最近、ある平和団体を辞めました。そこがサヨ過激派の巣窟だと
知ったからです。
共産党だけでもショックですが、なんと赤軍派・中核派のほか、
第4インター・戦機・ノンセクトなどがいたのです。
暴力はないですが、陰湿ないやがらせに嫌気がさして、やめました。
それで、過激派の見分け方について教えてください。今度は過激派が
仕切っていないグループに入りたいので。
2 :
名無しさん@社会人:04/07/20 16:54
ムリ。見分けるポイントなぞ、ない。
3 :
名無しさん@社会人:04/07/20 16:54
いや、あるだろう。
観念的で自意識過剰だとか。
4 :
名無しさん@社会人:04/07/20 17:24
そうそう。失礼で非常識とか。
5 :
名無しさん@社会人:04/07/20 17:24
友達がいない、とかね。
test
7 :
名無しさん@社会人:04/07/20 21:00
喫茶店やファミレスなど公共の場でも大声で怒鳴る、とか。
8 :
名無しさん@社会人:04/07/20 21:26
DQNとデムパとお花畑の集まり
9 :
名無しさん@社会人:04/07/20 21:58
おしゃれじゃない。とか?
10 :
名無しさん@社会人:04/07/20 22:39
204 名前:名無しさん@社会人 投稿日:04/07/04 05:09
http://share.dip.jp/hannichi/sien/no195/hisada1.html 東京に出てからはカズと呼ばれていたみたいですけど、彼は子供の頃はノド
カ君と呼ばれていました。
ノドカ君のことを語ろうとしたら、育った地域の特殊性から語らなきゃいけ
ないと思う。日本でも数少ない企業城下町、製鉄会社(富士製鉄)の社宅街で
私たちは育ったんです。それに育った時代も戦後の復興から高度経済成長の
まっただ中へ、富士製鉄と八幡製鉄が合併して新日本製鉄という日本の基幹産
業として大企業となっていく過程でした。当時富士製鉄で大きな溶鉱炉のあっ
たのが、室蘭と釜石くらいだったのかな。今は合併して君津や木更津、名古屋、
大分にあったり、北九州にあったりして。東京に本社があったんです。そうい
う時代の社宅街ですから、転勤族も多かったんですよ
企業社会がそのまま地域社会だったから、社宅も父親の企業内のステータス
によって変わっていきます。係長社宅、課長社宅、所長社宅とドンドン広く
なっていくわけです。そういう企業城下町のわりにはリベラルな雰囲気もあっ
て、息苦しさはわかりませんでした。私の父というのはエリートだったんです
けど、子供たちに特別そういうことに対する意識があったとは思えません。
ノドカ君の家も多分ホワイトカラーだったんじゃないんですか。ああいう会
社、ホワイトカラーと溶鉱炉で銑鉄作っているブルーカラーがすごくはっきり
しているんです。クマさんって呼ばれている、鉄の芸術家の篠原勝之さんも室
蘭の出身で、同じ社宅街の子供でした。「オレは労働者階級の出身で、なんと
かだ」っていってます。
11 :
名無しさん@社会人:04/07/20 22:40
>>10 205 名前:名無しさん@社会人 投稿日:04/07/04 05:10
>>204 http://share.dip.jp/hannichi/sien/no186/takeda1.html また、ぼくと和君のあいだには深い趣味のつながりというのがあった。二人
とも現代音楽がとても好きだった。当時の現代音楽というのは、世界的にいう
とセリエリズム(五〇年代の前衛音楽)というのが一段落して、マルチメディ
アとか環境芸術とかが広がっていて、ぼくや和君が音楽評論では非常に影響を
受けた刀根康尚さんとかが健筆を振るっていたり、ナム・ジュン・パイクがコ
ンセプチュアル・コンポジション(概念音楽。実際には演奏不可能な空想の中
だけで奏でられるような音楽)を作ってたりしていたときだった。今でも現代
音楽好きな人は少ないけど、当時はもっと少なくて、きわめてオタクな二人
だった。それで一九六九年の最も偉大な音楽作品として、ジャカルタの反日暴
動を音楽作品として考えるということにして、そのコンセプチュアルな捉え方
が最高の音楽だということでお互いに意見が一致するという、そういうことを
和君のアパートでしょっちゅう話していた。
勅使河原草風が青山に草月会館というすごい贅沢なホールを作って、そこく
