1 :
通りすがりの学部生 :
2000/10/02(月) 01:49 再帰的近代化ってどういうことなんですか? ポストモダニズムの反動のこと? いわゆる近代ってやつは加速するの? 放棄されるの? ギデンズに言及してる入門書でお薦めのとかありませんか?
2 :
名無しさん@1周年 :2000/10/02(月) 08:02
本人の書いた教科書を読むのが早いような気がする。
3 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/10/02(月) 15:23
>2 『社会学』のこと?
4 :
ふりーうぇい :2001/05/16(水) 08:48
でぎんず?
5 :
駒場 :2001/05/16(水) 13:20
Anthony Giddens ◆1974 『資本主義と近代社会理論──マルクス,デュルケム,ウェーバーの研究』 1974 犬塚先訳,研究社出版,367p. 2500 ◆1976 New Rules of Sociological Method : A Positive Critique of Interpretative Sociology Huchinson of Londin 千葉社4813 ◆1976 『社会学の新しい方法基準──理解社会学の共感的批判』 19871125 松尾精文・藤井達也・小幡正敏訳,而立書房,274p. 2575 千葉社4813共通 ◆1977 『先進社会の階級構造』 1977 市川統洋訳,みすず書房,385p. 3200 千葉社1316共通 ◆198609 Studies in social and political theory ◆198609 『社会理論の現代像──デュルケム,ウェーバー,解釈学,エスノメソドロジー』 198609 宮島喬訳,みすず書房,361+5p. ISBN:4622017679 4000 ◆198804 Politics and sociology in the thought of Max Weber ◆198804 『ウェーバーの思想における政治と社会学』 198804 岩野弘一・岩野春一訳,未来社,111p. ◆198909 Central problems in social theory 千葉社4281 ◆198909 『社会理論の最前線』 198909 友枝敏雄他訳,ハ−ベスト社,307+39p. ISBN:4938551098 3090 千葉社4281共通 ◆1990 The Consequences of Modernity Polity Press 千葉社4814 ◆1990 『近代とはいかなる時代か?』 19931225 松尾精文・小幡正敏訳,而立書房,254p. 2575 千葉社4814共通 ◆199204 Sociology ◆199204 『社会学』 199204 松尾精文他訳,而立書房,685+74p. ISBN:4880591696 3708 ◆1993 Sociology 2nd Edition,fully revised & updated Polity Press 千葉社4815 ◆1993 『社会学 改訂新版』 19940125 松尾精文他訳,而立書房,784p. 3708 千葉社4815共通
『再帰的近代化』ベック&ギデンズ&スコット・ラッシュ/而立書房 でも、よくわかりませんでした。再帰的近代化という訳語が 悪いのではないかと思っています。
>>3 その本には再帰的近代化の概念は出てこない。
8 :
二重性 :2001/05/22(火) 21:17
>7 手元にはないけど、『社会学』最新版にはでてきたような気もします。 再帰的近代化ってベックの造語?
9 :
名無しさん@1周年 :2001/05/22(火) 22:06
『国民国家と暴力』・・・・なんか三国志みたいだ・・・オレってアホ?
10 :
77 :2001/05/23(水) 08:23
ベック『危険社会』(法政大学出版局)における「自己内省的近代化」が ギデンズのいう「再帰的近代化」です。 英語で書くと"reflective modernization"です。 "reflective"には反省や熟考という意味があって、 そこで訳が統一していないという自体が起こっているようです。 ベック『危険社会』→ギデンズ『近代とはいかなる時代か?』 →『再帰的近代化』という順序で、最初に使ったのは ベックだと思われます。 というか、再帰的近代化、しっかりマスターしないと 院試にとおらないので、今困ってます。『再帰的近代化』も 『危険社会』もイマイチ、よくわかっていないもので。 『近代とは〜?』はわかったのですが。
「自体」ではなく「事態」ですね。すみません。
13 :
二重性 :2001/05/24(木) 17:20
>10 ごめん。勘違いでした。明示的にその言葉はでてこなかったっす。 >11 ベックについては、東北大の小松さんのページをみるべし。 あと、院試レベルなら、B&G&L1994の11ページからで十分なのでは。 それとも、自分の希望する専攻分野に近いゆえに詳しい内容が必要なの?
>>13 小松さんの文献ぐらいしか載っていないではありませんか。
それに、B&G&Lの11ページ以降、日本語が意味不明なのですが。
訳が悪いのではないでしょうか。再帰性とは「省察」では
なく、まずなによりも「自己との対決」である、という
下りは、全くわかりません。
15 :
名無しさん@1周年 :2001/05/25(金) 11:10
僕も『再帰的近代化』読もうとしたが、嫌になった。 翻訳が拙劣。土方訳ルーマンといい勝負ですね(w
16 :
名無しさん@1周年 :2001/05/25(金) 15:33
而立書房から出てるギデンズ本は訳がなあ。。
原書読んだ方がよいかも。
ところで、ギデンズについての研究論文を知っている人がいたら教えて。
>>1 >再帰的近代化ってどういうことなんですか?
>ポストモダニズムの反動のこと?
『近代とはいかなる時代か』に書いてあるよ。
現代社会は、近代社会と異なる原理を持った社会である、と
いうのがポストモダニストの主張。
だけどギデンズは、現代社会を、「ハイモダニティ」、つまり
近代社会の特徴がさらに露わになってきた時代として位置づけ
ている。
ゆえに、
>いわゆる近代ってやつは加速するの? 放棄されるの?
「再帰的に」加速されるわけです。
>ギデンズに言及してる入門書でお薦めのとかありませんか?
俺も教えてほしい。宮本さんの本とかどうなの?
17 :
二重性 :2001/05/25(金) 15:58
>14 ごめんね。見たのはかなり昔のことだったからうろ覚えになってたみたい。 ルーマンのリスク論として、学会報告のページに情報あり。 数年前に私が、このページではじめてベックとリスク論について知ったゆえにベック中心のエッセイと勘違いしてました。すまぬ。
18 :
14 :2001/05/25(金) 17:05
こういうことでしょうか。現在の、環境問題のような
問題は近代化の結果である。だから、その問題解決のためにも
より望ましい(どう望ましいかは言いません)近代化をするために、
環境問題を生み出した近代化とはいかなるものだったのかを
考察しよう、ということでしょうか?
>>15 翻訳が拙劣、同感です。日本語の文章として、おかしいのは
わかります。でも、「脱埋め込み」とか「再埋め込み」と
言われても、私はわかりませんでした。原語はどんな
単語だったのかは知りませんが、単語一つとっても拙劣な
訳だと本当にそう思います。
>>16 私のゼミの先生も、「再帰的」、つまり「再び帰る」という
言葉がよくわからなかったようです。どこに帰るのでしょう?
それとも、「再帰的」という訳語が悪いのでしょうか?
>>17 詰問口調のような聞き方をして、こちらこそごめんなさい。
『ルーマン 社会システム理論』の後半にも「リスク」に
ついて書かれた部分があります。ここまで読んでないので、
まだ、何とも言えないのですが。こちらとの関連は
何か知りませんか?
