個人主義批判    

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1
一般に「個人主義批判」というと、社会なり共同体のことを考えず
自己主張ばかりする利己的な思考及び行動傾向に対して
政府与党が好んでしているような批判を指すようです。

しかし、このスレで批判したい「個人主義」とは、そのような意味ではありません。

例えば、今ここに人間Aと人間Bがいるとします。
我々はこれを「人間A」と「人間B」がいると理解します。
すなわち、個人であるところの「人間A」と「人間B」の二つの
個人が相互関係していると理解するわけです。
しかし、本当にそうか。むしろ、「人間Aと人間B」がいるという風に
理解すべきでないか。すなわち、個々の個人に解体されないところの、
人間Aと人間Bの関係性のみが存在すると理解する。
キルケゴールは「自己とは関係自身に関係する一つの関係である。」と述べました。
前者のような理解は、我々に染みついた個人主義という固有の思考様式に支配されすぎて
いるのではないか。この個人主義の思考様式を批判し解体した後に見える
新たな地平を模索したい。そういう試みです。
2名無しさん@社会人:2007/05/28(月) 16:01:24

速+の記録を更新していまだに継続中。皆が恐れ・疑問を抱いている。

【女性客拉致・強姦】 「ペッパーランチ事件で『夜は怖くて入れない』と女性ら…気になる“風評被害”」…日経レストラン編集長★16
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1180332058/

■ペッパーランチ「レイパーランチ」070509事件 あらすじ
・犯人二人が、外食チェーン店ペッパーランチ大阪心斎橋店 閉店間際の女性客に睡眠薬を飲ませ、
拉致して35キロ離れた泉佐野市の貸しガレージまで拉致、強盗監禁集団陵虐致傷(昏睡強盗を併合罪とする)という大事件。
共犯が最低二人(〜4人)がつかまっていない。
 その店の店長・店員が制服のまま自分の生活圏内で行うという大胆さは被害者を生かして社会に戻す意思が感じられない。
手際のよさ、ガレージの確保などの点から余罪が数多くありうる超重大事件。
・5/9の犯行なのに、発表したのが5/16午後二時過ぎ それも情報統制に反発したと思しき
共同通信中日・読売・毎日系のリークっぽい一報。警察はだんまり。
経営会社であるペッパーフードサービス(3053マザーズ)の株価は5/9から出来高を増やして下げ続けている
 しかし株式市場において、インサイダーとの指摘と非難は一切ない。異常。
・事件発生から今日までの約1週間の間に、店舗に手が加えられ、看板が塗りつぶされている 
犯罪捜査における現場保存の原則からいえばありえない。
・日本の警察活動を邪魔することで有名なマスコミがほとんど報道しない。NHK全国版はあった事実すら伝えない。
ワイドショーもほとんどがスルー、民放はチラッとおざなりな放送だけ。
 現場であるガレージへのリポーターの突撃もない。社長は一度だけ謝罪会見を開いたが、社長が日本人の場合なら、
ありえないようなメディアの突っ込みの弱さ。なんだコリア?
・公表された犯人の写真は、なぜか中学時代のもの(三宅のほうは一週間してしぶしぶと)
・警察が名前を把握している行方不明の共犯2人(〜4人)は、何故発表されないか?
・誘拐(実行中)でもないのに報道規制 前代未聞。
・ネットへの対応も、グーグル八分、帯域制限でのHP隠蔽と、 無駄に手際が良い
・事件発覚直後のラジオ放送では近所のひとが、別の日にシャッターの向こうで争う声を聞いている(伝聞)
3名無しさん@社会人:2007/05/28(月) 17:57:19
「関係性が存在する」というのが既に誤解
人間は死ぬまで一人だ。すべては脳内の出来事。
4名無しさん@社会人:2007/05/28(月) 18:48:51
言葉の誕生とともに貴様らは関係性だの個人だの語り始めた。
すべてはエクリチュールの所産だ。
5名無しさん@社会人:2007/05/28(月) 18:59:31
>>1
むしろそれは「個人」主義批判であると同時に「社会」主義批判として理解できること。
社会とは所詮関係にすぎない。個人の社会的属性も、私のあなたに対する、あなたの
私に対する関わり方であるにすぎない。
6名無しさん@社会人:2007/05/28(月) 19:07:08
権力者の作った規律に
順応し、行動せよ
ってことだろ
7名無しさん@社会人:2007/05/29(火) 01:33:37
権力に抑圧されてる人間が、権力者の代理人になり同じ抑圧
されてる人間に権力に従うように命令を下す。
そうやって知らぬ間に自分を抑圧している権力に貢献してしまうこと。
権力に従ってない奴はいないか、批判的な者はいないかたえず権力に抑圧されてる者同士で監視しあう。
これが権力を補完する相互監視システムです。
8:2007/05/29(火) 22:05:45
>>3
そういう思いこみをどうにかしたい
>>4
ものを語る以上、思考する以上それらはエクリチュールの所産だろう
非情にあたりまえのことだが、スレの趣味とはずれてる
>>5
個人の社会的属性というか、じゃ社会的属性を離れた個人ってなんなの?
そんな想定は空虚だから個人という概念を解体したい。そのための「個人主義批判」
>>6,7
スレのテーマと全く関係ない。
9名無しさん@社会人:2007/05/30(水) 00:40:12
デランティが言ってるような、コミュニティとか帰属とかそういう話でしょうか?
あるいは、どんな「個人」であっても自己をアイデンティファイするためには
他者という鏡像が必要であるとか?

