354 :
ワールドカップ難民さん:
16 名前:名無しさん 投稿日:02/06/22 21:18
エルトゥールル号の遭難
次のような後日物語がある。 イラン・イラク戦争の最中、1985年3月17日
の出来事である。イラクのサダム・フセインが、 「今から48時間後に、イランの
上空を飛ぶすべての飛行機を撃ち落とす」と、無茶苦茶なことを世界に向けて
発信した。日本からは企業の人たちやその家族が、イランに住んでいた。その
日本人たちは、あわててテヘラン空港に向かった。しかし、どの飛行機も満席
で乗ることができなかった。
355 :
ワールドカップ難民さん:02/06/22 23:34
>>347 素晴らしい国家だ・・・
なんて義理人情に厚い人たちなんだろう・・・
356 :
ワールドカップ難民さん:02/06/22 23:34
世界各国は自国の救援機を出して、救出していた。
日本政府は素早い決定ができなかった。空港にいた日本人はパニック状態に
なっていた。
そこに、二機の飛行機が到着した。トルコ航空の飛行機であった。日本人
215名全員を乗せて、成田に向けて飛び立った。タイムリミットの1時間15分
前であった。
なぜ、トルコ航空機が来てくれたのか、日本政府もマスコミも知らなかった。
前・駐日トルコ大使、ネジアティ・ウトカン氏は次のように語られた。