19 :
14 :2001/05/25(金) 17:07
ギデンズではないのですが、ベックの『危険社会』の 法政大学から出た最近の本は、訳がいいと言えるのでしょうか? 私は第2部がよくわかりませんでした。第1部の最初の方も よくわからないところがありましたが、第2部の方がもっと わかりませんでした。
20 :
二重性 :2001/05/25(金) 17:40
急いでるので、横槍のみ。 >18 「脱埋め込み」とか「再埋め込み」 原文では、disembedding〜という風に使われている様子です。 確かに直訳過ぎる気もする。
21 :
14 :2001/05/25(金) 17:54
>>20 なるほど、disembeddingですか。やっぱり直訳というか
これをそのまま日本語に移しかえれば、文脈で話は
わかると訳者は思ったのでしょう。
でも、「脱埋め込み」というのは、「ディコントラクシオン」
を「脱構築」と訳したのと同じくらい痛いと私は思います。
22 :
ゼミ生 :2001/05/26(土) 01:14
あげませう
あげまん
24 :
n :2001/05/26(土) 15:20
1 : 何だよ○○た んって・・・(ー_ー)凸 凸 (807) 2 : 犬伏と室伏 (59) 3 : 日本柔道アテネへの道 (574) 4 : 田中雅美のお尻付きだし画像 (51) 5 : 井上康生・最強 Part5 (181) 6 : 大阪の次の日本国内開催は何処??? (24) 7 : ★岩崎恭子ウォッチング!★ (372) 8 : 2001年東アジア競技大会!! (52) 9 : ■ 高橋尚子国民栄誉賞授与決定 ■ (911) 10 : 暇人へ(1) 11 : 室伏広治 (3) 12 : 瀧本誠・何がなんだか分からないうちに3! (706) 13 : ・・・・・お前たちいつまでココにいんのよ? (4) 14 : これからは犬伏の時代? (9) 15 : 犬伏を捜せ (214) 16 : ★犬伏にはどうして犬が2つもあるの? パート2 (39) 17 : ☆☆高山樹里萌えスレッド☆☆ (579) 18 : FOCUSのドゥイエ、、、絶対許せん! (19) 19 : サミシイ…ソノ3 (797) 20 : ドゥイエの金を八割が認める!仏人投票 (697) 21 : 篠原-ドゥイエ戦 究極の誤審抗議ページ完成 (688) 22 : おい、誰かドゥイエをなんとかしてくれ! (4) 23 : フジにドゥイエが出てやがる!! (13) 24 : フランス人が篠原の誤審で大暴言 (335) 25 : ハンサムな柔道家 (667) 26 : オリンピック廃止 (8) 27 : 一番かっこいい国歌 。 (538) 28 : ★★逮捕しちゃうぞ!by基栄たん…ハァハァ★★Part4 (277) 29 : 柔道日下部vsテコンドー岡本 (4) 30 : 2002年ソルトレークシティオリンピック実況スレ (5) 31 : 中村真衣が巨乳で我慢できない! (387) 32 : ★☆★世界水泳福岡のエロ画像★☆★(1) 33 : オリンピック板の存在意義 (3) 34 : MOGUMOGU多英ちゃん (37) 35 : 爆乳娘、山田沙知子俺を逝かせてくれ ! (247) 36 : 三宮選手頑張れ!! (5) 37 : 篠原誤審!日本中怒り爆発!統一スレッド 3 (921) 38 : ドイエはいい奴だ! (17) 39 : ドイエ暴言!!!もう許せん!!! (868) 40 : ドゥイエ今年で引退!! (11) 41 : 篠原vsドゥイエ誤審の抗議メールはこちら (165) 42 : いまさら篠原一本がちだと!? (3) 43 : ■ドイエに続いてフランス人がまたやった (6) 44 : IJFどうするつもりだ? (8) 45 : ソルトレークシティ結果予想(1) 46 : スキージャンプ日の丸飛行隊に未来はあるのか? (22) 47 : 女子選手のスリーサイズ推定 (5) 48 : お願いがあって来ました (14) 49 : 源純夏はかわいいのか? (122) 50 : 美しい女子柔道家 (134)
25 :
名無しさん :2001/05/26(土) 16:46
ギデンズの言う「再帰性」について おそらくは、新しい知識・情報などがシステムの外部環境から取り入れられると、 システムは自己の従っている規則を反省し、新たなシステムを産み出して行くという ことなのではないでしょうか。
再帰性はオートポイエエーティック・システムと両立する 概念でしょうか? ルーマンのいう再帰性とギデンズやベックのいう再帰性は 同じ意味なのでしょうか? もしよろしければ、教えてください。
27 :
通りすがりです :2001/05/28(月) 02:54
簡単に言えば ルーマンの言う再帰性は「システム」の再帰性で ギデンズ・ベックの言う再帰性は「主体的行為(agency)」を基本とした (そもそもギデンズは曖昧で場合によっては言葉を都合よく使うときが あるので基本としたとなってしまいます。例えばThe constitution of societyの 主体的行為の発達に関する部分を読んでみてください。) 再帰性です。 でも、こうしたルーマンとギデンズの区別をする疑問というのは 本の読み方が(書き方ではなく)抽象的すぎるから出てくるのだと思います。 もう少し周辺の話題や社会学の理論的展開と関連させながら読むと見えてくると思います。
28 :
名無しさん :2001/05/29(火) 20:45
ギデンズの提唱している概念である「時間と空間の分離」という概念について「近代とはいかなる時代か」を読む限りでは「時間と空間の分離」と「時間と 場所の分離」との違いがよくわかりません。誰か分かる人いらっしゃればよろしく お願いします。
29 :
>28 :2001/05/30(水) 01:45
場所とはlocalのことですか? もしそうであるなら具体的な相互行為のある空間、 お互いが顔見知りの空間のことだと思います。 それに対して、空間とはもっと一般的で様々なレベルが入るものではないかと思います。 (ごめんなさい。昔読んだ記憶で書いているので不正確かもしれません。)
30 :
名無しさん :2001/05/30(水) 01:54
>29 実は、「空間が場所から分離していく」というプロセスをどのような 形で理解すればよいのかが分からないのです。 「時間が場所から分離する」というのは、正確な時間の区切り方が 導入されることによって、様々な場が同一の時間概念を共有して行く ようになる、という意味だと考えておりますが。
31 :
>28 :2001/05/30(水) 03:23
確かにギデンズは「空間」の方は詳しく書いてくれていません。 (私の勉強不足かもしれませんが) でも、こういう意味ではないでしょうか。 ギデンズは時間が場所から分離した後に空間が…と書いていた ような気がしますが、 時間を自由に使えるのなら、その時間軸にそって空間の構成を考えていくことができるのです。 例えば、ヘーエルストランド(でしたっけ?)の時間地理学を思い浮かべてください。 ある時間にある場所にある場所にいた人が 別の時間に電車に乗って別の場所に行く。 そうしたときその人にとっての空間は、それまでの領域の限られた 空間とは違ったものになっているのであって。 あたかも100m先と10km先が連続した地平であるように現れてきます。 こうした時空間は新しい形をとったといえるのではないでしょうか。 こうして新しい空間像がイメージとして固定するには 時間を自由に観念できなければならないということではないでしょうか。 上手く書けたか分かりませんので、もっと質問を続けてください。
32 :
28 :2001/05/30(水) 19:54
>31 ありがとうございます。 私は地理学に関しては全くの門外漢なのですが、 ギデンズは空間の場所からの分離ということに関して、 世界地図の例をあげています。 地理的な位置付けに関する理解が、普遍化されていったという ことを空間の場所からの分離と言っているのかな……とも思ったの ですが、31さんのおっしゃるように時間の測り方が正確になったから 新しい空間像が産まれてきたという解釈も文面からは可能ですし……。 ギデンズ自身は「近代とはいかなる時代か」においてかなり抽象的な 書き方(ないしは、曖昧な書き方)をしているので、どのような意味で 「空間」という概念をギデンズが捉えているのか、脈絡がつかみにくい というのが感想です。
33 :
28 :2001/05/30(水) 23:10
さらに質問を続けますと、 31さんの解釈では「時間と空間との分離」という概念とは合い入れない ことをギデンズは「時間と空間との分離」と言っていることになります。 時間が場面から分離することが原因で、空間が場面から分離する(このこ とはギデンズも述べています)ということの説明は、31さんの説明で可能 だと思います。 しかし時間が場面から分離することによって「100m先の地点と10km先の 地点が連続した地平であるように感じられる」には、時間と空間が 「結合」することによって可能になるのではないでしょうか。 例えば、「駅から100mの地点まで3分かかり、そこから10kmの地点まで 電車で15分かかる」という空間の捉え方は、場面から分離した「時間」を 「空間」認識に結びつけるという営みであると考えられます。そしてこのこと によって、「空間」は「場面」から分離します。 すなわち「時間の場面からの分離」→「時間と空間との結合」→「空間の場面 からの分離」という説明となるわけです。 ギデンズは31さんの主張していることを、時刻表を例に挙げ「時間と空間の 再結合」として説明しています。 しかし「再」結合というからには、「時間と空間との分離」という概念に関して ギデンズはもっと別のことを意味しているのではないか…… と思うのです。 せっかく私の質問に答えてくださったのに、何か批判めいた言い方になって しまいましたが、実はギデンズの入門書や概説書には31さんと同じような説明が 書かれているのです。 しかし、その説明はギデンズの脈絡とは違うのではないか……と「近代とは いかなる時代か」を読んで思ったのです。 私は勉強不足なので、少し初歩的な質問であるとは思いますが、 何かコメントがありましたら、よろしくお願いします。
34 :
29 :2001/05/30(水) 23:21
「再」結合の話は私の説明と何も矛盾することはないと思います。 先ほど、上手く説明できたか分かりません、と書いたように言葉足らずだったかもしれません。 まさに、「100m先の地点と10km先の地点が連続した地平であるように 感じられる」には、正確に機械時計によって計測された時間を機軸にして 空間が結合されていかなければなりません。 すると、場所からの時間の分離がまず行われ、 その自由になった時間を軸に 空間が構成されなおしていくことになります。 結果として、新しい時間と空間が現れることになり、 さらに、それが結合されているという結果になるのだと思います。 これは28さんが書いていることと同じといえば同じです。 そして私がその前に書いたこともそうしたことを言いたかったのです。
35 :
29 :2001/05/30(水) 23:25
つまり、時間と空間の分離 という現象は、 時間が場面が分離される(このとき場面という空間から時間が分離される) ↓ 時間が(比較的)自由に構成しなおせるようになる ↓ その時間を利用して様々な空間が新たな地平のもとに結び合わされる ということではないのでしょうか?
36 :
28 :2001/05/30(水) 23:32
>時間を基軸にして空間が結合されていかなければなりません。 時間と空間が「分離」されるとは、どういうことなのでしょうか。 申し訳ありません。私もよく理解できないので、何度も質問続けになります。
37 :
36 :2001/05/30(水) 23:35
申し訳ありません。35のレスを読んでいませんでした。 でしたら、「時間と空間の分離」とは、「時間の場面(という空間)からの 分離」という理解なのですね。 ありがとうございました。もう一度そのことを念頭において読みなおしてみます。
38 :
名無しさん@そうだ確定申告に行こう :2001/05/31(木) 18:04
お話中すいません。 ギデンズの時間と空間の分離と再結合、脱埋め込みと再埋め込みについて何ですが、 それによって対面的な具体的な場所がそれを超えたものに結び付けられ、 それによって複雑性が増大し、再帰性が高まる、という感じで理解していいのでしょうか。
39 :
名無しさん :2001/05/31(木) 20:59
>38 複雑性って何ですか よく聞く言葉ですが、いまいち曖昧な概念でよくわかりません。
40 :
29 :2001/06/01(金) 00:20
複雑性という言葉をギデンズが使っていたかどうかは 定かではありません。 もとの対面的で具体的な場面よりも 再結合の後にできた空間の方が通常は複雑なのでしょうが 必ずしも複雑性が増大するのかどうかは分かりません。 少し前のギデンズ(といってもかなり前)は そういう言い方をしていたのかもしれませんが、 ギデンズの議論の要諦はやはり「主体的行為(agency)」ですので、 複雑性が増大するかどうかは 結果としてのことであって、 「必然的」に増大するといってしまったら 議論の根幹が崩れてしまうと思います。
41 :
29 :2001/06/01(金) 00:23
そもそも「複雑性の増大⇒再帰性」という 骨格だけ取り出す読み方は抽象的にすぎるので あまりお勧めできる読み方とは言えないのではないかと思います。 (これは私の勝手な意見です。)
42 :
38 :2001/06/06(水) 20:46
遅くなりましたが、29さん、ありがとうございます。 まだあんまり読んでないので、これからさらに読みこんでいこうと思います。 ところで、お話中にでてきた「エージェンシー」何ですが、これはギデンズにおいて どのような位置付けを担っているのでしょうか。 「理解社会学の共感的批判」の中では「行為作用」と訳されていて、 なんだってこんな区別をするのかがいまいちピンと来なかったのですが・・・。
43 :
二重性 :2001/06/08(金) 17:48
>48 agencyの区別って、「主体的行為」と「行為作用」のこと? 『新しい方法基準』のどのへんにでてました? >18 忙しかったのでコメントできずごめんなさい。 たまたま下巻が机にあったんですが、教科書レベルの理解ではついていけませんでした。 ルーマン『リスクの社会学』(1991)に詳しいのでしょう。
44 :
42 :2001/06/13(水) 18:42
>>43 あ、え〜っと、そうじゃなくってagencyという概念で何を言いたいのか、ってなことです。
本文中では確か第一章の中の「行為 所為 行為作用」という節で出てきたんですが。
何となく、所為同定の際に、その行為者に帰属できる意味と、そうではない意味があるんだ!