ふざけた喩えを出せば、
「人間」ってことばは「人」の「間」って書くだろ。
どんな人も、人と人との間で生きてるんだよ、
という金八的なことでしょうか?
社会的相互作用から切り離された「個人」など存在し得ないのではないか、
ということを問いたいんですかね?

1さんの意見をもっと聞きたいなぁって思うのですが。
10名無しさん@社会人:2007/05/30(水) 00:41:22
6みてなんとなくレスした
スレタイはなにいってるかオレには理解できないわスマソ
11名無しさん@社会人:2007/05/30(水) 02:19:17
>>1
「主体」、「主観」、「意思」

「間人間主義」とか「構造主義」との区別かな?

でも個人概念の主体を、一人称以上に広げると
それはもう個人主義ではなくって、「集団」というものになっている気がする。
12:2007/06/04(月) 02:11:31
えへへ。また、来たおwww

>>9
全部関係してるおっww金八もねw
意見はまた頭がマトモなときに書くおwww
>>10
おいおい説明するおwwていうか>>1がわかってないかもwww
>>11
区別?するつもりはないお。
個人概念は多分一人称でいいとおもうおっww
13名無しさん@社会人:2007/06/04(月) 02:38:10
>個々の個人に解体されないところの、人間Aと人間Bの関係性のみ存在する
と矛盾した概念を頭で理解する事はできても、
実際に
>個々の個人に解体されないところの、人間Aと人間Bの関係性のみ存在する
事は不可能ではないのか?

なぜなら主体は消えないから。
14:2007/06/04(月) 03:34:48
「主体は消えない」という理論的な根拠はない。
けど、多分消えないでしょう。経験的に。
それで、不可能であると思いますよ。
ただ、究極的に不可能であるかはともかく、そういう方向性を指向したい。

若干ずれる気がしますが、
他者という鏡像、社会的存在としての自己という話。
よくいわれることかもしれませんが、情報化社会は、
人間をとりまく社会環境や人間に関わる人間を非情に不安的にした。
自己を映す他者、社会が不安定で希薄化するから
自己は多くの不安定な関係から撤退して、人間の個体の中に引きこもろうとする
自己によって自己を確証しようとする不可能な試みを繰り返す傾向にあります。
こういう傾向を「個人主義」は加速します。

個人主義批判は、それでも自己は関係によってしか確証されないことをまず確認します。
それゆえ、人間をとります不安定な社会、人間関係をどうよりよく構成するか
というアプローチを模索することになります。

15名無しさん@社会人:2007/06/04(月) 17:37:31
確かに現代(ベックだったらリスク社会と表現するのでしょうか)における社会の不安定化や、
さまざまな制度(家制度や近代国民国家も含めて)、の崩壊・形骸化というのはよく指摘されることだと思います。
ただ、果たして現代はそれほどまでに社会的な相互作用や「コミュニティ」が衰退・解体しているのでしょうか??
現代のナショナリズムの興隆から、アメリカで爆発的に広まっている(といわれる)キリスト教保守主義、
ヨーロッパにおけるムスリム達のいわゆるイスラーム覚醒、
日本だと、地方自治体によるローカルなコミュニティの再編成まで、
それこそ枚挙に暇がないほどの「コミュニティ」や社会的相互作用の構築をめざす動きが見られるように感じます。
これらを単なるバックラッシュとして軽視する事はできないのではないか、と僕は思うのですが。

