http://www.omanko.ne.jp/~xyz/hoby/es/es/temple.htm 坊主丸儲け 宗教儀式を考える 04、03、02
戒名にも疑問がある。
無知で自分の名前さえ書けなかった封建時代に坊主が戒名を授けたのは意味があるかも知れない。
しかし、戒名を自身が決めてどこが悪い。
第一、戒名なるものが必要なのだろうか?
院号などは数百万円のお布施が必要らしい。無駄の典型だ。
檀家にしか生前戒名は授けないと聞いたがこれも疑問だ。
そもそも坊主は個人のどこまでを把握しているか?
各人の内容は本人や家族・周辺が一番よく知っていることで、封建時代に坊主が地域の内情を知り尽くしていた頃とは訳が違う。
坊主が戒名を「授ける」ほどの教養を持ち合わせているかどうかさえ怪しいもんだ。
宗派によって戒名には使用しない文字があると言う。
何だって良いじゃないか。
卒塔婆の梵字だって異様なだけで、何の功徳ももたらさない。
真言宗だけが戒律が厳しいのであれば宗旨替えしよう。
仏教が厳しいのであれば他の宗教でも無宗教でも構わない。
坊主の証明が無ければ火葬が出来ないという事もあるまい。
医師の死亡診断書で役所は受理しているはずだ。
一人だけ周囲と違う事を行うのは勇気のいる事だが、「忘れていた」と言う詭弁も成立しそうな気がする。
今日の坊主横暴には疑問がある。
「仕事」をして権力から特権を与えられた時代と違う事を認識すべきだ。
だからどうしたって、感じ