鈴木孝夫

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1名無しさん@1周年
蓮実重彦『反=日本語論』で、鈴木孝夫の言語学者らしからぬ誤謬が指摘されたりしてましたっけね。
言語社会学がご専門とのことですが(社会言語学ではない)、言語学者としては如何なものなのやら。

ところで、言語社会学と社会言語学。経済社会学と社会経済学などなど
違いはいったいなに

2英語公用語化反対 :2000/10/02(月) 12:21
私はちょくせつ鈴木先生の授業を受けたことはないですが、修士か
博士課程で鈴木先生を指導教授としていて、今は慶應で教えている
某友人(学部名書くと、誰か分かっちゃいますからね)によると、
先生は消化器系(胃?)がお悪くて、朝気分がすぐれない時は院の
授業で当たり散らされて?、適当に合わせるのに苦労したそうです。
でも、私見では鈴木氏が外国語教育とかについて書かれたものはまっ
とうだと思いますよ。あっ、言語社会学専攻となってるのは、大学
院の社会学研究科で教えられていたため、それにあわせたんじゃない?
それから、『反日本語論』を書いた当時の蓮実氏はまだマイナー学者
だったんで、既に大家だった鈴木先生へのやっかみもあったのでは?
3名無しさん@1周年 :2000/10/02(月) 17:23
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?key=961754355&bbs=gengo
この板のスレは他からのコピペが多い気がするのは私だけですか?
4名無しさん@1周年 :2000/10/03(火) 01:25
蓮實にかぎらず、評論家は言語学者をとりあえず批判しとく
クセはあるね。
不毛なのも多いけど
5名無しさん@1周年 :2000/10/03(火) 08:13
そういう自制の効かない人間を教授に据えておくこと自体おかしいんだよ。客商売なら即刻クビだぜ。
6若年寄 :2000/10/08(日) 23:03
>2・4・5
ちゃんと読んでから言ってますか?
『反=日本語論』を見る限り、蓮実氏の方が言語学的にも正しい指摘ですよ。
やっかみや自制心の無さに帰因させるのも結構ですが、その場合、
君達がさういふ人間だから他の人もさうだと思ってゐるやうに疑はれても仕方ありませんぜ。
7名無しさん@1周年 :2000/10/09(月) 01:21
『反=日本語論』のどこに言語学批判がありますか?
考察がありますか?
あんな程度で言語学研究などと錯覚できるのが不思議でならない。

具体例や根拠をあげなさい>6
8若年寄 :2000/10/09(月) 04:23
>>7
あなたもちゃんと読んでゐないのではありませんか?
『反=日本語論』は別に言語学研究ではありませんよ。批評的エッセイでしょ。
但し、鈴木孝夫氏の記述に就ての箇所には、言語学的知見を以てする批判があり、
それを問題にしてゐるのです。
例へば鈴木氏は、言語といふ日本語によってlanguageとwordを混同するといふ初歩的過ちを犯してゐます。
『反=日本語論』ちくま文庫版 p.288〜290を見た上で、
蓮実氏の指摘が言語学的に間違ひでやはり鈴木氏の方が正しいと言ふのなら、
どうか宜しくご教示願ひたいものです。
9名無しさん@1周年 :2000/10/09(月) 04:50
>言語といふ日本語によってlanguageとwordを混同するといふ初歩的過ち

これを初歩的な過ちなんてほざくのはハスミの読みが
幼稚な読みでしかないからじゃない
10          :2000/10/09(月) 05:19
ほほう、どこが初歩的な過ちではないのかな(まさか高度な誤謬だとでも?)。
具体例や根拠を挙げなさい。>9
11横レス :2000/10/09(月) 06:31
蓮實重彦『反=日本語論』については、言語学板にスレッドがあります。↓
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=gengo&key=963062582&ls=50
12名無しさん@1周年 :2000/10/09(月) 14:00
しよぼ〜いので