らいしか日本ではそういう変な音楽をやるところがなかった。ぼくは東京にい
たから中学生くらいからそこに行っていたので、多少とも実際のものに接する
ことはできたけど、和君は室蘭だからすごかったと思う。情報としては、当時
『音楽芸術』という雑誌があって、主にそれを通じて吸収していた。六〇年代
後半になると、『美術手帖』が創刊されて紹介されたりして、そういう文字か
らくる情報から音楽を想像するしかなかった。室蘭で現代音楽のレコードを手
に入れるのは難しかったに違いないけれど、親父さんが新日鉄の社員だったか
ら、室蘭では新日鉄の社員というのは特権的だったらしくて、そういう意味で
は文化的な環境もよかったのかもしれない。
12 :
名無しさん@社会人:04/07/20 22:41
>>11 206 名前:名無しさん@社会人 投稿日:04/07/04 05:11
>>205 http://share.dip.jp/hannichi/sien/no208/fukuda.html どちらかというおとなしく、私からすると、将来学者になって研究活動で大
成すればなと期待させる生徒でした。本当に学者の途に進むと思っていました。
本人もそういう気持ちがあったんじゃないかと思います。それも、象牙の塔に
こもってしまうような古いタイプではなく、実践と議論とを明確にした思想形
成をし、黙々と調査し黙々と何かを実証していく新しいタイプの研究者像を、
大学一、二年のときの彼に感じました。
それだけに、ある日テレビで爆弾犯が捕まったというニュースを見たときの
ショックはすごかったですよ。「あれ、のどかだ!」とものすごく驚いて、そ
のときの画面は今でも焼き付いています。たしか、うちで夕飯を食べていると
きで、夕方のニュースに彼の顔が映ったときは、本当に信じられませんでした。
のどか君は新日鉄の長屋の労働者の息子で、社宅の子供と長屋の子供の差と
いう独特のものが当時の室蘭にはあり、意識するしないにかかわらず、幼いと
きから感じていたと思います。私も炭坑夫の子供に生まれ、社宅の子供と長屋
の子供の差を感じて反発を覚えたこともありました。のどか君とそんなこと話
したことないけど、ひょっとすると、今ではそんなことほとんどなくなってい
る新日鉄の階級社会の中で、一生懸命働く自分の父親を見て、憤りのようなも
のを抱いていたのではないか、と私は自分の体験から間接的に思うこともあり
ます。ただ、それと彼のその後の思想形成が、どんな風に関係しているのかは
わかりません。
鼻糞が食べるとか?
と、ゆか、何故に社会学板?
16 :
名無しさん@社会人:04/07/21 00:27
人格破綻者だとか。
本当に平和を守るには1みたいなヘタレじゃ無理w
18 :
名無しさん@社会人:04/07/21 07:08
平和をまもるなんてヘタレしか言わないだろw
19 :
名無しさん@社会人:04/07/21 11:28
>>15 と、ゆか、あなた、言葉が、つまってる、よ。
これも、極左の、まねなの、か。
ファビョって、ないで、Xになさい。
by アンパンマソ
ビートルズファソは過激派か同シンパ
点心ランチに行くとか? キムチ漬けてるとか? ピロシキ好物とか?
大中で雑貨集めてるとか? ボリショイサーカス見に行ってるとか?
冬ソナ録画してるとか? 上野のパンダ見に行くとか? 朝日新聞読んでるとか?
エルミタージュの図録持ってるとか? 子どものお稽古事に少林寺憲法やらせてるとか?
大阪市の下町に住んでるとか? 給料日は焼肉たべ放題行くとか?
サルサ踊るとか? 孫悟空見るとか? 読めない漢字の名前子どもにつけるとか?
見分ける方法は無限にあるぞ。みんなもおらみたいに考えてくれ! じゃな!
22 :
名無しさん@社会人:04/07/21 20:41
おすすめの本は? の質問にすぐひっかかるって。ありゃすげえぞ
Amazonこわーい。脳内スキャンだよ。
24 :
名無しさん@社会人:04/07/22 12:28
25 :
名無しさん@社会人:04/07/22 12:33
26 :
名無しさん@社会人:04/07/22 12:44
点心ランチは行かない方が良い。
主婦が赤化するから。
パンダも直視しない方が良い。
見たら石化するから。
日本の暴走族は全部中国系だ間違いない。蛇頭にキャッチコピー練ってもらってるんだ、きっと。
キンタロちゃん、フェリペンちゃん
29 :
名無しさん@社会人: