XWiBrdT/
資料1。ボストンでのロジャースの記録

Year Time Place
1973 DNF
1974 2:19:34 14
1975 2:09:55 1 Course Record, American Record
1976 Ran the Olympic Trials instead
1977 DNF
1978 2:10:13 1
1979 2:09:27 1 Course Record, American Record
1980 2:12:11 1
1981 2:10:34 3
1982 2:12:38 4
1983 2:11:58 10
1986 2:13:36 4
1987 2:18:18 15
1988 2:18:17 28
1990 2:20:46 31
1996 2:53:23 1207
1999 DNF

資料2.NYC marahonの勝利者(77-83):但し距離不足

1976 Bill Rodgers, USA 2:10:10 (2:10:09という説もある)
1977 Bill Rodgers, USA 2:11:28
1978 Bill Rodgers, USA 2:12:12
1979 Bill Rodgers, USA 2:11:42
1980 Alberto Salazar, USA 2:09:41
1981 Alberto Salazar, USA 2:08:13
1982 Alberto Salazar, USA 2:09:29
1983 Rod Dixon, NZ 2:08:59
963アスリート名無しさん:04/04/22 13:57 ID:YnJJbWEb
>>957
瀬古はどうしても国内でのレース(特に福岡国際)の印象が強い為、
マークした選手にピッタリとついていき、最後の最後で武器のスプリント
で勝っているように思われがち。(卑怯だとかセコいとかいわれることも
あるが、、)
しかし海外で勝利したもの(ボストン2回、シカゴ、ロンドン)は
終盤でスパートをかけ逃げ切ったものばかりである。
その為、この4回のレース、上がりの2.195kmは全部7分以上かかっている。
けして楽なレース運びにはなっていない。
逆に国内で優勝したレースは88年のびわ湖マラソンの2.195km(7.56)
というものを除けば7分以内でのゴールとなっている。
ここが、瀬古のレースの印象として固定してしまったのかもしれない。
前半からの独り旅以外は瀬古もいろいろなレース展開を実行しているわけだ。
964アスリート名無しさん:04/04/22 15:57 ID:UG8wry+p
>>961,>>960 幾つか注釈。

まず1976年のNYCではショーターがエントリーしていたので絶対の優勝候補だったが
5分近く遅れて2位。

ロジャースのTFNのランキングは75年から1-6-1-2-1-*-7のシリーズ。80年は
ランキング外。

バージンは1981年のボストンで瀬古に続いて2位になったことで記憶されている
場合が多いが、史上2人目の27'30"を切った選手として記憶されるべきである。
実際79-80の2年に渡って10000ではTFNランキング2位をキープしている。

78年のランキングトップは帽子を目深にかぶったモイセーエフ。欧州選手権の勝利
と福岡でロジャースに先着したことが評価された。瀬古は3位、喜多が4位、
大記録を作った宗茂は別大が全く評価されず5位。

バルチャは1983の東京で瀬古の快走を演出したことで記憶されている。79年は
モントリオールの快走で5位、83年は6位。
965アスリート名無しさん:04/04/22 21:19 ID:5erR0tlp
>>963

1988年 びわ湖毎日マラソン 瀬古選手のラップ

5km 15:07
10km 30:18(15:11)
15km 45:15(14:57)
20km 1:00:25(15:10)
25km 1:15:57(15:32)
30km 1:31:44(15:47)
35km 1:47:44(16:00)
40km 2.04・55(17:01)
2.195km (7:56)
2時間12分41秒 (ソウルオリンピック代表権獲得)
966アスリート名無しさん:04/04/22 21:51 ID:q8JsUbjO
福岡が国際マラソンと銘打ってから最初の4回は旧大英帝国に属した国々によって
構成される英連邦の選手が優勝して、そのレベルの高さを示していた。第4回大会
で惜しくも2位に終わったが、翌70年には歴代2位を2回出して歴代パフォーマンス
の2位、4位を占めて第5回大会に参加した選手がロン・ヒル(英)であった。
ロン・ヒルのTFNランキングの推移は69年から2-1-5-7-8-*-6という履歴を辿って
いるが1938年生まれであることを考えると最後にランクインした75年は37歳あたり
であり、長く活躍した選手と言える。単にデビューが遅かった選手ではなく
東京オリンピックでも何れも20位台の不本意な成績に終わったとは言え、マラソン
と10000に出場しており、メキシコでの10000の7位を経てミュンヘンのマラソンでよう
やく6位に入っている。またヒルは6マイルや15000m等の特殊種目の世界記録を持って
いたことのあるユニークな選手でもあった。GoogleでRon Hillを検索するとその名前
をブランドにしたスポーツ用品メーカーを経営していることも分かる。また今も走って
おり27ヶ国のマラソンに参加した世界記録保持者でもある。
967アスリート名無しさん:04/04/22 21:52 ID:q8JsUbjO
ヒルの持ちタイムからするとオリンピックの成績は物足りないが、クレイトンとは異な
り大試合で全く駄目だった訳ではない。1969年の欧州選手権で優勝し、71年には3位に
入っていることはヨーロッパの選手にとっての勲章である。また何より彼の名前を不朽
なものにしているのが史上2人目のサブ10であった1970のエディンバラにおける英連邦
大会での快走である。上述のように世界選手権の位置づけをもった福岡で4人連続して
英連邦の選手が優勝しているだけにクレイトンを初め誰が一番強いのかを決める本当の
意味での世界大会であった。結果はトラック走法そのままに最初の10キロを29'42"と
いう当時では考えられないハイペースで飛ばしたヒルがそのままペースを落とさず、
同じ年のボストンで記録した2時間10分30秒の記録を更に更新して2時間09分28秒の記録
で圧勝した。その結果、ミュンヘンではクレイトンと並んで優勝候補の筆頭と目された
が結果として6位に終わっている。

イギリスの選手はピータース、ヒートレー、ヒル、トンプソン、S. ジョーンズと世界
一の実力を持つと見なされた選手を輩出しながらわずかにヒートレーが東京で銀を取った
のみ。オリンピックではなかなか結果を出せない。特にトンプソンやS.ジョーンズは
出場すらできていない。さて女子のラドクリフも先輩の撤を踏むのであろうか。
968アスリート名無しさん:04/04/22 23:40 ID:q8JsUbjO
福岡を3回勝ったドレイトンもTFN累計ランキングベスト10に入るに相応しい名選手
だった。ドレイトンは1968年には走り始め、その年に早くもナショナルレコードを
破り急遽カナダのオリンピック代表に選ばれている(本番は棄権)。翌年10月に
デトロイトで歴代5位タイの2時間12分ちょうどで走り、2月後の福岡に参加している。
ドレイトンはこの記録をもってしても招待されなかったことで期するものがあったが
実際には記録を出すのが遅すぎたのであろう。

1969年の福岡の主な招待選手はマモ・ウォルデ、ヒル、ボストンを大会新で勝ったウネ谷
等であった。しのつく雨の中、有力選手が牽制をしていたが、委細構わずドレイトンは
先頭に出て、5キロで4秒、10キロで21秒のリードを後続集団につけた。そのまま独走を
続け差をどんどん広げる。30キロでは谷村が集団を抜け出し35キロでは集団より15秒前に
来たがドレイトンとの差は50秒。35キロからヒルが集団を抜け出してスパートしたが
既に時は遅く40キロで59秒差。ゴールでは42秒差に詰めるのが精一杯であった。しかし
既に述べた通り世界記録を作ったクレイトンをさしおいてドレイトンとヒルがTFNランキング
の1位と2位を占めた。
969アスリート名無しさん
ドレイトンのスプリットは5Km 15:11、10Km 30:42 (15:31)、 15Km 46:12 (15:30)、
20Km 1:01:45 (15:33)、 Half 1:05:08、 25Km 1:17:00 (15:15)、30Km 1:32:29 (15:29)、
35Km 1:48:03 (15:31)、 40Km 2:04:02 (15:59)、 42.195Km 2:11:12.8 (7:10.8)
=当時歴代3位。

であった。しかし翌年から故障に苦しみヒルが歴代2位を連発して勝ったボストンと
英連邦を棄権し、ミュンヘン五輪には代表からも漏れた。その後も苦しみ続けた
彼が復活したのは75年の福岡であった。今度は独走した69年とは異なり終盤に新鋭
チェトルの独走を許し、これまでかと思われた中での逆転劇を歴代5位の好記録で飾った。
しかし前回同様雨模様であり「雨のドレイトン」の異名を取った。

地元のオリンピックでは下馬評ではロジャース同様、ショーターに続くメダル候補と
期待されており、テレビ局も彼を大きく映していた。チェルピンスキーが独走になっても
ショーターではなく先に遅れた彼を大きく映していたのが印象深い。オリンピックは
結局6位に終わって不完全燃焼だったが年の暮れの福岡ではオリンピックに参加できな
かった歴代2位の記録を持ったトンプソンやオリンピックチャンピオンのチェルピンスキー
を一蹴し、溜飲を下げた。また翌年のボストンにも勝ち、高い評価を受けた。