  終  了
13re:若年寄 :2000/10/11(水) 11:14
2に書いた者です。2に書いたように中高年です(笑)。
別に私が蓮実氏のご高著を「ちゃんと」読む義務はないですので、
一言クレームつけときます。そのエッセイは現代思想連載中に読ん
だ記憶があり、鈴木氏に対する言及があったなあという程度かな?
私が言いたかったのは、蓮実対鈴木というのは論争に発展したもの
ではなく、片方が旧帝大のトップという地位に登ったから、その人
に昔くさされた学者、というもう一方の評価が力を持つのはどうか、
という思いからだけです。2に書いたように、鈴木先生の方を一寸は知っ
ているということもありますけど。
大体、自分だけが詳しいとか立派な読解力があるとか、偉そうに言う
なよ。君の方がやっかみだとか、学会なんかでもそんな口吻なの?
14名無しさん@1周年 :2000/10/11(水) 19:04
鈴木孝夫の話題になってる部分はどこに書いてあることなの。
15どうでもいいが :2000/10/11(水) 19:55
5が自制のきかないといってるのは
蓮実でなくて鈴木孝夫のほうではないかと思うぞ。>>6
16:2000/10/11(水) 23:44
その通り。
17若年寄 :2000/10/12(木) 05:14
>>13
>片方が旧帝大のトップという地位に登ったから、その人
>に昔くさされた学者、というもう一方の評価が力を持つのはどうか、
そんな程度の低い学閥志向な評価の仕方、誰がしましたか?
(そんな風にしか受け取れないのは、2さんがさういふ思考に囚はれてゐるからでせう)
飽くまで内容について、指摘の言語学的な是非を問うてゐるのです。
その限り、鈴木氏が杜撰で蓮実氏の方が精密なのは一読瞭然で、
ちゃんと読めば誰でもわかること。別に私の読解力が優れてゐるわけではない。
(これまた2さんが普段からさういふ低次元の自己誇示を心懸けてゐる證拠?)
「学会とかでも」って、私は別に学界の住人ぢゃありません。
教訓:自分がさうだからって他人までさうだとは思はないこと
18若年寄 :2000/10/12(木) 05:22
>>15
成程、2で鈴木氏が「当たり散ら」すと述べられたのに対し、
5さんは「自制の効かない」と評したのですね。
誤読をお詫びします。でも、もう一寸言葉を足して貰ひたかったと思ひます。>>5
19若年寄 :2000/10/12(木) 05:59
>>14
 蓮実重彦氏は、例へば鈴木孝夫『閉ざされた言語・日本語の世界』の「文字は言語ではないという西欧人の文字観」といふ一節を取り上げてゐます。鈴木氏はそこでイェスペルセンやブルームフィールドを批判して「文字も言語そのものである」としてゐます。即ち、文字表記が原因で言語変化の起こる実例を以て「西欧人の文字観」への反證とします。
 その主張自体は肯けるけれど、それを導き出す批判の仕方・論理的手続きが杜撰なのです。なぜなら……
「鈴木氏が挙げておられる例が、いずれも「単語」とその「発音」、あるいは「意味」との間に生ずるずれにすぎぬことが明らかになるからだ。[……]綴字による音声的な歪曲の事実など、百年も昔にダルメステーテルによって指摘されている[……]。しかしそれにしても「言語」の変化と呼ばれたものが、たかだか「単語」のそれも「固有名詞」の読み方変化にすぎなかったとは、まるでブルームフィールドより一世紀以上も前の言語観でブルームフィールドを攻撃しようというわけではないか。[……]「単語」の「意味」や「発音」の変化は、そのものとして、「言語」という構造的な体系を変化させたりはしない。[……]こうした誤謬が「言語学者」によって犯されるというのは、ほとんど信じがたいというほかない。ただ、その間の事情を推察すれば、鈴木氏が、英語のlanguageとwordとの区別をきわめて日本的に混同されたということがあるのかもしれない」云々。
(蓮実重彦「仕掛けのない手品」『反=日本語論』所収、ちくま文庫版289〜290頁)
202=13 :2000/10/12(木) 10:10
> 17 そんな程度の低い学閥志向な評価の仕方、誰がしましたか?
あの、他人に教訓たれて説教する位きみが偉いのなら、その教訓通り
人の書いたものまともに読んだら?(5の人の誤読にしてもしかり←
5の人に対しては、役員待遇のビジネスマンならその程度でクビにな
らんだろう、とレスしたいが) 13で2での自分の議論を、君が引用
した形で説明し直したのは、私が1の人にレスを付けたものを君がそ
の後の書き込みで自分本位に位置づけていると思えたから。したがって、
その引用部分「誰が……」って、1の人を指していた。君は1なのか?
それから、「程度の低い」とか「低次元の」とか自分を(どこの誰かも
分からない)私より上に立たせたいためか、随分と虚勢をはるね。私が
さも学閥云々という議論をしてるみたいに低く位置づけたいみたいだが、そ
ういう議論の仕方が学会とかでは笑止千万と13では言ったつもりだ。少
し言葉が足りなかったけどね。
話を戻すと、そんなに蓮実説が正しいと主張したいなら、こうゆう所(匿名
の場)で自分に都合の良い箇所だけ引用しないで、公的な形でやったら?
鈴木氏は外国語教育に関する発言などで一種公人な訳だから、コンタクトで
もとって、何故蓮実氏のその議論をその時無視したのか明らかにしない限り、
若年寄くんの自己陶酔で終わると思うけど。
21名無しさん@1周年 :2000/10/12(木) 17:57
引用部だけ読んでみて蓮実のポイントがいまいちよく分からない。

