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JAL123便/あれから19年/墜落の真実/完結編8
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なおみちゃん
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2005/03/31(木) 21:24:04
やはり日航の労組には極左が・・・
グリコ森永事件は、公安と関西の極左が親しくするためにアメリカの陰謀で仕組まれたとしたら、
1985年8月12日早朝、伊丹でグリ森と繋がる極左日航整備員が、荷物室の最後尾に、油圧と尾翼が落ちるようにうまく爆弾を仕掛け、
午後6時過ぎに、ハウス社長と坂本九が乗ったことを相模湾上で待機している自衛隊や米軍に通報し、
レーダー反応させて爆破させ、横田誘導に見せかけて山に落とし、一晩置いた可能性も十分あり得ます。
グリ森犯を自ら否定しない宮崎学を師と仰ぐ辻元シンパが主催する空港反対見学会で、伊丹の騒音対策されない朝鮮人集落(ベトナム戦争時に米兵検死で儲けた)へ行ったこともあります。
墜落罪の時効が15年なのが残念!!!法律に詳しい方、良い方法知りませんか?
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=TR&action=m&board=2000111&tid=a4a2a4oa4dbgbb4bbva1aaffc9r44ita4acbbvbcba4r1a3jc&sid=2000111&mid=101