つまり、現代においても依然として個人は社会的相互作用の中に組み込まれた存在であり続けているし、今後もそうなのではないか、と思ったのですが…
16名無しさん@社会人:2007/06/05(火) 00:14:45
>>8
> 個人の社会的属性というか、じゃ社会的属性を離れた個人ってなんなの?
> そんな想定は空虚だから個人という概念を解体したい。そのための「個人主義批判」

いや、>>5が言っているのは、個人という概念を解体したら社会という概念も解体され
ちゃうじゃん、という話だよ。個人主義と社会主義が分離不可能ならなおさらのこと。
17:2007/06/05(火) 01:23:44
>>15
キリスト教保守主義、イスラーム覚醒のように、社会的相互作用の
構築を目指す反動的な動きが見られるようになったのはそう。
ただ、それが全体として不安的化の流れに抗えているのかはよくわからない。
つか>>1の見識が狭いから、海外事情はよくわからない。
とりあえず、日本についてだけど、地方自治体によるローカルな
コミュニティの再編成とか、あまり成果をあげてない印象なんだけど。
18:2007/06/05(火) 01:43:52
>>16
正直>>5の逝ってる意味解らずにレスしてたけど。
>>16の意味もよくわからないな。
とりあえず、>>1は個人主義という言葉を社会主義と対比される
意味で使ってないから、イマイチ問題意識が噛み合わないのかも。
もうすこし詳しく。
19:2007/06/05(火) 01:52:08
>>16
正直>>5のレスの意味よくわかってない。>>16もね。
とりあえず、>>1は個人主義を社会主義のつい概念として使ってないよ
だもんで、そのへんで問題意識が通じないのかも。
もすこし詳しく
20名無しさん@社会人:2007/06/05(火) 08:17:34
アンカーやりすぎw必死すぎw
21名無しさん@社会人:2007/06/05(火) 16:16:45
漏れの指導教官は、キルケゴールの研究者だった。
大した縁じゃないけど、一応>>1の健闘の祈る。
22名無しさん@社会人:2007/06/06(水) 00:17:09
>>17
自治体って書き方が良くなかったですね。
日本のローカルな共同体についてあえて付け加えたのは、
例えば子どもが被害者となる事件が起こった時に
地域の大人たちがもっとパトロールとかをして子ども達を守らなきゃいけない、
みたいな意見がよくなされるわけじゃないですか。
そして、現にそのような活動は以前よりも活発になっていると感じます。

「不審者から(私たちが)子ども達を守らなくてはいけない」という言説です。
この場合括弧のなかに含まれるのは、「私」という個人ではなく、
「私たち」という共同体である、と想定できます。

自治体によるローカル・コミュニティの再編成というのは
確かに成果を挙げていないように思われます。
(それが「上からの」コミュニティ形成のためではないかと僕は思いますが)
にもかかわらず、上で述べたようなプロセスでローカル・コミュニティは
ある意味では強化されていると僕には感じられます。

すいません、話が逸れていますね。一応、補足でした。
23名無しさん@社会人:2007/06/06(水) 10:58:08
>>15
むしろ現在起こっているのは個人主義化ではなく社会主義化かもしれません。
社会主義化が起こった結果、かつては問題にならなかったリスク社会なるものに
人々の神経が集中するようになった。
体感治安の不安増大の問題も実際には情感治安の問題だと思います。
情報化社会になって世界中の事件や事故がかき集められてきてお茶の間に
リアルな映像として報道される。こういうのを毎日見るような社会になったんですから。
24名無しさん@社会人:2007/06/07(木) 22:35:53
社会主義化ってどうゆうことですか?
25名無しさん@社会人:2007/06/08(金) 00:08:39
社会的相互作用が解体したり衰退しているどころか
むしろ過密になって爆発しているような状態ですね。
社会的相互作用の爆発的な増大と過密化が起こっているような社会。
26:2007/06/08(金) 00:20:52
>>22
ローカルコミュニティって昔からあったんじゃないの?
最近珍しいからそういうのをメディアが取り上げてるだけで。
町内会とか、子供会とか、村の寄り合いとか、マンション組合とか
昔からあったし大してかわってないんじゃないかなぁ。

