定期的に「社会学はクソ」なんてスレッドが立ち、 定期的に「社会学は三流哲学」「理論系は哲学崩れ」なんて、 もはや社会学板では定説と化したステロタイプな評価が 出てくるけれど、でも、社会学ってそんなにダメなのか?
2 :
社会学名無しさん :2001/04/28(土) 16:16
社会学理論が哲学に従属したものとは限らない、 っていう、もっと建設的な意見が聞きたい。
理論構築ばかりに目が向きすぎているんじゃないのかな? 理論を領域研究に用いるものと考えれば、やはりそこで哲学が出てくるのには 違和感を感じずにはいられないよね。
4 :
悲しいよな :2001/04/28(土) 17:36
1> 哲学が良くない影響を与えているとは思うけど・・・ アレのせいで「役に立たない」と言われるのは、やっぱりあると思うし。
5 :
ななし :2001/04/28(土) 18:48
哲学系社会学者のいう「社会」は机の上のことでしょ?
6 :
======= :2001/04/28(土) 19:01
2>理論が哲学に従属しててもいいから、現実社会の分析に役に立つように してくれ! 哲学やるより調査の方が100倍使えるぞ!
7 :
??? :2001/04/28(土) 20:44
ニーチェとか、どうしろっちゅ〜のよ?!
8 :
OFW :2001/04/29(日) 09:34
どもです。哲学板から来ました。 >>1 私の浅薄な理解では、社会学は19世紀における「社会の発見」に 淵源し、その一般的な法則性を探求するという科学的営為だと 思いますが、初期のコント社会学にあったような「社会の進化」と いう動態的視点はその後無くなってきたように思う。 いわゆる「社会システム論」のような形式主義的・静態的なアプロ ーチでは、余りにも抽象的であり、具体的問題には無力でしょう。 そもそも社会はシステム以上の存在なのですから。 また逆に、エスノメソドロジー、社会構築主義等は「社会問題の 社会学」として個別的な具体性を持っているが、反面、方法論が 弱いように見える。(深くは知りませんが) 結局、他の学問分野も同様ですが、本質論がないのが不調の原因 だと思います。個別現象のうちに本質を見る、とは現象の現実性を 捉えることであり、単に一般的法則を立てることではないのです。 社会を捉えるためには、歴史的かつ本質的な見方、すなわち弁証 法的な見方が必要であり、そのためには、鋭い<社会学的感性> と遠大な<社会の構想力>を兼ね備えた、高度に実践的な精神が 要求されるでしょう。 確かに、専門分化した科学の中で、哲学と同様、社会学の位置も 曖昧になっていますが、<社会的動物>である人間にとって、 何よりもまず社会を理解することが肝要なのは変わらない。 この<疎外された社会>の中で、社会学が如何に失地回復できる か、それは社会にとっても重要な問題でしょう。
9 :
考える名無しさん :2001/04/29(日) 15:47
>>1 何かあったら社会学をバカにして悦に入る
哲学かぶれは、確かにムカつく。
社会学に対する批判と同じ問題点を
哲学がどれだけ克服し得ているのか、非常に疑問だ。
10 :
名無し :2001/04/29(日) 16:43
ここでは「哲学」って言葉が恐ろしいほど無内容・無限定に使われているね。 訳の分からない戦いを挑むよりは、 「調査法すれっど」とか「社会調査で苦労したことありませんか?スレッド」でも たててみた方がおもしろいのでは? 「哲学かぶれ」(笑)に現実の社会の厚みとやらを見せてみてくださいよ。
11 :
考える名無しさん :2001/04/29(日) 19:00
>>10 >ここでは「哲学」って言葉が恐ろしいほど無内容・無限定に使われているね。
社会学をけなす人にこそ、この言葉はそのまま当てはまるだろう。
その人たちは「社会学」「哲学」って言葉を恐ろしいほど無内容・無限定に使っているね。
12 :
ど素人 :2001/04/29(日) 23:25
>>8 >いわゆる「社会システム論」のような形式主義的・静態的なアプロ
>ーチでは、余りにも抽象的であり、具体的問題には無力でしょう。
>そもそも社会はシステム以上の存在なのですから。
50年以上前の議論を21世紀になっても蒸し返すドキュソ発見!
13 :
ど素人 :2001/04/29(日) 23:28
50年以上ってのは言い過ぎ。35〜45年前か。訂正。
14 :
名無しさん :2001/04/29(日) 23:29
>>1 経済板でもよくあるよ。
経済学に存在意義はあるのかってスレットは
1日で200レスくらいついた。
今も、経済学は無意味系のスレが何個か
乱立している。
15 :
名無しさん :2001/04/29(日) 23:53
個人的には、この板の議論って全く意味が分からない。 社会学をバカにして悦にふける哲学かぶれも、 本質論や方法論がないからどうのといった議論も、 同じ塀の中で同病者が水をかけあっているようにしか見えん。 「社会学って意味あるの?」っていう問題提起は、もっと大きいんじゃないの。 社会学の中でどうのとか、哲学との関連でどうのではなくて、 社会学の外との関係の問題でしょ? 単純に、「社会学のおかげで、私は(日本は)こんなに役立ちました」ってことを どんどんあげていければ、社会学って意味あるし、 それが全然ないんなら社会学って無意味じゃん。 というか、私は社会学のおかげで役立ったことなど、単位が来たくらいかな(笑)。
16 :
OFW :2001/04/30(月) 11:56
>>12 ( ど素人さん)
さっそくのレスありがとう。
>50年以上前の議論を21世紀になっても蒸し返すドキュソ発見!
その後の進歩はどのようなものでしょうか?
最近はおよそ古めかしい「行為の代数学?」などがもてはやされて
いるようにも見え、私の単なる無知なのでしょうが・・・。
>>15 >社会学をバカにして悦にふける哲学かぶれ
少なくとも私はバカにしてはいません。とても重要な学問領域だと
思っています。誰でもが社会に関心をもち、その回答を学問的に
与えるという使命から言ってもね。
>本質論や方法論がないからどうのといった議論
別に社会学に限らず、科学一般についての問題なのでしょうが、
社会学についてはどうなのかな、という程度です。
単なる現状分析にも、理論が必要なのは科学の基本だし、それは
固有の対象に即した具体的なものであるべきでしょう。
社会学固有の対象は、<社会>そのものでしょうから、その本質を
どう捉えるかは、とても大事なことでは?
>同じ塀の中で同病者が水をかけあっているようにしか見えん。
病気の自覚があるのかな。
多くの哲学者について言えば、昔から自らを専門科学社会における
<ホームレス>との自覚を持っていたようですが。
>「社会学のおかげで、私は(日本は)こんなに役立ちました」
実利的な面ですね。日本<社会>はますます悪くなっている様に
見え、その総体的な認識はとても役立つはずですが。
・・・この板も、結構盛り上っているな。
17 :
怒泣訴工学生 :2001/04/30(月) 11:56
“〜〜って役に立つの?”って、文系の学問ではよく聞く疑問だよなぁ。 工学のように理系、それも実学系の学問では、まず聞かない。 でも、学問ってそもそも知的好奇心の探求が発端だと思うんだけどね。 実社会における利益なんてのは、本来はその副産物に過ぎないわけで。 工学では実社会での利益追求が第一義になってしまうので、むしろ純粋に知的 好奇心を探求できる文系の学問分野って一種の憧れを抱くよ。嫌味じゃなくね。
18 :
何言ってるの? :2001/05/01(火) 16:19
17>純粋に知的好奇心を探求できる文系の学問分野って一種の憧れを 抱くよ。嫌味じゃなくね それなら「社会」などと名乗らないでください。哲学でやってよ、そんなこと。
19 :
代打名無し :2001/05/01(火) 16:43
>>17 逆だと思う。
どんな学問でもその時代的背景ごとの実利のためのものだったんじゃないかな。
20 :
南無阿弥陀仏 :2001/05/01(火) 18:59
>17 理系から文系へきた方?東大だね?! 何で社会学やっているの? あなたのような人が社会学を役立つようにしてくださいよ。 哲学を使っても使わなくてもいいからさ。
21 :
教えて! :2001/05/01(火) 19:06
16>「誰でもが社会に関心をもち、その回答を学問的に 与えるという使命から言ってもね。 」 「その回答を学問的に与える」ってどういうこと? 分析するっていうこと? 何のために分析するの? 「誰もが関心を持つ社会」について「社会はこうなっていますよ」とか 言えばそれでいいの? そこが批判されているんじゃないの? 「だからどうしたの?」ってさ。 「社会はこうなっているんですよ」などという言説は、何らかのニーズがなければ する必要がないでしょ?
22 :
怒泣訴工学生 :2001/05/01(火) 21:57
ん?俺は捨てハンを見ての通り、どこにでもいる工学部の学生だけど、何か?
>>19 確かに考えてみれば、錬金術なんて明らかに利益追求が最初の動機だよなぁ。
ここらへんちょっと認識不足だったかな、スマソ。
.
理系の世界では(大雑把に言ってしまえば)理学部が何か難しい理屈・理論を
こねくり回してて、工学部がその中から現実でも使えそうなものを拾い上げて
形にする事が多かったりする。この場合、まあどっちが欠けても困るわけだ。
上手く言えないが、社会学も社会に関わる様々な学問での、思考の下地・前提
として結構役立ってるんじゃないかな…と推測するんだけど、どうだろうか?
例えば医学の先端では、どうしても生命倫理に関わる問題が出てきてしまう。
そういう問題は医学の中だけでは解決し得ない。
…こういう所でこそ、社会学が重要なアシスト役となるのではないだろうか?
って、語ってるうちになんだか論旨がずれてきてしまったな。どうしよう。
うん、まあ社会学も、何か役に立つことはあると思うよって事で。
で、役に立たない部分もあるだろうけど、それもそれでいいじゃないか、と。
23 :
名無しさん :2001/05/01(火) 22:37
そうそう、錬金術とか 社会学なんてのも近代的な国家なんかの要請ってめんがあったんでわ 数学が諸学の王だの女王だの言うが 物理からの要請で生まれたものだってあろうし 物理だって工学からの要請で生まれるものは多かったんだろーと 純粋な理論を純粋な好奇心で…ってのはうそだよ 個人とか小集団のレベルでミクロ的に見れば たまたまそういう状況がなりたっていることもあるというだけで マクロで見たら全ては時代の要請だし技術的要請だろうと
24 :
OFW :2001/05/01(火) 22:41
>>21 (教えてさん)
>そこが批判されているんじゃないの? 「だからどうしたの?」ってさ。
>「社会はこうなっているんですよ」などという言説は、何らかのニーズが
>なければする必要がないでしょ?
