938 :
Z:2006/04/22(土) 00:38:48
ヤスパースはヴェーバーを実存的人間として捉えている。
939 :
Z:2006/04/22(土) 21:05:00
ハイデッガーはIn der Wert-sein(世界内存在)をいう。
ハイデッガーは、「人間は、この世界内存在から逃れられない」という。
宮台真司は、「終わりなき日常を生きろ」という。
どういう事かというと、「今の現実の世界では、何が真実で何が偽物か、
判らない…」のであると。
そのような世界=日常を、生きざるを得ない、という意味である。
それを、敢えて‘受け入れる’のがニヒリズムである。
それは、J.P.サルトルの実存主義に通じる。
940 :
平和市民:2006/04/22(土) 22:01:34
すみません、この人の
「政治はその国の民度云々」という発言があるそうですが、
出典を教えて頂けませんでしょうか?
942 :
あきら:2006/04/24(月) 19:00:09
中葉さん。ご苦労様でした。頑張りましょう。宗教は実践ですかね。
943 :
名無しさん@社会人:2006/04/29(土) 21:09:54
宗教は信だろうと思います。
945 :
あきら:2006/05/02(火) 10:32:48 BE:325001164-
失礼しました。
946 :
名無しさん@社会人:2006/05/04(木) 22:42:05
柄谷もウェーバーを引用してたな。
マックス・ウェーバーの劣化コピー=大塚久雄
大塚久雄の劣化コピー=小室直樹
小室直樹の劣化コピー=副島隆彦
しかし後ろの方に行くと、単なる劣化コピーではなくて
何か変なモノが混じってきているようなw
948 :
Z:2006/05/06(土) 15:31:04
最近、柄谷は「オカネと商品」の循環(Kマルクス)と、
「略奪と物質」の循環を、同列に置こうとしているのではないか?
イスラムにおける略奪(中世:中央アジアにおける)は、循環的略奪
ではある。それは、徹底的な略奪ではない。いわば、‘摘み草’であろう。
中高年の登山者が山で山菜を取るのは、根っこから採ってしまうので、翌年
から再生しない。ところが中高年登山者は、それを自慢たらしく言いふらす。
柄谷の‘略奪論’は、イスラム的であろう。
それにしてもイスラムには、ローマ法の理念が欠けている。
柄谷は、それを知っているのだろうか?
949 :
Z:2006/05/06(土) 17:57:11
↑上記で、「登山者が」とあるが、「登山者の中には」と訂正。 スマン
マックス・ウェーバーがいるのならミニマム・ウェーバーもいるのではないか?
951 :
Z:2006/05/07(日) 11:46:17
アホか! わが国で言えば、
織部 大 という姓名は有っても、 織部 小 というのは無い。
952 :
名無しさん@社会人:2006/05/08(月) 22:03:28
なんで?
953 :
名無しさん@社会人:2006/05/09(火) 15:03:07
>>947 それ大塚が喜んで受け入れそうなレッテルww
死者を誉めるなよ(当時は)
954 :
名無しさん@社会人:2006/05/14(日) 02:42:50
昔、折原先生による「プロ倫」の講義、聞いたなあ。
ろくに理解できなかったのにAを貰ったのは、
退官前の最後の年度の講義だったからかなw
955 :
名無しさん@社会人:2006/05/16(火) 20:54:29
>>947 昔は自称デュルケム自称ストロースとかたくさんいたもんだよ。
今の若いヤツの教養とは比較にならんかったというのもあるが
だから?
957 :
名無しさん@社会人:2006/05/20(土) 15:51:06
947のネタは60年代ネタだということ。つまり947は高齢者
947が高齢者かどうかはわからないが、
>957が高齢者であることはたしかみたいだ。
でも50年代生まれの副島が登場するネタが
何で60年代ネタなんだろう。
私も相当な高齢者だが、私より上なんだろうか?
>小室直樹の劣化コピー=副島隆彦
これって副島が自分でネタにしてるの?
961 :
Z:2006/05/30(火) 21:05:56
今、60〜70台のヴェーバリアンは、ほとんどといってよいぐらい青山秀夫著
『マックス・ウェーバー』(岩波新書=青版)からだろう。1950年代である。
その頃、カール・レヴィッド著『ウェーバーとマルクス』が一世を風靡した。
(人間の自己疎外Vs合理化・市民的資本主義)
30年ほど前からわが国で、「ニーチェVsヴェーバー」が言われだした。
その代表が山之内 靖(『マックス・ヴェーバー入門』岩波新書=赤版)である。
(戦士集団Vs祭司集団)
昨年、雑誌『未来』(未来社PR誌)で、「ヴェーバーVsハイデッガー」が言われ始めた。
ここに、感極まれりである。
(勿論、ヴェーバーはハイデッガーを知らない)
「カルヴァンの予定説」が理解できなければ(その賛否にかかわらず)、『プロ倫』を
読んでも無意味。 その糸口がハイデッガーであるから。
962 :
Z:2006/05/30(火) 21:10:00
ハイデッガーの“In Der Welt Sein(世界内存在)”
963 :
Z:2006/06/01(木) 21:17:53
岩波のPR誌『図書』6月号に徳永恂 氏が書いています。
第一次大戦終結後、ヴェーバーは八面六臂の活躍でした。死期を前にして、
全著作の大改定は不可能でした。 彼は、
「小さな物語」の改定はしたものの、 「大きな物語」の大改定は出来なかった。
それをするのは、後に続く読者〜ヴェーバリアンの任務である…と。
最早、解釈学の時代でなく、自己の責任において、ヴェーバーの‘再構築’を
すべき。
964 :
Z:2006/06/01(木) 21:35:33
ここでいう「小さな物語」・「大きな物語」とは、
「小さな物語」=近代資本主義成立の経済史
「大きな物語」=普遍史〜シュペングラーの『西洋の没落』のような
(ヴェーバーは、シュペングラーに反対だったからこそ、普遍史を求めた)
965 :
名無しさん@社会人:2006/06/04(日) 20:56:52
ハイデッガーはどこでカルヴァンについて言及してるの?
