【絵美】懐かしのフィギュアスケーターPart3【稔】

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朝日新聞1994年6月16日夕刊

ことば抄

フィギュアスケート選手 クリスティ・ヤマグチさん

 私は典型的なアメリカ人として育ちましたが、日系四世として、苦労を重ねた祖先に感謝しています。
 両親からは常に、人に対する思いやりの大切さを教えられてきました。それは日本的な文化にねざした気持ちだと思います。
 子どものころ友達の家に遊びに行く時、必ずお土産を持っていきました。私には自然な行動だったのですが、その家の方は必ず驚いていました。このように日本と米国の二つの文化の、よい部分を享受しながら育ったことを誇りに思っております。
 私がスケートを始めたのは六歳の時。スケートは自分を表現する一つの方法を与えてくれました。
 でも成功するのはたやすいことではなかった。スケートを始めたころに出た競技会では、緊張して転んだり、ステップを忘れて十三人中十二位でした。母は「やめてもいいのよ」と言ってくれましたが、私は「スケートが大好きなの」と答えました。
 五輪での目標は自分のベストを尽くすということだけではなく、五輪を十分に体験してくることでした。ですから、たとえ金メダルを勝ち取らなくても、ほかの人には得られない経験ができると思っていました。
 今回の来日はすばらしい体験になりました。今まで本で読んだり、伝え聞いていた日本の豊かな文化的遺産をじかに目で見、触れることができたからです。
 和歌山に行き、親類に会うこともできました。通訳を介しての会話でしたが、そこには言葉以上に心で分かり合える何かがあったのです。祖先の国に対し新しい誇りを持って帰ります。
 私がいつもいう「夢を持ち続けてくださ」という言葉で、お話を終わらせていただきます。


○1992年のアルベールビル冬季五輪のフィギュアスケート女子シングルで優勝したクリスティ・ヤマグチさん(22)が親善使節として来日。四日、東京のテンプル大学JAPANで講演した。