通常のニーズは特殊な利害関心だから、普通の人は社会そのものなど
には関心が薄い、と言うことをおっしゃりたいのらば、たとえば「現代人は
社会的関心が高い」と言われ、時の政治や経済に敏感なのは何故かな?
自分の個別的な生活が社会全体と如何に関係しているのかを知りたいと
いうニーズはとても大きいのではないでしょうか。それに対して的確な
回答を出せない学問の方に問題があるのではないかな?
つまり、対象を一般的、客観的に捉える科学の準則に従い、社会学は
社会を一つのモノと見るから、「社会はこうなっているんですよ」という
言説は、その中に生きている個人にとっては、ひどくよそよそしく響く。
それはその通り。社会学者もそのことを考えないわけではなく、そこ
から、「個人の側から社会を見よう」という方法論が登場するのでしょう。
しかしそこには、個人をいくら追っても<社会>は見えてこない、という
逆説がある。(たとえば、抽象的・近代的個人は社会を形成できない。)
それはむしろ<社会の総体的本質>を捉えそこねてしまう。
こんな単純なジレンマが社会学全体をおおっているのではないか?
「社会って何?」とは「個人にとって社会とは何?」にまで行かなけれ
ば、それこそ「何の役にも立たない」。そのことは、<個人の中にある
社会>に着目する必要性を示していると言えます。社会とはモノではなく、
個人の中にある生きた関係性であり、科学としての社会学は、社会の
外的・モノ的な関係(物象化された社会)とその内在的本質(生成する
類的社会)を共に見据える複眼(弁証法)をもって対象に迫らなくては
ならない、ということです。いかがでしょ?
25 :
15 :2001/05/01(火) 23:24
盛り上がってきてるね。 やはり、社会学のおかげで自分は(社会は)こんなに役立ったということは、 どうやらあまりないようで。 24さんの言うように社会を知りたいというニーズは極めて大きいはずなのに、 当の社会学はそれに充分に応えてくれてはいない。つまり役立たず。 ん〜、そこまでは24さんの考えに賛成なのだが、 しかし、それの打開策が、弁証法をもって本質論へと迫ることかな…? 古い理論がダメだというつもりは毛頭ないけど、べべべ弁証法はないだろ… またまた個人的に思うのは、やはり社会学の閉鎖性に問題があるのでは? 例えば24さんの文章は、社会学かじっている人には退屈なほど当たり前な事柄だと思うけど、 たぶん知らない人には「物象化された社会」なんて分かりっこない。 つまりさー、社会学には啓蒙者が足らない。 小林よりのりみたいに、バカな理論で一向に構わないから、 とにかくそれで大衆に社会学をマンガチックに広める人がいればいい。 社会学が役に立たないのは、その学問を実利に使ってくれる大衆がいないからだと思う。
26 :
名無しさん :2001/05/01(火) 23:38
>つまりさー、社会学には啓蒙者が足らない。 小林よりのりみたいに、バカな理論で一向に構わないから 宮台はダメなの?
27 :
教えて2 :2001/05/02(水) 01:17
24>ご丁寧な説明、ありがとうございます。勉強になります。 気軽に書きこみしたため、無礼な口調で書いてしまいました。 それについては、どうかお許し下さい。 ただ、私の説明不足のせいなんですが、少し私が意図したこととズレがあるようなので 、よろしければレスして下さい。 >そこが批判されているんじゃないの? 「だからどうしたの?」ってさ。 >「社会はこうなっているんですよ」などという言説は、何らかのニーズが >なければする必要がないでしょ? 通常のニーズは特殊な利害関心だから、普通の人は社会そのものなど には関心が薄い、と言うことをおっしゃりたいのらば・・・ 「社会を分析・説明」するという営みについてですが、「普通の人」を直接に意図した ものではありません。エスノ・現象学・調査・・・何でも構わないのですが、 社会学者が社会現象を説明するということが、「何らかのニーズ」に基づくもの であろう、と言ったつもりでした。 こういう発言をするのは、他分野の研究者と集まる時に「社会学者は調査や現象の分析 を持って来るが、それで終わってしまう。」「理論構築は結構だが、その理論をどうい う風に用いるの?」という批判をよく受けるという個人的事情があったからなんです。 こういった批判はある種、的を得たものであり、確かに調査や分析を行うことは社会的営みであり、 それらの成果を社会的責任とまでは言わないけれど、社会に還元することは考慮する必要はあるだ ろうと思うのです。 研究という営みが、理論であれ実証であれ、現実社会から乖離してなされている ものでは決してなく、経済的にも社会的にもある種の公共性をもつものではないかと思うのです。 もちろん、学術という場を通して還元しているといえば、それは確かにそうなんですが、25さん のおっしゃることと重複しますが、学術の世界のみでそれをするというのには バイアスがついてまわると思うのです。 また、社会現象の分析をするのが社会学ですが、こういったものは往々にして「社会問題」だったりします。 そうであれば、「理論構築しました」、「分析しました」、と言ってそれで終わり、というのではやはり批判 されるのは仕方がないようにも思っているのです。 「社会学など必要ない」と言われればそれまでですが、研究を通じて社会問題の解決とは言わないまでも、 何らかの寄与をする、という姿勢が大切であると思うのです。 冗長になってしまいましたが、ご批判、ご指導いただければ幸いです。
28 :
つーか :2001/05/02(水) 02:40
長いし、くどいよ。
29 :
目のつけ所が名無しさん :2001/05/02(水) 03:29
最近、予備校の自習室で弁理士試験の勉強をしている人をみるたびに、わたしは、「ああ、なんてかわいそうな人たちなんだろう。この人たちは、司法試験の勉強がやりたくてもできないんだなあ」って、思います。 最近わたしは、予備校の自習室でよく見かける女性(弁理士試験受験生)が、ラウンジにいたので、「こんにちは」って挨拶をしました。そのひとは、わたしの母校の大学の図書館でも以前見かけたことのある人だったからです。予備校のラウンジではお互い感じよく自己紹介もしました。良いお友達になれそうな予感がして、正直、すごくうれしかったです。 でも、その女性は、それ以降、突然わたしに対して陰険な、性の悪い態度を取り始めました。徹底的に無視されました。わたしはその理由がはじめのうちはよくわからなかったのですが、よく考えて見ると、そのひとも本当は司法試験の勉強がやりたくてやりたくてたまらない、だから、わたしが司法試験の勉強をしていることがうらやましくて仕方が無い、だから、わたしに対してこんな陰険な態度を取るのである、ということが判明しました。将来わたしは司法試験に合格して高級スーツに弁護士バッジを身につけて、颯爽と街中を闊歩する。なのに、彼女は、どんなに頑張っても、わたしの輝かしい人生には遠く及ばないんですものね。まあ、彼女が合格することは、まずありえないことだろうけど、万が一弁理士になれたとしても、どんなに頑張っても、訴訟代理権は、無し。だって、弁「理」士だもん。そりゃあ、わたしがうらやましがられちゃうの、当然ですよね。芥川竜之介「蜘蛛の糸」でいうと、わたしは蓮の葉の上でカンダタたちがよじ登ってくるのを見下ろしているお釈迦様。彼女は、えっちらほっちら蜘蛛の糸をよじ登ってくるカンダタなんですから。蜘蛛の糸、ぷっつん、はい、ご苦労さん!!…・本当に、最近、予備校の自習室で弁理士試験の勉強をしている人をみるたびに、わたしは、「ああ、なんてかわいそうな人たちなんだろう。この人たちは、司法試験の勉強がやりたくてもできないんだなあ」って、つくづく思います。社会の最底辺に生きている人の気持ちが、よくわかり、いい勉強になりました。それに比べて、わたしは、ああ、なんて幸せなんだろう!!!
30 :
OFW :2001/05/03(木) 09:34
>>25 (15さん)
>弁証法はないだろ…
少し唐突でしたか。わたし的には弁証法は死んだ理論ではなく、生きた
方法なので少しも古くはないのですが、哲学板でも説明しても簡単に
理解されないようで、残念。
>社会学には啓蒙者が足らない。
そうですね。多くの人は社会学に馴染みが薄いから、関心も持たない。
そういう点では、野村一夫氏のソキウスなど実に新鮮だと思うな。
>その学問を実利に使ってくれる大衆がいないからだと思う。
どうでしょう。社会学者の方にも工夫が欲しいような・・・。
私の印象ですが、「大衆は本物の知識に飢えている」、つまり、必ずしも
狭い実利だけではなく、<社会の真実>みたいなものを求めているはず。
あれやこれやの社会的事象ではなく、<社会的なもの>を具体的な事柄に
即して説明する人が少ないような・・・。
>>26 (横レス失礼)
>宮台はダメなの?
この板にも宮台氏の話題が多いが、かってのシャープな分析が欠けてきて
いるように見えるのは、メジャー化したせいかな?
今の社会をリアルに見るためには、鋭い感性と柔軟な思考が必要ですね。
だからこそ、生きた社会学は他の学問よりずっと面白いはずだと思う。
31 :
OFW :2001/05/03(木) 09:36
>>27 (教えてさん)
>研究という営みが、理論であれ実証であれ、現実社会から乖離してなされて
>いるものでは決してなく、経済的にも社会的にもある種の公共性をもつ
それはまったくその通り。 しかしその成果が必ずしも、すぐ役立つ処方箋の
ようなものではない、というのが学問です。たとえば、ゾウリムシの研究を
一生の仕事にしている生物学者は、どのような形で研究の社会性を果たす
のでしょう?確かに社会学は現実社会を対象にしますが、それは本質という
領域を経て、媒介的にそれに関わるのでしょう。
>往々にして「社会問題」だったりします。そうであれば、「理論構築しました」、
>「分析しました」、と言ってそれで終わり、というのではやはり批判される
少し前の「学級崩壊」だったかをテーマにした朝生に宮台氏が出演していて、
現場の教師から「毎日荒れた生徒を相手に苦労している教師に役立たたな
いような高邁な理論を言うな」とか言われていたのを思い出しました。
エスノメソドロジーの<参与観察>も、個別の社会問題に入り込み過ぎると
自分が活動家になる危険性(?)があるとか・・・。
これらの事例は、社会学が社会の現実に迫れば迫るほど、自己もその主体
と見なさざるを得ない、という社会(科)学固有の問題でしょう。
その場面でこそ、<学問の社会的意義>が問われるが、社会学の社会学は
どう答えるのかな?