1.
鈴木は文字表記が語の意味や発音に影響を与えると書いた。
これをもって文字が言語(word?)に影響を与える例とした。

2.
蓮実は文字表記は語の意味や発音に影響を与えても
「「言語」(language?)という構造的な体系」は変化させないと主張する。

この二つは別に矛盾しないんじゃないの?
日本語の「言語」をどういう意味で使うかの用語の問題だけな気がするけど。

蓮実が鈴木を批判する前提としては、

3.「言語」はlanguageの意味で用いなければならない。

というのがあるのかな?
だとして、そうでない場合をあえて誤謬とか混同とか呼ぶ必要はあるの?
あるいはlanguageやwordには僕がここで解釈した以上の特殊な意味があるのかな。

それと、もし言語記号の価値は他の記号との関係で決まる、といったような
ことを前提とすれば、個々の語の意味の変化というのは、たかだか単語ではなくて、
必然的に全体の語彙の意味体系にも影響すると考えてよくない?
(まあ、文法にまでは影響しないかも知れないけど)
同音の語の衝突?とか書いてるのもそうした語彙の体系性とかダイナミクスを前提と
してるとは考えられないか?

まぁ、鈴木孝夫というひとの思想は良く知らないので、
そうでもないのかもしれませんが。

ただ、蓮実が「〜あるのかもしれない」で書いてることを、
>例へば鈴木氏は、言語といふ日本語によってlanguageとwordを混同するといふ初歩的過ちを犯してゐます。
なんていうのはどうか、と思いました。
22若年寄 :2000/10/12(木) 22:50
>>20
繰り返します。そんな程度の低い学閥志向な評価の仕方、誰がしましたか?
1は私とは別人の書き込みですが、1のごく短い記述から
「片方が旧帝大のトップという地位に登ったから、その人に昔くさされた学者、
というもう一方の評価が力を持つのはどうか」(>>13
なんて「評価」までを導き出すのは、どうしたって邪推し過ぎでせう。
1の記述に、蓮実・鈴木両氏の現地位を示唆する言葉などどこにあったのか、ご指摘下さい。

