251 :
名無しさん@社会人:
私はごく最近、「諸君!」七月号で、貴兄と高坂正尭氏の対談「自民党ははたして政党なのか」を読みました。
そして、はたと、これは士道にもとるのではないかといふ印象が私を搏ちました。私は何も自民党の一員では
ありませんし、この政党には根本的疑問を抱いてゐます。しかし社会党だらうと、民社党だらうと、士道といふ
点では同じだといふのが私の考へです。
実はこの対談の内容、殊に貴兄の政治的意見については、自民党のあいまいな欺瞞的性格、フランス人の記者が
いみじくも言つたやうに「単独政権ではなくそれ自体が連立政権」に他ならない性格、又、核防条約に対する態度、
等、ほとんど同感の意を表せざるをえないことばかりです。
貴兄に言はせれば、三島が士道だなどと何を言ふか、士道がないからこそ多数を擁して存立してゐる自民党なのだ、
といふことになるかもしれません。しかし、「ウエスト・サイド・ストーリイ」の不良少年の歌ではないが、
すべてを社会の罪とし、自分らの非行をも社会学的病気だと定義するとき、個人の責任と決断は無限に融解してしまふ。
三島由紀夫「士道について――石原慎太郎氏への公開状」より
252 :
名無しさん@社会人:2011/03/01(火) 14:30:15.97
現代社会自体が、自民党のこの無性格と照応してゐることは、そこにこそ自民党の存立の条件があるといへるで
せうし、坂本二郎氏などはそんな意見のやうです。
しかし、貴兄が自民党に入られたのは、そのやうな性格を破砕するためだつた筈です。私はこの対談を二度読み
返してみて、貴兄がさういふ反党的(!)言辞を弄されること自体が、中共使節の古井氏のおどろくべき反党的
言辞までも、事もなげに併呑する自民党的体質のお蔭を蒙つてゐる、といふ喜劇的事実に気づかざるをえませんでした。
貴兄が自民党の参院議員でありながら、ここまで自民党をボロクソに仰言る、ああ石原も偉いものだ、一方それを
笑つて眺めてゐる佐藤総理も偉いものだ。いやはや。これこそ正に、貴兄が攻撃される自民党の、「政党といふ
ものの本体は、欺瞞でしかないといふことを、政党としての出発点から自分にいひ聞かせてゐるやうなところ」
そのものではありませんか。
三島由紀夫「士道について――石原慎太郎氏への公開状」より
253 :
名無しさん@社会人:2011/03/01(火) 14:31:05.74
私の言ひたいのは、内部批判といふことをする精神の姿勢の問題なのです。この点では磯田光一氏のいふやうに、
少々スターリニスト的側面を持つ私は、小うるさいことを言ひます。党派に属するといふことは、(それが
どんなに堕落した党派であらうと)、わが身に一つのケヂメをつけ、自分の自由の一部をはつきり放棄することだと
私は考へます。
なるほど言論は自由です。行動に移されない言論なら、無差別に容認され、しかも大衆社会化のおかげで、
赤も黒も等しなみにかきまぜられ、結局、あらゆる言論は、無害無効無益なものとなつてゐるのが現況です。
ジャーナリズムの舞台で颯爽たる発言をして、一夕の興を添へることは、何も政治家にならなくても、われわれで
十分できることです。もちろん貴兄が政治の実際面になかなか携はれぬ欲求不満から、言論の世界で憂さ晴らしを
されてゐるといふ心情もわからぬではありません。
三島由紀夫「士道について――石原慎太郎氏への公開状」より
254 :
名無しさん@社会人:2011/03/01(火) 14:31:46.09
では、何のために貴兄は政界へ入られたか? 貴兄を都知事候補にすることに、ほとんどの自民党議員が反対し、
年功序列が狂ふのを心配してゐる、と貴兄は言はれるが、もともと文壇のやうな陰湿な女性的世界をぬけ出して、
権力争奪と憎悪と復讐が露骨に横行する政界に足を踏み入れた貴兄にとつては、そんなことは覚悟の前であつた
筈です。
私は貴兄のみでなく、世間全般に漂ふ風潮、内部批判といふことをあたかも手柄のやうにのびやかにやる風潮に
怒つてゐるのです。貴兄の言葉にも苦渋がなさすぎます。男子の言としては軽すぎます。
昔の武士は、藩に不平があれば諫死しました。さもなければ黙つて耐へました。何ものかに属する、とはさういふ
ことです。もともと自由な人間が、何ものかに属して、美しくなるか醜くなるかの境目は、この危ない一点にしか
ありません。
私は政治のダイナミズムとは、政治的権威と道徳的権威の闘争だと考へる者です。これは力と道理の闘争だと
考へてもよいでせう。
三島由紀夫「士道について――石原慎太郎氏への公開状」より
255 :
名無しさん@社会人:2011/03/01(火) 14:32:10.71
この二つはめつたに一致することがないから相争ふのだし、争つた結果は後者の敗北に決つてゐますが、歴史が
永い歳月をかけてその勝敗を逆転させるのだ、と信ずる者です。もちろん楽天的な貴兄の理想は、この力と道理を
自らの手で一致させるところにあるのでせうし、悲観的な小生の行蔵は、道理の開顕にしかありません。しかし
今のところ貴兄の言説には、悲しいかな、その政治的権威も道徳的権威も、二つながら欠けてゐます。貴兄に
言はせれば、すべては自民党が悪いのでせうが、どうもこの欠如は、貴兄のケヂメを軽んずる姿勢に由来する
やうに思へてなりません。W・H・オーデンは、「第二の世界」の中で、「文学者が真実を言うために一身を
危険にさらしているという事実が、彼に道徳的権威を与える」と言つてゐますが、これは政治家でも同じことです。
「士道すでにみちたる上は、節によるこそよけれ」と、斎藤正謙が「士道要論」で言つてゐる「士節」とは、
この道徳的権威の裏附をなすものでもありませう。
三島由紀夫「士道について――石原慎太郎氏への公開状」より