私はこの階級社会では「科学の中立性」などは結局の所、難しいと見ます。
>研究を通じて社会問題の解決とは言わないまでも、何らかの寄与をする、
>という姿勢が大切であると思うのです。
社会問題を解決するのは、通常政治家、行政官僚、警察ということになって
いますが、科学者が大衆の目線を忘れない限り、それとは異なる道がある
と思いますね。
32 :
代打名無し :2001/05/03(木) 16:03
途端に読むのがしんどくなってきた。。。 かいつまんでたのむは。
34 :
15 :2001/05/04(金) 00:53
>OFWさん 弁証法はおいといて、本質を明らかにすれば社会学にも有用性が見えてくる、 だから社会学者にも本質に迫る工夫が欲しい、と。なるほどねん。 そうすると、社会の本質とは何か、という難問に進むわけだけど、 そのへんについてOFWさんの見解はいかに? あと瑣末だが学問の中立性ってそんなに気にすることかな? ある一方の立場が科学的に正しいのであれば、その立場にくみすることは、 科学の中立性にもとるものではないのでは。 それとも、社会学的な「正しさ」が、自分をどの立場に置くかによって異なり得るということ? 質問ばかりになってしまってスマソ。
>>32 >>33 他板から興味心で流れて来て読んでて同意
まとめて下さいな
つーか、話ズレてスマソ
36 :
名無しさん :2001/05/04(金) 07:09
あげとこう
37 :
OFW :2001/05/04(金) 09:59
できるだけ、かいつまんで書きたいが・・・
>>34 (15さん)
>社会の本質とは何か
これは極めて重要な設問です。
本質のない現象は幽霊のようなものなのに、本質を見失った現象論が巷に
溢れています。たとえば、1980年頃に、
「日本人の9割以上は自らを『中流』と考えている」
という社会調査の結果が出て、「一億総中流社会」などと喧伝されたのです
が、これなど<社会の本質>を見失った空論でしょう。
<中流意識>という現象が、実際にも<中流である>という本質といかに
乖離しているかを示したのが、この調査結果の本質ですね。
私は唯物論者ですから、社会の本質とは、社会の生産関係から見なくては
ならない、と考えます(以下略)。
>学問の中立性ってそんなに気にすることかな?
それは私ではなく、殆どの科学者が当然の如く前提していることです。
ここで、質問。仮に階級に分裂しているような社会があったとして、その中で
普遍的妥当性を目指す<中立的>社会科学者は
「今の社会には階級など存在しない」
と言うのが正しいか、それとも
「今の社会は本質的に階級社会である」
と言うのが正しいか、どちらでしょう?
38 :
無礼講 :2001/05/04(金) 10:50
生産無くして社会なりたたずか
39 :
名無しさん :2001/05/04(金) 14:23
あるものが本質であることはどうやって証明するの?
40 :
OFW :2001/05/04(金) 17:07
>>39 >あるものが本質であることはどうやって証明するの?
ストレートな質問で、とてもグッドです。
「本質」という言葉(概念)の定義は
「あるものがそれ自体として本来なんであるのか、という本性」
のことです。それは現象の底にあって、現象を引き起こす原因(実体)と
いった概念に発展します。そして原因の証明には<必然性>が必要です。
たとえば、最近の都会では、やたら電車の<車両事故>が多い。
そこには、何か<現代社会の本質>が現れているように感じられる。
そこで<車両事故>の原因は何か?と問うと、さしあたり
1.運転手の技術力が低下した。
2.運転手のモラルが低下した。
3.鉄道会社の安全性に対する努力が低下した。
などが挙げられる。これらは、証明される以前の「可能性のある」原因群
です。そこでその検証が次の課題です。そのためには、運転手の技術力、
モラルあるいは会社の安全性に対する努力をテスト等により測定し、過去の
データと比較することになります。その結果、車両事故の発生件数と上記の
測定・分析結果との間に意味のある相関が得られたら、それが蓋然性の
高い原因だ、と言えるでしょう。
しかし、通常の科学ができるのはそこまでであり、<社会の本質>とは
それら原因の原因として、全体的・必然的な存在のことですから、その認識
には弁証法的な反照(リフレクション)が必要になるのです(以下略)。
結局、社会学者には、<車両事故>は事故ではない、という矛盾を捉える
想像力・直観力が要求されるでしょうね。
41 :
> :2001/05/04(金) 18:48
OFWはいいことを言っているんだけど、マルクスちっくなのがな〜・・・ あと、 研究を通じて社会問題の解決とは言わないまでも、何らかの寄与をする、 >という姿勢が大切であると思うのです。 社会問題を解決するのは、通常政治家、行政官僚、警察ということになって いますが、科学者が大衆の目線を忘れない限り、それとは異なる道がある と思いますね。 というのはいかがなものかね。 「それとは異なる道」って? 「本質をみる(でも何もしない)」とか言わないでね。 それが批判されているんだろうからさ。
42 :
> :2001/05/04(金) 18:51
40(OFW)> <社会の本質>とは それら原因の原因として、全体的・必然的な存在のことですから、 ・・・・ ・・・・ よくわからん
43 :
15 :2001/05/04(金) 21:23
OFWさんの質問 >仮に階級に分裂しているような社会があったとして、… 普遍的妥当性を彼が目指す以上は、「今の社会には階級など存在しない」というべき。 それが彼の立場なんだからそれで良し。 それでダメなのであれば、それを支える彼の学問的立場そのものが問われるべき。 で、車両事故などの「事故」を<必然的に>生じさせてしまう社会の本質があって、 その本質を見つけることは、社会問題の解決にとって何らかの寄与はするだろう、ということですね。 ふむ。この点に反対する理由はないんだけど…。 ん〜でも、そのような本質(原因の原因として全体的・必然的な存在)ってのは、 あるとすれば複数存在し、なおかつ複雑に存在する…よね。 その場合,複数あり複雑に存在するものを、複雑なままにとらえることは、 果たして弁証法は可能なの?いやむしろ社会学にとって可能なの? 科学は現象を単純化して捉えようとするから、 「通常の科学ができるのはそこまで」という限界が生じるんでしょ。 しかし、どうも私は弁証法は、「通常の科学」の系譜に属しているような気がする。 つまりね、私は、本質の解明を掲げる社会学は、あるとすれば、 それは、できっこないことをやろうとしている学問じゃないのかなあ、と。 …だから私は社会学はダメな学問だと思うのだけれど。
44 :
15 :2001/05/04(金) 21:28
長くてスマソ。要するに、本質の発見なんて社会学にできるの?ってことですよん。
俺は15じゃないけど、てゆーか、社会に「本質」ってあるのか?
46 :
名無しさん :2001/05/05(土) 00:53
47 :
OFW :2001/05/05(土) 12:22
>>41 ( >さん)
>マルクスちっくなのがな〜・・・
あまり気にしないように。「社会って何?」と気楽に、そして真摯に考える
ことが結果として唯物論になった、というだけ。
>「それとは異なる道」って?
社会は人間の集まりで、そこにいる人間がそれを“正しく理解する”ために、
その一員である社会学者が存在する訳でしょう。
確かに、「理解したから何だ」という意見があるわけですが、それはむしろ
社会学者が“正しく理解していない”空論を言うためだと思うな。
>>42 ( >さん)
>よくわからん
確かに「かいつまんで」話すのは至難の業ですので、ご容赦。
>>43 (15さん)
>それでダメなのであれば、それを支える彼の学問的立場そのものが問われ
>るべき。
そうでしょう。エスノメソドロジーが言う「アリーナの遷移」(矛盾の
発展?)ですね。もはや傍観者ではすまされない。そこでは「科学者の
社会的(階級的)立場」が問われざるを得ない訳ですが、そのためにも
社会学というステップが必要なのです。
>複数あり複雑に存在するものを、複雑なままにとらえることは、果たして
>弁証法は可能なの?いやむしろ社会学にとって可能なの?
「複雑」とは今はやりの「複雑系」を連想させますね。
かいつまんで(端折って)言いますが、
「『○○は複雑だ』と言うとき、既に○○は単純なものになっている。」
というのが弁証法です。それは、社会学が抽象的普遍化として通常行って
いることです。そして、次の段階がその具体化ですが、その場合、認識は
動態化されなくてはならない。認識対象と認識主体の相互作用ですね。
48 :
OFW :2001/05/05(土) 12:25
>>43 (15さん)(つづき)
>できっこないことをやろうとしている学問じゃないのかなあ、と。
通常言われる意味での、普遍妥当性を目指す実証的・経験的科学としての
社会科学は、最終的には歴史に関する学問に移行せざるを得ないでしょう。
>…だから私は社会学はダメな学問だ
とは思わない。通常の素朴な個別的経験から普遍的・全体的な存在への
跳躍は重要な一歩です。問題は次の一歩を踏み出さないこと。このことは、
社会科学全般、つまり経済学、法学、政治学、等皆同じです。
>本質の発見なんて社会学にできるの?
およそすべての事物の存在には客観的根拠(本質)がある。それを発見する
ために科学が生まれたのです。それはまず形式的(形相的)本質として
「<社会なるもの>がある」という発見から始まる。それは多様な現れや
転変極まりない実在を通して認められる、自己同一的な存在です。
その総体性を捉えるためには、まず「社会は自己を再生産する」という動態
において捉え、更に「自己同一的と見られる社会も歴史的に発展する」と
いう歴史性において見る必要がでてきます。
>>45 >社会に「本質」ってあるのか?