>話を戻すと、そんなに蓮実説が正しいと主張したいなら、こうゆう所(匿名
>の場)で自分に都合の良い箇所だけ引用しないで、公的な形でやったら?
私は、このスレッドでロクに読みもせず蓮実氏の指摘を退けるかの如き発言があったので、
それに対して――つまり2さんのやうな人に対して――両者をちゃんと検討してみたら、
と申してゐるのです。鈴木氏に訂正を迫るのは一読者たる私の役目ではありません。
2=20さんは鉾先を鈴木氏へ向けさせれば自分の過ちが免除されるとでもお考へですか。
23若年寄 :2000/10/12(木) 23:48
>>21
>鈴木は文字表記が語の意味や発音に影響を与えると書いた。
>これをもって文字が言語(word?)に影響を与える例とした。
 いえ、鈴木氏が「言語変化」と云った時の「言語」はlanguageでなければなりません。さうでなければブルームフィールドらの言語学説への批判たり得ませんから。にも拘はらず、鈴木氏の挙げる実例は「単語 word」の変化でしかない。そこがまづい所なのです。
 確かに「単語 word」は「言語 language」を構成しますが、要素還元主義に陥らぬやうご注意を。近代言語学によれば、言語(ソシュールの所謂ラング)とは構造であり、個々の語(word)の変化は構造内での項の入れ替へに過ぎません。それが語と語との全体的な関係構造の変化にまで至らなければ、「言語変化」の名に値しないのです。
 蓮実重彦氏も>>19の引用に続けて「あるいは、wordの変化が必然的にlanguageを変化させるという確乎たる理論があるのかも知れないが」と留保してゐますが、寡聞にしてそんな理論は存じませんし、少なくとも鈴木氏の論述はさういふ理論を提出することを怠ってゐます。
>蓮実は文字表記は語の意味や発音に影響を与えても
>「「言語」(language?)という構造的な体系」は変化させないと主張する。
 それは違ひます。蓮実氏も、文字表記とて立派に言語であると思ひたいのです。だのに鈴木氏の論法ではそれを證明し得ないから、不満がってゐるのです。つまり蓮実氏が鈴木氏の言に構造言語学的知見を対置したのは、鈴木氏流の批判では言語学の基本認識すら搖るがせられないことを示すためであって、蓮実氏が西欧の構造言語学を信奉してゐるわけではありません。
>ただ、蓮実が「〜あるのかもしれない」で書いてることを、
 蓮実氏は後の方で「大学の教師なり研究者なりが、英語のlanguageとwordといった基本的な単語の意味をとり違えるといった現象」と断定形に言ひ換へてゐます。
24名無しさん@1周年 :2000/10/13(金) 02:24
ラングは無数にある、以上。
25ご参考まで :2000/10/13(金) 02:30
鈴木孝夫略歴・著書紹介↓
http://user2.allnet.ne.jp/noz/SUZUKI/
26名無しさん@1周年 :2000/10/13(金) 10:11
言語社会学は社会学です。
社会言語学は言語学です。
したがって鈴木孝夫は言語学者には値しないのではないか。
鈴木自信の語る履歴からすると、井筒俊彦が課した言語学の宿題が厳しいので
社会学的方面へ逃げてお茶を濁したのがこの道へ進んだ契機だとか。
272=13=20 :2000/10/13(金) 10:26
> 23 2=20さんは鉾先を鈴木氏へ向けさせれば自分の過ちが免除されるとでもお考へですか。
面倒臭くなったのでもうレスはしないつもりだけど、聞き捨てならないので私の「過ち」って?
私は2の時点から、蓮実氏の議論が妥当かどうかを全く問題にしていない。それがどうでも良い
理由は、鈴木氏によって無視された(多分)指摘だから、そのことが鈴木氏の評価について
まわるのは不当だということのみ(鈴木氏がまいったと言ったなら別だけどね←それだったら認
めましょうというのが20の趣旨)。大体、2で私が書きたかったのは、自分の人生に多少の関わり
があった鈴木孝夫氏を扱っているスレッドに対して、その一こまを単なる情報として書き込んだだ
け。「過ち」「免除」って何が?「教訓」とかにしてもそうだけど、(20で年長者<多分>として
指摘してやったけど)「低次元」だとか言い方に気をつけろよ。読んでいて不愉快になる(って、
わざとそのために書いてるのか?)
> 両者をちゃんと検討してみたら
って、蓮実氏が言及している鈴木氏の著作(閉ざされた言語日本語の世界、だっけ?)を
君はちゃんと読んで検討したうえで議論してるのか?(書き込みからはそう判断できないが)
それに鈴木氏のその他の著作(25さんに感謝)にしても。21、25さんの書き込みみても、若年寄く
んの議論は浮いてると思われるので、これにて失礼。
28>27 :2000/10/13(金) 10:48
>私は2の時点から、蓮実氏の議論が妥当かどうかを全く問題にしていない。それがどうでも良い
>理由は、鈴木氏によって無視された(多分)指摘だから、