むしろコミュニティの解体のが進んでる。
まず家族。核家族化、晩婚化、離婚率の増加、少子化。親力の欠如だとか。
子供を愛玩の対象、搾取の対象にしか出来ない親と、家を出て放浪する子供
家族がまず第一の安定的な帰属先として機能しなくなってきてる。
第二の帰属は、会社。しかし、フリーター、
派遣、終身雇用の見直し、リストラ。最近はM&Aの嵐。
学校は信用の低下、学級崩壊等で以前ほどの機能ははたしてない。
人の動きの流動化で地域コミュニティも弱体化。
ネットコミュニケーションは、回線切れば終わりで容易に次にコネクトできる。
ネットを介した友人関係なんて不安定化の最たるものだね。
最後にナショナリズム。国家への帰属。
最近日本ではナショナリズムの高揚がいわれるけど、これは世界的な傾向とは
思えない。日本に関しては9.11でこれまで信奉してたジャイアンが
トチ狂ってじつは当てにならないとわかったことと
北朝鮮問題、イラク問題などの国際不安があっただけの話。
27:2007/06/08(金) 00:25:45
>>23
メディアによる報道は少なくともTVができたころから
あったわけで。それが最近不安を煽る方向に進んでるのかはよくわからない。
いずれにせよ体感治安の悪化は不景気と社会格差の拡大による
下流階級の増加で治安が確実に悪化してるからじゃん。
社会主義化ってどゆことですか?
>>25
詳しく
28名無しさん@社会人:2007/06/08(金) 00:38:12
>>14
それはむしろ社会主義化の増大の副作用としての、防衛反応としての
現象として見ることも可能であると思われるのですが。

こういう傾向を個人主義が加速しているのではなくて
むしろこういう傾向を社会主義が加速しているんじゃないかと。

不安ゆえに引きこもろうとする不安動機型の引きこもり傾向は、
むしろそれだけ個人がその内部まで情報化、社会化、関係化されている
証拠だと思うんですよね。独我的自我をもっていれば不安など抱きませんから。
29:2007/06/08(金) 00:41:53
東浩紀はポストモダンを
「大きな物語の衰退」と「小さな物語の氾濫、過剰」だという。
社会的相互関係の過密と爆発というのはこの後者を指すもの?
でも、自分はホントに以前は大きな物語共有されてたの?って疑問ですね。
むしろ小さな物語が氾濫していなかったから、人々が安定的に小さな物語
に帰属できていた、それがあたかも大きな物語であると信じながら。

かなり話がずれました。このスレの目的は個人主義批判です。
個人主義はポストモダンの思想ではありません。
個人主義批判はもっと以前の個人主義の起源にさかのぼる必要があります。
30名無しさん@社会人:2007/06/08(金) 00:42:19
だんだん「個人主義」の意味が純粋に構造主義的なニュアンスから
↓のようなニュアンスにずれてきてしまったような気がするんですが。

> 一般に「個人主義批判」というと、社会なり共同体のことを考えず
> 自己主張ばかりする利己的な思考及び行動傾向に対して
> 政府与党が好んでしているような批判を指すようです。
31名無しさん@社会人:2007/06/08(金) 00:53:24
>>29
私はむしろその「大きな物語のほうが過剰」になっていると思います。
マスコミやインターネットを通じて。
ただしそれはどちらかといえばネガティブな傾向が強いと思いますね。
東さんはおそらくポジティブな意味で「大きな物語」と表現されている
んじゃないかな? 彼の書物をちゃんと読んでいないのでわかりませんが。
ネガ/ポジというのは、その物語の共有者にとっても共有関係にとっても
という意味ね。

私が社会主義的爆発と表現しているのは、ローカルコミュニティとは
違う意味ですね。ローカルコミュニティを破壊する形で社会性が増大している。
現実にははっきり区別できるのかは分かりませんが、牧歌的な意味での
ローカルコミュニティがその昔あったとすればね。
32:2007/06/08(金) 00:56:42
>>28
社会主義の一般的な意味↓
 資本主義の生み出す経済的・社会的諸矛盾を、私有財産制の廃止、
生産手段および財産の共有・共同管理、計画的な生産と平等な分配によって
解消し、平等で調和のとれた社会を実現しようとする思想および運動。