最近(20世紀以降)は、学者を含めて、皆そう言う。悪しき現象主義と
言います。繰り返しますが、本質のない現象とは、幻想的な存在(幽霊)
です。「社会など存在しない、それは思い込み、錯覚だ」と言うに等しい。
・・・いやぁ、長文スマソ。
49 :
15 :2001/05/05(土) 21:41
…OFWさん、熱すぎ。必要なことだけを端的に述べてよ。 だからといって本来必要な部分をはしょっちゃ、答えてないのと一緒。 で、要するに、本質の探究・普遍化は、歴史的な視点から見る必要があって、 そのような作業は重要である、ということね。 しかし、私が当初より疑問なのは、本質を探求することの重要性ではなくて、 繰り返しになるが、そもそも社会学に本質の探究・普遍化が可能なのかってこと。 OFWさんは、「個別的経験を普遍的全体的な存在へ」と「跳躍」させるというんだけど、 つまりは私は、社会学は、その跳躍ができるのかと言ってるわけ。 本質の探究つまり普遍化は、文字通り暗闇からの跳躍(マルクス的には「命がけの飛躍」)なわけで、 通常の科学はそれを事後的にしか正当化することができない。だから通常の科学には限界があるんでしょ。 (つまり科学は,ある法則が「いかなる例外もなく」正しいことを永遠に証明できない) それを社会学がやれる、真に普遍的な本質を見つけてみせるというなら、それは素晴らしい。 でも、それができる方法があるというの?いかにしてあるの? もしそれができるというならば、暗闇からの跳躍は「暗闇」ではないことになるわけで、 その点で、マルクスやクリプキは嘘を言ってることになっちまうね(笑)。 そういう意味で、私は、社会学は本質を見つけることなど絶対にできないと思うし、 したがって社会学はおよそ役立たない学問だとやはり思うのであった。
50 :
15 :2001/05/05(土) 21:47
最後はムリヤリ「社会学はダメなのか」に結び付けてるけど、 だんだんズレてきてるような気がするんで、別スレ移行を提案します。 主催はOFWさんで。
51 :
名無しさん :2001/05/06(日) 01:06
横槍入れてすみませんけど、OFWさんは、問いに答えてないのではないですか。 「可能なのか」「できるのか」という問いに対して、「必要がでてきます」では答えにならないし、 「本質はあるのか」という問いに対して「本質がなければ社会そのものが幻想」といっても、 直接答えたことにはなっていませんよね。 周りの人間をケムに巻いて知識をひけらかしたいだけなのですか。
52 :
>51 :2001/05/06(日) 01:53
> 周りの人間をケムに巻いて知識をひけらかしたいだけなのですか。 OFW氏の書き込み見たが、これのどこが「知識のひけらかし」なの? むしろ無知というような気はするが。 少くとも、研究者じゃないだろう。だとしたら驚きだ。
53 :
名無しさん :2001/05/06(日) 02:07
54 :
OFW :2001/05/06(日) 03:04
>>49 (15さん)
>だからといって本来必要な部分をはしょっちゃ
失礼、レス44を外してしまった。
>そもそも社会学に本質の探究・普遍化が可能なのかってこと。
それは可能であり、実際にも明らかにされている(と思う)。
前の例で言えば、「車両事故」の多くは<安全無視の経営体質>、あるいは
<人身事故>と言う名の飛び込みであり、それもまた不況の影響が「影を落
としている」ということ、そこに本質があるのではないか?(これが仮説)
>社会学は、その跳躍ができるのかと
むろん可能です。それが社会的構想力でしょう(構想力の論理は形式論理
では扱っていないようですが、弁証法的な感性ー知性複合運動ですね)。
>真に普遍的な本質を見つけてみせるというなら、それは素晴らしい。でも、
>それができる方法があるというの?いかにしてあるの?
「真に」普遍的な本質とは、人間の類的な本質のことでしょう。それは、社会
を形成している諸個人が、今の利己的な個人から共同的類に高まっている
こと。その本質の実現に向けた、実践のための現実的な指針が科学的理論
でしょう(これが科学の限界)。それは、未来社会のモデル作りという形で、
社会学のなすべき(かつ、できる)ことです。
>マルクスやクリプキは嘘を言ってることになっちまうね(笑)。
クリプキには詳しくないが、言語ゲームの無根拠性のこと?
マルクスの「命懸けの飛躍」とは、商品がその価値を実現するためには市場
で売れなくてはならないということで、<疎外され物象化された社会>では
必然的な不合理だ、ということです。それは、疎外の止揚により解決できる。
55 :
OFW :2001/05/06(日) 03:07
>>50 (15さん)
>別スレ移行を提案します。
ホストを逃げるわけではないが、現在戦線拡大(笑)し過ぎでスレを維持す
るのはキツイ。
>>51 >「可能なのか」「できるのか」という問いに対して、「必要がでてきます」
>では答えにならない
少し敷衍しました。「人間は解決できる問題しか提起しない」(マルクス)。
>「本質はあるのか」という問いに対して「本質がなければ社会そのものが幻
>想」・・・直接答えたことにはなっていません
社会がある以上その本質があるのは当然、という意味です。たとえそれが
疎外されていようとも。
>周りの人間をケムに巻いて知識をひけらかしたいだけなのですか。
そ、そんなことはありません。敷衍し過ぎたのがまずかったかな。
・・・とてもストレートで、この板は良いと思われ。
56 :
うーん :2001/05/06(日) 03:09
みんな漢字が多くてよっくわっかんな〜い
57 :
名無しさん :2001/05/06(日) 03:54
>55 全然答えになってないじゃん。 >可能なのか→「人間は解決できる問題しか提起しない」→その根拠は? これなら、あらゆる問題が解決可能といいてることと同じだよ。 >本質はあるのか→当然ある →なぜそういえるのか、根拠を聞いてるの。
OFWさんはさぁ、社会学板で社会学学問的特性とか云々するんだったら、 もうちょっと勉強しようね。 あまりに無知なので、これではきちんとした知識持っている研究者は、 ROMって笑ってるだけになるよ。実際そうみたいだし。
59 :
:2001/05/06(日) 04:49
>>58 茶々入れるなら、具体的に言いなよ。
あんたの方が笑われてるよ。
60 :
58 :2001/05/06(日) 06:08
>>59 んじゃ、
>>8 から書くわ。あくまで
>>8 のみに依拠して書くから。のちのレスはここでは考慮
に入れない。ここがOFW氏の杜撰な「ギロン」の出発点となってるし、OFW氏の「ギロン」の
いいかげんさを指摘するのが目的なので。
>社会学は19世紀における「社会の発見」に淵源し、その一般的な法則性を探求するという
>科学的営為だと思いますが、初期のコント社会学にあったような「社会の進化」という動態
>的視点はその後無くなってきたように思う。
社会学が近代社会に固有な一般的法則性を探究する学問である、というのは部分的にしか正し
くない。それにそもそも、「一般的な法則性」とは、(近代)社会における如何なる様相・水準
に照準を合せてのモノなのか。そこから吟味して議論を始めないと不毛だ。
>いわゆる「社会システム論」のような形式主義的・静態的なアプローチでは、余りにも抽象的
>であり、具体的問題には無力でしょう。そもそも社会はシステム以上の存在なのですから。
社会システム論と言っても、いろいろある。あなたはパーソンズの事言っているのか?
形式主義、とは日常言語によるものか?それとも論理学や基礎論から引っぱってきた同概念の
拡大解釈バージョンか?いずれにしても、意味不明。
ちなみにルーマン的な意味での社会システム論は静態的とは言えないし、パーソンズにしても、
均衡主義的ではあるが、別に静態的とは言えまい。
61 :
58 :2001/05/06(日) 06:10
>また逆に、エスノメソドロジー、社会構築主義等は「社会問題の社会学」として個別的な具体 >性を持っているが、反面、方法論が弱いように見える。(深くは知りませんが) 他の事についてもそうだけど、深く知らない、と自ら言うのであれば、いいかげんな事は書かな いこと。エスノメソドロジーにしても、社会構築主義にしても、ガチガチの方法論があるじゃな いか。むしろ、方法論でもって「持って」いるし、それゆえの方法論的応酬も苛烈だ。 >結局、他の学問分野も同様ですが、本質論がないのが不調の原因だと思います。個別現象のう >ちに本質を見る、とは現象の現実性を捉えることであり、単に一般的法則を立てることではな >いのです。 「本質論」とは?物事の本質を見極める為の議論?それとも、物事の本質「について」の議論? 前者だとして、「個別現象のうちに本質を見る、とは現象の現実性を捉えること」という文章 が、まったくもって意味不明。「現実面」なんて、少くとも社会学のテクニカルタームとして、 聞いたことがない。これが日常用語における「現実性」のような語義であったとしても、上の 引用文が意味するところは不明。なんで現象の現実面を捉えることが、その本質を見ることに 繋がるのか。また、そもそもここで言う「現象」とはどういう含意なのか? 現象即本質、という議論だってあるというのに。総じて、学問的議論におけるコトバの使用に 無頓着過ぎる。よって何が言いたいのか、わからない。 >社会を捉えるためには、歴史的かつ本質的な見方、すなわち弁証法的な見方が必要であり、そ >のためには、鋭い<社会学的感性>と遠大な<社会の構想力>を兼ね備えた、高度に実践的な >精神が要求されるでしょう。 歴史的かつ本質的な見方が即弁証法的な見方?意味不明。それに弁証法と言ったって、いろんな 「弁証法」があるのをお忘れなく。あなた独自の「弁証法」を言うのであれば、それをちゃんと 定義しないと。
62 :
58 :2001/05/06(日) 06:11
上記引用文のあとの2行は、意味不明ではないが、単なる「お題目」だな。実質的な意味はなし。 >確かに、専門分化した科学の中で、哲学と同様、社会学の位置も曖昧になっていますが、<社 >会的動物>である人間にとって、何よりもまず社会を理解することが肝要なのは変わらない。 >この<疎外された社会>の中で、社会学が如何に失地回復できるか、それは社会にとっても重 >要な問題でしょう。 「位置が曖昧」と言うが、その根拠はどこにあるの? 哲学の学問的位置が曖昧、というのと、社会学の〜、とは、歴史的な経緯からして同一視でき ない。哲学の場合、他の特殊科学(特に自然科学)への分化があり、その分化した諸科学が今度は 逆に哲学の学問的アイデンティティに問いを投げかけてきた訳だが、社会学の場合は、最初から 「総合科学か特殊科学か」という問いがあった。つまり社会学はその誕生当初から、曖昧な学問 的位置付けだったのだ。侵入科学などと言われる所以だ。 人間が<社会的動物>というのは、社会学者にとっての共通理解と言ってもいいが、その<社会性> の内実は論者によってそれぞれ異なるし、そもそも、「人間」なる地点から社会を理解しようと はしない論者だっている(ルーマンなど)。 あと、<疎外された社会>って???社会が疎外されるとは??これも意味不明。 疎外論の文脈を踏まえて書かないと、何言っているのか、わからないよ。
63 :
58 :2001/05/06(日) 06:18
社会システム論に無知でありながら、それを「評価」した挙句、 「そもそも社会はシステム以上の存在」などというアホくさい事を平気で言う。 まさに論外だ。俺だってシステム論にはいろいろと言いたいことがあるが、それ にしてもOFW氏のような、いいかげんかつ無責任かつ低水準の物言いは、ようせんな。
64 :
58 :2001/05/06(日) 06:50
61における"現実面"は"現実性"の誤り。
65 :
こまったちゃん :2001/05/06(日) 18:01
>うざいよ
66 :
こまったちゃんがこまったちゃん :2001/05/06(日) 19:18
>>うざいよ きみは いんようふの つかいかたも まんぞくに できないの? ぜんぶひらがなで かいたから、 きみにも よめるよね。
67 :
OFW :2001/05/06(日) 20:35
>>57 >>可能なのか→「人間は解決できる問題しか提起しない」→その根拠は?
