スレが落ちていたので立てておきます。
機能分化、複雑性の縮減、システムの自己準拠 二重の偶然性、オートポイエーシス、システム/環境の区別・・・・・・、
などなど、難解と言われるルーマンの社会理論への理解を深めていきましょう。
もしご存知でない人は以下の文献参照。
参考文献
ルーマン『法社会学』『社会システム論』『近代の観察』
馬場康雄『ルーマンの社会理論』
ルーマソ。
法理学的視点からルーマンの社会システム理論を解している者ですが、法と
いう規範的なフレームワークのなかに「望ましい結果」という認知的要素を
一定程度以上持ち込むことは、法システムの過剰負担を増大させることにつ
ながるとルーマンは警告するため、現在論議がさかんな「法化」現象につい
て有効な理論を引き出せません。G.トイプナーというポスト・ルーマン派の
法システム理論家について詳しい方はおられますか?
>>3 >法という規範的なフレームワークのなかに「望ましい結果」という認知的要素を
>一定程度以上持ち込むことは、法システムの過剰負担を増大させることにつ
>ながるとルーマンは警告
うーん、俺もあんまり詳しくないので質問するんだけど、
「望ましい結果」は明らかに抗事実的な、その意味で
認知的というよりは規範的な要素のような気がするんだけど?
この文脈で言えば、認知的/規範的というよりは
目的プログラムと条件プログラムの差異が焦点になっているのではないでしょうか?
目的プログラムは特定の結果に焦点を合わせ、
条件プログラムは特定の条件に焦点を合わせる。
で大まかに言えば、条件プログラムに従った決定者は
その選択の結果の責任を問われるリスクを引き受ける必要はなくなる。
その責任は、問われるとすればプログラムの作成者に向けられる。
詳しくは、例えば福井康太2002「法理論のルーマン」(勁草書房)の
第五章121-からの法的論証と法律効果の議論を参照して欲しいんですが
かいつまんで言えば、裁判官がその判決によってもたらされる結果に対して、
あるいは「望ましい結果」の成否に対して責任を負わされ得るならば、
ほとんど判決を下すことができなくなってしまうだろう、と。
仮に結果への配慮を為し得るとすれば、まさしく単に
配慮するということだけであって、その実際の成否には裁判官は何ら責任を負わないし
負ってしまうと判決が下せなくなる。
ルーマンが述べているのはそういった議論ではないでしょうか?
「法化」についてもあんまり詳しくないので見当違いかもしれませんが。
5 :
法政策社会学 :04/01/18 00:56
>>4 高度な内容の長文レスポンスありがとうございます。
私が
>>3の前段で論点としていた部分は、福井氏の著書によれば、
魏伝図さんが示して下さった箇所がまさしく相当します。
まず、
>「望ましい結果」は明らかに抗事実的な、その意味で
>認知的というよりは規範的な要素のような気がするんだけど?
についての私の見解としては、ここで言う「望ましい結果」というのは、
先の福井氏の著書によれば、法的論証における「利益志向」にあたるものです。
これは、「恣意性」を伴うものであるから、私は「認知的」と解し、
そしてこの「利益志向」の限界に言及したわけです。
ここで、魏伝図さんのおっしゃるように、
>目的プログラムと条件プログラムの差異が焦点になっているのではないでしょうか?
>目的プログラムは特定の結果に焦点を合わせ、
>条件プログラムは特定の条件に焦点を合わせる。
といった法プログラムによる「結果志向」に照準を合わせる面から見た場合、
>仮に結果への配慮を為し得るとすれば、まさしく単に
>配慮するということだけであって、その実際の成否には裁判官は何ら責任を負わないし
>負ってしまうと判決が下せなくなる。
と帰結することになる。
つまり、「利益志向」、「結果志向」のどちらに準拠しても、ルーマンの社会システム理論からは、
「現代法」と言われるような、法の“政策化”に対してアンチな結論しか出せないことになり、
私は泣き出したくなるのです(;_;)
何か強力な理論構成を持ってして、ここに風穴を空けてやりたいというのが、私の構想です。
法の政策化についてはわからないので
俺はなんとも言えないですねー。
詳しい方が降臨するのを待つしかないみたいです。
トイプナーは名前は聞いたことはある程度しか知らないですね。
ただトイプナーに関しては俺も
Teubner/Gebbrajo, eds., State, Law, and Economy as Autopoietic Systems(1992)
という編書に関心を持っているんで
もし詳しい方がいらっしゃれば俺もちょっと
意見を伺いたいです。
哲板によく書きこむ者ですが、ルーマンにはかなり興味があります。
このスレを参考にします。
8 :
法政策社会学 :04/01/18 06:43
いきなり変則的な視点からルーマンに切り込みを掛けてしまってすみませんm(_ _)m
「システム論スレッド」でルーマンの基本的な素描の議論はお見受けしましたので、
それとは異なる切り口から、いわば応用的な側面の可能性というか、
哲学版におけるしろうと氏のような振る舞いが、2chゆえのおもしろさだと思ったりしたもので…。
>>1のスレ主の方のご意向に反しておられましたら、何卒お許し下さい。
>>6 トイプナーについては、とりあえずその筋の方待ちということで、
ルーマンの「社会システム理論」対ハーバマスの「批判的社会理論」という観点から、
ルーマンの考察を深めてみたいんですけど。どうでしょう?
大雑把に言えば、社会秩序の維持・制御は「システム論的な信頼」に基づくべきか、
それとも「討議によった普遍的合意」に基づくべきか(『経kei』2003/12月号の宮台真司氏の文章を参照)
という設定で展開してみたいのですが。
>現在論議がさかんな「法化」現象
もう盛んじゃないです。トイプナーが法化という論文を書いたのは1984年です。
>「望ましい結果」の成否に対して責任を負わされ得るならば
『法システムと法解釈学』を読むといいです。訳は酷い。
>社会秩序の維持・制御は「システム論的な信頼」に基づくべきか、
>それとも「討議によった普遍的合意」に基づくべきか
>という設定で展開してみたいのですが
ルーマンの勝ちでおしまい。
それより、あなたは「法政策社会学」を自称するなら、具体的な政策論に応用した方がいいと思います。
>>9 『法システムと法解釈学』ね。紹介ありがとう。
今情熱としての愛を読んでるのでそれからかな。
読んでると三上さんの言ったことがよくわかるよ。
>>8 >社会秩序の維持・制御は「システム論的な信頼」に基づくべきか、
>それとも「討議によった普遍的合意」に基づくべきか
ハーバーマスとルーマンの論争は、
>>9氏が述べているように、
どう読んでもハーバーマスの分が悪いように思います。
信頼か、合意か、という文脈に限定してみても、結局ハーバーマスも
メディアを(コミュニケーション・メディアとシンボリック・メディアを
一応は区別するわけですが、これは問題の先送りにすぎません)
持ち出さざるを得ないわけです。
言い換えれば、制度的、コンテクスト的要素を除外したはずの
討議において、まさに制度的なものを持ち出さざるを得ないわけです。
互いの参加者のコミュニケーション能力に「のみ」基づいた
討議という議論はこの時点で破綻しています。
既に多くの人によって言われていることですが。
ただ、ハーバーマス/ルーマン論争をこのスレでもう一度
検討しなおしてみる、というのは面白いかもしれません。
11 :
法政策社会学 :04/01/18 19:06
>>9 そうなんですよね。「法化」についてはドイツを中心にして、
その時期に論争の的になっていたようです。
ただ、私が現在形を用いたのは、今日の日本において、
実務の場面でその動きが活発に顕在化してきているからなのです。
自治体における政策法務というものなどの動きがそれです。
来年度からゼミが始まりますので、9さんにご指摘頂いたよう、
具体的な政策論に応用していけるような勉強をしていきたいと私自身も考えております。
それから、ハンドルについては自分でも多少力みすぎた感があります(-_-;)…。
『法システムと法解釈学』。私も是非読んでみることにします。紹介ありがとうございました!
