フランスと日本の比較について

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93|・∀・|
 最近では私は、フランスのアンチ・アメリカ主義は、基本的にフランスの国内政策として利用されているのだという印象を持っている。
アメリカを批判しつつ、アメリカを否定することで、フランス社会の連帯感を表明しているように見えるし、政治家たちにとって、
ドゴール主義者〔ゴーリスト〕であろうと左翼であろうと、アメリカを攻撃することがフランスの伝統的価値を重視していることの最良の証となっているのだ。
 ああ、しかし、あなた方フランス人のアメリカ批判は、しばしば嘘やアメリカ社会への無知に基づいている。私の会社で助手として働いてくれているフランス人の友人のひとりが、
「アメリカの刑務所では、受刑者たちに過酷な労働を強いているんですってね」と憤慨して言ったことがある。これに対して私はこう答えよう。
「その通り。しかし、おもに南部の、幾つかの刑務所だけの話だよ」。フランスのような中央集権化の著しい国の住民には想像もできないであろうが、アメリカではひとつの例を取り上げて普遍化することは困難なのだ。
 テキサス州のある判事が、万引きで逮捕された母親から、彼女の三人の子供たちを引き離す決定を下したことがある。万引きくらいで子供を母親から奪うなんて、ひどい決定だと思われるかもしれないが、
これがアメリカ全土で判例としてまかり通っているわけではない。テキサス州だけで250の司法区があり、それぞれに複数の判事がいる。ジョージ・W・ブッシュのお膝元だけで数千人の判事がいるわけで、
ひとつのちょっとおかしな判決があったからといって、それがほかのすべての裁判に影響を与えるわけではないのだ。こうした事実がフランス人にはなかなか理解しがたいらしく、
メディアは安易に物事を単純化して(アメリカはもっと複雑なのに)、アメリカでは逮捕された母親は必ず自分の子供から引き離されてしまうことになっていると伝えてしまう。
 あの比類なき歴史研究家トクヴィルが、著作を著すために新大陸に10ヶ月も滞在したことを忘れないでおこう。それに引き換え、現代の研究家たちは、パリに留まって古い先入観に囚われたままでいるのだ。
94|・∀・|:2007/07/05(木) 21:19:49
 アメリカ側も、せっかくジャン=フランソワ・ルヴェルの『L'Obsession anti-americaine(アンチ・アメリカ主義という狂気)』
という本や、9月11日翌日のル・モンド紙の有名な記事「我々も皆アメリカ人だ」などがあるというのに、
フランス人にアメリカを理解させるための努力をしようとしていない。結果として、カリカチュアや誇張がまかり通り
(そのすべてが間違いというわけではないにしても)、失笑を買っているのだ。
そしてル・モンド紙のホームページの討論コラムに参加しているハンドルネーム「エリック6420」氏のように、
アメリカはほんの一握りの大金持ちによって支配されているなどと信じる人が出てくるのだ。
「全人口のたった1パーセントが、アメリカの富の80パーセントを所有していると言われている」と彼は言う。
これはまさに、アメリカには金持ちと貧乏人しかいなくて、いわゆる中産階級が存在しないのだという、
フランス人が思い込んでいるアメリカ像に合致した"スクープ"なのである。はっきり言っておくが、
アメリカ議会予算局の調べによると、億万長者が握っているのはアメリカの富のせいぜい14パーセントに過ぎないのだ。
まあ、それとて大きな数字ではあるし、不幸にもこの30年間に倍増してはいるのだが(ただし、株式市場の下落とともに減ったはずである)。
95|・∀・|:2007/07/05(木) 21:21:17
 それにしても奇妙なことに、普段はメディアに対して懐疑的であるはずのフランス人が、アメリカに関することとなると、
中身のないステレオタイプの記事や番組でも簡単に信じ込んでしまう。新聞やとりわけテレビは、外国報道に関しては
欠点だらけであることを私はよく知っている。私がニューズウィークに書いたフランスについての短い記事を読んだだけで
フランスのことを「理解した」と思い込んでいるアメリカ人読者には、とりわけご同情申し上げる。
 あなた方フランスのメディアは、我がアメリカにおいて、合衆国憲法修正事項一で保障されている表現の自由がどれだけ
重要な価値を持っているのか、本当には理解していないし、きちんと説明したこともなかった。
アメリカでは、フランスで行われているように特定の思想に関する出版や放送をあれだけ禁止したがった反動的な人々
(とりわけジョージ・Wの友人たち)の攻撃さえも、表現の自由として排除されなかった。
フランスの新聞は、ナチス関連の物をオークション・ページに掲載するのを許したとしてヤフーを避難する前に、
アメリカではなぜネオ・ナチ団体がデモ行進する権利をインテリ層が認めたのかを考えるべきである。