>これなら、あらゆる問題が解決可能といいてることと同じだよ。
ケムに巻いているつもりはないが、ある事柄を問題(課題)として立てるとは、
その事柄の根拠を探るということですから、既に根拠づけが始まっている。
「社会とは何だ?」とは「社会の本質」への問いであり、「何故社会があるの
か?」「社会が社会である所以のものは何なのか?」と探求することは、
社会の本質論として、問い自体に答えが非主題的に含まれていると思う。
>>本質はあるのか→当然ある
>→なぜそういえるのか、根拠を聞いてるの。
「社会なるものが確かに存在する」とは社会の本質的な定立です。
その定立は近世になって、普遍的存在としての社会が成立したから可能に
なったわけでしょう。例:「社会人」と言った言葉はそれを前提にしている。
>>60 (58さん)
詳細なレスありがとうございます。さて、
>「一般的な法則性」とは、(近代)社会における如何なる様相・水準に照準を
>合せてのモノなのか。そこから吟味して議論を始めないと不毛だ。
私は、社会学は他の社会科学と異なり、<社会自体>を対象にする学問だ
と見ています(専門家的には違うのでしょうか?)。それはまず、近代的個人
の無差別的な<集まり>として、一般化可能な量的世界として現れると。
>社会システム論と言っても、いろいろある。あなたはパーソンズの事言って
>いるのか?
具体的には、パーソンズ、ルーマンでしょうが、「社会システム論」と言う同じ
名で括られる所以の共通的な特性を考えている(概念的にですが)。
>形式主義、とは日常言語によるものか?
形式主義とは内容固有の区別を捨象した、抽象的・外面的な形式にのみで
事物を取り扱う(取り扱えると考える)態度、方法、思考を指しています。
(日常語でもそうでしょう)
68 :
OFW :2001/05/06(日) 20:37
>>60 (58さん)(つづき)
>ちなみにルーマン的な意味での社会システム論は静態的とは言えないし、
>パーソンズにしても、均衡主義的ではあるが、別に静態的とは言えまい。
確かに狭義の「静態的」より広い用法でしょうが、社会システム論では社会
の歴史的発展(創造性と飛躍面)はどう取り扱うのでしょう?
>>61 (58さん)
>深く知らない、と自ら言うのであれば、いいかげんな事は書かないこと。
それは反省します。が、言いたかったことは、<社会の本質論>に向けた
方法論如何という点であり、(対象自体およびその記述双方において)個別
的な諸部分から全体社会が如何に構築されるか、という点です。
私はそこには、「生産関係」という概念を挿入する必要があると思う。
>「本質論」とは?
物事の本質「について」の議論、のことです。
>「個別現象のうちに本質を見る、とは現象の現実性を捉えること」という文章
>が、まったくもって意味不明。
この辺は端折った言い方でしたが、ある事象が単なる偶然か、必然的なも
のなのかを具体的に明らかにする、ということです。「現実性」とはヘーゲル
流のそれを言い、「現象と本質の統一として、他のものの現れではなく、
それ自身の現象」という概念内容を持ちます。
(例:「今の状態は、単なる一時的な不況ではなく、現実的な恐慌だ」
・・・恐慌という現象の必然性は資本主義経済の本質から来るという含み)
>歴史的かつ本質的な見方が即弁証法的な見方?意味不明。
この辺は、説明すると大変。お題目程度ということで、ご容赦。
>それに弁証法と言ったって、いろんな「弁証法」があるのをお忘れなく。
いろいろな「弁証法の解釈」がある、と言うことでしょうね。
>あなた独自の「弁証法」を言うのであれば、それをちゃんと定義しないと。
哲学板で「弁証法の定義」を一言で言おうとして、うまくできなかった。
ヘーゲル&マルクス流、ということでご容赦・・・。
69 :
OFW :2001/05/06(日) 20:39
>>62 (58さん)
>「位置が曖昧」と言うが、その根拠はどこにあるの?
この辺がスレ本来のテーマでしょうが、社会科学の中での他の分科である、
経済学、法学、政治学等と異なる社会学固有の対象は何か、が曖昧だと
言う根拠は、一般化するための単位要素をどこに置くかがはっきりしないか
らだと思います。「職業」「家族」「世代」等は個人の属性であり、また関係性
として部分社会を複合的に形成してもいる。しかし、その総体性は?
>同一視できない。
同一視はしていませんが、総体的存在というそれ自体対象化できない対象
を相手にしている点では、共通の課題を持っているのではないでしょうか?
>つまり社会学はその誕生当初から、曖昧な学問的位置付けだったのだ。
その点は良く分かります。
> 「人間」なる地点から社会を理解しようとはしない論者だっている(ルーマン
>など)。
><疎外された社会>って???社会が疎外されるとは??これも意味不明。
人間を消去して社会をシステムとして論じるのが有効性を示しているのは、
対象である社会自体が疎外され、物象化されているからでしょう。
>疎外論の文脈
たとえば、広松渉氏は疎外と物象化を区別していますが、私は物象化とは
近代以降の人間社会(社会関係総体)の疎外の一様態だと考えています。
「人と人との関係が物と物との関係として現れる、この転倒した社会」
(マルクス)においては、人は人でなくなり、システムの一要素とされる。
>>63 (58さん)
>「そもそも社会はシステム以上の存在」などというアホくさい事
その根拠は何でしょう?社会は人間が作るので、モノではないでしょ?
・・・またまた長文失礼。しかし、テーマ自体への意見が聞きたいな。
70 :
代打名無し :2001/05/06(日) 20:48
だー もう少し引用レスの仕方を考えれ
71 :
蟹 :2001/05/06(日) 20:50
15です。住人化してきたので名前を蟹に変えるのでよろしく。 で、ちょっと収拾しようよ。 まず58さん。58さんのおっしゃることももっともだと思うけど、 同時にOFWさんの解釈もまた成り立つ関係にあるので、 58さんの主張によりOFWさんが無知であることにはならないはず。 それに、58さんが分からないという、例えば「疎外された社会」などは結構有名な話よん? もとより、まぁ別に無知だっていいじゃないの。 私は無知に鞭打つようなマネはしないのです(笑)。
72 :
蟹 :2001/05/06(日) 20:52
で、次にOFWさんについてだけど、 どうやら主張の対立点は、双方の拠ってたつ立場の違いにあるみたいね。 >クリプキには詳しくないが、言語ゲームの無根拠性のこと? まさしくそう。んで、マルクスの「命がけの飛躍」についても、 私は、OFWさんのように「商品が売れる」という平坦な意味に解してない。 交換された「後」で、「その商品は100円の価値だったのサ」とはいえるが, なぜその商品が100円で交換されなければならないのか、を 事前に説明することはできない。だから交換は「命がけ」になる、ってこと。 同じように、「イヌ」という語が、犬という物体を指すという関係も、 犬のことをイヌと呼ぶという関係が成立してから「後」にしか説明できず、 なぜ犬をイヌと呼ばなくてはならないかは説明できない。 だから、犬をイヌと呼ぶルールを教えることは「命がけ」になる。 確かマルクスも資本論の最初の方でそう言ってたと思うけど、読んでない?
73 :
蟹 :2001/05/06(日) 20:53
で、本題に戻る。弁証法と本質についてね。弁証法の定義は別によい。 弁証法に限らず、どのみち言語ゲームの中での思考方法は、 全て本質・普遍的なるものに迫ることができないから。 クリプキに詳しくないそうなので例を挙げると、 日本という共同体に属するABが、生活様式について議論を交わしたとする。 そこでABがいかに、弁証法によっていかに高次のテーゼに辿り着いたとしても、 それは、イラン人の生活様式にも普遍的に妥当するテーゼにはなりそうもない。 共同体の中でいくらやっても、「井の中の蛙」ってわけやね。 思想史的には、弁証法はこの独我論の問題を克服しようとして、結局克服できなかった。 そのことを指して、私は、弁証法は本質に迫ることはできぬ、と。 じゃあどうするのって「共同体の外にいる他者(他我)の導入」が叫ばれたけど、 人間なんらかの共同体に属しちゃってるから、 真に共同体の外を志向することなんてできやしない(と私は思う)。 だから、社会学は永久に「井の中の蛙」であり続けると思う。 なお、OFWさんの指摘する内容につき反論はないよ。
74 :
蟹 :2001/05/06(日) 20:56
長くてゴメンね。 私は、だんだんテーマが違ってきちゃったからそろそろ抜ける。
75 :
58 :2001/05/06(日) 21:24
>蟹
疎外された社会のことを知らない、と言っているのでなくて、ああ唐突に書かれた
んじゃ、理解できないよ、と言っているのですよ。
あと、73によるクリプキの解説は、これ、クリプキの解説ですか?
違うと思うけど。単にそういうこというのであれば、そのものズバリ言えばいいと
思うよ。あるいは、せいぜいウィトゲンシュタイン持ち出せば済むことのよーな。
あと、俺がOFW氏を無知と言ったのは、
>>67 における「形式主義」という、テクニ
カルタームとして現にある用語を独自の定義で、しかも断り無く使っていること。
「現象」や「本質」などの用語にしてもそう。さらには
>社会は人間が作るので、モノではないでしょ?