まさか初期とかじゃないよね
966 :
Z:2006/06/05(月) 00:53:04
ハイデッガーはカソリックだから、カルヴァンにつてはノー・タッチです。
株でマネーゲームしてるようなのは、労働自体が救済と考えてる
プロテスタントたちから見てどうなんだろう?
968 :
名無しさん@社会人:2006/06/06(火) 18:29:38
>>967 たぶん映画『ウォール街』がそのヒントになりそう
969 :
Z:2006/06/09(金) 22:30:09
Mヴェーバーは第一次大戦中、ヴィルヘルム二世を攻撃したが、
最終的は「立憲君主制度」に賛成であった。
それについて、詳細な論考は残していない。 無理もないことだと思う。
971 :
名無しさん@社会人:2006/06/17(土) 04:34:03
972 :
Z:2006/06/17(土) 21:59:20
973 :
名無しさん@社会人:2006/06/19(月) 12:21:16
ハイデガーがカルヴァンについてノータッチであるからこそ
「カルヴァンの予定説」の糸口はハイデガーにある
ってこと?
974 :
Z:2006/06/19(月) 23:04:15
ハイデガーは、カルヴァンについてノータッチである “け れ ど も、”
「カルヴァンの予定説」の“解明”の糸口は、
ハイデガーの“哲学=実存主義・ニヒリズム”にある…
と、いう事です。
975 :
名無しさん@社会人:2006/06/21(水) 00:41:08
一応わかりました。納得はできないけれども・・
976 :
名無しさん@社会人:2006/07/07(金) 14:43:32
はい
977 :
名無しさん@社会人:2006/07/17(月) 15:04:07
お尋ねしたいんですが。
マックスウェーバーの近代化論、資本主義成立論について説明をしていただけませんか?
978 :
Z:2006/07/18(火) 22:11:20
Mヴェーバーの最終最大のテーマは、なぜ資本主義が西ヨーロッパ(Occident)で生まれたか?!
であった。“自由な労働の、合理的な組織をともなった市民的経営産業資本主義”(Vorbemerkung)
[Mヴェーバー『宗教社会学論選』大塚・生松訳の中の‘序言’]
しかし、ヴェーバーは、どう〜こうして近代資本主義が生まれてか、については言っていない。
当然の事だ。そんなものいえるはずがない。(彼はゾムバルトの様に、経済史家ではない)
そこで大塚久雄氏はマルクスの『資本論』を基盤にして、資本主義発生論を展開した為、「生産のみが価値を生む」という事に
コダワリ過ぎた。
今では生産・流通・金融の境界はなくなった。情報やコンピュータはどこに属するのか?
‘生産価値論’は崩壊した。“創造〜ポイエーシス”はどこに属するのか?
〜生産・流通・金融(それに情報)の全てに属する。
資本主義はプロテスタンティズムより古い。(近代)資本主義の精神はプロテスタンティズム
の倫理から生まれたのではない。ただ、類似関係があると云うこと。
『プロ倫』を読めば、次はゾムバルトの『ブルジョア』(中央公論社刊)を読め。
979 :
Z:2006/07/18(火) 22:23:30
↑つづき
まして、マルクスは経済史家〜学者ではない。
マルクスは史的唯物論(唯物弁証法)で全てが解決できると思っていた。
彼のエピゴーネンは、現実を史的唯物論をはめ込んだ。
即ち、足に靴を合わせるのでなく、「靴に足を合わせた」。
ギリシャ神話にある、人にベッドを合わせるのでなく、ベッドに人を合わせる・・・
980 :
Z:2006/07/20(木) 00:58:09
キンドルバーガー『経済大国興亡史』上下2巻岩波書店2002年刊が参考になる。
981 :
名無しさん@社会人:2006/07/20(木) 14:09:26
日本の公務員制度とウェーバーの官僚制論ってどう関係してるんだ?
>(近代)資本主義の精神はプロテスタンティズム
の倫理から生まれたのではない。
へー。そうなんだ
983 :
名無しさん@社会人:2006/07/20(木) 16:16:26
デュルケームの方が偉大だ!
984 :
Z:2006/07/20(木) 21:27:31
>>982
影響は受けたとしても、生まれたのではない。
マルクスは資本家的生産(Kapitalistsche Prodaction)にとっては、
プロテスタントが最も適していると言っている。
985 :
名無しさん@社会人:2006/07/20(木) 21:37:08
もう>>999が近づいた
だれか新スレを!
どう〜こうして近代資本主義が生まれてか、については
まだ誰も解明してないということかな
987 :
Z:
ここでの「生まれえる」というコトバの意味は、
胎児を孕んだ女性が、臨月で赤子を出産すると云うのと
全く違う。
誤解しないように。
近代資本主義の「近代」というコトバは日本独特のもの。
“封建制から(近代)資本制へ”なんて、欧米では言わない。
日本人は「近代」というコトバに捕らわれ過ぎ。近代が好きなんだなァ。
日本も、もうそんな時代ではない筈だがなァ。
(ヴェーバーのいう「近代的(Moderne)」とは別。