▽▲▽三島由紀夫の社会学▼△▼

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375名無しさん@社会人
大体、左翼の人は「ファッシスト」と呼ぶことを最大の悪口だと思つてゐるから、これは世間一般の言葉に
飜訳すれば「大馬鹿野郎」とか「へうろく玉」程度の意味であらう。(中略)
私は大体、ファッシズムを純粋に西欧的な現象として、主にイタリーのその本家とドイツのナチズムとに限定して
考へるのが、本筋だと考へてゐる。(中略)
日本のいはゆるファッシストたちは廿世紀的現象としてのファッシズムとは縁が遠かつたといふほかはない。
何故なら戦前の日本の右翼は、悉く天皇主義者である。彼らの思想は極度に人工的な体系を欠いてゐた。つまり
議会制民主々義は技術的政治形態であるから、欽定憲法の下でも、いくばくの矛盾を容認しつつ、成立しうる。
しかしファッシズムは、人工的な世界観的政治形態であるから、実は自然発生的な天皇制とはもつとも相容れない
筈であつた。私は戦時中の日本のファッシズムといはれるものを、その言論統制その他におけるあらゆる
ナチス化をも含めて、技術的な政治の理論的混乱とより以上は考へないのである。

三島由紀夫「新ファッシズム論」より
376名無しさん@社会人:2011/04/30(土) 17:44:03.67
軍部独裁は歴史上にしばしば見られたところで何の新味もなく、統制経済と言論統制は世界観的政治の技術的
模倣にすぎず、かれらの犯した悪は、ファッシズムの悪といふより、人間悪、権力悪の表現であつた。(中略)
また日本のいはゆるファッシストは、インテリゲンチャの味方を持たなかつた。日本のハイカラなインテリゲンチャは、
日の丸の鉢巻や詩吟や紋付の羽織袴にはついて行かなかつた。しかるに西欧のファッシズムは、プチ・
ブゥルジョアジーの革命と考へられてゐる。(中略)ファッシズムが多数の自由職業者・専門家層に呼びかけ、
インテリゲンチャの人心を収攬したことはたしかであつた。
(中略)
ファッシズムの発生はヨーロッパの十九世紀後半から今世紀初頭にかけての精神状況と切り離せぬ関係を持つてゐる。
そしてファッシズムの指導者自体がまぎれもないニヒリストであつた。日本の右翼の楽天主義と、ファッシズムほど
程遠いものはない。

三島由紀夫「新ファッシズム論」より
377名無しさん@社会人:2011/04/30(土) 17:44:38.95
(中略)
私は「自由世界」といふ言葉をきくたびに吹き出さずにはゐられない。本来相対的観念である「自由」なるものが、
このやうな絶対的な一理念の姿を装うてゐるのは可笑しいことである。絶対主義のかういふ無理な模倣のおかげで、
今日世界をおほうてゐるのは、政治における理想主義の害悪なのである。
(中略)
暴力と残酷さは人間に普遍的である。それは正に、人間の直下に棲息してゐる。今日店頭で売られてゐる雑誌に、
縄で縛られて苦しむ女の写真が氾濫してゐるのを見れば、いかにいたるところにサーディストが充満し、
そしらぬ顔でコーヒーを呑んだり、パチンコに興じたりしてゐるかがわかるだらう。同様にファッシズムも
普遍的である。殊に廿世紀に於て、いやしくも絶望の存在するところには、必ずファッシズムの萌芽がひそんでゐると
云つても過言ではない。

三島由紀夫「新ファッシズム論」より