ポストモダンはまだまだこれから

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1名無しさん@社会人
「知の欺瞞」などでポストモダンは批判されましたね。

確かに、ポストモダン学者にはそういう人間が多かった。
しかし、ソーカルはポストモダン学者のデタラメを批判しただけで、
ポストモダンという考え方自体はまだ有効なのではないだろうか。
2名無しさん@社会人:2007/02/15(木) 01:50:39
ポストモダンはとっくの昔に終わって現在はポストポストモダンでつ
2〜3年後にはポストポストポストモダンになって
さらにその後は(ry
3名無しさん@社会人:2007/02/15(木) 02:23:15
>>1
終わったのは思想としてのポストモダニズムであって、
厳密にはポストモダンという潮流そのものではない、ということが
岡本裕一朗の『ポストモダンの思想的根拠』って本に書いてあったっけな。
4名無しさん@社会人:2007/02/15(木) 02:32:03
>思想としてのポストモダニズム
>ポストモダンという潮流

この2つは同じじゃないの?大きな物語が終わって、小さな云々というのは
5名無しさん@社会人:2007/02/15(木) 02:50:33
>>3
ありがとうございます。

「ポストモダニズムとは分けて考えるべきだ。」という言節は聞いたことがあります。
その本を読んでみますね。

>>4
私も同じようなことを考えました。
潮流を説明したものが思想なのではないかと。


それとも、ポストモダニズムとは「理性を根拠に社会体制を再定義云々」ってやつのことですか?
6名無しさん@社会人:2007/02/15(木) 03:04:58
>9・11以後の世界は「自由」が「管理」を要請する逆説の時代―ポストモダンの第二段階の始まりだ!
>軽くてシニカルな「ポストモダン感覚」は、空気のように自明なものとなっている。ところが
>、「管理社会」は不可視であって、感覚的には理解するのが難しい。感覚的な「差異の戯れ」
>を容認しつつ、その上で効率的に管理するのがポストモダンの第二段階なのだ。そのため、「管理のポストモダン」
>を理解するには、感覚ではなく思想を武器としなければならない。

ポストモダンの第2段階だそうだが、ただの「近代への回帰」にも見える。
国家による管理が復活するというのが、「ポストモダン」かな?
7名無しさん@社会人:2007/03/01(木) 00:06:11
イデオロギーが消えて残ったのはネオリベのみと。
8名無しさん@社会人:2007/03/01(木) 02:16:31
>>7
理念としてのネオリベが論壇を席巻しているということを言ってるのか、
ネオリベが実現されているということを言っているのか。
どっちもないような気がするが。
「反ネオリベ」だの「反グローバリズム」の言説はそこかしこに溢れているし、
規制緩和だの自由化だの掛け声は勇ましいが
一向に既得権が解体された形跡も見当たらない。
9名無しさん@社会人:2007/03/01(木) 03:45:55
>>8
意味不明。はい次。
10名無しさん@社会人:2007/03/04(日) 20:59:22
もう全て終わったんじゃよ。
11苺ましまろ  ◆bNkLcBQYKA :2007/03/05(月) 01:24:05
てす、てす。
12名無しさん@社会人:2007/03/13(火) 18:27:52
塩川伸明―読書ノート

ソーカル、ブリクモン『知の欺瞞――ポストモダン思想における科学の濫用』
http://www.j.u-tokyo.ac.jp/~shiokawa/ongoing/books/sokal.htm
13名無しさん@社会人:2007/03/17(土) 22:07:09
ポストモダンではなく、いわゆるポストモダニズム思想家が
言おうとしていたのは「再帰的近代化」でしょう?
近代化を超歴史的にでなく、動的に捉えようとしたのがその意図だったのでは?
14名無しさん@社会人:2007/03/31(土) 22:44:47
>>6
「見る権力」から「見られる服従」へ

近代化の時代は、ある特権的な政治機構が人々を監視していた。
しかしポストモダニズム状況では、監視する意図の前にテクノロジーが進化して、
監視する意図に関わらず、人々の行動が監視されている。

クレジットカード、IP、スイカのバッチシステム・・・などなど
15名無しさん@社会人:2007/04/01(日) 02:58:34
終わったのは思想潮流としてのポストモダニズムであって社会状況としてのポストモダニズンはますます続く
16名無しさん@社会人:2007/04/01(日) 16:23:27


4月1日、9時からチャンネル桜、完全無料放送。   スカパー! Ch.241  

ハッピー241 
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日本よ、今...「闘論!倒論!討論!2007」
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新装開店特番−闘論!倒論!討論!2007
http://www.skyperfectv.co.jp/prog/ProgramSheet?list=241&list=201&FROM=4-1-2007&x=66&y=16


