レズビアン・スタディーズに関心があるのですが誰か興味を持っている人は
いませんか? フェミニズムには飽き足らなくなってきました。
おばさまは関心はないのでしょうか?
>929
すみません、私は強い男が好きなんです。
私はセクシュアリティーとは何かを訊いているのですが・・・
強い男が好きかどうかは関係ないと思います。
フェミニズムで「ジェンダー」を問題にするとき、「セキュシュアリティー」のことは
無視されているような気がします。
もう横文字を日本に入れてくるのやめてほしい。
いくらグローバル化でも他国の概念をそのまま持って来てどうするのよ?
社会学的にもっと日本的な別の言い方考えてくれ。
933 :
社会学的おばさん:04/01/27 18:48
>932
社会学的国粋主義というのは危険ですね。
というか矛盾していませんか?
そもそも「社会学」というのは欧米起源の学問ですよ。
「日本的な言い方」を求めるというのは民俗学の流儀ではないのですか?
確かに、民俗学には強さもありますが、弱さもあることを認識すべきでしょう。
逆の意味で、社会学には弱さがあるでしょうが、
「外の思考」を可能にしてくれるものでもあるのではないでしょうか?
934 :
おっちゃん:04/02/03 13:55
>929
亘先生が会長をされている日本解放社会学会の学会誌「解放社会学研究」
のNo17(2003年)は「特集 レズビアン/ゲイ・スタディーズ」と
なっていますよ。参考までに。
今年の解放社会学会はどこであるのですか?
確か、この学会は3月に大会があるのが通例でしたね。
936 :
おっちゃん:04/02/15 01:06
>935
大阪市大梅田サテライトで3月26日(金)の13時から
27日(土)15時30分まであります。レズビアン・
スタディーズの報告はないようですけど・・・。都合が
つけば参加されたらいかがでしょう。温かい学会です。
都合がついたら出席したいですね。
会長の亘先生にもお目にかかってみたいですし。
ほかにどんな人が参加されるのでしょうか?
「おっちゃん」さんは学会の情報をよくご存知ですが
会員ですか? 今度の学会には出席されるのですか?
938 :
おっちゃん:04/02/18 06:55
>937
亘先生は温厚な人柄でふだんは寡黙ですが、いざというときはさすがに
シャープです。ぜひ、一度、お会いして話してみてください。
参加者は初日の人は知らないのですが、2日目のシンポジウムでは
佐藤裕(富山大学)、福岡安則(埼玉大学)、大庭宣尊(広島修道大学)、
江嶋修作(解放社会学研究所)等の先生方が報告されるようですよ。
ちなみに私は会員ではありませんが、解放社会学会には1度参加した
ことがあります。非会員でも参加OKですよ。本当に温かい学会です。
私が参加したときはゲイ・スタディーズの風間孝さんや河口和也さんが
報告されたのが印象的でした。
私は今回の学会への参加は微妙なところですが「おばさん」は時間の
都合がつけばぜひ、参加されてはいかがですか?きっといい情報とめぐり
あえますよ。
939 :
2.21を忘れるな!:04/02/21 16:53
2.21という日付が広島修道大学において持っている意味はとてつもなく大きい。
大学役職選挙の日に、被差別部落出身の職員を暴く差別怪文書がばらまかれ、それを
利用して、差別問題に取り組んできた旧執行部を蹴落とし、新執行部が成立した。
そう!1990年2月21日のことだ。その新執行部が学内の差別容認の雰囲気を
利用し、5人の社会学教員を解雇に追い込んだのだ。その火付け役となったのが
2.21差別怪文書である。それに係った犯人グループは現在も学内にぬくぬくと
居座って、甘い汁を吸っている。修道大の差別体質はまったく変わっていない。
もちろん、この事件を知らない学生、教職員も多くなった。だからこそ、原点である
この2.21差別怪文書事件を決して忘れてはならないのだ!
940 :
クイア・ガール:04/03/14 07:08
>>929 >>937 河口先生の『クイア・スタディーズ』は読まれましたか?
