▽▲▽三島由紀夫の社会学▼△▼

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514名無しさん@社会人
日本の伝統文化には、官能の多様性はみごとに鏤(ちりば)められてゐる。しかし、それを分析するとなると、
日本人はいつも間違ふ。日本人ぐらゐ性の自己分析の不得手な国民はなからう。それは又一般的自己分析の
あいまいさといふ国民的特色と相俟つてゐる。
(中略)
人間の結ぶ性的関係は、(中略)次の三種に分けてよからう。すなはち、第一に、異性愛の男女関係、第二に、
同性愛の同性同士の関係、第三に、サド・マゾヒズムのサディストとマゾヒストの関係である。(中略)
何故、この三種に分けるかといふと、この三種は、人間の社会集団のおそらくもつとも根元的な三種別の
「関係」と照応してゐる、と考へられるからである。すなはち、第一種は生殖を基本にした社会秩序、第二種は
同志的結合を基本にした戦闘集団、第三種は権力意志を基本にした支配・被支配関係と、それぞれ性欲を超克して
相渉つてゐるからであり、この三種の社会関係は、相互に根本的に矛盾してゐる。しかも相互に浸透し合つてゐる
といふところに問題の厄介さがあり、一人が三者を兼備することさへできるのである。

三島由紀夫「All Japanese are perverse」より
515名無しさん@社会人:2011/12/16(金) 22:32:03.87
(中略)
われわれの先人は、女をして女であることを主張させることが、いかに社会の男性的理智的原理を崩壊させ、
社会をアモルフなものに融解させてしまふか、といふ洞察力を持つてゐた。女は女であることを決して主張しない
ことによつて真の女になり、そこにこそ真の「女らしさ」が生ずるといふ女大学のモラルは警抜で、シニカルな、
水も洩らさない社会的強制(コンパルスン)であつた。つまらぬ風俗現象ではあるが、現代の風潮を、
「女性の男性化、男性の女性化」といふ言葉でとらへようとする論者の脳裡にはこの古いモラルが、裏返しの形で
貼りついてゐるのである。現代の風潮は、女が女であることを主張し、男は男であることを主張しない、といふ
だけの話であり、むかしの日本では、男が男であることを主張し、女は女であることを主張しなかつた。真の
根元的な、妥協をゆるさぬ両性の対立は、男が男であることを主張し、女が女であることを主張する、といふ
状況からしか生れないのである。もちろんそんな状況は、人類に平和と幸福をもたらすものではない。

三島由紀夫「All Japanese are perverse」より