747 :考える名無しさん:2007/05/20(日) 03:31:37 0
こうした背景をふまえ、「言語論的転回」に由来する旧時代的な前提に縛られている言語哲学の現状にあきたらないアメリカの若い世代の哲学者たちは、哲学の世界にも「認知論的転回」をもたらすことによって新しい哲学のパラダイムを創出しようとしている。
この新たなパラダイム転換がもたらしつつある哲学が「心の哲学」に他ならない。
野家伸也「訳者解説 言語から意識へ」『現代思想』14巻2号 1986年
(ダニエル・C・デネット/ジョナサン・ミラー「AIと心理学研究の戦略」)
748 :考える名無しさん:2007/05/20(日) 03:33:10 0
・・・・・・現時点にあっては、《言語論的転回》そのものにかんして、他ならぬ英米分析哲学じしんの中から、種々の異論がとなえられてもいる。
一方では、「自然化された認識論」からAIにいたる「主観の構造」分析の側において、「命題」・「信念」といった内包的存在者が、何もなかったかのように再措定され、
「言語とは、内的なものが外化されるための手段なのだから、まずは内的なものを分析すべきだ」と勧めるかのような発想が再び強くなってもいる。
そして他方、かつて《言語論的転回》を強力に主張した哲学者じしんが、かつての自らの主張に、若干苦しいコメントを付してもいる。それは他でもない、あたかも「言語というもの」が存在するかのように問題を立てたことへの、若干の自己批判として、である。
大庭健「真理の妥当根拠という問への問」『理想』648号 1992年