あたしが思うに、あらゆる犯罪はその時の社会の様相を反映してると感じる。
たしか熊本新聞に、宅間の「心の闇」は社会の「心の闇」と通底しているのではないか、
といったことが書いてあったけれど、あたしも全く同感なんですわ。
宅間は別に、殺した児童やその親たちを憎んでいた訳じゃない。
つまり、宅間の犯行は、「交際のもつれから殺す」とか「自分を侮辱したから殺す」といった、
「目的ある殺人」とは全く趣旨が異なる、「目的なき無差別殺人」なんです。
そこにあたしは興味(と言ってしまうと不謹慎だけど…)を抱く。
宅間は生い立ちも不幸で、それこそ「社会の不条理」を十分身に沁みて育ったと思う。
これはあたしの憶測だけど、自殺願望を抱いていたとされる彼は、おそらく、
「この世に生きる価値があるのか」
「生きることに意味はあるのか」
といったことにも思考をめぐらせたんじゃないかな。
現代社会は、「競争原理」、つまり「勝者の原理」で動いてるとあたしは思う。
この社会の大枠は、「人より抜きん出ること」「長生きを美徳とすること」に
何の違和感も感じない人々で構成されているといっても過言ではない。
私たちの社会は、「生きることに何の疑問も抱かない」という建前によって運営されている。
そこでは、年間三万人を超える自殺者に代表される、「この社会についていけない人たち」の本音は
封殺されている。