鈴木孝夫本人が蓮実重彦による批判を知ってるか知ってないかに関らず、
蓮実の指摘が妥当ならば受容し、不適当ならば退けるべきではないの?
当否を検討しようともせず蓮実の批判は「やっかみ」によるものとする
2=13=20さんは、確かに「過ち」を犯したと非難されても無理ない。
29>28 :2000/10/13(金) 11:35
2=13=20=28です。再レスしないと書いたけど、再度「過ちを犯した」と
非難されたんで最後に一言。学会の論戦でなく匿名の場なのだから(13
にも書いたが)、そういう表現が相応しくないとしたうえで。→何故なら、
「過ち」と私を断罪する根拠が、自分が研究・調査したデータではなく、単
に他の権威(蓮実氏の本とかそこで言及されている言語学書?)であることから。
で、私が言いたいのは、いわゆる挙証責任の所在ということになると思う。
蓮実氏のその部分の議論によって、鈴木氏のこれまでの全仕事、少なくとも非難
されている本(閉ざされた……)の議論全ての誤りが立証されたのかどうか、
という点。私が「やっかみ」と書いたのは(まあ、表現が直観的だったかもしれ
ないが、それを言うのはこういう場では揚げ足とりだよ)、そうではないと
(鈴木本の読後感から)判断したから。その私の判断を「過ち」と決めつける
からには、そうでないこと(蓮実氏本でのその箇所の議論が、鈴木氏本
全体を否定するものであること)を挙証する責任がある筈だよ。
私が「2の時点から、蓮実氏の議論が妥当かどうかを全く問題に」してい
なかった」(27)理由がここにある。←落ち着いて読んでくれれば、理解
できたと思うけどね。まあ、どうでもよいか。
30>29 :2000/10/13(金) 11:53
29に書いた者です(2=23=20=28)。読んでみて、「いわゆる挙証責任の所
在ということ」云々という所の言葉が足りませんでしたね。
この場合の挙証の要が蓮実氏の指摘の当否にあるように若年寄くんは議
論しているが(28さんの議論も同?)、私はそうではなく、蓮実氏の指摘
によっても鈴木氏本、就中鈴木氏の仕事の意義は全く揺るがないという
前提に立って議論していた、だからそれを「過ち」とするなら挙証する
責任がそちらにあるでしょ、と言いたかったのでした。
ちなみに、どなたかも書いてるけど鈴木氏は「言語学者」ではないです。
それではこれにて。
3128 :2000/10/13(金) 12:16
>「過ち」と私を断罪する根拠が、自分が研究・調査したデータではなく、単
>に他の権威(蓮実氏の本とかそこで言及されている言語学書?)であることから。
なにか誤解なさってますね。
わたしが>>28で2=13=20=27(=29=30)さんが「過ちを犯した」と述べたのは、
蓮實による鈴木批判の言語学的な当否を考慮せずに、一方的に鈴木氏側についたからです。
「過ち」とは言語学的な誤謬を指すのではないのでして、言語学の権威なんか関係ないんですが。