もしできたら、トイプナーについての有力な文献も教えて頂きたく思います。
>>10 >どう読んでもハーバーマスの分が悪いように思います。
私も同感です。ゆえにルーマンを引いた法政策学的思考を試みたいと思うのですが、
これが上手くドッキングできないで喘いでいます。単に私の勉強が足りないだけなのかもしれませんが…。
この論争で思うのは、ルーマンの社会システム理論が現実的な認識として
強力な理論であることは間違いないのだけど、ハーバーマスやロールズの
実践哲学的地平もやはりある程度は残存して有効なのではないかと。
後者が全否定されえない“何か”があるような気がするのです。
というのも、井上達夫氏の著作なんかを読んでみますと、むむむ(−−)と思わせるものがあったりするし、
東浩紀氏が言う「動物化」への対抗論理として、結局はこの地平を想定せざるをえないのではないかと思うのです。
しょっぱなからかなり高度な議論が展開されてますね。
私自身はそれほどルーマンには詳しくなく、おそらく無数にあるであろう間違いの指摘をお願いします。
私はハーバーマスとの論争しか突っ込めませんが、つまりはコミュニケーションを可能にする前提についての議論だと理解しています。
つまりハーバーマスは「討議」を通じた普遍的な価値規範の共有を考えたのに対して、
ルーマンは互いにシステムを共有しているという現実認識それ自体をその前提として考えたと言えます。
繰り返し言われていることですが、この議論はルーマンのほうがはるかに正しい。
ハーバーマスの限界は「討議」のための一定の文化理念の共有を要求することです。結果として「憲法愛国主義」を唱えるに至っています。
結局、「価値観が合わず、話の通じない人間」に対して、ハーバーマスは「排除」か「教化」のいずれかの態度に陥ることになります。
この限りでルーマンの方がはるかに正しいと思いますが、一方でルーマンは「社会秩序」がいかにして形成されるのか?という問題への回答はほとんど回避しています。
社会システム理論家としてそれは間違った態度ではありませんが、この「味気なさ」が物足りなく思われます。
だから私は、ルーマンの徹底して機能主義的なシステム理論を規範理論化していく作業が必要なんじゃないかと思ったりしてます。
これはルーマンの意図とはおそらく反する方向性を持っていますが、そういう作業をしないとルーマンの社会理論が「参照」される程度で、
現実的には使いにくいという難点を結局は克服できず、ハーバマス的な論法が解決策として幅をきかすからです。
>>11でおっしゃっているのはこのことだと思われますが、私はパーソンズ、ハーバーマス的な解決法には基本的に反対で、
ルーマンの視座を積極的に生かす方向を模索すべきだと考えます。
うーん、やっぱ一度ハーバーマス/ルーマン論争を検討した方がいいのかも。
何故にシステム理論から規範的展望が望めないと考えるのか、
この理由が俺にはよくわからない。
他のスレでも述べたように、システム論に基づいて倫理的、
規範的な問題を考えようとする試みならすでにある。
東氏の著作は読んだことが無いのでノーコメント。
>>1氏
>この限りでルーマンの方がはるかに正しいと思いますが、
>一方でルーマンは「社会秩序」がいかにして形成されるのか?
>という問題への回答はほとんど回避しています。
ルーマンの問いは「社会秩序はいかにして可能か?」を中心にして
展開されているものだし、それはいろんな人によって強調されているはず。
>ハーバーマスは「討議」を通じた普遍的な価値規範の共有を考えたのに対して、
>ルーマンは互いにシステムを共有しているという現実認識それ自体をその前提として考えた
この部分はいろいろと言いたいことがあるのだが。。。
とりあえず、ハーバーマスは間主観性を根拠付けようとするのだが、
あべこべに、根拠付けは間主観性に依存している、というのがルーマンの反論だった。
ハバーマスとルーマン論争を知るには何を読めばいいんでしょうか?
よろしければ教えて下さい。それとルーマンをこれから読もうと思うんですが、
2、3冊ルーマンの著作を挙げてもらえればありがたいのですが。
>>14 あくまでも、門外漢である私個人の独断ですので、参考程度でお願いします。
ハバーマスとルーマン論争について知るには、
『批判理論と社会システム理論―ハーバーマス=ルーマン論争』木鐸社/佐藤嘉一・山口節郎・藤澤賢一郎(訳)
が、その概要を把握するにはよいかと思います。タイトルもモロですし。
ルーマンの入門的な解説本としては、
『ルーマン:社会システム理論』神泉社/ゲオルク・クニール、アルミン・ナセヒ(著) 舘野受男・池田貞夫・野崎和義(訳)
がよいのではないでしょうか。その後に、
『ルーマンの社会理論』勁草書房/馬場靖男(著)
などを私は読みました。私は原著には当たっていないので、ルーマン単独の原著については何とも申せません(−_−)
この程度の紹介ですが、少しでも参考になればいいなと思ってレスしておきました。
>>12,
>>13 私は1さんの問題意識と近いものがあるのですが、
>何故にシステム理論から規範的展望が望めないと考えるのか、
>この理由が俺にはよくわからない。
>他のスレでも述べたように、システム論に基づいて倫理的、
>規範的な問題を考えようとする試みならすでにある。
と魏伝図さんがおっしゃることは確かだと思います。
最近で言えば、『責任と正義』で北田暁大氏がそのことを論じていますよね。
おそらく、
>だから私は、ルーマンの徹底して機能主義的なシステム理論を規範理論化していく作業が必要なんじゃないかと思ったりしてます。
と1さんがおっしゃるのは、まさにこの部分の議論のことを想定しているのではないかと思うのですが。
1さん、違ってたらすみません(−_−;)
この論争における私の問題意識は少なくともそこにあります。
「他のスレ」での、この議論を是非拝見してみたいので、できたらそのスレ名を教えて頂けないでしょうか。
16 :
法政策社会学 :04/01/22 10:49
[続き]
>ルーマンの問いは「社会秩序はいかにして可能か?」を中心にして
>展開されているものだし、それはいろんな人によって強調されているはず。
つまり、社会秩序の維持・制御の方法論的な展開ですね。
私も主眼はここにあるのですが、ルーマンの社会システム理論は、
えてして現状維持の保守的な発想につながる傾向がある。
1さんの、
>これはルーマンの意図とはおそらく反する方向性を持っていますが、そういう作業をしないとルーマンの社会理論が「参照」される程度で、
>現実的には使いにくいという難点を結局は克服できず、ハーバマス的な論法が解決策として幅をきかすからです。
は、このことを述べられているのではないかと、またしても勝手に想像します(~_~)
私は、法政策学的観点から革新的な「制度」を考案する際に生じうる、
システム理論との不整合に、いかに理論構成して対処するか、という点で現在混乱中です。
また、東氏が「動物化論」で危惧しているのは、「環境管理型権力」と言われるような、
一見、システム論的に見れば、複雑性の縮減に成功し、社会秩序が維持されているかに見えることに対してであり、
この観点からも、何か重要な示唆が含まれているように感じるのです。
長くなってしまってスミマセンm(_ _)m
ハーバーマスとルーマンの論争について。ご存知のように、両者は1970年代以降も批判しあっていますし、ハーバーマスはシステム理論に部分的に妥協してしまった面がある。
従って、『批判理論』以降の両者の著作もフォローした方がいいと思います。
>ルーマンの社会システム理論は、えてして現状維持の保守的な発想につながる傾向がある
馬場さんも書いていますが、そういう批判はあたっていないと思います。
>システム理論との不整合に、いかに理論構成して対処するか
システム理論を参照しつつ、政策論や規範理論は自論でいくしかないでしょう。
少なくともルーマンから規範的な議論を抽出するのは難しいし、そうする必要もない気がします。
>魏伝図さん
なにぶんルーマンは初学者なもので、いろいろとご教授をお願いします。
ルーマンから規範的展望が望めないと言ったつもりはなく、
彼自身は積極的に語っていないし要求することも困難、ということです。
規範理論化の研究蓄積は不勉強ゆえ知りませんでしたが、
少なくともルーマンに依拠する宮台真司「権力の予期理論」や大澤真幸「行為の代数学」などは規範性を度外視した純粋理論だったので。
ルーマン以上に難しいのでこれらの本もあまり理解はできてませんが。北田さんの本はぜひ近日中に読もうと思います。
ハーバマスとの論争は、コミュニケーションが真理の共有によるのか、それともシステムの共有それ自体によるのか、
という違いだと私は単純に理解しちゃってます。
私はルーマンのほうに魅力を感じているわけですが、読みが浅いということであればご指摘をお願いします。
>法政策社会学さん
私の興味も、ルーマン的立場からパーソンズ、ハーバーマス的な規範性を導き出せるのか?というところにあります。
しかし、
>>17でもおっしゃられてますが、ルーマンの文章からは「現状保守的」という印象は全く感じません。
むしろ、はっきり言っているかどうかは不勉強で知らないのですが、
「近代社会では『現状保守』が不可能であるという現実を直視せよ!」
というメッセージをルーマンから感じます。
やはりラディカルな「現状破壊」の方向性じゃないでしょうか?