などと平気で言う所。社会学を少しでも勉強したら、こういう事は言えないはず。
言うにしても、先行研究をふまえての批判という形になるはず。
にしても、俺があれだけ文句書いたのに、丁寧なレス返してくるOFW氏の人柄と
いうか、心の広さは見習うべきだな<俺(蟹氏に対しても同様 スマソ)。
76 :
58 :2001/05/06(日) 21:29
さらに >蟹 >人間なんらかの共同体に属しちゃってるから、 >真に共同体の外を志向することなんてできやしない(と私は思う)。 >だから、社会学は永久に「井の中の蛙」であり続けると思う。 まったくもってその通りだと思うよ俺も。 逆に言えば、だからこそ社会学的思考の可能性が芽生える、と。 井の中の蛙ということに無反省なガクモンよりは、マシだとも思うし。
細かな論争は別スレでやれよぅ。
78 :
ハァ? :2001/05/06(日) 21:55
>77 社会学の学問的有効性について話し合っているんだから、このスレでいいじゃん。 細かな論争?がいやだというなら、読み飛ばせよ。 がさつな言い争いよりは百倍ましよ。
>>74 15こと蟹氏がいなくなったら、またOFWのオナニースレになっちゃうぞ。
せっかく収拾ついてきたんだから戻ってきなよ。
age もっと簡潔に頼む……マジで……。
81 :
社会学名無しさん :2001/05/07(月) 23:34
82 :
前園26歳 :2001/05/08(火) 00:34
後付けの学問。先というものがない。 ださい。
83 :
:2001/05/08(火) 04:41
社会学を社会の役に立てよう、なんて余計なことを考える奴が、 社会を無理に管理しよう、マインド・コントロールしようとして失敗する。 文系的知的好奇心の満足を求めるんだったら、社会学じゃなくて歴史学や 心理学ですむと思う。いらないんじゃないかな?社会学って。
↑ またコレだよw
85 :
名無しさん :2001/05/08(火) 06:14
いたずらに教員や公務員を増やすのもどうかと思いますよ。 こんなことは言いたくなかったのですが、不景気 で税金の無駄づかいは、やはり気になります。 重複する内容の学科は他の科目に合併吸収した方がいいと 思います。 自分の研究が、何の目的で行われているか明確に説明できない もしくは、その説明が妥当ではない教員は、クビにすべきでし ょう。財源は限られているのですから。それでも、 自分たちの研究に自信があるのならば、自分たちで資金を 集め、個人で研究所を設立すべきでしょう。 学生も、何の目的で、何を研究し、将来その研究を 何の役に立てたいか、しっかり考えてみてください。
86 :
>85 :2001/05/08(火) 06:29
おまえバカだなぁ、正論吐いてるオマエに教えてやるよ。社会学は何の役に立つか?という問いは、 「クソゲーがなんの役に立つか?」という問いに似ている。 (新新宗教がなんの役に立つか?でも置き換え可) 社会学は学問ゲームでいったら、クソゲーの部類に入る。 社会学にまともな理論はないからだ。 何故クソゲーをやる人間がいるか? 市場社会においてクソゲーをつかまされた人間は、 おっちょこちょいの弱者か、そうとうの暇人である。 普通の人間は賢いので、そこでクソゲーをすぐやめる。 しかし、クソゲーにハマル人間がいるんだなあ、世の中。 それがどんな人間かは、今はどうでもいい。 @クソゲーの供給者は、クソゲーを売る事で生活している。 Aクソゲーの需要者は、クソゲーで暇つぶしをしている。 需要供給の関係が、どういうわけか知らんが成り立っている ように見えるような気がするあいだは@とAで役に立っている ともいえる。 社会学は、弱者の学生には楽しいゲームである。 大人になれば、どうでもよくなる、こんなクソゲーは。
87 :
名無しさん@1周年 :2001/05/08(火) 09:56
ま、あたってるかもしれなけどね。 しかし、えらいおおざっぱな言い方だな。↑ あんたプロ目指してる人じゃないでしょ? ただ、なぜか昔から、学生さんの人気授業だよね。<社会学 何を期待してるんだろーね全く。 経済学とかがクソつまらないのは分かるけど、 社会学とかマスコミ論に期待されても、というのが正直な感想。
88 :
メンズリブオ :2001/05/09(水) 22:30
元社会学部にいた者です。みんな要らないとか言ってるけど、僕は社会 に出てから随分役にたってるけどなあ。企画書やマーケティングでは社 会学的知識が結構ヒントになってるし。きっと対象にしてる領域が広い から、その実利面が把握しにくいからじゃないかな? 理工系だと物としてその結果が目に見えて、売り上げ台数として発表 されるから、役に立ってるのが一目瞭然なんだろうけど。成果がわかり にくいから、全く役に立たないていうのは、乱暴だと思うよ。 少なくとも社会学を悪く書くような視野の狭い暇人に、クソゲーなみの 愉しみは与えてやってますよ。ハハハ。
89 :
OFW :2001/05/12(土) 08:11
ども、1週間ぶりの再登場。
>>72 -73(蟹さん)
>確かマルクスも資本論の最初の方でそう言ってたと思うけど
『資本論』でのマルクスの立場は「人間社会の自然史」というものです。
それは歴史的社会の根拠の意識化と社会の主体化を目指している。
>全て本質・普遍的なるものに迫ることができないから。
クリプキはともかく、むしろ弁証法なしには本質には迫れない、と思う。
人間が自己の行為の根拠に遡及するのは常に後づけ、とはその通りですが
それは、社会の自己同一的な本質に迫れないことの理由にはならない。
>>81 >形勢不利になると沈黙。ずるくない?
GWが終って仕事が忙しくなったためで、別に形勢不利とは思っていない。
そもそも論争するつもりはないので。
・・・繰り返しですが、社会学が社会の本質を見失う場合、社会学無用論は
正当性を帯びてくるでしょうね。(これはどの学問でも同じ事ですが)
90 :
社会学名無しさん :2001/05/12(土) 15:54
>89 何がいいたいのか、さっぱりわからない。相手の話と全然かみ合ってない。 論争するつもりがないのはいいけど、議論を発展させようよ。
91 :
火 :2001/05/12(土) 17:25
うどんって何の役に立つの? 麺は? 汁は? ねぎは? 揚は? ラーメンって俺からしたらいらねえ。 コタツはなんの役にたつの? 星ってなんで回ってンの? 人間なんで生きるの?
92 :
名無しさん@社会学者 :2001/05/13(日) 15:28
社会学的発想や視点というのが役に立ったりする商売もあるね。 目的はこれだ!とやるよりも,意外にこんなとこで役立ってるとか,こんなとこが面白い,興味深いってとこから話を進めていったほうが建設的なような気がしますね。
てゆーか、それが良くも悪くも社会学の限界だと思うし、 それで充分に意義はあると俺は思うんだけどなあ。違うの? 「役に立たないなら『社会』って名乗らないで下ちゃい!」 って意見をよく聞くので、誰か教えて欲しいのだが、 何で社会って名乗ったら役に立たなきゃならんのだ?
総じて社会学徒は偉ぶってるから、嫌味のひとつも言いたくなるってやつじゃないの?
95 :
ななしさん :2001/05/14(月) 14:05
>93 う〜ん、経済学とか政治学とか法学のなどの限界を感じて、成立した学問だから、 それが社会に役立つかはともかく、ただの学問になったら、オソマツきわま りないと思います(苦笑)。 社会学って社会科学の隙間だから、学になることに常に 疑問を持たなきゃいけないはずなのに・・・。
96 :
93 :2001/05/14(月) 16:49
>>94 それじゃあ質問の答にならんでしょうが。
>>95 >経済学とか政治学とか法学のなどの限界を感じて、成立した学問だから、
>それが社会に役立つかはともかく、ただの学問になったら、オソマツきわま
>りないと思います(苦笑)。
うーん、ゴメンやけどピンと来ないな。俺はドキュソなので許してくれ。
そもそも「ただの学問」じゃないのが何を指すわけ?
「それが社会に役立つかはともかく」って留保してる割には、
その先に「役立つ」実用的なものを視野に入れてる気がするけど。
もしそうならば、「何で社会って名乗ったら役に立たなきゃならんのだ?」
という
>>93 での俺の質問に、結局は答えてもらう必要があると思うけど。
あと、「社会科学の隙間」ってニュアンスが、よくわからん。
社会学ってむしろ全体像をカバーするようなものじゃないの?
え? 違うの? 誰か説明キボンヌ。
97 :
93 :2001/05/14(月) 16:49
間違ってsageてしまったので、ageます。
98 :
ラーメン大好き@名無しさん :2001/05/16(水) 23:30
まあ、なくなったら困ってしまうという学問ではないな。
99 :
age :2001/05/17(木) 13:14
僕は96ではありませんが、結局、 96には誰も答えられないのでしょうか?
100 :
名無しのエリー :2001/05/18(金) 00:37
>>96 全体をカヴァーすれば隙間は埋まるだろうが。
その分体系性がないから、学問としてはお粗末に見えるかもしれない、
しかし、そうした柔軟さ、自由さこそが社会学のいいところなんだろ。
医者でたとえる。法学・経済学・人類学なんかはそれぞれの専門医。
現代医学はあまりにも高度・複雑なので、たとえば頭痛・発熱という症候が
どういう原因によるものかの判定は難しい。
脳に腫瘍があったりだとか、精神的なことが原因だったりとかしても、
近所の内科に行くと(たとえそいつがすんごい名医でも)
ただの風邪だろうと誤診されてしまうかもしれない。
んで、風邪の治療をしても治らないもんだからいろんな病院をたらいまわしされ、結局手遅れ死亡。
これじゃいかんというので、新しい分科をつくった。身体科とでも名付けよう。
身体科は自前の治療法は当然持たないけれど、外科・内科・あらゆる医学的見地から患者を診察する。
つまり医学諸分科の隙間をうめる役割を果たすわけだ。
96の質問に答えられないわけじゃなくって、
ドキュソの相手は疲れるから書き込まないんだろ。非常に賢明な判断だ。
俺は暇な素人なんでレスしてみたが、これでいいの?
>>100 ドキュソに対しても非常にわかりやすいたとえだネw
いや、別に煽ってるわけじゃないですよ。有り難う。
>>95 「『ただの学問じゃない』学問が何を指すのか?」
「何で社会って名乗ったら役に立たなきゃならんのだ?」
って2つの質問に早く答えてくれよ。
みんなは常識として批判してるが、何故なのかわからない。
ドキュソの相手は出来ないって?
……それとも、逃げちゃったのかい?(ワラ
ま、それなら、他の人でも良いけど。
「社会学は役に立たねばならない!」って命題は、
果たして何を根拠に言っているのだろうか?
(「社会」って名乗ってるから、なんてのは根拠になり得ない。)
そしてその根拠は本当に正しいのか?
多くの人は「常識」としてるみたいだけど、本当は、
他人の尻馬に乗ってるだけの気がして仕方ないんだよなー。
>>101 答えたことにはならんかもしらんが・・・ 何のために社会学をやるのか?ということを考えれば,個々人で解答は 異なってくるよな.とりあえずは. でも, 社会学の研究者も(まあ,他分野もそうなんだが)社会の中で生活している 以上,そこから乖離して存在しているわけじゃないんだとわしは思うのよ. つーことは,学問という営みにはある種の公共性があるんだと思うんだな. こういう営みをする以上,そこにはある種の社会的責任みたいなもんが当然 ついてくるように思うんだな. そこから考えると,学的営みなり,成果なりを社会に還元するようなことも 問われても仕方がないようには感じるんだが・・・ スマン.これで答えになっているかどうかはちょっと不安だ. わしもこれについては知りたいんだ,ホンとのところ. 101さんの考えも聞かせてくれると嬉しいぞ.
付けたしだが,わしは93・96ではないぞ
あぼーん
106 :
OFW :2001/05/22(火) 07:02
ども、久しぶり。しかし、今一つ盛り上がりに欠ける。
>>91 (火さん)
>うどんって何の役に立つの?
食料として基本的な栄養源です。それは生きるために役に立つ(質の面)。
>汁は?
水分も生きる上で必要であり、多過ぎなければ役に立つ(量の面)。
>ラーメンって俺からしたらいらねえ。
個人の好み(経済学の専門用語で選好性などと言う)は社会の中で意味
を持つ。ラーメン好みのためにラーメン屋がいて「他人の役」に立っている。
(価値の他在、相対性の面)
>星ってなんで回ってンの?
それぞれの存在に応じて、その固有な法があり、無生物的自然と生物的
自然では「なんで?」の答えも異なる。近代哲学では「自然それ自体に
意味はない」(ハイデガー)が常識的ですが、それは皮相な考えでしょうね。
>人間なんで生きるの?
