山形浩生 vol.2 

このエントリーをはてなブックマークに追加
294名無しさん@1周年
[こ-008]
小谷真理、およびそれを泡沫とするニューアカ残党似非アカデミズム
こたにまり、およびそれをほうまつとするにゅーあかざんとうえせあかでみずむ

巽さんちの小谷真理
このごろすこーし変よー
どーしたのーかーなー?
日本のコスプレ論じても
エヴァンゲリオン語っても
いつも言うこたお・な・じ
「それはね、レイプされているのよ!」
つまんねーなー

 そもそも小谷真理が巽孝之のペンネームなのは周知で、
ペンネームを使うなら少しは書き方を変えればよさそうな
もんだが、そのセンスのなさといい (名前が似ているとか
年代が同じとか、くだらない偶然の一致を深読みしようと
して何も出てこないとか)、引用まみれで人を煙に巻こうと
する文の下手さといい、まったく同じなのが情けないんだ
が、まあこれはこの種の現実から遊離した似非アカデミズ
ムに共通した傾向ではある。

 似非アカデミズムというのを説明すると、たとえばフェ
ミニズムはそれなりにパワーを持っていた。それは社会を
変えるという意味でのパワーね。だからこれは本物。でも、
フェミニズム「批評」なんかに何の力もないのだ。だから
これは似非なの。具体的にいえばだね、もしエバゲ (『エ
ヴァンゲリオン』) を云々したいなら (でも、何が悲しく
て?)、そこに西洋文明が隠蔽した二項対立構造が存在して
いることを指摘したってしょうがないのよ。だってそれは、
もし存在するならあらゆるところに存在するはずのものな
んですもの。それがエバゲにあってどうだっての? 社会
はそんなことをしてほしくてあんたらを飼っているわけじ
ゃないんだ。

 そもそも「二項対立」云々なんて議論の価値は、それが
現実の人間のありようを整理できるとか、説明できるとか
いう部分にしかない。そのための知的枠組みなのだもの。
検討するなら、「この理論はここまで現実に適用できます」
「こういう条件では適用できません」というのを、定量的
にとは言わないまでも、何らかの形で示さないと。さもな
いと他人のふんどしで相撲の真似ごとをするだけの痴話饒
舌にすぎない。

 エバゲを論じたっていいんだ。二項対立でも別にいいや。
でも、くだんないのがそのやり方なのよ。二項対立がエバ
ゲにあることを指摘したってダメなの。それがエバゲを通
じて、現実にどのようなインパクトを与えているか示さな
いと。またもや具体的に言えばだね、価値があるとすれば、
その「二項対立」とやらをどう料理することによって大衆
的な人気が生じているのか、という部分の分析なわけ。そ
れをどうすれば移植できるのか、というのを分析しなきゃ。
これは現実的に価値と力を持つ分析になる。経済的にも社
会的にも。

 たとえば宮台真司が正気に返れば、たぶんこれができる
(かれは妙な露出の仕方をして舞い上がっちゃって救いが
たくなってるだけで、能力的には優れた部分を多々持つ)。

 でも小谷真理には (というか巽孝之には) そんな能力は
ない。たぶん上に書いたようなことなんか考えたこともな
いだろう。だから無価値なんだけれど、無価値であること
にも自覚はないだろうし、価値があるべきだとすら思って
いまい。これはつまり、おたく的閉鎖世界なのね。これは
『ユリイカ』とか『現代思想』とかに巣くう「評論家」と
か「知識人」とか、気取った小難しい文を書き散らすだけ
のニューアカくずれの理屈輸入屋すべてに言えること。ち
なみにこれは「アカデミズム」とは無縁で、本当のアカデ
ミズム (少なくとも部分的に)は現実に対する力を忘れて
いない。それを見分けられるようになること。むずかしい
けれど、でもこれは大きな課題。
295山形浩生:2001/03/20(火) 13:27
あー、ホントにやりやがった。>>294 えーと、上記の文中で

>そもそも小谷真理が巽孝之のペンネームなのは周知で

の部分は事実ではありませんので、読者諸賢はその旨ご留意ください。