>>17さんが、ルーマン自体からは規範理論を導くことできないし、必要はないとおっしゃっているのに私も賛成です。
>>15 >法政策社会学さん
いろいろ挙げて頂いてありがとうございます。挙げて頂いた本はすべて読む
くらいのつもりで読んでみようと思います。
ものすごくクールだよ
>システムを「共有する」という言い方に少々不安を覚える。
確かにシステムというものは、「システムがある」というように明確に指示できる
対象ではないので、「システムに属する(している)」程度の表現の方がいいかも
しれませんね。
話は変わりますが、私はハバーマスとルーマンの論争は、どっちが有利であるとも
言えないと思っています。簡単に説明すると、ハバーマスの議論は「対話」に対して
楽観的すぎると思いますし、ルーマンの議論ではあるシステムに所属していない
人間(柄谷なんかがいう意味での「他者」や「異者」)の受容が困難であると感じています
>>22 ある特定のシステム準拠を選び取って、そのシステムにとっては、
という形で話をすれば、そのような事態もあるのだろうとは思う。
が、極論すれば、社会システムを形成することなしに
コミュニケーションをすることなど不可能なのだから、
システム抜きの対話などと言うのは意味をなさない、
ということになると思う。
で、ちょっと話題提起。
パラドクスについてなんだが、システム論スレでも挙げた小松さんの
「リスク論のルーマン」を読んでてちょっと気になった部分がある。
136-140ページの辺りでのパラドックスの議論なんだが、小松さんはこう述べている。
「ここには、(システムの視点から離れてみれば)【この部分を押さえておいて欲しい】
一つのパラドックスが見いだされる。つまり、第一の、システムが指示する環境と、
第二の、他の観察者によってであれば観察されうるであろう「外部の」環境という、
この二つの異なった環境が同じである(=違うものは同じである)というパラドックスである」(138)
「システムと環境の差異のシステム内部への再参入としてのシステム合理性は、したがって、
こうした再参入を遂行する過程で、この二つの環境を同一視することに、すなわち
パラドックスを隠蔽することに資しているといえる」(139)
続く。
システムの視点から「離れて」みれば本来異なるはずの二つの環境が
同一視されているということ、これがパラドクスであり、このこと自体を
見えなくする(隠蔽する)ことが脱パラドクスだとされている。
俺も自信があるわけではないので、たぶんそういう風に言える部分も
あるのだろうと思う。
しかし、俺の理解ではどうも違和感を覚える。とはいえ俺自身明確に
理解しきれているわけではない。
そこで少しパラドクス近辺について整理してみたいし、いろいろと意見も聞いてみたい。
とはいえ、時間が無いので続きはそのうち書きます。
>>24- 25
ここでは具体的には、どういうことが言われているんですかね。
たとえば、環境省がリスクとして扱ったものだけがリスクとみなされるとか、国が公害の被害者だと認定した人だけが被害者だとみなされるとか、そういうことでしょうか。
そうなると、「真のリスク」や「真の被害者」は環境省や国には「見えない」から、どんどん排除されてしまい、国や環境省の環境政策は正当なものとして見えてしまう。(「システムの閉鎖性の再生産」)。
もしこういう理解でいいとすると、わりとあたりまえな話だという気がするんですが。
>>26 小松さんは、大まかに言えばそういった主張を行っているわけですな。
例えば、「そもそも、右に述べたようなかたちで【つまり、上で挙げたように】
「環境」を「顧慮」することは、システムが「開放的」になることなどではなく、
逆にシステムの閉鎖性の再生産にほかならない」(137)と述べております。
まあ、そのことも確かに絡んでくるわけですが、とりあえずそれが
中心的なことじゃなくて、小松さんの主張を手がかりに
「パラドックスの脱パラドックス化ってなんじゃらほい」
というのをちょっと考えて見ましょう、という感じで展開してみたいと。
>>23 >ある特定のシステム準拠を選び取って、そのシステムにとっては、
>という形で話をすれば、そのような事態もあるのだろうとは思う。
自分はそうは思わないですね。あるシステムに「準拠」するってのはちょっと
注意が必要だと思います。なぜなら、あるシステムに「準拠」している人間に
とってそのシステムは取替え可能なシステムではないばかりか、その人間に
とってそれが全てであるからです。
>社会システムを形成することなしに
>コミュニケーションをすることなど不可能なのだから、
ここもちょっと自分の考えとは違うんですが、社会システムを形成する前に
言語体系が成立していないとコミュニケーション不可能ですよね。かつ異なる
言語体系に属する人間なら翻訳可能であることがコミュニケーションの
前提となりますね。「社会システムの形成なしにコミュニケ−ションは不可能
である」ということは問題の先送りになりはしないでしょうか?問題はまさに
「社会システム」で示される概念が何であるのか?かつ、そのようにして示される
「社会システム」という概念に我々は実際「準拠」あるいは「所属」しているといえる
のだろうか?ということだと思うのですが。
ここまで書いてきて思ったんですが、この話は魏伝図さんの話題提起と似た議論
ですね。というのも異なる言語体系を翻訳可能だとすることこそ、
>>24 >一つのパラドックスが見いだされる。つまり、第一の、システムが指示する環境と、
>第二の、他の観察者によってであれば観察されうるであろう「外部の」環境という、
>この二つの異なった環境が同じである(=違うものは同じである)というパラドックス>である」(138)
の一つの例であると感じました。「システム」を「言語体系」に、「環境」を「言語」に
置き換えてもある程度通用しますね。もう少し説明すると、A言語を用いる人間@と
B言語を用いる人間Aは異なる言語体系において、同じ対象を観察しているはずなの
に、「この二つの異なった環境が同じである」=〈ここですでに翻訳可能であるという前提
に立っている〉。ここでパラドックスは、〈異なる言語体系を持っている〉ということを
前提としておきながら、それが同じ(であると考えられるような)対象を指示したとたんに
(引用で言えば第一の「環境」と「第二の外部の環境」)〈翻訳可能である〉と見なす事です。
「同じ対象」であると見る時点ですでに一方のシステム(言語体系)に、もう一方が「準拠」
させられているんですね。
自分もシステム論にはとても興味があるのですが、先に一つ自分が疑問?