レズビアン・スタディーズとの出会いは
「おばさん」のようにフェミニズムに飽き足らなくなって
という場合と、セクシュアリティを通してという場合の
2通りあるような気がします。
ジェンダーという軸とセクシュアリティという軸の2つを
設ければ、ヘテロセクシュアルな男とレズビアンの人とは
対極に位置することになりますね。
支配的な文化がヘテロで男優位にあるとすれば
レズビアンに到達するには
まずジェンダー=女で次にセクシュアリティを選択する場合と
セクシュアリティで同性愛を選択して
次にジェンダー=女でレズビアンに到達する場合とがあるわけです。
河口さんの本でも2通り書いてあると思いますが
最近のクイア・スタディーズは後者になってきているように感じています。
今度の解放社会学会には河口先生もいらっしゃるはずですよ。
941 :
おっちゃん:04/03/16 00:23
>937
「おばさん」へ
お元気ですか?私はかなり回復してきました。
今年度の解放社会学会へは26日の懇親会までには行くことにしました。
スポーツ刈りで一目で私とわかる格好で伺います。学者っぽくない人物を
見かけたらそれが私ですから、声をかけてください。
お会いできることを楽しみにしております。
>940
ジェンダーというのは生物学的ではなく、社会的な性のことだと思うの
ですが、セクシュアリティーというのは何なのですか?ヘテロ−ホモって
ことなんですか?性に疎い私のために解説をよろしくお願いします。
>940
河口さんの『クイア・スタディーズ』は読みましたよ。
レズビアン&ゲイ・スタディーズの流れを整理するうえで
たいへん有益でした。
クイア・ガールさんはまだお若い方のようにお見受けします。
私にとってレズビアンの問題はジェンダー軸とセクシュアリティー軸との
交差に位置づけられるのではなく、差異を身体に刻み込む体験としてあります。
ホモ・フォビアというのは暴力と同質のものだと思っています。
>941
懇親会は学会員ではなくても参加できるのですか?
26日の夜のようですが、金曜日の夜なので行けないかもしれません。
27日のシンポジウムには行きたいですね。
京都に住んでますので、大阪で学会があるのはチャンスですから。
943 :
おっちゃん:04/03/19 08:09
>942
懇親会は学会員ではなくても参加できます。
学会参加費が非会員は2000円です。
27日にお会いできることを楽しみにしています。
>943
ごめんなさい。先週末は風邪で寝込んで解放社会学会に出席できませんでした。
「おっちゃん」さんは参加されたのですか? いかがでしたか?
来年はどこであるのですか?
945 :
おっちゃん:04/03/29 19:20
>944
「おばさん」に会えると思って楽しみにしていたのですが、お会いできず、
残念でした。懇親会の時、河口さんと風間さんに会って、セクシュアリティとジェンダー
の違いについて聞いてきました。素人丸出しですね。
学会は2日目の午後の議論、特に江嶋さんは刺激的でしたよ。FWというか
現場に溶け込みつつ戦っているって感じでした。
来年の学会は京都か滋賀のようです。
ぜひ、参加してください。
私は近い内に学会に入会し、来年は発表するつもりです。
セクポン(セクシャル・ウエポン)は、出し抜かれた男性に対するセクハラだ。
その出し抜かれた男性(もしくは女性)が、同等の能力持っていた場合。
セクポンを摘発せずに、セクハラだけをとりあげるのは、
売春を摘発せず、買春だけを摘発してたのと同じ愚行だ。
サックス・ミュージシャンのコー・セクポンですが、私のことで何か・・・?
http://www40.tok2.com/home/kob/rev03/17.htm サックス・ミュージシャンのコー・セクポンのアルバム、ミュージシャンというとテクに走ってそれで終わりかと思いきや、歌もうたってるし曲もいい曲が揃っています。
(4)パーウナー、(8)My dreamが優しくていい曲です。インストゥルメンタルナンバーも洗練されていて(1)からぐんぐんと聞くものを熱くさせます。
民族音楽と前衛ジャズを組み合わせたような(12)The Sound of Siamもかなり趣味的に何でもやっちゃう人で面白かったです。(02年発売)
948 :
社会学青年:04/04/21 13:11
>945
大阪であった先日の解放社会学会の様子についてもう少し教えてください。
注目すべき新人はおりましたか?
亘先生は会長だからいらっしゃったと思いますが、青木先生は参加されなかったのですか?