>蓮実氏のその部分の議論によって、鈴木氏のこれまでの全仕事、少なくとも非難
>されている本(閉ざされた……)の議論全ての誤りが立証されたのかどうか、
それ、論点をずらしてませんか。
蓮實にしても若年寄さんにしても、「全仕事」「議論の全て」を問題にしてなんかないでしょ。
蓮實の指摘した限りにおいて、鈴木の誤謬を認めるかどうかが問題ではないの?
で結局、鈴木孝夫が言語学者でないならば、言語学的な過ちを犯しても無理ないってこと?
32>31 :2000/10/13(金) 13:40
29と30に書いた者です(イコール書くのが面倒になった)。もう書かない
と書きつつ(笑)、30で「言語学者」云々て書いたことにレスがついたん
で一言(この辺につくだろうとは思ったが)。この部分は、若年寄くんの何
回目かの書き込みに、蓮実氏が「言語学者」という言い方をしていたので。
>それ、論点をずらしてませんか。
>蓮實にしても若年寄さんにしても、「全仕事」「議論の全て」を問題にしてなんかないでしょ。
私が2で「やっかみ」云々と書いたのが先でしょうが。それについて色々レス
をつけてくるので、先に書いた部分を分かり易く解説してるだけ。ずらしたと
したら、後で書いた方でしょ(もうあんまり興味なくなったけど)。
>蓮實の指摘した限りにおいて、鈴木の誤謬を認めるかどうかが問題ではないの?
何回も書いてるように、そのことには私は関心がないし問題だと思わない。
上に「もうあんまり興味ない」云々て書いたけど、はじめから興味ない問題
なんですよ、鈴木本への蓮実本の言及については(2を書いた時からね)。
あ、それが「過ち」だと? それって個人の思想表現の自由じゃない? 大きな
お世話。
それなりに評価の定まった学者や著作の細部について、中堅とか若手が
くだくだ言うのは学界ではよくあることだしね。学術の世界として見ると、
私が言うような結論になると思うよ(全体に傷がつかない限り、しばらくし
たら忘れられる、ってゆう←今回は忘れられなかった例でしょ)。まあ、
学界世界に生きてる人間とすれば、蓮実氏の指摘は「そう、だったら何?」
という感じではないですか?
33名無しさん@1周年 :2000/10/13(金) 14:49
1.
やはり「この場合の「言語」はlanguageの意味で用いなければならない」という
根拠に納得できない。
鈴木孝夫は文字が音声の写しにすぎず、二次的なものであるという考えが
間違っていることを示したいのですね。
そしてそのような考えを表明した例としてブルームフィールドなどを引用しているに過ぎない。
「ブルームフィールドらの言語学説への批判たり得」ないから云々といいますが、
ここでブ〜らを引用することによって批判されているのは言語は構造かどうかといった思想ではなく
文字に関する考えに過ぎないのでは?
ここで鈴木が自分の説を裏付けるのには、表記がwordの変化に関与する例を挙げただけでも
十分ではないですか。
それがダメだというのはやはり用語の問題に過ぎないと思いますが。
2.
仮に、wordの問題だけではなく語と語の関係構造?に対する影響も示さなければ
表記が言語に影響を及ぼす証拠とはいえない、という考え方をとるにしても
それならば―21でも書きましたが―鈴木が同じ章で自分の説の裏づけとして別にあげている
衝突の例はなぜ考慮されないのですか。
この例は「構造内での項の入れ替へに過ぎ」ない例とはいえないように思いましたが。
3.
これは新しい疑問ですが、23氏や蓮実は文字も言語であるという考えは正しいとしているようですが、
それはなぜ。
「思ひたい」というのは根拠はないけどそう思いたいということでしょうか。
4.
自分の21の書き込みを読み直してみて、「要素還元主義」風なことをいってるとは
あまり思えなかったのですが。
3421 :2000/10/13(金) 14:50
失敗した。>>33>>21です。
35若年寄 :2000/10/13(金) 16:59
>>32
>それなりに評価の定まった学者や著作の細部について、中堅とか若手が
>くだくだ言うのは学界ではよくあることだしね。
 若手が言はうと大家が云はうと、批判があれば傾聴すべきだし、細部に就てであらうと全体に関するものであらうと、その批判の方が適切ならば訂正すべきだと思ふ。
 それが学問的な誠実さといふものだし、もし学界がさうなってゐないなら改めるべきでせう。2=32さんが不誠実で権威主義なことはよくわかりました。こちらの>>22での問ひにも答へずじまひだし。
 そもそも蓮実氏の指摘によれば、鈴木氏の西欧言語学批判は批判たり得ないことになるのだから、とても細部のことだと云って済ましてはをられぬ筈ですがね。
36若年寄 :2000/10/13(金) 17:01
>>33(=21)
>1.
>ここでブ〜らを引用することによって批判されているのは言語は構造かどうかといった思想ではなく
>文字に関する考えに過ぎないのでは?
 勿論さうです。蓮実氏も言語が構造か否かを問うてゐるのではなくて、構造としての言語といふ現代言語学の見地に従へば、文字が変化させるといふ例が単語(word)どまりでは言語(language)そのものにまで関与すると評すには不充分であり、結局、音声こそ言語で文字など二次的だといふブルームフィールド流の言語学説を覆せないといふことです。これを用語の問題と云はれますが、いやしくも学問的な学説批判ならば用語は疎かにできない。ましてや言語学に関はる論議で、言語といふ基礎用語を曖昧にするのは感心しません。
>2.
 「綴字発音」「語源俗解」同様、「同音衝突」の例も言語といふ構造全体に及ぶ変化ではありますまい。A:B=C:Dといふ式の左辺と右辺ではA→C、B→Dと項が変化してゐても、A対B、C対Dの関係は等しく変りない。この「関係」を重視するのが構造主義です。第一、たとひ意味体系の一部が変化するとしても、既に>>21でも認められてゐる通り「文法にまでは影響しない」。実は蓮實氏も正に「「文法」にも「統辞論」にもいかなる変化も生じはしない」と指摘してゐたのです。畢竟その程度の変化では、文字が言語にとって二次的であるといふ通念への批判として有効ではない。
>3.
 なぜ文字も言語であるか――これはこのスレッドで説明すべき域を超えてゐます。ご興味おありなら『反=日本語論』を一読するか、或いは言語学板で質問されてはいかがでせうか。
>4.
 >>21で「個々の語の意味の変化というのは、たかだか単語ではなくて、必然的に全体の語彙の意味体系にも影響する」と述べてゐましたね。言語とは語彙集であり、その要素たる個々の語(word)の集積に還元されると考へてゐるからこそ、必然視してしまったのではないのですか。全体は単なる部分の総和ではありません。
3721 :2000/10/13(金) 19:02
ちょっと都合で時間がなくなってるので手短に。来週までレスは出来ない鴨。