人間は互いに他人の役に立って生きており、それは個人を超えた「家族の
ため」「世のため」「人類のため」といった理由(生きがい)がある。それ
を社会的人間と呼ぶわけ(総体的関係性の面)。
>>93 >何で社会って名乗ったら役に立たなきゃならんのだ?
誰でも<何の役にも立たない自分>を社会的に無価値だと感じる。
その「社会的な価値」がどこからくるのかが明らかになれば、社会学者自身
と一般人双方にとって役に立つ。しかし、「いけないの?」とは倫理的価値
への問いであり、経済的な「役に立つか(効用)」を超えた価値論が必要に
なってくる。「価値意識の理論」(見田宗介)などがあるが、意識の前に
価値自体の概念がないので、不十分。
>社会学ってむしろ全体像をカバーするようなものじゃないの?
上のレスで問われたことですね。社会学は経済、法律、政治学とは異なり、
それらを包む<社会の総体的本質>を目指すべきだということ。
107 :
名無しさん :2001/05/31(木) 07:37
>個人を超えた「家族のため」「世のため」「人類のため」 >といった理由(生きがい)がある。 神のためっちゅう宗教的人間は、どう位置づけらるんでしょう。
108 :
名無しさん :2001/05/31(木) 07:45
>106 >個人を超えた「家族のため」「世のため」「人類のため」 >といった理由(生きがい)がある。 「家族のため」という生きがいが個人を超えているという証拠は あるんでしょうか?個人が家族のために生きるという生きがいは 、個人が持つと思うのですが。
109 :
>105 :2001/05/31(木) 07:51
あなたのおっしゃる通りです。社会学徒は均衡点へと導くために テクノクラート的に大きなお世話をしてウザったがれた方がい いですね。
110 :
>105 :2001/05/31(木) 20:43
俺もその点には同意であーる! でも、「行動する」って何を指していっているの? 調査のこと? 確かに、哲学ちゃんたちは調査をしたがらない傾向があるけど・・・ それとも、社会運動みたいなものを指していっているの? まあ、どちらとも哲学ちゃんたちにもやってもらいたいことだよね。 やってみると案外楽しいかもよ。
111 :
社会学名無しさん :2001/05/31(木) 23:46
OFWっていっつも議論をとっちらかしてない? もっと自分の言葉でしゃべってくれないと何も言ってることにならないよ。
112 :
田中洸人 :2001/06/02(土) 19:40
113 :
発破 :2001/06/27(水) 15:45
無視してください。でも、かかせてください。 なにがぁ、公共圏じゃコミュニケーションじゃ新自由主義じゃ市民社会じゃ 管理社会じゃコミュニティじゃ新しい社会運動じゃ第三の道じゃ いわれなくともわかっとるわい。論じなくとも実践しとるわい。 なにが正当性じゃNGOじゃNPOじゃボランタリーアソシエーションじゃ デモクラシーじゃ。コスモポリタンじゃ。 くそー。 うえーん。
114 :
? :2001/06/27(水) 17:44
論じなくても実践しとるわい。? 意味不明
115 :
ななしさん :01/09/15 00:08
ふ〜ん
116 :
nanasi :01/09/15 02:19
久々にきてみたが・・・113は何なの? 哲学キティか?
だから、哲学なんかどうでもいいんだってば
>>96 あと、「社会科学の隙間」ってニュアンスが、よくわからん。
社会学ってむしろ全体像をカバーするようなものじゃないの?
私も全体像をカバーする意図から出発したのが社会学だと思います。しかし、例えば
ソキウス / 見識ある市民のための社会学リファレンス
http://www.honya.co.jp/contents/knomura/ref/ref.html 別冊宝島176 社会学・入門
を読むだけでも大変だから、「社会科学の隙間」から全体像を見たいなあ、
と言う怠け心が抑えきれないんじゃないか、と私は思います。
私が私淑するカール・マンハイムという知識社会学の創始者も、社会は
鍵鑰的位置(key position)と媒介原理(principia media)を押さえれば理解できるし、
制御できると言っており、ほんとにそうなら魅力的なので、私も信じることにしました。
120 :
名無しさん@1周年 :01/09/16 03:42
定期あげ
同意
122 :
名無しさん :01/09/17 00:08
俺もそう思う>>宙援隊員 >「社会科学の隙間」から全体像を見たいなあ 禿同!! 田舎の大学の先生にしとくのはもったいない!! 就職世話するぞ!!
>122 俺もそう思う>>宙援隊員 >「社会科学の隙間」から全体像を見たいなあ 禿げしく感謝! しかし、禿げしく不同意! というのは、65歳まで東京地区で暮らした、先祖代々の田舎ものですから、 その後田舎で暮らすのは、職住近接ならぬ墓住近接、自然そのものを満喫できて、 これ以上の幸せはありません。 インターネットのおかげで、世界中の変わり者との交信もできるし。 私の研究テーマの、農村文化社会学も実践しながら研究し、介入できるし。 いわゆるアクション・リサーチと言う奴ですね。 田舎、マンセー!
マンハイムより、マートンを丹念に読んでください。 そして、35年前の、すべての社会学は知識社会学でしかありえないというテーゼを思い出してね。
>124 マンハイムより、マートンを丹念に読んでください。 済みません。私はマンハイムの全集を取り寄せたのですが、それを通読するだけでも 時間が足りません。 マートンについては、お任せしますから、私に足りないところは補ってください。 知識社会において必要なことは知識人の分業と協力だと思います。 私は技術者として、技術知識をそのように扱ってきましたが、21世紀に社会科学が 現実に役立つためには、分担し協力するしかないと信じています。
あまり専攻しても役に立たないことも事実ですね。 しかし、いいじゃないですか?
例えば、法学部とかだとそのまま資格試験などにも対応しますが、基本的に試験にも出ない。 つぶしが利きません。 実務にもつながらない。 だから、文学部の中にあるわけです。
128 :
名無しさん :01/10/07 06:23
社会学はきっちりしたスタイルを確立していないし 標準化された理解もないから、出されたアウトプットは 「フィーリングで好き勝手にいってる」と理解されてしまう。 そのことにマジシャン的な賞賛を与えるか、胡散臭さを感じるかの 個人差は大きいが、近代科学でなく錬金術という基本的な暗黙の認識が あると思う。 また、社会学はマスコミを通じた批評・批判に結びついて 社会の現状を否定・告発する役割を果たすが、 政治や産業と結びついて、生産・解決に結び付けることは まれであり、目立たない。 永遠の批判党である左翼政党に対するような頼りなさを 感じさせる。
結局はスタイルを確立しろってことなの? というか社会に認められることが目的なのかな?
「社会学って意味あるの?」っていう問題提起は、もっと大きいんじゃないの。 社会学の中でどうのとか、哲学との関連でどうのではなくて、 社会学の外との関係の問題でしょ?
131 :
名無しさん :01/11/27 15:03
なんでだめなんだ?
他人に迷惑かけなければ、趣味でなにやってもかまわない とりあえずOFWさんのような革命家志願の人は 社会学プロパーにはいないようなので、ちょっと安心した
社会学が悪いとは思わないが、卓上の計算だと思われがちなのがマイナスイメージになっていると思う。 実際にどんな授業を受けているのかは知らないので、なんとも言えないけどね。
135 :
名無しさん :01/12/03 08:39
>社会学が卓上の計算だと思われがち ってことは何だ?実際は違うってのか? 研究題材はフィールドワークで手に入れてるかもしれないが、それ以降は 卓上の計算(机上の空論とも言う)だぞ。
で、資格を取ると何の役に立つの?
社会学の良いところを述べてください。
>>135 そんなこと言ったらほとんどの学問にあてはまるじゃん。
結論としては、簿記>社会学、とういうことでよろしいですね。
保守 age
保守age
実際に還元する場所がないからなあ。 社会問題研究したって対策とか具体化できないし。 社会政策で取り入れてくれることもない。 イギリスのA.ギデンズ位か?
保守あげ
また最近になって、社会学板を駄スレが覆うようになってきたね。 電波が社会学を支配しているのだから、改善させようなどというのは無駄なこと
駄スレばかりですなW
147 :
( ◆isY6XJ/fjM :02/11/06 15:20
それは社会学板が駄目な理由ですね。 社会学が駄目な理由を述べないと。 そうすると、やっぱ宮台・上野信者があふれれているように、レベルが低い ことになるか? でもそれは奴らのファンのことか、、、 学問としてはどうなのか、そこんとこだな。
学問としては・・・ きかんといて!
話にならんでしょ。ダメなももはダメ!
ひどいもんだよ、社会学。
(^^)
どうしてダメなのか。 論理的解答を!
ダメだから。
だめですね
だめなものはだめ。
ダメだったらダメ
158 :
sin60° ◆Liw6R/2o.s :03/03/03 06:05
ウチも社会学やった学生だけど、社会学がダメだって言われるのは 社会学という名称がよくないんじゃないかと。 もう今の時代、一般人には社会学=コントやウェーバーやシカゴ学派みたいな いわゆる古典社会学の図式ができてるから、臨床的応用が利かない すなわち古い学問→意味ないとなるのではないかなと。 それも古典社会学の基礎の基礎さえ分かってない素人以下の般ピーが かってに「社会学=実用性なし」とかってに思って吹聴しているふしがある。 現在の社会学が古典社会学から受け継がれた 「二者以上の関連するシステムを解析する学問」を基礎とした発展系として認識されていない。 社会学という名称による先行したイメージと実際のギャップに 種々の細目化された社会学領域が正しい認識を妨げられているんだと思う。 くだらない研究は、社会という巨視的な対象の根底に流れる基本法則を導き出す為の 原理の追求だという、物理学などと同じ自然科学に属した社会学の宿命だと 分かっていない学問弱者の勝手な思い込みなんだとおもう。 だから社会学という崇高な学問をする大人な社会学徒は 学問弱者のハズカシイカンチガイを救ってあげる為に 社会学っていう名称を変更してあげれば社会学ももっと認知されるんじゃないだろうかね?
159 :
sin60° ◆Liw6R/2o.s :03/03/03 06:08
>158の自己修正 × 種々の細目化された社会学領域が正しい認識を妨げられているんだと思う。 ○ 種々の細目化された社会学領域についての正しい認識を妨げられているんだと思う。
>>158 >物理学などと同じ自然科学に属した社会学の宿命
社会学が、いつ、「物理学などと同じ自然科学」に
属したことがあるの?
(^^)
162 :
はぁ・・・ :03/03/14 17:21
我々に必須の課題は、可能な限り人文色を排除していくことだと思うのですが。
>>162 別に人文色を拝したところで進展はないだろ。タコが自分の足を食うようなもんだ。
非人文系(?)が着実に成果挙げてんなら人文系を無視すりゃいいだけの話なんだから。
で、どっか業績挙げてるとこあるの?数理社会学?ゲーム理論?