949 :
おっちゃん:04/04/22 12:08
>948
私は初日の報告が終わる頃、会場に到着したため4人の発表を
直接聞くことはできませんでした。質疑応答の時は激しい質問が
でていましたが、報告自体を聞いていないので「注目すべき新人」
についてはわかりません。
亘先生は来ておられましたが、青木先生はいらっしゃいません
でした。
950 :
社会学青年:04/04/22 21:25
>949
ありがとうございます。
来年の解放社会学会は龍谷大学で開催されると聞きました。
龍谷大学は京都の深草と大宮、滋賀の瀬田の3つのキャンパスがあるのですが
どこで開かれるのですか?社会学部のある瀬田でしょうか?
ところで、青木先生とは面識があるのですが、しばらくお会いしていません。
娘さんがご結婚なさって、おじいちゃんになられるという話を風の便りに聞き
ました。また、学会でお目にかかりたいものです。
951 :
社会学少女:04/04/22 21:58
亘先生の文章って呪術的な力があると思いませんか?
『記号論と社会学』にしろ『身体・メディア・権力』にしろ知的で視覚的な
文章だと言う人もいます(私の院生の友人)。でも、私は変に思われる
かもしれませんが、感覚以前の呪術的文章だと感じています。
確かに、意味としては明晰なのですが、声に出して読んでみると妙に感情が
高ぶってくるのです。そして、いつのまにか呪縛されてしまうんです。
青木先生の文章の方が一見すると呪文のようですが、短い単語やフレーズが
手裏剣のように飛んでくる感じはあるものの、基本的には透明な世界ではない
でしょうか?亘先生は一時裁判の書面をたくさん執筆していらっしゃったそう
ですが、裁判にかかわってそういった書面を読んだことがある人が「亘さんの
文章を声に出して読んでいると、難解な法律用語が使われているにもかかわらず
なぜか気持ちが高ぶってくる。不思議だ」と言っていたそうです。わかるような
気がします。亘先生を現代の呪術師(いい意味で、です。)と言ってはいけない
でしょうか?以前この掲示板で、亘先生のことを天才と言っていた方がいましたが
そういう言い方ではあまりに凡庸すぎると思いましたので、あえて言わせていただき
ました。
952 :
社会学おばさん:04/04/23 06:55
>951
亘先生の奥さんによると、亘先生は深夜12時を過ぎてから
瞑想しながら呪文を唱えるようにして原稿を書くそうですよ
ロートレアモンというフランスの詩人がそんなふうにして
詩を書いたというのを読んで実行しているそうです
953 :
おっちゃん:04/04/23 22:34
>952
「社会学おばさん」はどうしてご存じなのかしら?
奥さんはそんなこと他人におっしゃるとは思えない
のですけども・・・。
954 :
社会学おばさん:04/04/23 23:20
>953
私は「おばさん」様とは別人です。
修大社会学亘ゼミの出身で三木さんにはたいへんお世話になりました。
955 :
声に出して読んでみたい社会学:04/04/24 00:55
>>951 なるほど。「声に出して読んでみたい社会学」というわけですね。
人脈社会学的分析は邪道かもしれませんが、高橋徹→見田宗介→亘明志という
系譜が考えられますね。高橋先生の文章は修飾語の多い華麗な文体ですが
見田先生の場合はその華麗さを受け継ぎながらもイメージと論理が調和した
美しい文章だと思います。上野千鶴子さんだったと思いますが、見田先生の
文章について「言葉の選択の達人」と評していました。見田先生はどんなに
短い文章でも言葉の選択に関しては神経を使っていらっしゃるようです。
おそらく亘先生もそういう流れを受け継いでいるのかもしれません。
見田先生の門下にはおもしろい人が何人かいますが、内田隆三先生の文章も
「声に出して読んでみたい社会学」だと思います。内田先生と亘先生はタイプ
は違うかもしれませんが文章に関しては見田先生からある種のデモーニッシュ
なものを受け継いでいるような気がします。
956 :
おっちゃん:04/04/27 16:45
>951,955
お二人とも鋭い分析ですね。言われてみればそんな気がします。亘先生の
『記号論と社会学』(広島修道大学研究叢書 第35号)の「3.5 外部として
の権力」はまさにデモーニッシュな魅力そのものですね。また、内田先生の
「<構造主義>以後の社会学的課題」(思想 No.676)や「社会学史入門
T」(ソシオロゴス No.3)はまさにデモーニッシュな魅力に溢れた作品ですね。
私は青木先生には「呪術師的な怖さがある」と常々言ってきましたが、
むしろ、亘先生や内田先生にそういう怖さが内在しているのかもしれませんね。
ところで、好井先生についてはどうですか?好井先生のエスノメソドロジー
はいかにも頭が切れるという印象を受けますが・・・。
>953
953の「おっちゃん」は「私=おっちゃん」ではありません。一応、元祖
「おっちゃん」から一言言わせてもらいます。
957 :
社会学少女:04/04/29 06:07
う〜ん!好井先生の文章はなんか冗長な気がするのですが・・・
頭に浮かんだことを次々と言葉にしてしまって言わずもがなのこと
が多いように思います。
屈折がないというか、それだけ文章に対して無防備なのでしょう。
好みの問題もあるとは思いますが。
ただ、好井先生の文章にはある種の教祖的雰囲気を感じます。
確かに、日本のエスノメソドロジストの中では「教祖」なのかも
しれません。
958 :
社会学青年:04/05/03 04:41
エスノメソドロジストといえば山田富秋さんはいかがですか?