構造としての言語という考え方は文字が二次的であるという考えを伴わなければならないものですか?
>>ここでブ〜らを引用することによって批判されているのは言語は構造かどうかといった思想ではなく
>>文字に関する考えに過ぎないのでは?
> 勿論さうです。
というのは両者を区別することに賛成してるのですよね。
では、「鈴木が自分の説(表記は言語に影響)を裏付けるのには表記がwordの変化に関与する例を挙げただけでも十分では」、
という部分に対する答えはどこですか?
「言語といふ基礎用語を曖昧にするのは感心」しないからということですか?
では言語学者としてその使い方で使わなければ「誤謬」「混同」といわれてしまうような
「言語」という語の定義とは何ですか。

2.への答えの部分。「統語論に影響するような変化でなければ言語が変化したとはいえない」
ということになったのですか。言語language=統語論と考えているのでしょうか。
不当に狭い定義だと思いますが。

他の点はまた来週(?)。
38若年寄 >37 :2000/10/13(金) 19:32
言語を構造と見る認識(A)と、文字は言語にとって二次的であるといふ説(B)は、一往別物です。
しかしAに基づく限り、文字が単語を変化させ得るといふ例はBの反證になりません。
単語(word)は言語(language)といふ構造的体系にとって、二次的な項に過ぎないからです。
鈴木氏は、Aに基づきつつもBを反駁できるやうな別の證明を提出すべきでした。
或いはもしAを否定できるならば、鈴木氏の挙げた例でもBへの批判たり得ますが、
Aの否定とは、ソシュール以来の言語学を完全に顛覆させることですから、困難極まる。
言語の定義も、記号の構造的な体系とするソシュールを筆頭に様々ありますが、
少なくとも言語とは単語の集積ではないことは確かですし、それでこの場は十分でせう。
また統辞だけが言語ではないのは当然ですが、統辞論をも含まねば言語とするには不充分でせう。
39名無しさん@1周年 :2000/10/16(月) 17:57
ag
40陣屋 :2000/10/18(水) 17:59
>>26
>鈴木自信の語る履歴からすると、井筒俊彦が課した言語学の宿題が厳しいので
>社会学的方面へ逃げてお茶を濁したのがこの道へ進んだ契機だとか。
それは話が逆です。井筒氏の宿題はスーフィズムに関するもので、宗教学ですが
社会学寄りです。苦し紛れにした代わりの発表が日本語の自称詞/他称詞に関する
もので、意味論というべきか語彙論というべきかはさておいて、言語学です。