に思っていることを述べておきます。
システム論でいわれる「システム」という概念が注意しないと一人歩きしていくと
思うんです。まだ「システム」という概念は曖昧で(概念とし明確に定義したとしても、
それが実社会を構成している要素のどれを指すのかがまだまだ曖昧だと感じます)、
理解が困難な対象を「システム」という曖昧な概念ですべて説明してしまうということ
が考えられます(システム一元論)。例えば近代や近代以前のように「システム」の
代わりに「神」を持ってきても、システム論で説明されていることは説明可能
であると思います。訳のわからない現象を、いまいちよくわからない
用語で説明してしまうという事ですね。「強度」なんかもそれにあたると思います。
以上は独り言なんですが。
>>22 ルーマンをお読みになればお分かりになると思いますが、システムの構成要素は人間ではなく行為やコミュニケーションです。システムは人間の集まりではないです。
また、コミュニケーションは言語によらなくても可能です。
システム理論に対する疑問以前に、お互いに概念の定義が異なると議論になりませんのでご注意。
32 :
法政策社会学 :04/01/23 09:31
>>17 >馬場さんも書いていますが、そういう批判はあたっていないと思います。
確かに、馬場氏は、議論の出発点(端緒)問題に言及し、
複雑性という客観的に成立する事態からではなく、
<システム/環境>の区別からルーマンの理論は展開されるものであるとして、
ハーバーマスの批判にも見られるような「現状維持の保守的な発想」という
初期から晩年に渡るルーマン理論に対する批判に鋭く反証しています。
それは了解の上であったにせよ、そもそもルーマン理論の複雑性の縮減を
「制御理論」的な枠組みで捉えて法政策論に採用できるのではないかと考えること自体、
やはり、通りすがりさんがおっしゃるように、
正統な純ルーマン理論からは想定されえないのかもしれないですね。
「実証モノグラフ」にむしろ依拠する具体的な法政策論は、
「一般理論」的な思考法によっては上手く扱えないのかもしれない…(−−)))
ちょっとくじけかかってますが、もう少しその辺りを私は考えてみることにします。
何か参考になりそうな文献や論文、もしくはアドバイスがありましたら、宜しくお願い致します。
>>27 >「パラドックスの脱パラドックス化ってなんじゃらほい」
>というのをちょっと考えて見ましょう、という感じで展開してみたいと。
この、自己言及パラドックスを「不可視化」によって無害化するという「脱パラドックス化」について、
私はPC画面上のマルチウィンドウとタスクバーのような関係をシュミレートして考えてるんですが、
ひとまず
>>22さんが議論を展開中なので、その流れと様子を見て、
できるだけ論点が散逸しないようにレスできればなと思います。
>>28 ・あべこべに、社会システムの継続こそが言語の通用を保証する。
・身振り手振りでもコミュニケート可能だろう。
・コミュニケーションはいつでもそれ以前の
コミュニケーションへの指示を伴っている。
したがって、コミュニケーションについて語りうるときには
そこにはシステムが形成されている。
・社会システムとはコミュニケーションを要素とした
システムのことだ。
・準拠と所属は同じではない。例えば人体を分析するにでも、
どのレベルにあるいはどのシステムに準拠するかで見えるものは異なる。
臓器のネットワークのレベルではじめて個々の臓器の機能や
その統一性について語りうるわけだが、分子レベルのシステムに
準拠すれば、もはや臓器のメカニズムや機能は見えてこないし、
その臓器の統一性も失われてしまうだろう。
リアリティがシステムに応じて異なる以上、システム準拠を
明確にしなくてはいけない。
>>29 それは概念を適当に弄んでいるにすぎない。
>>30 システム論に頼らず語ることは可能だ。例えばギデンズに
依拠して語るのも有りだろう。
しかし、社会学は結局はどこかでシステム概念を持ち出さざるを得ない。
社会とは:関係の編み合わせだ、相互作用だ、ネットワークだ、
生産関係だ・・・などといろんな人があれこれ述べているが、要は
「複雑なシステムだ」ということを指している。誰もが社会は
多くの要素(行為であれ、個人であれ)の相互作用によって
成り立っていることを語る。にもかかわらず、肝心のシステム概念は
一向に精査しようとはしない。システムについての漠然としたイメージに
その説得力を依存したまま適当に語っているのが実情。
だからこそ、システム概念をまず明確に突きつめて考えなくてはいけない。
これは「システム」という用語さえ用いなければそれでよいと言う問題ではない。
様々に多くのものが、複雑な関係を取り結ぶということ、このことは
どういうことなのか、について明確に答えなくてはならない。
その意味では、システム論のインパクトは社会学には不可避なものだ。
>>31 >ルーマンをお読みになればお分かりになると思いますが、システムの構成要素は人間で>はなく行為やコミュニケーションです。システムは人間の集まりではないです。
このように書かれてしますと正直言って反論し難いですね。システムの構成要素を関係性
の視点から捉えることはなにもルーマンの特徴ではないですよ。全体について言及する場合に関係性から見る事は人文系の学問では半ば常識であると考えますが(構造主義以降)。
>また、コミュニケーションは言語によらなくても可能です。
もちろん、「身振り」や「表情」など、非言語的コミュニケーションはいくつか挙げることが
出来ますが、果たしてここで問題にされているような(ハバーマス・ルーマン論争)場合に
「非言語コミュニケ−ション」で「他者」に対して何を伝える事ができるのでしょうか。
また、言語によらないコミュニケ−ションが可能であると言う時、すでに言語の存在は
前提されている事には注意が必要だと思います。身振りも表情も(システムの中ですでに)
言語化されているのです。
そして言語化されている非言語コミュニケーションをシステムに属さない人間へ用いても
通じないことには気を付けなければなりません。なぜなら身振りも表情も自身のシステム
によって存立させられているからです。システムの異なる人間がその身振りや表情を見た場合異なったシステムから解釈をするわけです。
>>33 >コミュニケーションはいつでもそれ以前のコミュニケーションへの指示を伴っている。
規約主義的な考え方ですね。しかしこれはハバーマスの視点ですよ。ルーマンの議論で
このように捉えるとすでに「他者」は同一システムに帰属したことになりますね。
>・準拠と所属は同じではない。例えば人体を分析するにでも、
>どのレベルにあるいはどのシステムに準拠するかで見えるものは異なる。
見えるもの異なるというのは同意しますが、その都度「システム」を持ち出して
階層性に言及する事は、まさに「システム」の無限退行であるといえませんか?
>リアリティがシステムに応じて異なる以上、システム準拠を
>明確にしなくてはいけない。
一方でシステム準拠を明確にしておいて、一方ではそれらをすべてシステムで括るわけ
ですか?
>>34 >それは概念を適当に弄んでいるにすぎない。
弄んでいるつもりはありませんよ。自分では本質的な問題提起をしたつもりですが。
というのもあるシステムに属している人間がそのシステムの「外部」を指示しながら、
かつ他システムをも指示することは、システムの形而上学ですよね。
ここらへんの議論は、橋爪大三郎氏あたりがすでに考えていることだと思いますが。
>>22 >システムに「準拠」している人間
>システムに属している人間
>非言語コミュニケーションをシステムに属さない人間
人間はシステムに準拠したり属したりするんですか。
>>36 >しかしこれはハバーマスの視点ですよ。
この点についての論拠を提示して欲しい。
俺の理解しているハーバーマスとはかなりかけ離れている。
「システムとしての討議」をハーバーマスが認めているとは俺には思えない。
>ルーマンの議論で
>このように捉えるとすでに「他者」は同一システムに帰属したことになりますね。
正直何を言っているのかが掴みづらい。補足を。
>というのもあるシステムに属している人間がそのシステムの「外部」を指示しながら、
>かつ他システムをも指示することは、システムの形而上学ですよね。
システムの外部にある別のシステムを参照するということ?
特に問題は無いと思うが。
で、パラドックスについてなんだが、確か「自己言及性について」のなかで
ルーマンが、パラドックスの脱パラドックス化は近代において
はじめて問題になった、みたいな記述をしている部分が
あったと思うんだが、ちょっと文献を紛失したようで確認が取れない。
確認が取れ次第該当個所をこのスレでも書くけど、
つまり、脱パラドックス化は普遍的な現象なのか、
それとも特定の歴史的な現象なのか、つまり近代的な現象なのか、
これをまずは問題にしてみたい。
詳しい人色々意見を聞かせてください。
興味ない人は構わずスルーしてどうぞ。
ちょっと時間無いんで変な文章になっているかもしれませんがご容赦を。
>>40 近代的な現象ではないと思う。たとえば、「第三の問い」という論文では、脱パラドックス化という視点から法制史を整理しているよ。
>>39 >この点についての論拠を提示して欲しい。
>コミュニケーションはいつでもそれ以前のコミュニケーションへの指示を伴っている。
この部分がそれに当るのですが。以前のコミュニケーションへの指示=以前のコミュニ
ケーションでは、少なくとも「指示」の共通理解を得た。ハバーマスの議論を簡単に言えば
「対話」の場での共通理解から普遍的真理に到ろうとする過程ですよね。
>システムの外部にある別のシステムを参照するということ?
>特に問題は無いと思うが。
「システムの外部にある別のシステムを参照する」と言う時に、そのシステムの上の次元
にもシステムがあると考えていませんか?