17名無しさん@社会人:2007/04/11(水) 07:28:08
思想家の時代趨勢占いなんて、あたったためしがあったか?
ポストモダニズムとポストモダンはポスト構造主義の新たなる未確認情報の大量賞終結形態こそニーチェやキルケゴールとジール・デゥルーズは一般常識で派生の哲学者連中だ徒をも割れておりますのですがいつの間にか仁陥っている自滅へと向かう自殺の志望の哲学なのである!
神は死んだ填った曇って間違っております!キリスト教徒連中は人間の生きる力を奪う全く持ってふざけた教えだと思っているのは人々を洗脳するための新たなる口実でもあります!マアーねー結局は矢張りでニヒリズムやエゴイズムは人生にとっては大損名で毛です!
新たなる壮大な大宇宙空間大冒険活劇がリニューアルされて始まるのです!超宇宙戦艦★大ゴモラ壱号!大ゴモラ大銀河シリーズの歴史の始まりが僕たちにとっての大きな希望でもあります!さらばー地球よー他美立つ船は超宇宙戦艦★大ゴモラ壱号は宇宙の果てに向けて発信準備!
19名無しさん@社会人:2007/09/30(日) 23:39:25
このサイトの論文↓をよく読んで、ポストモダニズムとはどういうものかもっとよく理解汁!

http://www.elsewhere.org/pomo
20名無しさん@社会人:2007/09/30(日) 23:52:00
ポモ終了
21名無しさん@社会人:2007/10/01(月) 01:57:01
ポストモダンて脱構築なんだろ?
共同幻想とかとかとか
22名無しさん@社会人:2008/06/16(月) 01:31:13
dbs
23名無しさん@社会人:2008/06/16(月) 12:33:07
前提を共有しているという意識を共有しているという前提をあてにできなくなった社会
24名無しさん@社会人:2008/06/16(月) 14:02:32
この先10年の民主制はますます混迷を極めるだろうね。
ミーイズムの戯れ合いと形容できるかも。

それだけ合意形成の難しい社会になりつつある。若しくは既にそういう時代に入った。
25名無しさん@社会人:2008/06/16(月) 20:15:17
>>1
ソーカルやブーヴレスが批判したのは結局、ポストモダニストの数式や
科学用語の濫用とその妥当性であって、ポストモダン理論そのものでは
ないでしょ。それをポストモダンそのものが「終わった」とか言ってる
やつがなぜか日本には多すぎるよな。
ホント、知的レベルでの日本人の奴隷根性ぶりを示してると思うわ。
26名無しさん@社会人:2008/06/17(火) 00:46:18
いざと言う時に何も行動できない立ち位置系(笑)
27名無しさん@社会人:2008/06/18(水) 01:01:21
ポストモダンはもう古い、トランスモダンすらも過去のもの
ナウでヤングなのはグローバルモダン
28名無しさん@社会人:2010/01/23(土) 16:53:04
なんやそれ
29名無しさん@社会人:2010/02/24(水) 01:41:39
[369] 重たい掲示板[2465] 馬鹿たちの相手をすることなく監視スタッフは、どんどん削除しなさい
投稿者:副島隆彦

私が「日本は、まだモダン(近代)になったことが無いのに、どうして、 ポスト・モダン(近代のあと)
をあれこれ言うことが出来るのだ。蓮見も、浅田も」と私が「アメリカの秘密」で書いたことに、この男は、
衝撃を受けているはずなのだ。それで、私が、そのうち日本ポスト・モダン派というアンポンタンの
おフランスかぶれたち(もう、敗れ去っている)に引導を渡すだろう事への、憎しみをあらわにしている。
ソーカル問題を軸にして、もうすぐやる。待っていなさい。

ボロ言語問題についてだが。私は、かつて、10年ぐらい前に、東大内の橋爪大三郎の主宰する研究会で、
言い放ったことがある。「皆さんは、自分が頭がいいからと思って、そういう、存在論 オントロギー
をやりたがる。それは、まだ自分の脳が敗北を喫したことがないからだ。しかし、そういうわけには
ゆかないのです。日本語では。そういう秩序発生論や、存在論は、無理なのです。それは、ユダヤ人
たちに任せるしかないのです。彼らが、創世記(ゲネシス=発生論、存在論)と出エジプト記
(エグゾドス 「モーゼの十戒」=秩序の生成、存在論。憲法体制の発生論。)を持っているからだ。
ほかの全ての民族の誕生神話は、すべてこの2つからの派生だ。だから、存在論は、ユダヤ人にやら
せるしかない。この日本語と言う限界言語では、無理なのだ。
30名無しさん@社会人
みんな聞いてません、という顔をしていた。みんな、いくら自分を秀才だと自惚れている者でも、30歳
過ぎまで自分の限界と、能力放物線の下降を自覚しない者は、希(まれ)である。みんなおのれの限界を
知るのだ。そして、そのときに、存在論(なぜ、人間は、社会は存在するのか)をやることを諦めるのだ。
だから、私たちのサイトでも存在論(発生論、基礎方法論)は、やりません。中原君。分かりましたか。
君の化学商品実験程度で、「厳密なサイエンスの方法」とかを説くのは、やめなさい。メソドロジー
(基礎方法学、学問の学問。学問の存在論)は、私たちは、やってはならないのです。この程度の頭の
集団では。だから、現象論や、認識論や、現状分析論や、政策提言学、などに私たちは、自己限定
しなければならないのです。「一万円払うべきか。その質は? 根拠は? 対価性は、事実とは何か」
などもすべて、存在論の範囲です。