ということを言いたいのか?と思ったのですが・・・。
つまり、「行為の意図せざる結果」を強調するために持ち出した概念なのかなあ、と。
要は、所為(過ぎ去った行為、act)の意味を問う場合、
「その行為者の主観的に思われた意味が行為(所為)の意味だ」
というのがウェーバーだけど、それに対してシュッツとギデンズは、
ウェーバーは進行中の行為(action)と過ぎ去った行為(act)の区別をしてない、
と批判して、所為の場合はその意味はその行為者以外の人の解釈にも開かれてる、
というわけですよね。所為の意味はその都度のコンテクストによって決まる、と。
つまり、テクスト解釈における「作者の意図」の特権性を否定するわけですよね。
対象が何であるか同定するためには、我々はそれについて語ってみるしかない以上、
対象の意味はその都度のコンテクストに依存するわけですから。
しかしながら、だからといって、行為者の主観的意味がまるで無視されるわけではない、
というのがギデンズの言いたいことなのかなあ、と思ったのですが。
何故なら、もしも行為者の意図がまるで無視されるなら、
「意図せざる結果」という概念はまるで無意味なものとなってしまうわけですから。
つまり、特定の行為者のもたらした結果でありながら、その行為者の責任(?)となる
ものと、そうではないものがあるんだ、後者が「意図せざる結果」なのだ、と。
だから、その行為者の責任となる行為が「主体的行為(agency)」なんだ!と
言う感じなのでしょうか?
なんだかよくわからなくなってきました・・・。
45 :
名無しさん@1周年 :2001/06/14(木) 00:39
>>44 いえいえ、貴方の仰ることは十全に理解できますので御心配
無く。要するに、認識論的に措定された概念装置というもの
が、豪奢な機能の束へと還元されていくということですね(
詰まるところ、意味内容の残滓が皓々と咀嚼され、純粋な軸
線から提携による逸脱が可能となる、と)。
46 :
元弟子 :2001/06/14(木) 00:55
>598 もうちょっと、親身になって具体的な指導をして欲しかったですネ。
47 :
29 :2001/06/16(土) 03:56
しばらくきていませんでした。 確かに45さんのように 小ばかにしたような発言はあまり好ましいとはいえないと思います。 確かに42さんが書かれている理解はある一面において正しいものだと思います。 わたしも実はギデンズの専門家ではないので、 それほど詳細なことはいえないのですが、 様々に制度化されても、それでも残る部分としてのものが agencyではないかと思います。 意図せざる結果と関連するならば、 そのことに責任を取れると同定できるかどうかが重要となってくるのでしょう。 ギデンズがagencyなどを言い出した時代は、 パーソンズなどのシステム論 (AGILの頃になると行為論による基礎付けがかなり疑わしいものになっていた。) に対して皆が何とか反論してやろうとしていた時代です。 (私はそうした姿勢はあまり好ましいことだとは思えませんが) ギデンズの主著のひとつthe constitution〜にも書かれているとおり、 システム論は形而上学であり、人々の認識に対して一定の強制力を働かせるかぎりでの 危険性をはらむものでもあります。 それを何とか批判してやろうとしていた。 その結果、制度化を回避して回避してその末に残った主体性の契機を取り出す。 こういう作業が必要だったのだと思います。 ギデンズがagencyをわざわざ区別しているのはこのような意図だと思います。 あまり正確ではないかも知れませんが、 どうでしょう。 私のほうこそぜひご教示願いたいと思います。
48 :
42 :2001/06/21(木) 00:45
>>45 どういう意味なのかよくわからないのですが…
>>47 いえ、ご丁寧にありがとうございます。
僕も詳しいわけではないのでさらに読み込んでいこうと思っています。
49 :
名無しさん :2001/06/28(木) 01:24
age
50 :
名無しさん :2001/07/03(火) 06:41
sarasiage
51 :
奈々氏 :2001/07/07(土) 15:23
近代とはなんぞや?
52 :
age :2001/07/09(月) 08:44
age
53 :
随筆家 :2001/08/07(火) 03:22
age
54 :
nanashi :2001/08/07(火) 04:17
agencyって、なんて訳するの?
55 :
ななし :2001/08/08(水) 00:20
主体的行為>agency
上げます。 ギデンズとブルデューって交流ないのかな? ギデンズはハバーマスとかにはよく言及してるけど・・・。 お互いどう思ってるか興味あるなあ。
翻訳が悪かったら、原文でよめばいいじゃん なんでそんなに大騒ぎするの?
ギデンスの「第三の道」について、どなたかコメントしてくださいませんか? 私は、ギデンスらしくない、アカデミックでない印象をもったのですが、、、
>57 一応邦訳には目を通すだろ。んで、ひでー、と。 >58 読む気しないな〜、あれ。何か面白みの無いことばかり書いてそうだ。 貝沼さんも良識の範囲を出ていない、みたいなこと言ってたな。 アカデミックじゃないのはそういう本じゃないからじゃない? ところで宮本さんの本ってどうよ?
手堅くて、よい概説本です>宮本本。あんまり面白くないけど。 というか、『社会理論の最前線』以後のギデンズ自体が あんまり面白くないのかもしれない。 ハーベスト社、復刊お願い。
>59 アカデミックじゃないのはそういう本じゃないからじゃない? コメントありがとうございました。 私も同感です。どうしてギデンスがつまらない本を出したかというと、 政治に色気を感じたのかなと解釈しました。 次の質問は、どうして政治に色気を感じたかという背景ですが、ここまで行くと、 つまらないどころか、興味津々です。彼は学問に限界を感じたに違いない、云々、、、
>61 どっかで、社会学はこれから政策決定に関わっていくだろう、みたいなことを 書いてたけど。でもまあ、別に変なことではないような気がするけどね。 社会学は再帰的に社会に関わってゆくんだから。 学問の領域と政治の領域の区別さえしておけばいいんじゃない? ウェーバーだってそうだったし。
>学問の領域と政治の領域の区別さえしておけばいいんじゃない? それはその通りなのだと思うけど、社会学でも政策に関わる分野では密接に 繋がっているように思うよ。 「第三の道」読むきしないとい人がいたけど、私には「第三の道」以前のものの方が 読む気にはなれない。くだらないから。
ギデンスは第三の道で、「イギリスは、アメリカとヨーロッパの創造的な相互作用の 結節点となり得る」と言っています。(p.13) 実際、ギデンスがブレインとなっている労働党のブレア首相の最近の結節点ぶりは 目を見張る華やかさです。 ブレアの背後でギデンスがどんなアイデアを提供しているか想像にあまりますが、 目が離せません。
65 :
Giddens :01/10/06 11:34
ギデンズが「1989年以降」と呼ぶ時期からの理論を読むなら、宮本本と この間翻訳出た彼の弟子との対談(酷い訳だけど)を読めばいいんじゃないかな。 『第三の道』関連の政治の話が、社会学理論にどの程度よっているかわかるよ。
>63 「第三の道」読むきしないとい人がいたけど、私には「第三の道」以前のものの方が 読む気にはなれない。くだらないから。 激しく同意! 多分、ギデンス自身も同感だと思う。
へ〜。俺はギデンズって可もなく不可もない、特に敵のない人かと思ってたんだが、 結構嫌ってる人いるのかな? おもてだって批判してるのはマルクス主義者くらいかとか思ってたんだけどね。 第三の道以前って、第三の道より前の、ってことだよね? 以前と言うと第三の道も含まれちゃうよ(w 「国民国家と暴力」や「近代とはいかなる時代か」とかは面白いと思ったんだけど。 「新しい方法基準」もわかりやすくまとまってると思った。 くだらないのはどこだろう?参考までに教えて欲しいなあ。
「第3の道」ってそんなに面白いんですか。 教授が、買ってくれたものの じつは、英語が読めずに本棚に眠っているんですが、、、 邦訳版は良質なんでしょうか? 邦訳版を参照しながら読もうかと思います。。。
69 :
Giddens :01/10/07 20:48
>68 邦訳はそれなりにいいYO! ただ、佐和さんの訳は他の、つーか松尾さんとの訳の整合性があるわけではないので 原書を参考にしながら読んだ方が、彼の専門用語の理解にも繋がるし。 例)life politics→佐和:生活の政治学、松尾:生きることの政治
>69 レスありがとうございます。さっそく邦訳を図書館で探そうっと。 あ、いま連休でやってねぇよ、図書館。
「社会システム論」スレでもギデンズへの言及が出始めたが、どうもあちらの方が 鋭い発言が多い。母屋を取られそうだ。 ギデンズだけ議論しても、ギデンズは分からないということかと思われ。
72 :
Giddens[2001] :01/10/09 23:14
>71 マンハイムだけで議論しても、マンハイムは分からないのでは。いえ、絡みではなく。 あの巨人マルクスでさえ、近代哲学の骨法を理解しなければその本質は捉えられないと言う人もいるわけで。 まあ、ギデンズの話が色々出始めているのは、全てがギデンズに収束していくとかそういう事じゃなく あれこれ詰め込んだ航空母艦みたいなギデンズから、今度はどういう飛行機を飛ばす段階に来てるかということでもあり その意味で、じゃあ、ギデンズのこういう議論の次、どうすんだよってことが問題になるのでしょうね。
>72 じゃあ、ギデンズのこういう議論の次、どうすんだよってことが問題になるのでしょうね。 まったく同感です。いよいよギデンズの出番です。或いはギデンズ信者の皆さん方の出? 私はまだ信者ではありません。今のところ、マンハイム/ベラー信者です。
ギデンズのエージェント論についてなんですが、 主だった批判て「Gidden'sTheory of Structuration」のBoyneの論文くらいしか 読んだこと無いんですが他にどんなのがありますか?
