だからこそ家永さんは自分達のものには検定を外し、作る会のものには検定がひつような
ことを主張してイカレタのだよ。
(^^)
家永教科書以外はすべて検閲されるべき
熊坂ってだれ
小熊は農学部でなにをやっていたのか。
家永は死ぬ間際に転向したんだね。ブルデューと同じか・・
小熊のようにエコロジスト→岩波→サヨの巣窟→あぼーんが理想的
まだあぼーんされてない罠
川本隆史、「倫理学ノート」解説を参照
404 :
◆.EDMOUBKE2 :03/03/12 13:13
>>398 馬鹿じゃねーの?w 公権力による教科書内容への介入に
反対することと、民主的な言論の場で、内容を議論して、内
容に問題があると思ったら、それに反対するのは別次元のこ
とだろうが。「つくる会」支持の連中ってのは、その程度の
ことも理解できない低脳の集まりってことだろ(禿藁
405 :
◆.EDMOUBKE2 :03/03/12 13:19
・・・なんだ、読売のサイトかw 便所紙にも
なりゃしねえ新聞だな。
406 :
◆.EDMOUBKE2 :03/03/12 13:32
「つくる会」の教科書、「木口小平は死ぬまでラッパを口から
離しませんでした」とか書いてあんじゃねーの?って冗談半分に
冷やかしてやったら、マジに書いてあって、悪い冗談みたいな連
中だな。テメエら脳味噌にカビ生えてんじゃねえのとかさ(藁
つくる会か。
教科書作るの?
409 :
◆.EDMOUBKE2 :03/03/12 15:00
・・・結局、公権力も建前上は主権在民なら、その判断は人民の
支持の元に下されなけりゃいかんってことだから、公権力=抑圧
的機構としか見なせないでは、健全な民主的市民社会は形成され
ない。これは一般論だ。
具体論で言えば、家永氏の反権力的な姿勢は、リベラルな勢力
に対して著しく抑圧的だった戦前の体制に好意的な、保守主義主
導の政権に向けられたものだったとは言えるかも知れない。
検定などなくとも、我々が露骨な自民族中心主義的優越感を振
り回すようでない、人倫に基づいた理性的な歴史認識を以てする
教科書を自主的に選択することが可能なら、それに越したことは
ないのは言うまでもないことだ。
趣味としての歴史ではない我々の歴史認識は、過去の方角に向
かって延長された政治問題である。我々は常に歴史のただ中にあっ
て、解決の困難な様々な問題を抱え続けている。私的な現状に安
住して、この世界の諸問題について目を背けたい、あるいは人類
社会の抱える苦悩を人類社会の一員として共に担うことを拒み、
ローカルな集団のエゴイズムの盲目的自己肯定に溺れたいという
だけでは、公の場で歴史を語る資格などない。
>>409 「人類社会」「ローカルな集団」「公の場」なる概念の
関係はどうなっているのでつか?
>>409 最初の一般論は特に異論ないが、ついでにいうと
> 具体論で言えば、家永氏の反権力的な姿勢は、リベラルな勢力
>に対して著しく抑圧的だった戦前の体制に好意的な、保守主義主
>導の政権に向けられたものだったとは言えるかも知れない。
家永氏「自身」の特定の主張に即して言えば、氏は
あくまでも検定は憲法違反という主張をしていたはず。
つまり、保守政権かどうかにかかわりなく、公権力自身の教科書内容への
介入それ自体に否定的な立場でしょう。
だから、家永氏は、「つくる会」への検定についても、当然、その同一の基準
からして、賛成するはずはない。
と同時に、内容それ自体について、自らの立場から批判的であることは、
もちろん別問題で、なんら矛盾するわけがないのは、言うまでもない。
>>411 だからあ、そのとおりで、
「教科書検定に反対していた者が
作る会教科書を批判するのはおかしい」
というのは、次元の違うことを混同している
変なイチャモンだってことだよ。
「家永教科書は検定するな、作る会教科書は検定で落とせ」
なんて家永先生は主張してたわけじゃないんだから。
>>410 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、
われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが
国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつ
て再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここ
に主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも
国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に
由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民
がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかか
る原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令
及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇
高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と
信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われ
らは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去
しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思
ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平
和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視
してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、
この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立た
うとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と
目的を達成することを誓ふ。(1946年11月3日公布)
>>413 日本国憲法前文に書かれていることが
人類社会普遍の道徳であり人倫であり
国民はこれを遵守する義務があるということですね。
(私的レベルの趣味ならともかく、公の議論においては)
>>414 逆だろ?w 俺は、この前文は良いと思う。もちろん、この前文に
墨を塗ってしまへと主張する権利も我々にはある。
> 今、問題の中学教科書の合格を批判する人の多くは、家永訴訟を支援してきた。
>賛同する教科書には表現の自由を持ち出し、反対の教科書にはそれを引っ込め
>る。どう考えても、筋が通らない。
ぶっちゃけた話、家永氏の教科書が不合格にされなかったら、家永氏だって、検定
に反対したりはしなかったろうね。表現の自由を重んじる教科書は検定不合格で、そ
れを抑圧したがる教科書は検定に合格する。・・・実に分かりやすい。筋が通らないど
ころの話ではないなw