そうじが持つ力について 9

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529(名前は掃除されました)
もともと家事が得意じゃなく、子供の頃から部屋はグチャグチャだった。
そんな私でも結婚してくれる人がいて、子供まで出来た。主人は優しくて、汚部屋に帰ってきても、「今日も育児ご苦労さん」と言って褒めてくれた。

そんな優しかった主人が死んだ。
突然だったので、それを受け止められず、私は廃人のようになった。子供の面倒はほとんど母がみてた。
何もかもやる気になれず、と言うか、掃除をするのが嫌だった。だって、主人の髪の毛一本さえ捨てたくなかったから。

リビングはゴミの山。虫が飛んでようがお構いなし。毎日死ぬことばかり考えていた。

いつも主人の部屋に入って、主人の匂いを嗅いで、面影を必死で探して泣いていた。
毎日が地獄だった。
530(名前は掃除されました):2010/10/18(月) 17:52:32 ID:jaKc27YK
長くてごめんなさい。
続きます。

そんな生活が半年くらい続いたある日、
ふと気付いた。
主人が死んで半年以上経つのに、この悲しみは、あの時のまま。悲しみは時が癒すと言うのは嘘だっのか?私はこの悲しみが癒える事なくこのままあと何十年か生きなくてはならないのか?と。

気がつくと私はゴミ袋片手にあらゆる物を捨てていた。死ぬ気だったのかもしれない。よく覚えてないけど無我夢中で掃除をしていた。
賞味期限が一年ほど昔に切れた食べ物の日付をみて、「この時はまた主人はげんきだった」とか、当時の私にとって家中の物全てが主人とリンクしていたので、声を上げて泣きながら捨てていた。

最後に主人の部屋を掃除した。
そこはさすがにキツかった。袋に入れた物を、もう一度出す。何度も何度もそんな事を繰り返しながら、掃除した。
主人の遺品は最後に来ていた服上下だけ。
主人の生きていた証としてこれだけは残して置いた。

最後に掃除機をかけて、窓を開けた。
半年以上開けていなかった窓を久しぶりに開けたら、キンモクセイのいい匂いがした。
私はまた泣いていた。だけど、それは悲しくてではなくて、懐かしくて。
やっと、思い出になった気がした。
私は生きていけると確信した。

これは去年の話。今年もキンモクセイの季節が来たから、ふと思いだして、書き込ませていただきました。