ようやく意味がわかったけど>>28のいう「社会主義化」は
この一般的な用法とかなりずれていて、むしろ「情報化社会」、
「情報の氾濫」などというのが穏当な表現です。

で。自分はこういう傾向が個人主義を加速するとはいいました。
さらにいえば、個人主義は自己意識(自己の関心)が関係でなく
個体にのみ向かう、ゆえに個体間の関係がうまくいきにくくなり
引きこもり傾向を産むとはいえるでしょうね。それが過剰な情報化
過剰かつ希薄な社会関係によってもたらされているという意味では
>>28と認識が一致しています。
しかし、俺は個人主義がをこういう傾向を加速するとは一言もいってませんよ。
33:2007/06/08(金) 01:12:33
自由主義が想定する人間観とは、特定の共同体の伝統や慣習から
切り離された、いわば「原子」のような個人である。この個人は
社会契約によって自由に社会から出たり入ったりでき、社会の
価値観とはまったく無関係に「善き生」の構想を作ることができる
とされる。そればかりでなく、個人の性別、人種、家族、等々の
属性は「偶然的」で「切り離すことが可能」なものと考えられ、
個人はこうした属性なしに人格あるいはアイデンティティを形成する
ことができると考えられる(「負荷なき自我」`unencumbered self'と批判される)。

これは共同体主義による自由主義批判です。
自由主義が個人の自由を意味する限りにおいて
(一般にはそうとらえられているはずです。)
個人主義批判は同時に自由主義批判です。
また、平等主義が、個人の平等を意味する限りにおいて、
個人主義批判は平等主義批判でもあります。
しかし、自由主義も平等主義も当然に個人主義に結びつくとは思いません。
根源的に問題なのは個人主義であるはずです。
34名無しさん@社会人:2007/06/08(金) 02:36:48
>>32
社会主義のその慣用的な意味は、経済学的な、あるいは政治学的思想的なものですが、
私はむしろ社会学的な意味でもって「社会」主義という言葉を使っているつもりなんです。

情報主義と言い替えてもいいんですが、私は社会の単位を情報として捉えていまして、
本当は個々の実体的単位を思わせる情報というよりはソシュール的な意味での記号と
いうべきなんですが、広い意味での言語というふうに捉えているんです。

引きこもり傾向を産むといったあたりの言及を拝読すると、1さんは根本のところでは
個体論者なのかなという気もしてくるんです。人間は根本ではアトム的な個体であって、
社会関係を外から努力して与えてやらないとそこに引き戻される危険があるとおっしゃって
いるようにも読めます・・・
私は逆に、ひきこもり傾向のような現象は、個人が社会的関係の産物である証拠として
理解しています。というのは、ひきこもりが対人関係をわざわざ避けようとする動機を
もった結果の行動だとすれば、それはその個人が対人関係に支配されているか影響されて
いる証拠です。ひきこもり度が強く徹底していればいるほど支配率が高いと逆に見ます。
35名無しさん@社会人:2007/06/08(金) 02:46:33
もっと関係論的観点を押し進めるのならば、引きこもりという独立した絶対的属性
も存在しないことになります。それはいっぽうの個人の属性の問題ではなく、
社会をまるで主体のように表現すれば社会がつけた属性であり、たとえば私がその人を
どう見なしているかを含めた私とその人との相互作用のなかから生み出された価値づけ
であって、関係性の問題なんです。
36:2007/06/09(土) 19:58:46
>>34
うん、スレの趣旨とはずれてるけど…
>個体論者なのかなという気もしてくるんです。人間は根本ではアトム的な個体であって、
>社会関係を外から努力して与えてやらないとそこに引き戻される危険があるとおっしゃって
>いるようにも読めます・・・
そんなことはないですよw

個人が社会的関係の産物であることは確かです。ひきこもりがtくに耐震関係の支配率が高いとは
思いませんが、引きこもりも同様に社会関係に晒されているとおもいます。
それを前提に、なぜ、個人主義ははじめに個人ありきで個人と個人の関係という構造でそれをとらえるのか。
むしろはじめに関係ありきという構造で捉えるべきでないのか、そういう問題意識です

37:2007/06/09(土) 20:08:01
>>31
>>1が「小さな物語の過剰、氾濫」といったので誤解を生みましたが、
「ポストモダンは大きな物語の衰退ではなく、むしろ過剰・氾濫である」
という指摘に大して東浩紀はこういってます。