その場合の「参照」とは、自分の属するシステムから「別のシステム」
を解釈することで、解釈したと思ったとたんに、自分のシステムに属することになります。
これを言い換えると、システムの許す限りでの解釈しか、その人間にシステムは解釈を
許さない。
ハバーマスの言うような「対話」が必要になる場では、ルーマンの言うようなシステムと
は取り替え可能でなくなります。
そこで「対話」する人間にとって自己のシステムがすべてであり、対話者は
まったく理解不能な「他者」としてまず現われることになります。だからこそ「対話」が
必要になるのですね。そしてその「他者」は簡単に理解し合えるような「他者」でもありま
せん。
法政策社会学さんにも聞きたいのですが、私の言ってること理解不能でしょうか?
一応私の言ってることは、ソシュールやウィトゲンシュタイン、柄谷行人(他にも
いるのですがいちいち挙げるとキリが無いので)なんかに多くの部分を負っている事
は示しておきますが。
法政策社会学さんにも理解不能だと言われたら、自分の書き方に才能がないと思って
諦める事にします。
44 :
法政策社会学:04/01/24 11:13
>>43 おっしゃることは理解不能では全くないです。
むしろ22さんの展開は論理一貫的で説得力があり、
自分の領域を確実に構築されていらっしゃるのだとお見受け致します(−_−)
ただ、この一連のやりとりを見ると、
何か両者の議論の根底に「ズレ」のようなものがあるように私は感じました。
>>22で「ハバーマスとルーマンの論争は、どっちが有利であるとも言えない」
とご自身もおっしゃっていますが、
まさに、このことが伏線として敷かれているのでは?と私は思ったりするのです。
つまり、「ルーマンとハーバーマスの議論はそもそもの地平がズレているのではないか」ということです。
45 :
法政策社会学:04/01/24 11:15
[続き]
ルーマンは、
ある現象が成立しているからには背後でそれを支える一般的なものが存在するはずだ、と
は”考えない”。
つまり、そのつど成立している事実的な事態を超えるような何かを、
さらにはその事態の「起源」を想定することを、徹底的に拒否します。
従って、この社会システム理論は、
あくまでも<システム/環境>の区分・差異という「固有値」を用いて社会を記述する、
「一般理論」としてその価値を持つものであり、
問題解決的な思考”以前”の話です。
一方のハーバーマスは、
>>42 >「対話」の場での共通理解から普遍的真理に到ろうとする過程
つまり、「討議による普遍的合意」という問題解決的な思考によって、
その”延長線上”に社会を記述しようとする。
46 :
法政策社会学:04/01/24 11:19
[続き]
この点において、すでに両者は「非対称的」であり、
この「ズレ」を意識しないままに対立的に議論を交わしても
結局水掛け論にすぎないのではないかと思うのです。
私は法政策という問題解決的な思考からルーマンの一般理論に迫ったわけですが、
どうやらその思考では、到達できない、
というより、一旦その思考・志向を捨てて接近する必要があることを実感しつつあります。
単なる誤読と言って一蹴してしまえばそれまでなのですけど、
ルーマンに対する批判が今日においても量産されるのは、
この部分の食い違いが明確に認識されていないからなのではと私は考えますが、
魏伝図さん、通りすがりさんはどう考えていらっしゃいますか?
47 :
法政策社会学:04/01/24 11:24
[補足]
>>35 >システムの構成要素を関係性の視点から捉えることはなにもルーマンの特徴ではないですよ。
>全体について言及する場合に関係性から見る事は人文系の学問では半ば常識であると考えますが(構造主義以降)。
22さんの述べられている通りだと思います。
ルーマン自身もコミュニケーション概念は、記号論的言語学やテクスト理論などの
スタンダードな知見に属していると言っている(そうです)。←『ルーマンの社会理論』(馬場靖男)。
この本では、ウィトゲンシュタインの「連鎖の最後に来る説明」の発想などを引用して、
「固有値」の説明なんかをしています。
もし、まだお読みでなければ、ルーマンの理解をさらに深める上で一読の価値はあると思いますよ。
>>41 文献紹介ありがとう。検索してみたが『社会システム論と法の歴史と現在』に
所収のやつでいいのかな?今度読んで見よう。
で、俺も基本的にはそう思うんだけど、何と言うかな、
前近代から近代への移行に伴い何の変化もなかったわけではないだろうし、
そこの部分をちょっと突き詰めてみたいというか。
で、文献が見つかったので気になった場所を書くと、
『自己言及性について』第六章「現代社会の自己記述における
トートロジーとパラドクス」のところ。
ここで、脱トートロジーと脱パラドクスについて次のように記されている。
まずシステムを観察する異なった形式としてトートロジカルなそれと
パラドクシカルなそれが挙げられている。つまり
・「社会は今あるようにあるべきものである」=トートロジー
・「社会はいまあるようにあるべではない」=パラドクス
(正確にはトートロジーもパラドクスの一形態なのだが)。
むろん、これではコミュニケーションが接続しないのでこれらをそれぞれ
脱トートロジー化ないし脱パラドクス化しなくてはならない。
それに応じて、どちらのアプローチに近い立場を取るかによって
例えば保守主義と革新主義やら、あるいは社会学における
実証主義と批判理論の対立といった周知の現象が登場してくる、と。
上の続き
ところで、上の意味で「脱パラドクス化」を語るならば、これは
近代的な現象だとルーマンは言っているように思われる。
少し大雑把にまとめると
・書字の発明
・観察と記述の分化
・観察と行為の(観察とオートポイエーシスの)分化
―――↓ここから下が近代になって加わった要素?――
・自然による代理表象のチャンスの喪失
・宗教的世界観の衰退(ゼマンティクのレベルでの外部準拠から自己準拠への移行。
例えば『社会システム理論』840以降を参照)
・再帰のレベルでの自己準拠
この図は関連すると思われる事柄を思いついた限りで
並べたものだから、疑問点があれば質問して欲しい。
で、上に挙げた脱トートロジーと脱パラドクスの議論は、
近代において自然による代理表象のチャンスが失われたにもかかわらず、
いかにして自己記述が可能になるのか、という問いに続いて行われている。
だから、ここでの議論は近代に限定されて語られていると思われる。
だから、おそらく正確には、広義の意味での「脱パラドクス化」と
狭義の意味での「脱パラドクス化」があるように思われる、のだがどうだろうか?
その場合、上記に挙げた諸要素がどのように関連しているのか?
その辺りを整理してみたいというのが俺の望み。
で、1氏と法政策社会学氏は、それほどルーマンと
ハーバーマスの対比が気になるなら、まずは実際に
ハーバーマス・ルーマン論争を読んでみるのが
筋だと思うのだが、どうか?