>74 「Gidden'sTheory of Structuration」のBoyneの論文くらいしか読んだこと無いんですが 済みません。どんな内容ですか? 簡単で結構ですから教えて下さい。
>75 あ、遅くなりました。大学からだと弾かれるので…なかなか繋げるチャンスが無いんですよ。 だいたい大学にいますから。 簡単に言うと、ポスト構造主義の立場からの批判で、ちょっとまとめづらいんですが え〜っと、ギデンズはポスト構造主義(というよりデリダ)を批判しているが、 それは的外れだ、と。 ↓ ギデンズはデリダはエクリチュール(書字)をパロールに対して優位に持ってくると述べ、 それに対してギデンズはトークを優位に立たせるが、 デリダの主題は書字とパロールにあるのではなく、 それは更なる考察のための媒体にすぎない。 ↓ ポスト構造主義が述べているのは、構造づけられた主体と、 エージェントとしての主体との間は不確定であり、 いかなる哲学もそれを決められないということだ。 ↓ ギデンズは意識的な生を構成する無意識という見解を退け、無意識も 社会的行為者によって提供され、維持される、と述べる。 ギデンズ(1976:117)によれば、生まれたての子供は緊張操作を成し遂げる エージェントとして見なされており、そして最初から 他者との相互行為を形成することができる、ということになる。 ↓ この露骨なデカルト主義が検証されないままに残っているというその理由は、 エージェンシーの優位は、エージェントがその潜在的な操作の外部の力によって 形成されるべきではないことを要求する、ということである。 ↓ ギデンズは主体の脱中心化の意義を学んでいない というようなことで、そこからギデンズは権力と知識の結びつきをわかってない云々… というような批判です。 原文通りの論の立て方ではないのですが、なにぶん原書が手元に無く、 以前読んだときの読書ノートを参考にしてまとめたのでちょっと違うかもしれません。 その場合どなたか訂正お願いします。
>76 ご丁寧な解説をありがとうございました。 私は実務(国際経営学部の教師)の立場で経営組織論特論を教えたり、専門ゼミを学生とともに 学ぶ必要上、ブレアの政策やギデンズの理論が気になっております。 彼らのやっていることがなんとなく胡散臭く感じられて質問しました。 「ポスト構造主義の立場からの批判」のポイントがおぼろげに見えるような気がしました。 取り敢えずは、ここまでで一区切りついたこととします。ありがとうございました。
返事こないですね・・・
78はミスです。新着を更新してませんでした すいません。
とりあえず、エージェントについての批判は、 僕はかなり妥当する面があると思っています。 ざっと見て僕なりの疑問点を挙げてみますので、 みなさんのご意見も聞かせてください。 まず、エージェントを拘束するものは何なのか、という疑問が あげられます。これは構築主義にも当てはまる疑問です。 事実、ギデンズはアイデンティティが物語論的に構築される、 といったことを述べていますが、それを構築する主体はどこからくるのか。 これに関わりますが、そういった主体性を強調しているのに、 なぜ構造が再生産されるのか、ということが言えます。 また、リフレクシブなモニタリングは、必ずしも言説作用にとりこまれていない とは限らない、ということも言えると思います。 たとえば、よく挙げられる例ですが、 「何かとストライキばかりしてろくに働かない」とカテゴライズされた マイノリティが、それ故に劣悪な雇用条件の下におかれている場合、 そのマイノリティは、条件改善のためにストライキをせざるを得ません。 そして皮肉なことに、その行動がかえって「ストライキばかりしてる」という カテゴリーを再生産、強化する結果につながってしまいます。 この場合、リフレクシブなモニタリングは役に立たず、むしろ言説作用に とりこまれ、それを再生産する主体となるかもしれません。 必要なのは、単に再帰的な問い直しを強調することではなく、 そういったカテゴリーを崩し、脱構築する戦略です。 つまり、再帰的な問い直しが、ギデンズにおいては、あたかもあらゆる 現状を超えるものと想定されているような気がします。 それは果たしてどうでしょうか。 こんなところです。まだそれほどギデンズに詳しいわけではないので いろいろご意見聞かせてください。
新刊の『暴走する世界』はどう? けっこう楽しく読めたけど。
>80 つまり、再帰的な問い直しが、ギデンズにおいては、あたかもあらゆる > 現状を超えるものと想定されているような気がします。 > それは果たしてどうでしょうか。 なるほど。当たり前のことを言っているだけなんだ。ギデンズという男は。
>83 なるほど。当たり前のことを言っているだけなんだ。ギデンズという男は。 子も曰く。温故知新。古きを尋ねて新しきを知る。
ギデンズの時間−空間論が一番わかりやすくまとまっている文献ってなんですか? やっぱり「社会の構成」?
>86 ギデンズの時間−空間論が一番わかりやすくまとまっている文献ってなんですか? > やっぱり「社会の構成」? ここでそれをわかり易く教えて下さい。
88 :
名も無き学徒 :01/11/16 00:39
質問です。日本でギデンズの研究に積極的な大学、もしくは先生をどなたか知っていませんか?
91 :
セーラームニエル :01/12/10 17:19
http://www.theorycards.org.uk みんなで遊ぼう Theory.org.uk トレカの遊び方。
1.プレイヤーにカードを分配してください。
2.最初の人を選んでください。
3.ターンが来たプレイヤーは、手持ちの一番上にあるカードを学習して、
「強さ」「弱点/リスク」「特別能力」のどのカテゴリーで勝負するかを選んでください。
4.そのとき、すべてのプレイヤーは自分の手持ちの一番上にあるカードをみて、
そのカテゴリーで誰が優れた特性をもっているかを議論します。
例えば:
−−ギデンズのリスク、「見当違いのポストモダニストが攻撃するかもしれない」というのは、
バトラーの弱点、「いよいよもって不可解な文体」よりもましである。
(もしポストモダニストのなかに、あなたの議論を誤解してこき下ろすものがいても、
別に問題はない。しかしあなたの議論を最初から誰も理解できないのではしょうがない)。
だから、ここでは、「弱点/リスク」を比較した結果、ギデンズ・カードを持ったプレイヤーが勝利します。
−−フーコーの強さ、「イノベーティブかつ現実的な権力のモデル」は、
心理学者の強さ、「ポストモダンの自信喪失への抵抗」よりも強い。
(自信は世界への貢献にあまりならないが、良いアイデアはなる)。
だからここでは、「強さ」を比較すると、フーコー・カードを持ったプレイヤーが勝ちます。
(他の誰かのカードが負かすまで。)
5.勝利したプレイヤーは、相手のカードを一枚−−先ほどの勝負に負けたカード−−をもらいます。
6.もしプレイヤーが何人もいるのなら、どのカードが優れた特徴をもっているかという議論が、
より複雑になるのは避けられないでしょう。紛糾する場合は、多数決が結果を決めます。
もしこれでも結果が決まらないときは、どうかゲームをやめにしてテレビでも見てください。
7.最後に全ての(またはほとんどの)カードを手にしたプレイヤーが勝利者です。
92 :
CC名無したん :01/12/10 17:39
社会学でいう「鉄の檻」ってなんですか。
ウェーバーは、近代の合理化を鉄の檻と呼んだらしいですが、
>>80 さんのいう、
>たとえば、よく挙げられる例ですが、
>「何かとストライキばかりしてろくに働かない」とカテゴライズされた
>マイノリティが、それ故に劣悪な雇用条件の下におかれている場合、
>そのマイノリティは、条件改善のためにストライキをせざるを得ません。
>そして皮肉なことに、その行動がかえって「ストライキばかりしてる」という
>カテゴリーを再生産、強化する結果につながってしまいます。
こういう悪循環のプロセスも鉄の檻といえますか?
だとすれば、社会学は、人類を「鉄の檻」から開放しようとする学問だと、
いうようなイメージが俺の中であるのですが…。
もしそうだとすれば、人類を檻から開放してくれるもの
(=アイデンティティを物語論的に構築する主体?)を、
ウェーバーやらギデンズやらの社会学者たちが捜し求めているということで、
社会学の目標がなんとなく見えてきそうなんです。
なんか、イメージ先行ですいません。ギデンズと関係ないし。
しかし、素人のおれには社会学の意味するところがいまいちつかめないのだ!
