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《われわれが欲望する諸機械をオイディプスに対立させるとき、
われわれがいおうとしていることは、
無意識がメカニズムをもっているとか(諸機械はむしろ超メカニズムである)、
オイディプスが何ものでもないとか、
いうことではない。
あまりに多くの勢力や、
余りに多くのひとびとがオイディプスに執着しすぎている。
余りに多くの関心がオイディプスに向けられすぎている。
じじつオイディプスが存在しなければ、
何よりもまずナルシシスムが存在しないであろう。
オイディプスは、
高低さまざまな数え切れない嘆きの声をいっそうかきたてることになるであろう。
オイディプスは、
ますます非現実的な種々の探求を活気づけることになるだろうオイディプスは、
夢や幻想を養いつづけることになるであろう。
オィディプスは、
4,3,2,1,0…とつづくひとつのヴェクトルである。
4とは、
かの有名な小公的第四項である。
3とは三角形である。
2とは2個のイマージュである。
1とはナルシシスムである。
0とは、死の欲動である。
オィディプスは、
欲望する機械のエントロピー(原文傍点・引用者注)である。
つまり自分自身が外界から消滅してゆく衝動である。
オィディプスは、
機械の中に滑り込んだイマージュあるいは表象であるり、
また次のような事態を実現する常套手段なのである。》
(ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ『アンチ・オィディプス 資本主義と分裂症』市倉宏祐訳・河出書房新社初版17刷466頁)