そうすれば疑問点などよりクリアになるだろうし、
その方がここで俺の意見を聞くよりも手っ取り早く
確実だと思われる。
>>44 >何か両者の議論の根底に「ズレ」のようなものがあるように私は感じました。
自分の言いたい事もそれに関係しています。ハバーマスの考え方(理論)も、
ルーマンの考え方(理論)も、理論である限り同時平行的に存立可能なんです。
理論であるから前提が同じではないのです。そして問題点だけを共有している
からまさに「水掛け論」になるわけですね。(この点については科学哲学の、理論の
「共役不可能性」という考え方からハバーマス・ルーマン論争を見ると生産的な理解
を得られると思います)
>ルーマンは、ある現象が成立しているからには背後でそれを支える
>一般的なものが存在するはずだ、とは”考えない”。
>つまり、そのつど成立している事実的な事態を超えるような何かを、
>さらにはその事態の「起源」を想定することを、徹底的に拒否します。
ここはわかります。ルーマンのシステム論とは状況記述的な方法であるわけです。
そこに時間性を組み入れる事を拒否しますね。システムの逐次変化まで、システム
論で押さえる事は出来ないわけです。ソシュールの用語でいえば「共時態」の把握
ですね。ソシュール自身、共時態に時間性(構造の変化)を組み入れた「通時態」を
把握しようとして頓挫しています。
「ある現象が成立しているからには背後でそれを支える一般的なものが存在するはずだ、
とは”考えない”。」、「考えない」というよりも考える事が不可能なのです。「背後」を
考えてしまうと、システム論ではそれも上部システムから説明しなければならなくなり、
このことが無限退行(「背後」システムの「背後」を考えなければならなくなる、そして
それが繰り返される)なんです。形而上学というのもここに関係してきます。
それと先のコミュニケーションの議論で非言語コミュニケーション云々で、
社会システムの成立が先というのがありましたが、これをシステム理論で説明したら
ダメなんですね。それこそが「起源」の「捏造」(たぶん、ここはデリダの考え方をルーマン
は踏襲していると思います)になるわけです。
>「一般理論」としてその価値を持つものであり、問題解決的な思考”以前”
>の話です。
これもわかります。ルーマンのシステム論的な考え方では、その「問題」の成立
(なぜそれがこのシステムの中で問題なっているのか?)までを追うことになり
ますね。システムとして捉えることは、そのシステムが静的でなければなりません。
よって問題の解決は時間性を伴う(未だ「問題」であるから、解決は未来に先送りされる
=時間性を伴う)からシステム論で記述不可能であるわけです。解決されたあとに
記述することはもちろん可能ですが。
>一方のハーバーマスは、
一番自分が言いたかったことは、一見ハバーマスの「対話(討議)」という言葉は、当たり
前というか、なんら説得力が無いように思われますが、ハバーマスは哲学の歴史を
背負ったあとに、「対話(討議)」と言わざるを得ないような場所から思考しているわけ
です。そこの理解なしにハバーマスの議論を切り捨ててしまうのは、ハバーマスの
議論の真価を見落とすことになると思ったわけです。
それに対してルーマンは社会学界での創造者であるわけだから、ルーマンの方に軍配を
あげたくなるのもわかります。しかし、ルーマンのシステム論的な思考の限界は、一応
哲学系の学問(特にソシュールの『一般言語学講義』やウィトゲンシュタインの『論理哲学
論考』)で出尽くしているわけです。その限界を超えようとしたのが、ウィトゲンシュタ
インの『哲学探究』やいわゆるテクスト論者(バルト、クリスティバ、デリダなど)で、
それら一連の議論を(ある程度であるが)背負った後からハバーマスは考えているわけなん
です。(宮台真司氏の『サイファ』はその限界に宮台氏自身、自覚的でやはり優秀な
人なんだと思いました。生意気ですが…)
法政策社会学さんは、ルーマンを法政社会学に組みこむことに限界を感じられている
とおっしゃっていますが、自分はまだまだ可能性は充分にあると思います。それで、
法政策社会学さん自身そちらの方向へ進むのなら、ぜひともテクスト論は押さえて
置いてもらいたい。そこに可能性が見出せると思います。ポストモダンなどと安易に
一括りに言われがちですが、テクスト論で言われたことの一部は後戻り不可能な地点
まで来ていると思います。それで、一冊お勧めの本を紹介しておきます。
『間テクスト性の戦略』土田智則 夏目書房
自分の考えでは「純ルーマン」を解釈しようとすることは、パラドックスに陥ると
考えています。つまり「純ルーマン」はどこにもいないわけです。
「誤読」や、可能性とはどういう意味での可能性なのかについてはもう少し説明したいの
ですがまた今度できたらすることにします。
訂正
「共役不可能性」→「共約不可能性」
>>48 何となく、小松さんへの違和感の話とはずれてきているようだが・・・(w
『自己言及性について』はいま手元にないので、後でできたらレスします。
>>56 確かにちょっと話がずれてきているかも。
まず先に「パラドックスとは何か」からはじめたほうが適切なのかもしれない。
まあ、暇なときにでもぼちぼちとレス頂ければ幸いです。
それまでに、自分も時間があればもう少し問題設定を煮詰めてみよう。
で、興味ない人は構わずスルーして議論の方どうぞ。
おいおい、上の二人!なんだかタコツボ化してきてないか?
「読めばわかる」的なこと書かれてもなあ・・・。説明できるんだったらしてやれよう。できないから回避してるようにも見えるぞ。
ROMってる限りでは、一生懸命論じてるやつのほうがルーマン万歳じゃないぶん納得いくんだけど。
「ルーマンの勝ちでおしまい。」って・・・あ、あなた。ルーマンマンセー!!って叫んでるようなもんだよ、それ・・。
きっと「ルーマンにちょっとでも批判的=ルーマンが理解できてないだけ」の論理なのね。。まぁタコツボの会話も結構だけども、、、
>>58 俺は説明する力量がないから読んだほうが確実だし
手っ取り早いだろうと言っている。
もし一人で読むのがつらいと言うなら協力しよう。
『自己言及性について』の原書が参照できず、議論が難解な上に翻訳は日本語ではないので論じるのが非常に不安ですが、一言だけレス。
上掲書の116頁あたりにもあるように、脱パラドクス化は、観察=区別に不可避なもので、近代社会に特有な現象ではないと思います。
ルーマンが第8章で描いているのは、近代社会の自己記述、脱パラドクス化の特徴でしょう。
そこではたとえば「イデオロギー」が、パラドクスを隠蔽する(脱パラドクス化する)方法として利用された。成層社会の特権的な代理表象が駄目になったから、別のものが出てきたという訳です。
ですから、広義・狭義という分類をするのは、何となく釈然としませんね。
第8章 ではなく第6章 でした。
>>60 俺も確信があるわけではないので意見は大変にありがたい。
で、返答を書いていたのだが、さっきPCがトラぶって全部消えた・・・。
また全部書く気力がないので細かい内容はまたいずれ。
ただ、確かに、広義と狭義というのは問題だけど、もしかしたらこの区別は
自己準拠の三つのレベルの話に関わっているのかもしれない、
などと言うようなことをふと思いついた。まあ、またいずれ書きます。
オートポイエーシスのスレってどっかにないのかな
るーまんの『社会の法』って入門書として最適ですね!
65 :
法政策社会学:04/02/05 21:04
>>54 22さんへ
レスが相当遅くなりましたが、私の問題意識を汲み取って頂いた上に、
書物も提示して下さって大変ありがたく思います。
『間テクスト性の戦略』熟読しました。
この著者で土田氏は、「間テクスト性」の問題を「読み」の問題に接続することの可能性を、
「間テクスト性」理論の一戦略として掲げていましたが、
その戦略の実践としての「読み」の具体的な考察に、本格的には踏み込んでいなかったので、
正直多少の物足りなさというか残念な感じも受けました。
けれども、本書の結びにあるR・スコールズの「間テクスト的行為」の若干の説明から、
この間テクスト理論という概念装置の戦略性が垣間見れ、
文学理論に留まらない有効な戦略性を持っていることを十分伺い知ることができますね。
まだあやふやで確実な理論化は伴いませんが、
自分が目論んでいる事に対して何か強力なヒントを得た気がします。
>そこに可能性が見出せると思います。
まさしくです。紹介ありがとうございました!