― "Sacres Francais! Un Americain nous regarde" P.22-25 - Ted Stanger http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%BC
96|・∀・|:2007/07/05(木) 21:59:47
 移民問題をめぐっては、二種類のフランス人がいることを考慮に入れなければならない。
ひとつは団地の中などで移民たちのすぐそばに住んでいるフランス人で、彼らは現実を目の当たりにしている。
対して、もう一種類のフランス人は、移民のような貧しい者は近寄ることもできないような高級な地区に住み、
子弟も移民の子などほとんどいない学校に通わせている。彼らは移民たちが住む大都市郊外の現実についてはほとんど知らず、
テレビの情報や『憎しみ』のような映画を通した、現実感を伴わないものとしか知らない。
だから、いわゆるフランス像が永遠に続くと夢見続けてきた彼らは、10年近く遅れてようやく現実が変わってしまったことに気がつき、驚くのである。
 マルセル・ダッソーがジュール・ド・フランス紙への黒人モデルの写真掲載を禁止してから長い年月が経つにもかかわらず、
テレビ・ニュースのキャスターや司会者の中に、マグレブやアフリカ、アジアの民族出身者がどれだけいるだろうか?
黒人を映すならアメリカのドラマを流せばよい―しかしメイド・イン・USAの、混血の進んだ黒人ではあるが―と、
テレビ局のお偉方は考えているとでも言うのであろうか?
97|・∀・|:2007/07/05(木) 22:00:37
 時には努力が見られることもある。テレビにもっと多くの民族出身の司会者を出すことを要求して、
作家カリスト・ブライヤが扇動したデモの場合のように、その訴えが聞き入れられることがあるのだ。
このデモの結果、ル・モンド紙が「多民族国家としてのフランスが、もっとテレビで伝えられるようになった」
という見出しを掲げるまでになったが、この記事が挙げたのはレユニオン諸島出身の男性とアンティール諸島出身の女性の二例だけだった。
要求に応えるために、多くの民族出身の司会者を即席で養成したのは明らかで、まるで、批判をかわすためのアリバイ作りに
有色人種の採用に躍起となった、1970年代にアメリカで盛んに行われたトークニズムのようだ。
98|・∀・|:2007/07/05(木) 22:01:29
 本質的には、公式のフランスはバゲット・パンの小麦粉のように白い。
2002年の総選挙の結果、有色人種の国会議員はひとりも誕生しなかった。
8424人の候補者の中には123人だけマグレブやアフリカ系の人間がいたが、誰一人二次選挙に進めなかった。
もしアメリカだったら黒人団体のデモが始まるうえに、暴動どころでは済まない騒ぎになること必至であるが、
フランスでは、こうした数字(もちろん非公式の)に動かされることもなく、「事なかれ主義」の雰囲気の中で、人々は無関心でいられるのである。
もしマグレブ系の政治家がフランスにどのくらいいるのか知りたくて、INSEE(フランス国立統計局)に尋ねても、時間の無駄であろう。
 こうした統計の不在によって、次のような悲しい現実も人々の目から隠されている。
すなわちフランスでは、新参者は成功する望みがほとんどないという現実である。
99|・∀・|:2007/07/05(木) 22:02:15
これまた非公式のある統計によると、移民家庭の子供が高等教育を受けられる割合は25人にひとりだそうである(非移民家庭では4人にひとり)。
マイノリティが希望を失うのも無理ないだろう。せっかく教育を受けても、若いブールたちにとって、ジダンやナギといった例外を除いて、
目標となるような成功者が見当たらないのだから。大企業の社長になったブールがいるだろうか?私は誰も知らない。
 しかしながら、違いを認めることが同一化への第一歩であることは、多くの国で証明されている。政治的平等の名の下に、
いわゆるフランス人のためにならないことはやらず、移民割り当て制度にも嫌悪を示す共和国には想像もできないことだろうけれども。
まあ、こうしたフランスのやり方は、半分は成功したとも言えるかもしれない。アメリカでは、マイノリティに大学入学や就職において
「特別枠」を与える、逆差別とも言われる少数民族特別優遇政策について、その効果が理解されていないためもあって、いまだに賛否両論あるからだ。
100|・∀・|:2007/07/05(木) 22:02:37
 フランスに住む外国系の人々の多くも、フランスの共和国モデルがもはやつくり事に過ぎず、
実際は多数の民族集団の同居状態にあることを知っている。だから、2001年に行われたフランス対アルジェリアのサッカーの試合前、
フランス国歌ラ・マルセイエーズ斉唱の際に口笛を吹いてやじるブールの若者がいても驚かない。
正統的ガリア人〔古くからのフランス人〕をぎょっとさせたこの事件は公式の(とりわけ政治上の)フランスが移民の現実と、
悪いことにカメラの前でぶつかった稀有な例のひとつである。
 しかし、今後はこの程度では済まないだろう。移民たちが疎外されていると感じるような状況に置かれている限り、
彼らの中にアンチ共和国派が力を増してゆくだろう。そして、ついにはフランス社会の中で見聞して得た教訓を、自らの行動に生かす時がくるだろう。
つまり、ひとりひとりバラバラに訴えるよりも、国鉄職員や看護師や教職員らがやっているように、団結して圧力をかけるべきだという教訓だ。
民族「組合活動」の出現に気をつけたまえ、ガリア人諸君。

― "Sacres Francais! Un Americain nous regarde" P.72-76 - Ted Stanger http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%BC