>人類を「鉄の檻」から開放しようとする学問 なににかぶれたかしりませんが、学問的な存在様式としての社会学は そんなもん目指してないし、嘲笑の対象にすぎないと思います。 社会思想の領域でも、物語の生産はとうの昔に放棄されていますし。 物語は檻です。
>人類を「鉄の檻」から開放しようとする学問 なににかぶれたかしりませんが、学問的な存在様式としての社会学は そんなもん目指してないし、嘲笑の対象にすぎないと思います。 社会思想の領域でも、物語の生産はとうの昔に放棄されていますし。 物語は檻です。
95 :
CC名無したん :01/12/10 20:20
>>94 なんか抽象的でよくわからないんですけど、要するに俺の言ってることが間違ってるってことか?
それとも、いまじゃ嘲笑の対象だけど、むかしは「解放」とかを考えたこともあったの?
結局、「解放」とか、理想を目指そうとか言うのは物語づくりになるのか?
しかし、それをいったら、あらゆる社会政策は物語ではないのか?
小泉総理の構造改革も!こういうことを議論できるスレはありますか?
そういうスレはみたことない。立ててみれば? まぁ、潜在的な要素を白日の下にさらし、人がそれを予期して行為するように なることで、既存の社会をのりこえていくことは出来ると思が、 他者を‘導く’ということを社会学者が目指しているかどうかは人によって かなり考え方が違うと思う。僕はそれには否定的。 本とか読んである程度かんがえがまとまったらスレたててみればいいよ。 (君、ちょっと元気すぎで周りを疲れさせるタイプ?
君、元気が良過ぎて周りをどんどん疲れさせたまえよ。気にすることはない。 本なんか読んで考えがまとまっても、老化するだけで、世の中ますますつまらなくなるだけだと思われ。
98 :
CC名無したん :01/12/12 02:47
みなさんレスありがとうございます。
おれは濃いとはよく言われますよ。
>物語は檻です。
なるほど、近代的な合理化が「鉄の檻」ならば、
それと同様に、ある種の合理性を追求することが「檻」となってしまうことはわかるような気がする。
たとえばマルクス主義が「檻」になってしまった人は大勢いたんだと思う。こういうことですか?
>>96 >他者を‘導く’ということを社会学者が目指しているかどうかは人によって
>かなり考え方が違うと思う。僕はそれには否定的。
「潜在的な要素を白日の下にさら」すこと自体が、おれには「解放」と同義に思えるのです。
人々がついてくるかどうかは、また別の話しなのだけれども。
99 :
CC名無したん :01/12/12 02:48
>>97 >君、元気が良過ぎて周りをどんどん疲れさせたまえよ。気にすることはない。
どうもありがとうございます。
もっと考えがまとまればスレを立てるかもしれませんのでそのときはご意見よろしく。
スレを中断させてすいませんでした。どうぞ議論を続けてください。
おれもいま読んでいる「社会学の新しい方法基準」を読み終えたら質問をぶつけるかも知れません。
しかしギデンズはむづかしい。もっともこれしか読んでいないけれど。
>もっともこれしか読んでいないけれど どっひゃー
>>97 必ずしも、物語り=檻とはギデンズは考えてないよ。
むしろギデンズにとって近代は、自明なものが次々に問い直しの対象になる時代で、
それが故に(というのは安直だが)諸個人は実存的な不安に晒されている。
そのために脅迫衝動や共依存に陥ったりするのだが、
私的な関係において展開している「純粋な関係」がそれを乗り越えるものとして
捉えられている。
それとは逆の見解を知りたければ山之内靖さんの「システム社会の現代的位相」を
読め。そこでは逆に、過剰な問い直しこそが近代の病理として捉えられている。
専門家が人々を主体化していくとされている。
この辺は意見が分かれるところ。どちらの立場をとっても一概に間違いだとは
言えない。
>「潜在的な要素を白日の下にさら」すこと自体が、おれには「解放」と同義に思えるのです。
>人々がついてくるかどうかは、また別の話しなのだけれども。
「新しい方法基準」読めばわかると思うけど、確かにギデンズはそういう役割を
社会学が果たすことを認めている。だが、それは「解放」ではない。
むしろ、解放という物語こそが危険。
ギデンズは社会学を芸術活動のようなものだと見ている。
つまり、新しい語彙を創出して人々に提供する、みたいな。
102 :
CC名無したん :02/01/07 00:47
>>101 「芸術家〜」というくだりが分からなくて唸ってました。
おれの理解が正しいとすれば、
ミクロなコミュニケーションの部分で繰り広げられる「純粋な関係」によって、
芸術家や社会学者が様相性(modality)というかたちで用意した世界の解釈のなかから
人々が実社会で選択する解釈に影響を与えるということでしょうか?
じゃあ、たとえば、ギデンズ的な「純粋な関係」っつーのは、まさに2ちゃんで
繰り広げられているような関係といってもいいでしょうか?
そこから、人々の社会認識が変わっていく場合もあるかも?
あまりにレスが遅れたので読んでもらえるか分からないですが…
103 :
名無しさん :02/01/13 10:29
セックスしたい
104 :
( ・∀・) :02/01/13 22:45
引きこもっていたり、大学以外の実社会を知らない学者や 研究者は当たり前のことを難解に言い、それでみんなが 理解したと思い込む。しかし、誰にも理解されず、むしろ 失笑を買っていることには気づかない。 但し、引きこもっていない寝言をほざかない学者もいるよ。 少ないがね。
あ、リンク間違えてた。
>>97 じゃなくて
>>98 だった。
>>102 いや、俺の書き方がわかりづらかった。
まず、『新しい方法基準』をよめばわかるように、ギデンズは、
日常の成員に決して意識されない何かが社会を動かしてる、といった見解を認めない。
「見えざる構造」にせよ「システム」にせよ「記号体系の戯れ」にせよ。
そんなもんはない、と。
早い話、社会学者がとやかく言う以前に、日常の人々は社会について良く知っている。
実際、教師は学校について詳しく知っているし、そうじゃなければ学校という制度が
そもそも成り立たない。
そればかりでなく、いちいち社会学者がとやかく言わなくても、
教師は教育学や社会学の本を自主的に読み、自分の活動を反省し、
勉強会を開いたりして、自分の活動を見直している。
つまり、日常の人々も広い意味では社会理論家であり、社会学者なわけ。
別に社会学者が特権的に優れた立場を取っているわけじゃない。
「いや、そんなことはない、社会学者のみが知りうるものがある」
と主張する人は、自分の活動が社会を構成する過程であることを見逃している。
社会理論は、それを提出する社会学者の活動をも社会理論に含んでなければならない。
社会についての記述は、社会を構成する媒体でもある。
社会は、社会について良く知っていて、社会について日々勉強し、情報をあつめ、
日々自分の活動をあらためていく、そういった人々(社会学者を含む)の活動によって
成り立っている。こうした社会の在り方を理論化したのが「構造化論」。
「解放」を否定したのは、日常の成員は、彼の知らない何かに縛られていて、
社会学者がそれを教えてあげなくてはいけない、ということなどあり得ないし
必要がないから。
とはいえ
>ミクロなコミュニケーションの部分で繰り広げられる「純粋な関係」によって、
>芸術家や社会学者が様相性(modality)というかたちで用意した世界の解釈のなかから
>人々が実社会で選択する解釈に影響を与えるということでしょうか?
様相性という概念の使い方に疑問が残るが、ギデンズのいっていることにこれは近い。
だから、その理解でいいと思う。
>ギデンズ的な「純粋な関係」っつーのは、まさに2ちゃんで
>繰り広げられているような関係といってもいいでしょうか?
>そこから、人々の社会認識が変わっていく場合もあるかも?
こっちはどうだろう?違うような気がする。
純粋な関係については、詳しくは
「近代と自己アイデンティティ」を読んでほしい。
>>104 どうせ煽りだろうから一々レスするのもあれなんだが。
実証ならば、別に社会学者に限らず、日常の成員なら誰もが行っている。
社会に生活する人は誰もが、社会について一定のモデルを構築し、
それを日々検証し、モデルの修正を行いながら生活を行っている。
社会学者と日常の成員の違いは、日常の人々は自身の見解が
生活の役に立てばそれで満足するが、
社会学者はそれを体系化し、様々な人々の見解と(他の学問分野も含めて)
整合性を保ち、一般的に妥当するものにしようとする。
社会学が一つのディシプリンとして成立したいなら、
ある意味で、日常の有用性から距離をとり、引きこもることが不可欠だ。
そうでなければ、理論から距離をとった実証など
「誰もがやっている」というだけのことだ。
地球上は狂人の解放治療場である。
あげ
でも、いまの日本の社会学者は日常を知らないね。 女子高生の日常は知っていても、銀行員やビジネスの現実は知らない。 政治も知らない。法律も知らない。財政も知らない。 みんな日常的現実なんだけどね。まず現実の知識自体がない。 だから引きこもりと言われるわけよ。
110 :
しかしあれだ :02/01/22 02:07
社会学者はともかく、小泉政権があれほど盲目的に支持されているのを見ると、 日常の成員が本当に社会を良くしようと学んでいるのか、というのは疑問にぞ思う。
盲目的に支持されている、というのは検証したのか。 俺には全くそう思えんが。
>>109 思うんだが、雑談スレとかで話したら?
