H-IIA/Bロケット総合スレ part 四十七

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631NASAしさん
糸川博士が晩年のインタビューで日本の宇宙開発を危惧していたけど、1980-90年頃の
日本の宇宙開発はかなり誇大妄想になっていたんだな。

世界第二の経済大国になったのに、平和憲法で軍事力の使用を禁じられた国だから、
宇宙開発こそが国威掲揚の場であるという考え方も少なからず有った。

アメリカが火星有人探査をやるなら、日本は国力的に月探査で行こうとか、
シャトルが毎週打ち上げられるなら、国力的にも日本はH-IIを年20-30機は
打ち上げて当然だろう……とか、目的と手段が逆転していた。

その後に日本はH-IIの連続失敗や、地球観測衛星の連続喪失で、多少は冷静になり、
90年代後半には、宇宙開発の総点検が始まる。それが実り、安定した成果が出るようになった。

冷静になったからこそ、「かぐや」が成功し、「いぶき」では国際社会で主導的な立場を確保し、
「ひので」は送信機が故障しても代替通信機で太陽観測が続けられ、「はやぶさ」も奇跡的に生きている。
それでも、「きく8号」や「すざく」のようにポカミスから回復不可能な機能障害を抱えてしまった衛星は出るけどね。

メタン推進系も、毎月LRB付きのH-IIでHOPEを打ち上げるという未来予想図の中で出てきた物。
LRBを両側に2基付けたHOPE打ち上げ用のH-IIはLE-7を5基使うことになる。
メタンブースターを開発すれば、LE-7・1基とメタンエンジン2基で済む。

まして、日本は世界のLNGの大半を消費している国(当時は8割以上を消費していた)
LNG強国(笑)の威信に賭けて、大出力メタン推進系を開発しよう。という流れだった。
いわば熱狂時代の徒花。LE-8で幕引きしても宜しかろう。
632NASAしさん:2010/04/15(木) 05:02:51
>>631
この記事のことですね。
1995年1月号とあるから、糸川氏とのインタビューが行われたのは1994年だね。
ちょうどH-2ロケットが初めて打ち上がった年だ。

糸川氏はH2ロケットの失敗に触れているから2号機のことだね。
2号機はSRBに点火せず、地上に居座ったままメインエンジンを噴射。
2号機は後日打ち上がったものの、衛星のアポジエンジンの不調で静止軌道投入失敗。

http://www.geocities.co.jp/Technopolis/4025/Itokawa.html

ざっと全文を読んだけど、今から16年も前にこれだけの文を書くというのは、天才としか言いようがない。
いま深刻な問題になっている環境、二酸化炭素問題のことも憂慮している。
どれだけ糸川先生が偉大な人かってことがわるね。まさに神だよ。
633NASAしさん:2010/04/15(木) 05:52:40
>糸川氏はH2ロケットの失敗に触れているから2号機のことだね。

なつかしい〜。94年8月の夏休みだった。課外の合間に学校のテレビで視てたよ。
いくらたっても離陸しないH-2ロケットを視て、「だらしねーな」ってうちの顧問の先生が笑ってた。
糸川英夫さんはこれを視てあきれ果てたんだろう。


H-2ロケット試験機2号機の打上げ失敗の動画。

http://www.youtube.com/watch?v=JhcOWQYuv0I