66 :
法政策社会学:04/02/05 21:05
[続き]
>>54 >ポストモダンなどと安易に一括りに言われがちですが、
>テクスト論で言われたことの一部は後戻り不可能な地点まで来ていると思います。
つまり、一言で言い表すならば「否定神学批判」ということですよね。
私は先の書を、その中でも指摘されていたように、「差延」との相等性などから、
後期デリダの間テクスト的スタイルというものを改めて認識しながら読んだのですが、
土田氏の「読み」の戦略、つまりテクストを「読む」ことの変形的実践(不連続的飛躍)を、
デリダの否定神学批判としての「郵便的脱構築」に短絡しても大差はないのではないかと考えます。
さらに、
>>52で22さんもおっしゃっていますが、
>社会システムの成立が先というのがありましたが、これをシステム理論で説明したら
>ダメなんですね。それこそが「起源」の「捏造」(たぶん、ここはデリダの考え方をルーマン
>は踏襲していると思います)になるわけです。
宮台氏のこの文書を見てもらえばよくわかるのですが、→
http://www.miyadai.com/texts/azuma/index.php このことはルーマンにも確実に接続する話だと思います。
67 :
法政策社会学:04/02/05 21:06
[続き]
そして同時に、デリダにせよ、ルーマンにせよ、
上記の否定神学批判、ルーマンの用語系ならば「脱パラドクス化」という概念を採用した途端、
ここでどうしても「転倒」が起きます。
魏伝図さんとの以前の議論での22さんの主張はおそらくここにあったと思われます。
>>54で、
>自分の考えでは「純ルーマン」を解釈しようとすることは、パラドックスに陥ると
>考えています。つまり「純ルーマン」はどこにもいないわけです。
と22さんが述べておられるのは、まさにこの「転倒」のことで、
>「誤読」や、可能性とはどういう意味での可能性なのかについて〜
の「誤読」というのは、これも「転倒」に関わるものではないかと。
さらに、それゆえの「可能性」を22さんは言わんとしているのではないかと。
以上、説明をかなり省いた上に、延々と好き勝手な解釈を施しましたが、
もしこのレスを目撃されて、なんとなく気が向いたときなぞありましたら、
レスお願いしたいところです(_ _)」
>>64 『社会の法』読む価値大大有りですよね!読みたいんだけどちょっと高額です。しかも2分冊(泣)
しかし、いずれ私も購入する心づもりであります。
法政策って変な言葉だな・・・
>>69 俺も勉強の途中なのでそう責めんでくれ。
それに、リンク読む暇があったら実際にルーマンを読むよ。
『社会システムと法の歴史と現在』を読んだ。
紹介ありがとう>通りすがり氏
しかしやっぱりパラドクス周辺はすっきりしないな。
俺の小松氏に感じていた違和感というのは、そのマルクス主義的な
見方への近さの故に、と言っていいかもしれない。
ところで、ルーマン自身が自身のアプローチのマルクス主義への、
というかフランクフルト的な批判理論へのある種の近さみたいなのを
語っている。と同時に、それとは異なるのだと言うことも語っている。
しかし、どう異なるのだろうか?
少なくとも、ルーマンはシステムがそれ自体としてパラドキシカルなのだとは
言っていない。これが一つあると思う。
ここでは、パラドクスとその隠蔽は観察者によって見いだされるものであり、
その意味ではパラドクス「と」その隠蔽とを結ぶ「と」は、
まさに馬場氏がその著作で強調しているような意味での「と」だと
言っていいかもしれない。
にもかかわらず、システムの自己観察が問題になるときには
まさにそのように、つまり、システムにはまずパラドックスがあって、
次にそれをシステムが隠蔽するのだ、というように語っているように読めてしまう、
ような気がするのだがどうだろう?
つまり、なるほど、システムをパラドキシカルなものとして
観察するのはそのシステムを観察する観察者だが
しかし、システムの自己観察においてもまた、システムは
パラドキシカルなものとして観察されるのだ、ということだろうか。
とすれば、観察とオペレーションが、構造とゼマンティクが明確に分化し、
かつシステムの自己記述が問題化する以前と以後で
問題を区別しなくてはならないのではないか、といったことを
考えていたわけだ。脱パラドクス化の様式の時代的な違いと言えば
確かにそうなのだけれども、問題の位相がかなり異なるような気がするのだ。
まあ、読みが足りないだけかもしれないが。
考えるほどわからなくなってきた。
そもそもパラドックスとは何のことだ?
決定不可能性のパラドックスのことか?
(例えば、『自己言及性について』p19
「システムは、みずからを脱-パラドクス化する。それは、「決定不可能な」決定を要求する。
社会システムの場合、それは行為の属性に関する決定である。
・・・論理的には、行為はつねに根拠の無い行為であり、また決定は根拠のない決定である。
・・・だからといって、このことが致命的な帰結にいたるということはない。システムそれ自身が
経験を重ね、先行する行為を基礎に、将来の行為に関わる予期をまとめながら、
自らの行為と決定の習慣を学習するのである」)
自己言及のパラドックスのことか?
(例えば、『社会システム論』p50-あたり
「準拠がパラドックスになるのは、そうした準拠を否定し得る可能性が新たに生じ付け加えられて、
そうした否定が、準拠している自己に当てはめられたり、準拠されている自己に当てはめられたりしており、
しかも、こうした二つの可能性のいずれかということが、自己準拠に基づいては決定できない場合である」)
それとも、これらに共通なものなのか(たぶんそうなのだろうと思うが)。
何か手がかりになるような文献があれば紹介して欲しい。
法政策社会学さん
法政策社会学さんのレスから相当に他領域の分野への目配りがうかがえます。
おそらく、柄谷行人や東浩紀あるいはジジェクや…を読んでいるようにうかが
えます。
『間テクスト性の戦略』だけでは正直、可能性というものも実感としてあまり
感じられないかもしれません。具体的な例で説明するとハイデガーの「現前の
形而上学批判」から「形而上学の解体」へ、そこに注目したデリダが形而上学の
「解体」を「脱構築」へと読み替えたわけです。ハイデガーやデリダを読んでいる
暇はないと思いますので柄谷行人を例に挙げて説明しますと、柄谷の『マルクス
その可能性の中心』が具体的な創造的「読み」の実践例になると思います。
色々説明したいのですが言いたいことがありすぎてちょっと簡単に説明すること
が出来そうにありません。ただ言いたいことは、自分は、柄谷行人は世界でも第一級
の仕事をしていると思っています。それでなぜここまで柄谷がすばらしい仕事が
出来るのかと考えるのですが、柄谷はまず文芸批評家として出発していますね。
それが大きいと感じています。ウンベルト・エーコやクリスティバやバルト、
デリダなんかは読んでいるわけですね。そこが大きいと思っています。
法政策社会学さんも、自分なりの読むこととはなにか?というようなスタンスを
明確にしておくと後々役に立つと思います。自分はある程度のスタンスが出来た
のですが簡単に説明すると、純〜をテクストから読み込もうとすることは読みの
形而上学だと思っています。読みの形而上学とは自分で勝手に作ったのですが
テクストの背景に超越論的な存在、ここで言うと純ルーマンを設定することですね。
いままでそれを代表していたのが〜学会で、その〜学会の役割はラカン→大澤的に
言うと「第三者の審級」と言えると思います。それがテクストの意味を一義的に決定
しようとする権威、あるいは装置として機能していたわけです。そうだと言って
〜学会が無意味だと言う訳ではまったくありません。
テクスト論の後戻り出来ない地点というのは、具体的に言うならその「第三者の審級」
(権威)を無効にしてしまったことです。それが創造的になされた「読み」ならばこの
審級を無効にしてしまうわけです。法政策社会学さんの言うように「否定神学」という
用語を用いても同じようなことを説明出来そうですね。
長くなりましたが、要は70年代〜80年代に日本において起こったことを単に
ニューアカなどと馬鹿には出来ないし、それを簡単に切って捨ててしまうことも
出来ないということですね。
魏伝図さん
>そもそもパラドックスとは何のことだ?
>決定不可能性のパラドックスのことか?