言ってることはわからんでもないが。
俺が思うに、根底的な問題は、「日本の社会学」なるものが
本当に成立しているのだろうか、ということのように思える。
西洋から借りてきたスキーマを自明視し、それに全てを当てはめるだけならば、
どれだけ日本人の生の声を聞こうが、結局ナルシスティックに
自分の声を聞いているだけのような気がする。
>>110 社会を良くしようと学んでいる,と言ったつもりはないが…。
小泉人気は、安直にいえば典型的に「親密さの専制」だろうね。
ただ、以前には政治の不人気を憂い、政治が注目を浴びれば、
ニヒリスティックにそれをこき下ろす、といった根強い大衆蔑視に囚われた
日本の知識人のありようそのものが、俺は問題に思える。
日常の成員への信頼、尊敬といったものを抜きにして、
社会学は成り立つのだろうか。
113 :
偽電図さんへ :02/01/24 01:31
とっても共感する議論ではあるのだが。 たしかに、社会との何の接点もなく、 「解放」してやるとか、「社会学者だけが社会を知っている」と開き直なおって 特権意識に凝り固まってしまうのは困る。 しかし、そういった社会改革の動機をかけらもなくしてしまったとき、 学問は学問足りうるのだろうか。 わざわざ社会から資源をかき集めてきて大学を成立させておく意味はない。 僕は日常の成員と同じく社会を構成していくファクターの一つに過ぎないと自覚した上で、 社会学は実践において独自の役割があると信じている。 やはり、社会改革など現実を直視するなかで社会学にしか分からないこともあるのではないか。 例えば、ギデンズは、自律した「システム」や「記号の戯れ」はないと述べるが、 果たしてそうか。 一方で、ギデンズは「意図せざる結果」(もしくはその原因)についても議論している。 これらは単なる資源と片付けてしまうと、問題が見えなくなる。 資源と考えていても意図していたように利用できなかったのだとしたら、 それはエージェントからは自律していたと考えられるのではないか。 なぜ上手くいかなかったのかの考察が必要となるのではないか。 制度の硬直性。思ったよりもみんな足がすくんじゃってさあ。 なんて結論が出たとき、明らかに人々の意図とは自律したところで 制度が独自の運動をしていたことになる。 このとき社会学(もちろん他の学問でもいいし、名前でもいいがというのは踏まえた上で)が 傍から見て、ここが悪かったんだよと助言するのは必要ではないか。 社会学はこういうのを考察するディシプリンとして、 もっと独自性を打ち出していく事ができるような気がする。 つまり、社会学は実践とかかわったところで、 特別の位置を保った学派足るべきというのも大事だと思う。 こういう意見はどう?
114 :
匿名希望さん :02/01/24 21:12
>>112 >日常の成員への信頼、尊敬といったものを抜きにして、
>社会学は成り立つのだろうか。
浅田彰でないけど、未だプレモダンな日本社会の現状を鑑みると、
ポストモダン以降の視点を実社会に当てはめるのは困難と思われ。
今の日本には、 プレモダンも、モダンも、ポストモダンも共存しているよ。 (存在しているなんて客観的には言えるわけないのは前提。)
116 :
アカデミックな(゜д゜)ウマー :02/03/25 23:53
あげ
117 :
激しく忍者 :02/04/10 14:22
| | | ∩ ⊂ \ /ヽ ) ⊂二 ,)〜 +激しく宙吊り+ /|。∩。/| U\_| 目 レ ○ ( " )ノ ∧ ∧ ∧,,∧β ( ,,) ζ ミ,, ,, ,,,ミ 〜(___ノ 旦 ミ_,,_,,,_,ミ〜旦~
19日に法政で講演するようなので、アゲ
今日、グローバリゼーションを禿げしく擁護するんで、 聞きにきてください。
入場券くれ
( ゜д゜)ウマー
逝って来たよ、ギデンズ講演会。ほんとにグローバリゼーションを擁護してたね。 もちろんグローバリゼーションはアメリカニゼーションではないし、経済的な 次元に限定されるものではないって保留つきだったけど。 でもコメント&質疑応答はあんまりかみ合ってなかった。宮島さんのコメントは 思い出話。佐和さんのは自己完結してた。 フロアからの質問は・・・訳分からない。特に○塚○二さんの。
>>123 >フロアからの質問は・・・訳分からない。特に○塚○二さんの
もう少し詳細きぼんぬ
他の人のコメントとか、講演内容についてもできれば。
羽場さんの質問には結局 「ブレアの戦争支持は間違ってない!」 と開き直ってたね。
キタ━(゚∀゚)━!!自称“世界の”○塚○二!! ブルデュー来日時に続いて、またやってくれたか。 で、何をほざいてたの?
コメント&質議応答はアホばかりだった。
聞きたいことあったのに。スゲェむかつく。
ああいう講演会って面割れてないと質問させてくれないの?
>>126 「グローバリゼーションで全てが説明できんのか!」とか
「ポストモダンがどうのこうの」って言ってた人かな。
確実に本を読んでない。論点不明。ビビった。
ギデンズはヅラですか?
プ
>>128 さる信頼できる筋からの情報によると、ヅラではなさそうとのこと。
ところで全然関係ない話だけど、稲○龍○は来てた?
あげるぞ! なんかさー、読んでてもいまいち何がすごいのかよくわからないんだけど。 社会の構成読んだけど、そこでの考察がその後にどういかされてるの? 何であんなに評価が高いのか、どうしても納得できない…。 いい解説本ないっすかね?ギデンズがどう受容されているのか知りたいんで。 日本語文献当たれる限りのものは当たった(と思う)けど、 なんかしっくりこないんで、洋文献でお勧めあったら教えて下さい。
>>131 ギデンズがどう受容されてるか知りたいんだったら、編集もんの論文集
読むのがいいんじゃない。古いやつだと、Social Theory of Modern
Societiesとか、最近のだと、The Contemporary GiddensやTheorising
Modernityなんか。例によって玉石混交だけど。
133 :
天満 ◆9P7lKBRY :02/06/08 06:02
134 :
天満 ◆9P7lKBRY :02/06/08 06:13
131ではないが、宮本のギデンズ本は手堅いレヴューというか、 まぁ読書感想文。これだっらギデンズ自身の著作を読むほうが、 はるかにおもしろい。学部生のレポートレベルの今○の本よりは、 はるかにマシだけれどもな。
>>132 >The Contemporary GiddensやTheorising Modernity
こっちに興味があります。
ピアスンのインタビュー集も読んだんですが、あんまり望んだ
内容ではなかったです。
とりあえず、規則と資源という構造概念にみんな納得してるんでしょうか?
時間、空間概念も、パワーコンテナも、興味深いといえば興味深いですが、
綿密に体系づけて整理されているという印象は持ちませんでした。
さまざまな論点がだらだらと並べられている、という感じです。
>>132 もちろん読みましたが、135さんの言うとおりな気がします。
宮本さんのその他の論文も読みましたが、全般的に内容が薄いです。
ギデンズ理論の中心概念としてパワーに注目し、再定式化していると
言っていますが、僕にはそれが全然本質的なものではないように
思えるのです。そもそもパワー概念の内実が全然明らかにされていません。
その他、貝沼先生のギデンズ論も読みましたが、使いこなしているという
印象は受けませんでした。いったい、時間・空間とは何なのか、
その発生論に踏み込む必要があると思うのですが、
そこまで読みとれませんでした。
今○先生のは、内容は疎かですが、個人的にはわりと面白かったです。
気軽に読めるし、本人は楽しいんだろうな、という感じが伝わってきたので。
>>136 >全然本質的なものではない
何にとって本質的なものではないの?
理論は理論なのだから、ある側面をモデル化したものに過ぎないわけで。
つまり、131氏が何を知りたいのかによって、本質的であるかどうかは変わるんじゃない?
>時間・空間とは何なのか、その発生論に踏み込む必要がある
ルーマン読んだら?
『信頼』は面白かった。
土方訳は日本語として読めないものばかりだが。
> 何にとって本質的なものではないの? > 理論は理論なのだから、ある側面をモデル化したものに過ぎないわけで。 ギデンズの社会理論にとって、本質的ではないということだろ。 「パワー」がギデンズ社会学の中心概念であるなどというのは、 かなり的外れな主張だと漏れも思う。かつて宮本は今枝の本を 酷評していたが、今となっては目くそ鼻くそを笑う、だよな。
あーげー
age
Praxis でしょぅ
>>137 レスがあったのですね。亀レスですがお答えします。
宮本さんは以前に「ギデンズの二大パワー概念は、国家パワーと階級パワーの
存在から逆にその存在を推測されたもので一般理論的な基礎付けが無い」と
批判していましたが、自分の著作ではギデンズのパワー概念の修正にあたって
二大パワー概念を採用しています
(コミュ、パワー、サンクション
→コミュ、コンフリクト、エクスチェンジ、サンクション)。
一般理論的な基礎付けが無いのですから、三つを四つに増やしたところで
大して本質的ではないでしょう?
また、パワー概念がギデンズにとって中心的だと宮本さんは述べていますが、
確か「ソシオロジ」の特集での論文では「再帰性」がギデンズの中心概念だと
述べています。確かに、ギデンズのような多中心的な理論家においては、
何を本質的とみなすかは多様でありうるでしょうが、最近の宮本さんの論文の
非生産性を見る限り(実際、僕の読む限りでは、最近はもっぱらギデンズの紹介をしているだけです)、
結局、「資源動員可能性」としてのパワー概念はあまりにも抽象的すぎて
使い物にならないように思えます。
実際、この「資源」という概念が何を意味しているのか、きわめて曖昧です。
宮本さんが言いたいのは、おそらく、「文脈を動員して関係に差異を持ち込めるのは
人間だけ」ということでしょうが、しかし「資源」はギデンズにおいては
「構造」の要素です。ギデンズにおいては、むしろ、構造の範列的な差異のなかに、
そこに還元されない要素を持ち込むことで新たな差異をもたらす、というように
解釈すべきでしょう。
であれば、「資源動員可能性」としてのパワーという定義には問題が残ります。
↑は僕です。名前を入れ忘れました。 宮本さんについて、僕が読んでて思うのは、宮本さんは、ギデンズの1990以降の 変容に伴って目標を見失ってしまったのではないか、ということです。 少なくとも1990あたりまでは、宮本さんは独自の考える力を持っていたように思えます。 しかし、それ以降はもうギデンズの紹介論文を書くだけの人に 成り下がってしまっているように思えます。まあ、これからどうなるのかは定かではありませんが。 あとルーマンはもちろん読んでいます。 時間論に関しては、今日ルーマンは欠かせないでしょうから。
上げ age
ここもまた、下らないスレだなあ。
>>142 >一般理論的な基礎付けが無いのですから、三つを四つに増やしたところで
>大して本質的ではないでしょう?