この人の「言葉と文化」「閉ざされた言語・日本人の世界」などの著作を読めば、
鈴木孝夫がいかに学会の動向と関係なく独自の言語学を切り開いてきたか、にもか
かわらずそれがちっともトンデモでも素人学問でもないまぎれもないオリジナルな
言語学者の仕事になっているかを知ることができます。語るより、まず読みましょう。
読めば、蓮見発言が鈴木言語学の全体を知ろうともせず枝葉に噛み付いたつまらない
発言である事がわかります。
41>40 :2000/10/19(木) 04:38
蓮實派に続き、今度は鈴木派が「読めばわかる」ですか。
しかも「鈴木言語学の全体」を読むの? 大変だなあ。
蓮實重彦も別に鈴木孝夫の全否定をやったわけではないんでしょ。
部分否定であっても、それが正しい批判なら認め、誤った批判なら退けるべき。
範囲を限定しないと議論の決着なんかつかないよ。
で、蓮實の鈴木批判は間違ってるの、それとも部分否定としては正しいと認めるの?
それに「枝葉」でしかないってのも、それを説明してくれないまでは軍配をあげられませんね。
4221 :2000/10/19(木) 19:27
37の続き。
>>36でA:B=C:Dとされているのが鈴木の挙げている例でいうと何なのか分かりかねます。
鈴木が同音衝突で挙げている例がこの式に当てはまるとは思えませんが。

> なぜ文字も言語であるか――これはこのスレッドで説明すべき域を超えてゐます。ご興味おありなら『反=日本語論』を一読するか、或いは
>言語学板で質問されてはいかがでせうか。
言語板でなら答える用意があるということですか?
であれば言語板のほうの鈴木スレに書いてもらいたいものです。

>>38
>しかしAに基づく限り、文字が単語を変化させ得るといふ例はBの反證になりません。 (略)
>鈴木氏は、Aに基づきつつもBを反駁できるやうな別の證明を提出すべきでした。
だからここで鈴木がAに基づくべきということが何故問題になるのですか。
「言語の定義も、記号の構造的な体系とするソシュールを筆頭に様々あ」るそうですが。
また該当部分で鈴木が対象としているのは自分でも別物と認めているBのほうではないのですか。
「Bを否定するにはAも否定しなければならない」はどこから導かれるのですか。

>少なくとも言語とは単語の集積ではないことは確かですし、それでこの場は十分でせう。
>また統辞だけが言語ではないのは当然ですが、統辞論をも含まねば言語とするには不充分でせう。
鈴木が統語論を言語から除外したなんてことがどこかに書いてありましたか?
また「統辞だけが言語ではないのは当然」ならば「「統辞論」にもいかなる変化も生じはしない」
ことが何故鈴木の説を否定する根拠になりうるのですか。
「言語」について不当に狭い定義を設けてそれにかなっていないものを
「誤謬」「混同」とよんでいるのはそちらのほうだと思っていますが。
43私の理解 :2000/10/20(金) 03:20
・人間にとって皮膚の色などの人種的特徴は二次的である。
・骨格だけが人間でないのは当然だが、骨格も含まねば人間とするには不十分。
・陽光が皮膚の色を変化させるのは事実だが、それを人間の変化と見るのは不当。

・>文字は言語にとって二次的であるといふ説(B)
・>統辞だけが言語ではないのは当然だが、統辞論をも含まねば言語とするには不充分(>>38)
・文字が単語を変化させるのは事実だが、それを「言語」の変化と見るのは不当。
つまり、文字による「単語」の変化は言語にとっては二次的変化だから、
言語にとって文字は二次的って通説をひっくり返す例としては不適。
――と理解しましたが、どんなもんでしょ? >若年寄さん、21さん
44名無しさん@1周年 :2000/10/21(土) 13:43
あげ
45名無しさん@1周年:2000/10/23(月) 17:41
 
46名無しさん@1周年:2000/11/04(土) 11:57
bakabakka
47名無しさん@1周年:2000/11/06(月) 02:38
引退した爺さん今さらつついても面白くない
48名無しさん@1周年
あげよう。