ポストモダン論が提起する「大きな物語の衰退」は、物語そのもの消滅を
論ずる議論ではなく、社会全体に対する特定の物語の共有化圧力の低下、
すなわちその内容が何であれ、とにかく特定の物語を皆で共有すべきである。」という
メタ物語的な合意の消滅を指摘する議論である。

これをみると、>>31と東浩紀の認識はそれほどずれていないと思います。

38:2007/06/09(土) 20:18:23
>>35
さらりと痛いところを疲れたようなきがします。
「関係性の問題なんです」。たしかにそうも捉えられますが、
そういってみたところでその先が、ストラトジーがでてこないですよね。
構造主義的に言って、個人という概念を解体して関係のみでとらえなおすと、
人間が生きていくうえで有用な戦略を導きにくくなってしまうかも。
「個人」をある意識主体がコントロール出来る範囲と考えて、
その個人ベースでとらえる構造というのは悪くないかも。

いあ、まだ敗北宣言ではないです。
39名無しさん@社会人:2008/03/17(月) 02:22:05
個人の意志を尊重しない日本の世間を解体すべし。

『パリ』      高村光太郎/

私はパリで大人になつた。
はじめて異性に触れたのもパリ。
はじめて魂の解放を得たのもパリ。

パリは珍しくもないやうな顔をして
人類のどんな種属をもうけ入れる。
思考のどんな系譜をも拒まない。
美のどんな異質をも枯らさない。
良も不良も新も旧も低いも高いも、
凡そ人間の範疇にあるものは同居させ、
必然な事物の自浄作用にあとはまかせる。
パリの魅力は人をつかむ。
人はパリで息がつける。

近代はパリで起り、美はパリで醇熟し萌芽し、頭脳の新細胞はパリで生れる。
フランスがフランスを超えて存在する
この底無しの世界の都の一隅にいて、
私は時に国籍を忘れた。
故郷は遠く小さくけちくさく、うるさい田舎のやうだつた。

私はパリではじめて彫刻を悟り、詩の真実に開眼され、
そこの庶民の一人一人に文化のいはれをみてとつた。
悲しい思で是非もなく、比べやうもない落差を感じた。
日本の事物国柄の一切をなつかしみながら否定した。
40名無しさん@社会人:2008/03/17(月) 02:25:51
>>1は個人主義を解っていない。




【世間とは】阿部謹也【何か】
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1205065407/
41名無しさん@社会人:2008/03/21(金) 15:34:23
>>40
1の個人主義の認識定義のどこが解っていないのか述べないで
否定発言を書くだけなのは公正な議論じゃない単なる感情論だぞ。
42名無しさん@社会人:2008/04/28(月) 01:28:25
支那人って共産党に縛られて一つに束ねられてるだけで本来はかなりの個人主義や拝金主義だろ。
王朝、支配民族や体制が時代で変わりまくってきたから法に忠実に従う理念が薄い。
43名無しさん@社会人:2008/04/28(月) 01:43:53
帰らないぞ!帰らないぞ!帰らないぞ!帰らないぞ!
日本は嫌いだけど絶対に日本から出て行きません
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/soc/1209218433/l50
日本は嫌いだけど絶対に日本から出て行きません
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/soc/1209218433/l50
帰らないぞ!帰らないぞ!帰らないぞ!帰らないぞ!

日本は嫌いだけど絶対に日本から出て行きません
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/soc/1209218433/l50
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日本は嫌いだけど絶対に日本から出て行きません
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/soc/1209218433/l50
日本は嫌いだけど絶対に日本から出て行きません
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/soc/1209218433/l50



44名無しさん@社会人:2008/04/28(月) 22:19:08
この人は個人主義ではないですか?
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/poem/1206445126/
45名無しさん@社会人:2008/04/29(火) 13:20:27
>一般に「個人主義批判」というと、社会なり共同体のことを考えず
>自己主張ばかりする利己的な思考及び行動傾向に対して
>政府与党が好んでしているような批判を指すようです。
まず、これは「ミーイズム」だね。
その意味で、>>1の見方には賛成だわ。けど、
>むしろ、「人間Aと人間B」がいるという風に
>理解すべきでないか。すなわち、個々の個人に解体されないところの、
>人間Aと人間Bの関係性のみが存在すると理解する。
これはどうだろ?「個体」と「個人」をごっちゃにしてないか?
「個体」は現象の次元でたしかに存在していて、その根拠は「差異」に
もとめることができる。「Aは風邪だけどBは結核だ」っていう。
ちなみに漏れは>>35に同意だけど、こうした見方は>>35とも
矛盾しないと思う。
46名無しさん@社会人:2008/06/09(月) 15:19:21
個人主義は、個々の人間の主体性を重んじて、一人一人の個人が自由に生きることの権利が保障されている代わりに、
個々の人間が集合して成立する社会に対して個人としての自覚と責任を負うものだと思います。

一方、利己主義は、自分が益することだけを行為の基準として、他者のことや個々の人間で成り立つ社会の利益を全く考慮することなしに、
自己本位な生き方を推し進める考え方でしょう

47あたご:2008/06/14(土) 11:56:33
第二次世界大戦は日本にとって大成功

http://japansconspiracy.hp.infoseek.co.jp/02/p003.html#page34

48名無しさん@社会人:2008/06/18(水) 17:12:17
喪 男 は 死 ね

俺 は 死 ぬ
49名無しさん@社会人:2008/07/29(火) 14:28:01
日本人は他人の目を気にして動くだけの単なる世間体(外面)的道徳しか
持っていないけど、欧米の人たちの中ではその世間が日本人以上に高度に
内面化・無意識化されていて、自主的にみずから進んで動く「超自我」の
水準にまで良い意味でも悪い意味でも他者の目が高められているんだと思う。

自己と他者とがそれだけ高度に融合し、他者の目が自己の中核に浸透して
もはや他者の目、世間の目としては意識されない無意識な他者になっている。
50名無しさん@社会人:2008/11/23(日) 19:24:33
『日本人全員へ』
日本人は屑とか死ね言ってる奴らさあ、俺はこの番組が好きだね。http://www.tv-tokyo.co.jp/100japan/日本人もまだ捨てたもんじゃない
お前らも日本人だろ。自国民同士で憎しみ合うなよ。 我々(日本人)が変わるべきなんだ。
全体主義を主張する奴らさあ、何で自分の自由も規制する?全体主義ってあんたも空気に合わせなきゃいけないんだよ?
日本は互いの違いを認め合う個人主義になるべきだ。
俺が訴えたいのは俺の勝手だろ!なんていう利己主義ではない。
俺に合わせろ!なんて言ってるんじゃない。君たちの自由にしていい。
しかし、自由にするには互いの違いを認め合う個人主義だ!
全体主義では空気読まなきゃいけないから君たちの自由もない。
互いに違いを認め合うことを協調という。合わせるのは同調。俺は同調は嫌いだ!
日本人が日本を愛せないのは出る杭(個性がある、才能がある)になると
叩かれるからだ。全員に同じことをさせる教育が悪い。 体育祭で生徒全員に同じ踊りをさせたりな。
あんなことしたら、違う=悪いって思考になってしまう。 これからは一人一人が考えを持ってることを学ばせる討論などを入れた教育をしろ。
このサイト↓を見て日本がいかに異常かわかる。だから変えよう。 日本は教育が悪いんだ。 あれは教育ではなく洗脳だ。
http://www.l-net.com/tshp/essey01.htm http://www.l-net.com/tshp/essey02.htm http://www.l-net.com/tshp/essey03.htm
国が違えば文化・習慣も違うhttp://www2.crosstalk.or.jp/ryugaku/people.htm 単なる違いだ。
石景山遊楽園を許してやれよ。中国の人たちは楽しんでるんだからいいじゃん。
他人作のものがぱくられて何で怒るんだよ?
お前はウォルト・ディズニーでも藤子不二夫でもねえだろ?
戦時中、足手まといになるかえら置いて行かなきゃならなかった子どもを大人になるまで育ててくれた中国の方々を高く尊敬します。
一線退いた日本人技術者、韓国中小企業で大活躍 http://www.chosunonline.com/article/20081029000044
51名無しさん@社会人:2010/01/24(日) 02:42:57
いいスレだったのに何時の間にやらコピペ置き場に
52名無しさん@社会人:2010/01/24(日) 11:43:44
48
ikiro
53名無しさん@社会人
>>1
その意味での個人主義批判って科学を無視してるよな。