ん、パワーって上位概念じゃなかったっけ。
位置付け的にはそんな感じだと思ったけど。
それだったらコスト・リスクのコントロールっていう意味で
現在ビビッドな、色んな話と結び付けられると思う。
>ギデンズにおいては、むしろ、構造の範列的な差異のなかに、 >そこに還元されない要素を持ち込むことで新たな差異をもたらす、というように >解釈すべきでしょう。 んー、別に原理的な矛盾があるようにも思えないけどな。 要するに可能性を規定する現実としての環境、つまり諸条件の総体を どう定義して論理操作するか、という問題だと思うんだけど。 で、そこがギデンズと宮本さんの論の違いなわけだよね。 俺は宮本さんのやり方はそれでそれでアリなんじゃないかと思うな。 なんつーか、上で言ったような他の概念との親和性という意味でね。 よりシンプルになって理論としての機動性が高まると思う。 ギデンズそれだけだと、まさに142さんの言うような多中心性によって 応用性に乏しいでしょ(ギデンズ自身は実証性を放棄してるし)。 まぁ、それこそがギデンズなんだと言ってしまえばそれまでなんだけど。 でも、それだけだったらもったいないなぁ、と俺は思うのですよ。 >あとルーマンはもちろん読んでいます。 なんか面白いのありました?
>>147 うーん。ギデンズのパワーと権力の定義は、それぞれ「差異をもたらす」ことと
「自身の行為の結果が他者に依存している場合に、その結果を確実にすること」
ですよね。つまり、一方では新たな差異、いわば「あらたな可能性をもたらすこと」と、
他方では、いわば「ありそうにもないことをありうるものにすること」だと言えます。
この双方をどう関連付けて理解するのか、と言うと、その答えは
「新しい方法基準」における所為同定の問題と、「社会理論の
中心問題」において、比較的明確な形で提出されていると思います。
1976において、ギデンズは明確に、行為の意味は決して行為者の意図からは
導き出せないこと、それは文脈に依存していること、むしろ、そうした
文脈において確定された行為の意味が、行為者の意図に先行していること、などを指摘しています。
いわば、ある行為が何であるのか、ということは、それがどのように受け取られていくのか、
といったことに依存しているといえます。
したがって、行為の可能性とは資源動員可能性というよりも、それが他者に
開かれていることに依存していると思うのです。これが、パワーの側面だと言えるでしょう。
ギデンズも、パワーは本来的に行為者の意図とは関係が無いと述べています。
1979においては、ダブルコンティジェンシーが取り上げられ、そこにおいて
コミュニケーション、権力(パワーではなく)、サンクションについて
比較的明確で整合性を持った形で相互行為の三側面が定義されています。
いかなる相互行為にもサンクションが伴うのは、他者の予期せざる反応が
つきまとうからであり、そして権威的資源と配分的資源は、それぞれ威圧と誘引に
さしあたり関連付けて論じられています。
サンクションと権力の偏在性はダブルコンティジェンシーに由来し、
したがって、コミュ、権力、サンクションはいかなる相互行為にも
存在することになります。そして権力はそうした不確定的な状況において、
関係性を構造化することで可能性を限定することに関わらせて論じられている、
と思います。「行為の結果を確実にする」という定義はこうしたことから理解できます。
以上のことを僕なりにまとめると、こうです。私の振る舞いは、本来的に私の意図を超えて、 多様に他者に受け取られていきます。そしてそのつど新たに他者の反応を 引き出すことにおいて、差異をもたらします。これがパワーの側面です。 可能性は、他者との出会いによってむしろそのつど創造されていくわけです。 そうした新たな可能性の中で、他者とのやり取りを通じて、不連続性を通じて 連続性を相互に確保しようとすることにおいて、関係が比較的構造化され、 いわば「ありそうにもなかったことがありうるものになる」。 そうした構造化された関係性(システム)の特性として構造が構造化され、 それによって、関係は連続性を確保することになります。 そしてそうした構造の要素が資源です。 つまり、関係を新たに樹立し、ありうるものにすることに権力は関わるわけです。 ですから、権力は自由と対立しないわけですし、社会を構成する作用であり、 可能性の限定という点で、行為者が「別様にもなしうる」ことを必要とするわけです。 このように理解すれば、パワーは意図ばかりでなくむしろ資源をも新たに創造していく。 資源は、関係の樹立と不可分であり、したがって、関係性に応じて資源が特定されるといえます。 また権力は、資源を動員することで、関係の連続性を確保することに関わると 解釈できます。 例えば、宮本さんは解釈図式も資源となりうると指摘しますが、いったい 何が解釈図式をある状況において資源としたりしなかったりするのか、については 考察を行っていません。宮本さんは、他者との関係以前に行為の可能性を想定し、 それに資源概念を関連付けているために、資源をそうならしめるのはなにかについて 説明できないのです。
むろん、以上の解釈は僕なりの解釈ですし、かなりルーマン的に解釈したものですが、 少なくとも1976、1979と関わる限りでは整合性を持っていると思いますし、 また行為と構造の問題についてのギデンズの解釈とも整合性を持っていると思います。 ここから、物質的コントロールと人間へのコントロールに関わる二つの資源、 という想定は、少なくとも単純には維持できないことがわかりますし、また、 与えられた仕事から手を引くそぶりや解釈図式が場合によっては権力源泉となるのはなぜか についても説明しうる余地が与えられます。また、場に応じた資源という解釈によって、 ブルデューの「象徴資本」とのつながりや、パワー概念と権力概念の関連付け、 および権力の「確実なものにする」といった定義においてルーマンとの接点も導き出されると思います。 そうなると、今度は、1981以降から導入されたパワーコンテナや時空遠隔化、 情報の収集や蓄積、監視現象などとの関連が問題となるでしょう。 そして、この点を体系的に関連付けることをしないならば、それは ギデンズ論としては本質的ではないといわざるを得ないものでしょう。 僕は「国民国家と暴力」こそがルーマンにもブルデューにも無い独自の業績であり、 ギデンズの中心的な業績だと思っており、個人的に多大な関心を抱いているので、 その点についてギデンズ研究者ならば明確にしてほしいのです。 で、ルーマンについては、やはり「社会システム論」ですね。 分厚いですが読む価値はあると思います。
これも両スレ
(^^)
挙げておこう。何かまたギデンズ本が出るね。 現在のギデンズ、ってタイトルで、ブライアントとヘルドが編集のやつ。 注文したけどまだ届かん。誰か読んだ?
155 :
bloom :03/01/22 17:42
アンソニー!
^ ^;
(^^)
>>154 買っては無いがイントロとインタビュー部分だけ読んだ。
ギデンズってセラピー受けてたんだな。そんで親密性の変容とか書くようになったわけか。
セラピーにも好意的だし。何があったんだろう。
つーか、「左派右派を超えて」の邦訳が出てた。買ってこなくては。
左派右派を超えて
>>160 「左右を超えて」のほうがいいよな。何で「左派右派を超えて」なんだ?
邦題センスねえよ。
左右
(^^)
∧_∧ ( ^^ )< ぬるぽ(^^)
下がりすぎなので上げます。
あげ
フーコーのフィギュアもあるな・・・少し欲しい
・・・要らん
まあ、フィギュアはネタだが、イギリス人も相当暇だな。
>>154 とりあえず、ベッカムはイギリスでも人気があるらしいことがわかった。
つーか、何か話題無いのか?
沈みすぎなので上げ そういえば1979のCentral Problems で「矛盾」とか言い出したときの 参考文献が、なぜかスペンサー・ブラウンという罠。 リスク、信頼、自己準拠、オートポイエーシス・・・ ルーマン臭がぷんぷんしてるのに 素直にルーマンを参照したと何故言えないのか?
∧_∧ ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。 =〔~∪ ̄ ̄〕 = ◎――◎ 山崎渉
人いないくせに沈むの早いな。社会学板。 上げ
174 :
dsHuoshVS YahooBB219001164144.bbtec.net :03/06/02 14:36
最近みないね
上げ
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
ブレア失脚とともにギデンズの評価も失墜かあげ
上げ
age
近代とは、終わりなき近代化のことであり、 いまだに実現し得ない、今後も実現することのないだろう、 そういう自己ループの進歩過程なのです。
無限ループによる暴走過程?
>>182 御免訂正。実現となっているのを「到達」に改め。
社会理論と現代社会学の3章を読んでいた時、これを同時代に日本で思索されていた思想家の一人に、 カラ谷行人先生が入るのじゃないかな? と考えてしまいました。探求から以降。 国家レベルのアノミーについても、フロイトとカントである解釈を提示してました。
あっまちがえた。 カントとフロイト 文学界11月号
合体してカントロイト。
永続革命の近代
柄谷とかって全然読む気しないなー 読まなくちゃやばいかな あげ
柄谷先生は、文芸評論の立場で書かれるので、論理に自由度も大きく、論文に慣れた方には 物足りないかもしれません。 やや限定されたきらいはありますが、自我を手放す事なく、システム理論とは逆の立場から 同様な考察を試みてみえるようで、面白いです。
ふむふむ。
ギデンズは今の狂騒をどう思ってるんだろう
何の狂騒??
