【細木数子、人気の秘密】

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26名無しさん@社会人
銀座でクラブのママだった時代に(1983年)に、政財界の陰の指南役として
知られる陽明学者の安岡正篤と知り合い、結婚の約束を取り交わす。
安岡の親族が猛反対する中で、
安岡と交わした「結婚誓約書」なるものをもとに単独で婚姻届を提出し、
受理されたが、当時、安岡は85歳と高齢であり、
入院先の病院での検査では認知症の症状があったとも言われ[2]
(細木はわざとボケたフリをしていると反論[3])、安岡の親族が「婚姻の無効」の調停申し立てを行った翌月、
安岡は他界した。調停により、婚姻は無効であるとした和解が成立し、
初七日には籍を抜くこととなった。