世界水泳バルセロナ

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188アスリート名無しさん
 また,和夫は近くに行き場のない孤児がいると,連れ帰って面倒を見ていたが,その数は,一人,二人と増え,
四,五年たつといつのまにか私設孤児院規模にまで増えてしまった。

けれども,和夫夫婦はこれら孤児たちを家族のように愛し,自ら喜んで彼らの父,母を称した。
和夫の家族は,ふだん,このように朝鮮人を愛し,日本軍国主義の簒奪に憤慨するような人々だった。

しかし,彼らは,日本の天皇が降伏宣言をした1945年8月15日,自分たちが育てた朝鮮人孤児たちにより,凄惨に殺害されたのだ。

 その日,まさに万歳の声とともに,太極旗が波のように風になびきつつ,朝鮮人の世がやって来た。
神は,自分が受けるべき朝鮮人の愛を横取りしたと,和夫君に嫉妬したのか? 

彼がわが子のように育て,東京帝国大学に留学までさせたAの主導下に,彼の家で教育を受け,育ち,成人した青年たちが,
斧と鍬,スコップを手に,和夫のもとに押しかけた。そのとき現場にいた金ソンス君は,次のように証言している。

和夫:(穏やかな目で)なんでこんなことを,子どもたちよ。

A:チョッパリ! 日本へ失せろ,失せちまえ。