959 :
おっちゃん:04/05/10 18:34
>929
「おばさん」へ
日本解放社会学会の学会誌「解放社会学研究 18」が今日、郵送
されました。『特集 レズビアン・スタディーズの現在』となって
います。読まれてみてはいかがですか?
960 :
名無しさん@社会人:04/05/16 11:46
もうそんなに経ったか。
>959
さっそく購入させていただきました。
先日、『ポリアモリー』という本を読みました。
私の周辺でもかなり話題になっています。
ポリアモリストもセクシュアル・マイノリティと言っていいのでしょうか?
ポリアモリストとしてのカミングアウトの話なども出ていましたので。
962 :
おっちゃん:04/05/22 18:01
>961
ポリアモリーって何ですか?
>962
ポリアモリー(polyamory)とは、複数(poly)の愛(amory)ということで
1対1の愛の関係は、不自然で、キュークツで、持続できないとする
愛のスタイルです。宮台真司さんが推薦されているようですよ。
誤解のないように言っておきますが、フリーセックスや乱交とは
まったく違います。ナチュラルな複数の愛を肯定しつつ責任やモラルを
新たに構築しようというすごくまともな考えだと思います。
964 :
おっちゃん:04/05/24 18:54
>963
ポリアモリーって愛の弱肉強食の正当化をもたらしませんか?
かつてあった正室・側室などの正当化を・・・。宮台さんを知って
いる人はおばさん同様やはりインテリでしょ?
どうやら、ポリアモリーって強者の論理のようですね。
>964
そうでしょうか?「正室・側室」というのは男の権力や経済力を前提にした
地位であって、ポリアモリーは愛の弱肉強食とは違うと思うのですが・・・
『ポリアモリー』を書いたのは女性だし、訳者も女性です。
このような考え方が登場した背景にはスローライフやエコロジーがあって
弱肉強食的な自由競争崇拝とは正反対の思想ではないでしょうか?
下のアドレスが関連サイトとして本に挙げられています。
http://sustaina.com/
966 :
おっちゃん:04/05/26 09:54
>965
ある作品(=『ポリアモリー』)が女性によって書かれ、女性によって
訳されたために男性によって書かれ、男性によって訳された作品より弱肉
強食ではないと言えないでしょ?
それと自由競争崇拝と正反対の思想だからといって自由競争を生まない
とは限らないでしょ?
作品を読まずに言うのも変ですけど、私にはただ放恣な性志向を正当化
しているようにしか響きません。
マルクーゼやライヒなんかと関係があるのですか?
>966
私の説明がよくなかったのか、とんでもない誤解を招いてしまったようですね(笑)。
ポリアモリーはマルクーゼやライヒなどとはまったく関係がないし、「放恣な性志向」
とも無関係というか、相反するものでしょう。キーワードは、むしろ「責任」とか
「モラル」そして「共生」といったことです。
先駆者として挙げられているのはバートランド・ラッセルやエマ・ゴルドマンなどです。
エマ・ゴルドマンは19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したアメリカのアナキスト系
女性解放運動家ですね。彼女は魂の解放を目指したという点でポリアモリーの先駆者なのでしょう。
ユングも先駆者の一人とされているようです。
私のイメージでは、ポリアモリーに近い関係は、サルトルとボーボワールの契約結婚です。
お互いの自由な生き方を尊重しつつ共に暮らすということですから。
ポリアモリーはある意味で弱者から発想された考え方だと思います。
ゲイもレズビアンもバイも肯定するわけですから。
その点で気になっているのは、障害者のセックス・ボランティアをフェミニズムの立場から
どうとらえるべきか、ということです。弱者である障害者の意志を尊重すれば肯定されますが、
ポリアモリーの立場だと、愛のないセックスということで、認められないことになるのかもしれません。
968 :
おっちゃん:04/05/28 12:33
>967
なんとなく、わかってきました。サルトルとボーボワールの例は私には
わかりやすかったです。
ところで、「障害者のセックス・ボランティア」って何ですか?
