【売国の】姜尚中スレ その惨【作法】

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791名無しさん@社会人
792funわか:2009/01/03(土) 19:31:45
姜氏による日本人象とは(著書「在日」より)
「ドブロクを摘発する税務署員」「保健所の犬殺し」「戦争中、中国で若い
女をなぶり殺しにした飯島さん」「(父親がやっていた)廃品回収物の中に
あった血のりで赤褐色にさびついた軍刀」「ハンセン病患者の金子さんの
差し出す紙幣を箸でつまむ饅頭屋の女主人」
 対する在日朝鮮人とは
「税務署員のトラックに石を投げる気丈な母親」「動物の遺骸を慈悲深く
葬る李相寿おじさん」「やさしい鍛冶屋のおじさんが作り出す農機具の鎌や
鍬」「家族に対する深い愛情と故郷に対する思いをこめる母親や下関のシャーマンのおばさん」
なんとわかりやすい対比のしかたでしょう。
793funわか:2009/01/03(土) 19:33:01
「反日かどうかを尺度とする自家中毒」と題する論文に
左翼言論の地盤沈下が決定的だったのは北朝鮮の拉致問題だとして
<論壇あるいはジャーナリリズムの進歩派に対する『粛清的』とでもいうべき
批判が噴出するようになった。知識人やジャーナリストの一人ひとりを名指し
して、過去の発言の行状を暴いていくスタイルが歓迎されるようになる」
 稲垣武の『「悪魔払い」の戦後史』を例に出して、
「進歩派に対する暴露型の攻撃が顕著になった」
                 「論座」平成十八年五月号

 つまり、姜氏は「言論に責任など持たなくてもいいのだ」「批判は名指しでするな」
とある自分勝手な、実に都合のいい発言をしているわけです。
 現実には、いわゆる左翼言論人による言論、行動がいままで異論に対して姜氏のいう
「粛清的」な性格を持っていたということについての賛同の方が多いでしょう。

794funわか:2009/01/03(土) 19:34:12
昭和天皇の御崩御の際の感想
「いまでも非常に印象に残っているのは、桂小金治という人が番組の
なかで泣きながら、昭和天皇を悪くいう奴は日本から出ていってほしい、
嗚咽しながら叫んでいる姿をみたときです。僕は唖然とした。それが
起点になって、ぼくは日本のナショナリズムのメカニズムを考えるようになりました。
ナショナリズムが情の世界を基盤としていること。つまり本人が
非常にセンチメンタルな感情にすっぽり投入するようなかたちで、
ナショナリズムが発動され、結果としてそれが外部に暴力的な装置
として働いていることが本人には見えない。こんなに自分が泣き、
苦しみ、哀悼の意を表している、そういう崇高な切なさにドロを塗るとは
何ごとか・・」
(著書「在日からの手紙」より)
 
 <金正日の口から出たことには驚いたが、拉致自体にはそれほど驚かなかった。
かって韓国も、67年にベルリンから音楽家のユン・伊桑を拉致し、
73年には金大中拉致事件を起こした>
二〇〇二年十一月二十二日朝日新聞

 南朝鮮が拉致したから、北朝鮮もそれに対して対抗しただけだ・・・・・
と、いうつもりでしょうか。
日本人は何も関係ないのですが・・・
795funわか:2009/01/03(土) 19:36:09
<『ヨン様とジョンイル』
 ベトナム戦争以上のナパームが投下され、核戦争の瀬戸際まで
いった朝鮮戦争はその無差別の殺戮の記憶と核の脅威で北朝鮮を
閉鎖的な軍事国家に変えた>2005年2月6日朝日新聞「時流自論」

つまり、姜尚中は北朝鮮が核を持ったのもアメリカが朝鮮戦争で
北朝鮮を攻撃したからだと言っているのです。では、その北朝鮮が
不意打ちした朝鮮戦争でアメリカを仁川まっで追い詰めてもう少しで、
勝ちそうだったのはどう説明するつもりでしょう。まあ、
お得意のスルー戦術でしょうけど。


<「日本国民の在日化」とは、バブル崩壊後、日本人が「社会的な
セーフティネット」をさほど当てにできなくなった状況が出現したこと
が「在日」と同様の状況であるというもののようだ」>
「在日」p177〜180より

 姜氏は我が国において外国人でありながら、在日朝鮮人がどんなに
我が国から恩恵を受けて生活してきたか、御存じないのであろうか。
恐らく御存じでもそれを言わずに差別、差別と叫んでいる方が楽なのだろう。
 しかし、我が国において外国人でありながら、ある意味日本国民より
有利な多くの権利を得ているという恵まれた存在でいながらもあくまで
被害者であると声高らかに叫び、在日というものを商売にしている辛淑玉女史などと
同じスタンスであるかぎりは、姜尚中氏もウソと知りつつそのウソを
重ねて、その悲しいというか滑稽なお笑いでしかない立場にすがりつく
しかないのであろう。もし、自分達が被害者としか思えないでこれから
この日本で生きていくということは、それがどんなに醜い人生かを理解せずに死んでいくということだ。