そういえばLSEの学長やめてたな、ギデンズ。 最近動向を全然フォローしてないや。 言ってる事同じことばっかりだし。 >狂騒 というのはイラク関連のことかな? 当たりさわりのないことばかりしか言ってないよ、ギデンズ。 ただ、去年の3月くらいの討論をちらっと読んで以降は 読んでないけど。
196 :
名無しさん@社会人 :04/09/06 16:18
ブレア政権の政策を基本的に方向付けてるのがギデンズのはず。 現代のディドロと賞賛されるくらいだもん。
197 :
名無しさん@社会人 :04/09/13 13:40:25
198 :
名無しさん@社会人 :04/09/15 11:08:53
スティグリッツも併せて読もうね。
200 :
名無しさん@社会人 :04/09/16 01:20:23
>>196 農奴制を確立してポーランドを侵略したエカテリーナ女帝を啓蒙専制君主
として礼賛するような学者がギデンズなんですね。
>>199 やっぱ第三の道を評価するには
クルーグマンやスティグリッツなどの知識が必要?
ギデンズがブレアのおまけなのか? 俺が聞いたのはブレアがギデンズのおまけと聞いたぞ。 第三の道もブレアのは、資本主義と社会主義の中間 位の認識に過ぎなかったとかの噂なんだが
203 :
名無しさん@社会人 :2005/05/21(土) 03:21:49
204 :
名無しさん@社会人 :2005/05/21(土) 10:23:55
新刊って今までのモダニティ関連の本と内容違うの?
206 :
名無しさん@社会人 :2005/05/22(日) 14:31:13
>>205 モダニティ論3部作のなかでは、一番おもしろい。
ギデンズはその後「第三の道」を唱え政治へと関心を移すが、
漏れ的にはもう少しこっち方面で研究を続けてほしかった。
207 :
名無しさん@社会人 :2005/05/22(日) 15:41:26
再帰性ってマイナーな(or新しい)概念なの? 大学の図書館で社会学辞典4〜5冊見たけど載ってなかった。
208 :
名無しさん@社会人 :2005/05/22(日) 18:38:07
いや、これほど便利で使いまわせる言葉は無いから いろんなところで見かけるぞ? その分内容がスカスカになっていくがな。
209 :
名無しさん@社会人 :2005/05/22(日) 18:56:24
宮台の定義・・・システムの外《=選択対象ならざるもの》への信奉をシステムが作り出す《=選択対象とする》事態、潜在性の空洞化を選択で埋め合わせるフリをする事態。 チャーリーの定義・・・どこか他の対象に向けられていたはずの指向が、実際には自己に向けられた指向になっているという自己言及的なあり方。 筒井淳也(新刊の訳者)・・・○○についての言及が,○○自身に影響を与えること。
>>209 毎度のことだが、宮台の定義はめちゃくちゃだな。
チャーリーや筒井の定義よりははるかにマシだろ
筒井氏の定義はオーソドックスだろ。 チャーリーって誰? 宮台のは、たぶんルーマン解釈に基づいてるんじゃない? ギデンズの意味での再帰性じゃないでしょ。
チャーリーは宮台の弟子の鈴木謙介。
214 :
名無しさん@社会人 :2005/05/25(水) 01:48:10
>>212 これは宮台の妄想。ルーマンもギデンズも関係ない。
ギデンズ男爵
217 :
名無しさん@社会人 :2005/05/30(月) 23:20:04
モダニティと自己アイデンティティ、読んだ。 装丁きれいだし、内容もなかなかおもしろい。 ハイモダニティ・マンセーな人というギデンズのイメージがだいぶ修正された。 ただし、こんな「訳者解題」は・・・イラネ!
218 :
名無しさん@社会人 :2006/03/04(土) 02:16:34
平易な英語のギデンズ。意外だった。
219 :
名無しさん@社会人 :2006/03/05(日) 14:54:08
標準的な英語で読みやすいから。
220 :
名無しさん@社会人 :2006/03/06(月) 15:33:13
Exactly!
221 :
名無しさん@社会人 :2006/03/07(火) 01:50:01
高名な学者だけど、オリジナルの専門的な業績ってあるの?
222 :
名無しさん@社会人 :2006/03/07(火) 01:53:12
第三の道
223 :
名無しさん@社会人 :2006/03/07(火) 01:59:59
「第三の道」はギデンズの発案ではないよw あれはほとんどパクリに近いよ。
凄ぇフツーに見えるよないやそれはそれで凄いことなんだけど
225 :
名無しさん@社会人 :2006/03/07(火) 18:23:43
「第三の道」はあんまオリジナルではない 影響力という点では再帰性をキーワードにしたモダニティ論だろ 引用される度合いも一番高いし そういえば最近の宮台は再帰的再帰的とうわごとのように言ってるな いつのまに、システム論からギデンズに乗り換えたんだ?
226 :
名無しさん@社会人 :2006/03/07(火) 19:17:35
できんす
227 :
名無しさん@社会人 :2006/03/11(土) 02:46:57
225は頭がいいな。
228 :
名無しさん@社会人 :2006/03/11(土) 02:49:04
第三の道自体はクリントン政権が先に提唱してたはず。 だが、政策メニュー自体は似てくるとしても、 それを支える現状診断・理論的前提の部分で 異なるんだろうな。 つまり、グローバル化、再帰性(最近じゃ知識経済化という感じに 言い換えているが)、個人化、といった時代の趨勢を捉えつつ、 それに支えられた形で政策方針が提示されている。 ギデンズが受けたのも、そういう部分で理論的支柱を 与えたからだと思う。
230 :
名無しさん@社会人 :2006/03/13(月) 15:09:49
そう。
231 :
なぜ社会学者は変態でキモイのか? :2006/03/20(月) 19:56:22
これは精神科医にも言えるねw しかも、彼らは見るからに痛々しい存在だよww 数学者も相当逝ってるけど、あれは天然ボケみたいなものだし 「気違いだけど仕方がないな、ガキみたいに面白いからいいやw」って 楽しめるけど、社会学と精神分析はキモ過ぎイタ過ぎで洒落にならない罠www 社会学の対象は主に社会病理、精神分析の対象は主に人間関係と心の病理だけど、 同じ「病」を扱うとはいえ、普通の医師(例:内科医や歯科医)とは大違いだなwwww ギデンズも例外ではない(イギリスだから一級品の変態とキモさだろうな)wwwww
232 :
名無しさん@社会人 :2006/07/07(金) 14:10:10
そうか
233 :
名無しさん@社会人 :2006/10/13(金) 10:07:41
ぎでんずの『sociology 5th edition』は4版と結構内容違いますか? 情報化社会やテロについての言及があれば、買おうかと思ってますが
234 :
名無しさん@社会人 :2007/02/13(火) 16:07:52
drh
235 :
中葉 ◆22bKXenR5Q :2007/02/14(水) 09:19:58
第三の道のオリジナルといえば、やはりカール・マンハイム「自由・権力・民主的計画」だ。
その正統後継者といえば、ギデンズでなくJohn Friedmann“Planning in the Public Domain: From Knowledge to Action”だ。
誰も知らないし、誰も理解しないが、事実はそうなんだ。
ひょっとして実践的な後継者はヒラリーになるかもしれないし、
http://www.kinyobi.co.jp/KTools/antena_pt?v=vol558 で報道されたように、
欧州緑の党のダニエル・コーンベンディット代表は「憲法は欧州の民主主義の基盤をつくり、
持続可能性という原則を確立する」と批准反対論を批判。
ダニエル・コーンベンディットが後継者になるかもしれない。
>>235 おフランスの自縄自縛状態を理解してます?w
統一通貨圏の中で「持続可能(笑)」であるためには、
労働の流動性を高めなければならない。
つまり域内の移動の流動化と労働者の既得権の撤廃だ。
フランスにそれができますか?
ユーロからの脱退に傾いている人も多いのでは?
しかしサルコジもなんであんな困難な国の大統領になりたがるのか。
ロワイヤルとか環境バカとかサヨクどもにやらせときゃいいじゃんと思う。
ま、フランスやEUのことなんてどうでもいいが、
日本にくだらんものを持ち込むのだけはやめてほしいねw
>>236 多国間にまたがる統一通貨と労働移動の完全な自由化は結局は成立し得な
いということでしょうか? 欧州などは一国内における労働ギルドとそれ以外の
層の「格差」すら解決できていないようですし(まだそれすら解決できて
ないのになんでユーロやったの? という話だが)
ただしコスモポリタニズム信奉者は、様々な混乱も世界市民・世界共和国の
生みの苦しみぐらいにしか思ってない節があるんだよね。
姜ちゃんとか宮島喬さんとかもう無茶苦茶言ってるから。フランスで失敗した移民と
ネイティブの融和がなぜ日本で可能だと思ってるのかな?
しかも反米ブロックとしての東アジア共同体とかもう・・・パックス・アメリカーナの克服っていまだに
大学では有効な問題意識なんだよねえ。帝国の幻影を追い掛けているだけかもしれないのに。
でもEUは景気はいいらしいから、そこだけは羨ましいかも。 景気がいいのに若年失業率が減らないってのは怖いがw
>>238 >景気がいいのに若年失業率が減らないってのは怖いがw
恐らくはガチガチの労働ギルド・保護政策・移民etcがネックだと思う。
それを「グローバリズムが失業を作る」とすり替えるのが向こう(と日本の)
研究者たちだけどね。
240 :
名無しさん@社会人 :
2007/03/01(木) 16:31:24 そうね、若者の失業率は問題。 でも、若者は将来に希望がないと言ってるのも多い。 希望がある社会は大事。