また、「愛のないセックス」の中に一昔前まであった「筆おろし専門の
歩き巫女」(芸能史研究会編 「日本の古典芸能 第6巻 舞踊」平凡社
昭和45年 p29)とのセックスも入りますか?
おっちゃん、その後、お体の具合は如何ですか。
健康を快復されたら、お好きな研究をお続けください。
そのうちに、時間の余裕もできてきましたら、マクロ理論にも目を向けて下さい。
ご健闘を祈っています。
970 :
おっちゃん:04/06/23 16:37
>969
事情通Xさま
ご配意ありがとうございます。体調はほぼ戻りました。
マクロ理論ですか・・・。ミクロとメゾについては今年度で
終わりにして、来年度からマクロ理論の研究をしたいと思って
います。実は、一昨年前から「国家」についてひそかに考えて
いるんです。必読書、参考書があれば教えてください。
これからもよろしくお願いします。
社会学の中ではミクロ理論とマクロ理論はどこで線引きされるのですか?
「国家論」はミクロ理論と考えてはなぜいけないのでしょうか?
アンダーソンが言っているように、国家とは「想像の共同体」ですし、
ヘーゲルやマルクスが言っているように、国家は幻想領域の存在です。
つまり、国家は想像あるいは幻想の産物なのですから、
意識領域の問題とも言えるわけです。
そうだとすると国家論はミクロ理論ということにならないでしょうか?
経済学では企業や家計の経済行動を扱うのがミクロ経済学、
国民経済の諸指標や諸変数を扱うのがマクロ経済学と
その区別は非常に明確なのですが、社会学の場合はいまひとつわかりません。
ご教示のほど、お願いします。
972 :
おっちゃん:04/06/26 15:51
>971
半可通さんの「国家論をミクロ理論と考える」という発想は驚きでした。
ただ、私は国家にはミクロに還元できない国家独自のレベルの運動が
あるように思います。それをマクロレベルの分析装置を開発して、それで
分析していくのも楽しいように思いますがいかがでしょうか?
>>972 「国家にはミクロに還元できない国家独自のレベルの運動ある」という前提は
すでに国家論がマクロレベルにあると想定しているわけで、国家論がミクロか
マクロかという問題設定に対しては論点先取と言えないでしょうか?
それなら、「個人にはミクロに還元できない独自のレベルの運動がある」という
命題も成り立つように思います。
私は国家が「想像の産物」なのだとすれば、「文学」や「科学知識」と同等であり
同じ分析装置で分析すべきだと思うのですが・・・
国家はミクロ領域の最大値なのではないでしょうか?
本来のマクロ領域とは国家を超えるもの―グローバリゼーションのような―や
歴史性がかかわってくる存在を扱う場合ではないでしょうか?
もし「国家にはミクロに還元できないレベル」があるように思えるとしたら、
それは国家が必然的に「国家を超えるもの」にからめとられているからにほか
なりません。ですから、国家論には「ミクロ理論としての国家論」と「マクロ理論
としての国家論(厳密には超国家論)」があるように思います。
974 :
名無しさん@社会人:04/06/29 00:07
975 :
おっちゃん:04/06/29 19:15
>973
なるほど、そういう考え方もあるんですね。独特の国家論が
できそうですね。
でも、私は身体秩序はなんらかの権力を受けた結果だと考え
ています。で、国家という権力装置によって秩序づけられる
身体編制を分析するのにはそれなりのマクロ理論が必要
だと考えてるんです。おそらく半可通さんもミクロとマクロを
貫通する権力作用に興味がおありだと思うのですが、私は一つの
装置と考えていないんです。根拠?・・・勘です。
976 :
名無しさん@社会人 :04/07/06 20:10
(=^ω^)ノage
( ´_ゝ`)フーン
978 :
名無しさん@社会人:
ガ―(゚Д゚;)―ン!!