164 :
出会い系ビジネス他所とは違います :03/03/14 17:45
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>>158 ウェーバーの「客観性」研究は、現在のメディア研究・新興宗教研究・
保守論壇研究には充分有効だと思うが。
政治的圧力によって潰される可能性は高いけど。
日本の社会学は、政治と距離を取りすぎていて、一般人程度にしか政治と
関わっていないところがダメなのでは、という気はする。例外的な社会学者は
いないこともないけど。少なすぎる。
誰か、公共性理論の優れた学者、海外も含めて教えてけろ。
やっぱり情況と積極的に関わった社会学者宮ディーは偉大だね
>>1 ほら、みてごらん。
宮台信者や上野信者がこんなに・・・w
社会学の現状が分ったら、とっとと他分野へ逝くことです。
169 :
Th.アドルノ :03/03/17 16:44
理論社会学と哲学を分離することを私は拒否します。
好きにしれ!
(^^)
社会学がダメなんじゃなくて、 社会学屋がダメなんでは?
対談だけして論文を書かない自称社会学者がダメ。w
取り急ぎ、これってどうよ? 227 :名無しさんの主張 :03/04/06 05:28 417 名前:非公開@個人情報保護のため[] 投稿日:03/04/05 20:37 公明党がパチンコは最低限度の文化的な生活だとか何とか言って、 パチンコ→文書指示→保護廃止という一般人にはごく常識的に思えるラインを つぶしてしまった経緯がある…と聞いた。 だが、国の金で賭け事はどうかね。 普通、ギャンブルする金がないから貸してくれ、とその辺を歩いている人間に 言ったところで、相手にされないだろう。 しかし、それが制度化してまかり通っている… 228 :名無しさんの主張 :03/04/06 05:31 174 名前:名無しさん@ゴーゴーゴーゴー![sage] 投稿日:03/03/28 01:30 ID:pWB9Y1g5 友人の親が民生委員やってるので、友人の家に行った時たまに 生活保護の話を聞くけど、一番すげえと思ったのは、月の受給額が 40万以上いってる奴の話 働くのが馬鹿らしくなってしまった・・・・・・
山崎渉(^^) を追うものです。
∧_∧ ( ^^ )< ぬるぽ(^^)
学者としてダメだというよりは、人間の器量としてダメな人は困る。 つまり、自分の関心のあるテーマとか、モノの見方だけしか、認めない人。 偉い先生でもこのような許容範囲の狭い人はいて、その場合は下の者たちはとても困る。 でもこれは社会学者だけじゃないよ。他の学問分野の研究者でも同じ。 自分の趣味とか、価値観とか、政治的立場とかが一致する「仲間」を求める傾向がある。 彼らの発するコメントはつねに、「君の研究は僕の趣味にあいません」というような意味のことばかり。 ご本人たちは純粋に学問的なコメントをしているつもりなのだろう。 よい子の僕らはそんな人にならないよう気をつけよう。
そもそも、社会学って何ですか? 私、大学の社会学の教授複数に何度も聞きましたが一度も分かったことありません。 これは私が理系だからか、言葉が難しすぎるのか分かりませんが、さっぱり分からないんです。 具体的に何をする学問なんでしょうか。 理系の学問であれば、雑多な現象を理解しようとする→法則を探す →あれば成立する原因、応用について研究、無ければ法則が無いことが分かった、で終わりですよね。 何をする学問か分かってないのに批判するのもアレだと思いお聞きしました。
>そもそも、社会学って何ですか? 妄想でオナニーするところです。
自分のための社会学 社会のための社会学 社会学のための社会学 少なくとも、非常識かつ無教養の人には学んでほしい学問だ。 ということで「必要」な学問だ。
意味不明ですねw
181のような発言は発言者の頭が悪いと公言してるという意味にもとれますね
184 :
動画直リン :03/04/29 13:17
>>182 う〜ん。
社会学的だ(笑
何を言っているのか分らないあたりが(笑
この世は無限の病だ
187 :
オナニー大好き :03/04/29 20:39
人文DQNはダメ
( / ⌒ヽ | | | ∪ / ノ | || ∪∪
190 :
動画直リン :03/04/29 21:17
とにかくダメ
就職先がまだ見つかりません
中高生のみなさんへ: 安定した将来を望むなら社会学部に入ってはいけない。
お騒がせタトゥー、ついに連行される!
ロシアの人気女子高生デュオ「タトゥー」が、16日未明(現地時間15日)、
モスクワ・赤の広場で新曲プロモーションビデオ(PV)を撮影中に無許可撮影として
大統領警備隊に連行された。
この模様はタトゥーを取材していたフジテレビ系情報番組「めざましテレビ」が撮影しており、
同日朝、独占映像として放送した。
http://accessplus.jp/staff/in.cgi?id=11141 っていうかエロすぎ・・・
∧_∧ ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。 =〔~∪ ̄ ̄〕 = ◎――◎ 山崎渉
社会学はとってもダメだ
なぜ?
だめなものはだめだ
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
>>141 同意
ところで話は変わるけど、携帯ゲーム機"プレイステーションポータブル(PSP)
このPSPは、新規格UMD(ユニバーサルメディアディスク)というディスクを利用しており、そのサイズは直径6cmととても小さい(CDの半分程度)。 容量は1.8GBとなっている。
画面は4.5インチのTFT液晶で、480px x 272px(16:9)。MPEG4の再生やポリゴンも表示可能。外部端子として、USB2.0とメモリースティックコネクタが用意されているという。
この際、スク・エニもGBAからPSPに乗り換えたらどうでしょう。スク・エニの場合、PSPの方が実力を出しやすいような気がするんですが。
任天堂が携帯ゲーム機で圧倒的なシェアをもってるなら、スク・エニがそれを崩してみるのもおもしろいですし。かつて、PS人気の引き金となったFF7のように。
突然こんな事いいだしてスマソ……
GBAとくらべてみてどうですかね?シェアの事は抜きで。
202 :
食いブチを稼げるか? :03/11/15 10:08
就職活動で履歴書に「社外学」なんて書いたらおしまいだぞ。 そんなモンやってたら、まともな企業には先ず就職できない。 売り手市場だった時代は企業も目をつぶってくれていたがな。
「グローバリゼーションかローカリゼーションか」等でおなじみ「学生(ハンドル名)」主催 ■社会学@2ch掲示板OFF会!〜カフェで語ろう「2chと社会学」〜■ とき 2003(H15)11月17日(月曜日)朝10時 ※時間厳守 ところ 東京/渋谷駅・ハチ公像前集合 ※当日参加制、連絡不要 会場は一般の喫茶店です。貸切ではありません。 ハチ像前より徒歩で「学生」がご案内いたします。 「学生」の待ちあわせ目印 スーツ、フクロウ柄の茶系ネクタイ、 「社会学@2ch掲示板」と印刷した紙を持っています。 参加費 五百円(お茶代として) 参加資格 「2ch社会学掲示板」を閲覧したことがある老若男女。 学歴不問。大学のゼミの雰囲気を味わいたい方、 カフェでアカデミックな議論をしてみたい方歓迎。 他の参加者の批判を目的とされる方はご遠慮ください。 用意 ご自身のハンドル名(ニックネーム)、筆記用具。 「社会学とは何か」「社会学掲示板に思うこと」について考えをまとめてくる。 ※注意 勧誘、売買、撮影録音、個人情報の聴取、は禁止。 掲示板での主催者名による集合日時/場所の変更および中止の呼びかけは一切しません。 会の秩序を乱すような言動が見られ、参加者に危険が及ぶと考えられた場合 主催者は言論の自由よりも参加者の安全を優先し積極的に警察の仲介を要請します。 2時間程度を予定しています。散会後はご自由にお過ごしください。
人格障害って知ってた?
俺も、人格障害って言えば、人格障害になるわけだが(社会通念上の定義)、 精神的カタワ、知能障害(善悪の区別がつかない)、enviromennt polution(←造語)より、よっぽどいい 試しに、比べてみたい。 その、いわゆる人物と。
ちなみに、ボダは、良い人みたいよ
人間のクズが社会学へと動機付けられるんだから、社会学が糞なのも無理はない。
社会学糞理論
・・・だめぽ
人文
イデオロギーに犯された社会学は、社会科学として死んだ。
イデオロギーに犯された社会科学といえば、経済学の方が先輩だし、より深刻。
人文に犯されて社会学は真だ
215 :
名無しさん@社会人 :04/08/31 07:38
社会学がダメなのは日本だけでしょ
216 :
名無しさん@社会人 :04/09/24 08:30:27
age
217 :
名無しさん@社会人 :05/01/15 22:00:26
冷静に考えたら役には立たないな。 別にいいじゃん、楽しければ。
218 :
名無しさん@社会人 :05/01/15 22:21:50
219 :
名無しさん@社会人 :05/01/17 00:41:17
税金 泥 棒
社会学は「他の学問はイデオロギーに犯されている」と叫ぶ****の巣窟。
日本の大学制度のもっとも腐った部分であることだけは確かだ。
222 :
名無しさん@社会人 :2005/07/24(日) 19:48:16
223 :
名無しさん@社会人 :2006/04/09(日) 09:00:09
age
224 :
多岐山やよひ :2006/04/09(日) 09:29:02
私は222の社会学観とは逆でですねぇい、 他の細分化された繊細な、軟弱な学門に対して 明快なイデオロギーを示し、大木となるべき 逞しい社会学を日々模索している、こう考えるわけです.
大木になると。
226 :
名無しさん@社会人 :2006/06/11(日) 15:09:34
駄目じゃないよ
宮台真司は全てがダメ
228 :
名無しさん@社会人 :2006/07/07(金) 13:06:30
だめじゃないと思うよ
229 :
名無しさん@社会人 :2006/10/16(月) 12:35:56
役に立たないことが社会学の使命
230 :
名無しさん@社会人 :2006/10/16(月) 12:58:32
宮台信者絶滅祈願(^o^)=V
宮台ストーカーは宮台に処女を捧げた かつては宮台に身も心も捧げようと思っていたところ、放流されたという 健気な彼女はしたたかに野生化し 今では立派なストーカーになって、心のふるさと、宮台のもとに戻ってきましたとさ
232 :
名無しさん@社会人 :2006/10/17(火) 13:17:44
面白い
233 :
名無しさん@社会人 :2006/10/17(火) 20:04:55
つまらん
234 :
↑ :2006/10/17(火) 21:24:26
本人
↑統合失調症妄想癖宮台信者
236 :
名無しさん@社会人 :
2007/03/01(木) 16:11:00 だめではないが、つまらん学者が多い。