本当にルーマンは色々な学問を横断しそれを統合しているので難しいです。
自分はルーマンがパラドックスというときに参照しているのは、クレタ人のパラドッ
クスとそれを解決しようとしたラッセルのロジカルタイプ、ラッセルのパラドックス
(ラッセルがフレーゲに宛てた手紙で指摘した集合論のパラドックス)、ゲーデルの
不完全性定理(これは自分としては直接システム論に応用出来るか疑問ですが)だと
思います。これらを知っていることが当たり前のように前提されて書かれていますね。
直接この問題について参考になるかわかりませんが、現代論理学の述語論理の
部分、特に個体をXとして命題を構成することを可能にした部分を押さえておく
のはルーマンを理解する上での手助けになると思います。これも当たり前のように
前提し、応用しているように思います。あと構文論と意味論ですね。ルーマンも
意味論を応用してゼーマンティクという概念を作っていますし。時間があれば
命題論理のある程度の知識を持っておくことも述語論理を理解する上で役立ちますよ。
それで自分のお勧めは、野矢茂樹『論理学』(東京大学出版会)の述語論理の部分ですね。
かなり読みやすいです。
自己言及が問題になるのは、おそらくオートポイエーシスを応用しているからだと
思います。システムが自己充足的な閉じた体系を作るからですね。この点は
パーソンズはシステムに階層性を持たせているので問題にはなりにくいと思います。
閉じた系を作ると決定不能性や自己言及の問題が出てくるわけです。自己言及の問題は
ラッセルのロジカル・タイプを設定することで一応の解決が出来ますがシステム論に
それを設定することは出来ないと思っています。ルーマンは環境に開いていると言っ
ていますが自分はこの部分に少し疑問を持っていますね。
>少なくとも、ルーマンはシステムがそれ自体としてパラドキシカルなのだとは
>言っていない。これが一つあると思う。
そうですね。おそらくある種の決定が要求される場合にパラドキシカルな問題が見出
されるということでしょう。「システムは、みずからを脱-パラドクス化する」という
のはパラドクスを避けて=脱、システムが決定しようとするということでしょうか。
そうしないとシステムの維持が出来ないですから。
自分も一つ質問したいのですが、誰かハイデガーを引用してルーマン批判をしている
人はいないでしょうか?「現前の形而上学」批判はルーマンにも当てはまりそうなんで
すが。
>>魏伝図さん
脱パラドクス化は観察と関係しているが、システムは自らのパラドクスを
観察「してから」隠蔽する、という構制ではないと思います。
システムはパラドクスを自己観察できないでしょう。
それから、あなたが気にしている近代社会と脱パラドクス化との関係は、
近代社会が機能分化し、二値的コードで作動しているという話につながる
と思います。
高橋徹『意味の歴史社会学』(世界思想社)や、そこで紹介されている、
ルーマンの『社会構造とゼマンティク』の中の文献を読むといいのでは。
>>22氏
紹介ありがとう。
だが、実は俺はまさにパラドクスを論理学的なパラドクスの
ことだと理解していたのだ。
つまり、『社会システムと法の〜』における今田氏のような理解をしていた。
それ故、アルファベットや書字の発明と結びついているだろうし、
その意味で歴史的に限定的なものではないかと。
ところが、ルーマンはもっと広い見方を取っているらしい。
そこでもう少し具体的な方向から問うてみようと思って、
社会システムがパラドキシカルであるというのは何ゆえなのか、
という意味で、決定不可能性の決定の故なのか、自己言及の故なのか、
両者の関連は如何に、といった問いを出してみたわけだ。
決定不可能性のほうは、馬場氏の著作で言えばDKの話に
関わると思うのだが、つまり例えば貨幣が支払われるのは
貨幣が支払われるからだし、人々が法に従うのは法に従うからだ、
といったことを指している、と思われる。(アプリオリの事後性とでも言うのか?)
いわば、コミュニケーションの「根拠」がコミュニケーションの
継続それ自体によって供給されている。
「理論構築が進展するにつれて、端緒の恣意性からもまた、恣意性が奪われていく。
・・・かくして自身を担う構築物が成立する」(引用は馬場氏の『ルーマンの・・・』p11)
自己言及の方は、いわゆるクレタ人の話もそうなのだが、
社会システムの場合、システム内でシステムを表象すること、
つまり私を見る私、といった話に関わっているように思われる。
見る自己を否定するのか(その場合見ているということが余分なものになる)、
見られる自己を否定するのかに応じて、私は私であり、
私は私ではない、ということになる。
どちらも説得力があり、納得がいくのだが、関連がよくわからない。
そもそもこれら二つを区別することが不当なのかもしれない。
それから、現前の形而上学がルーマンに当てはまる、というのは、
正直、かなりナンセンスな問いの部類に入ると思う。
ハイデガーというか、実存哲学の立場からの批判ならある
(ランドグレーベ(だっけ?))が、現前の形而上学には特に関わらない。
(責任と人格性みたいな話になっていったような)。
ハイデガーに基づきつつ、現前の形而上学批判を真剣に受け止めつつ
自己の理論に取り入れている者としては、実はギデンズがいる。
もしやる気があるならギデンズとルーマンを比べてみるのも面白い「かも」しれない。
正直お薦めできないが。
>>78 >システムは自らのパラドクスを
>観察「してから」隠蔽する、という構制ではないと
いつもすいません。確かにその通りです。
二値的コードのことはすっかり念頭から外していた。
その点も含めて考えてみないといけないなあ。
『社会構造とゼマンティク』・・・誰か邦訳出してくれないかな。
一応取り寄せては見るけどね。
83 :
名無しさん@社会人:04/05/06 17:26
まずシステムありき?
肉厚ウーマン
肉厚豊満
見下す傲慢
馬場靖男の『ルーマンの社会理論』は、誤解に基づくルーマン批判を叩いた良書ではあるが、
同書に馬場氏独自の思想があるとはいえないように思う。
結局、馬場氏は二クラス・ルーマンのエピゴーネンであり、ルーマンと似て非なるもの、
すなわち肉厚ウーマンである。
肉厚コーマン
90 :
名無しさん@社会人:04/06/04 15:05
だいたいなんでsage進行なんだ
2クラス 遭難
肉詰め・ピーマン
ハーバーマス「憎らしい、ルーマン!」
ルーマン「許せん、ハーバーマス!」
95 :
名無しさん@社会人:04/06/08 22:46
sinnlos
ニプレス・ウーマン
一般に、ルーマンの思想はどう誤解されているの?
「○○と誤解されているが、実は・・・」という語り方にも飽き飽きですけどねー
>>97 古くは「テクノクラートのイデオロギー」かな?
日本だと「ルーマンの機能-構造主義なる言い草は構造-機能主義を反転させただけの
言葉遊びにすぎない」byT.K、とか?
あと、ルーマンや社会システム論っていう言葉を聞くと、若い世代の場合は某有名社会
学者の名前が脳裏に浮かぶ場合が多いと思われ。
それも誤解と言えば誤解かな。
誤解されているというか、理解されていない。
分かった顔した奴は多いけど。
何でルーマンが誤解されてるかっていうとさー
主著がないんだよね。主著が。
フーコーだったら「言葉と物」とか「監獄の誕生」。
マルクスだったら「資本論」とか「共産党宣言」っていうふうに
有名な思想家だったら大体これが主著って決まってて、
これ読めばこの思想家のいってることが8割がたわかる
っていう感じなんだと思うけど、ルーマンてやたら本書いてるし、
あんまり翻訳されてないし、っていうのもあって、主著がないんだよね。
だからみんなルーマンの本適当に1,2冊読んだだけで批判してるわけ。
そりゃ誤解もすると思うよ。
だからさー、宮台とか馬場とか酒井とかがルーマンのいい論文だけを
集めてアンソロジーを作るべきだと思うのね、俺は。
これ1冊読めばルーマンの言ってることの8割がわかるっていうようなやつ。
そうすりゃ日本のルーマン受容ももっとよくなると思うよ。まじで。
宮台とか馬場とか酒井とか
宮台とか馬場とか酒井とか
宮台とか馬場とか酒井とか
>フーコーだったら「言葉と物」とか「監獄の誕生」。
>マルクスだったら「資本論」とか「共産党宣言」っていうふうに
>有名な思想家だったら大体これが主著って決まってて、
>これ読めばこの思想家のいってることが8割がたわかる
>っていう感じなんだと思うけど
思わない
みれないよ
毒ガス・ブーメラン
鈴 木 弘 輝 が 旬
113 :
名無しさん@社会人:04/06/27 16:44
宮台がルーマンを本当に知っているのかが、近頃極めて疑問だ。
「宮台のルーマン利用」と、「田吾作の天皇利用」は同じではないか?
114 :
名無しさん@社会人:04/06/27 18:59
同じなら直ちにそれが問題だとでも?
「石原のルジャンドル利用」
>>113 > 宮台がルーマンを本当に知っているのかが、近頃極めて疑問だ。
ルーマンから宮台は読みとれるが、宮台からルーマンは読みとれない。
宮台とルーマンはあまりに違いすぎる社会学者だよ。
>>117 そりゃそうだよ。宮台なんかボルツ以下。
119 :
名無しさん@社会人:04/06/29 05:00
まったくだ
120 :
名無しさん@社会人:04/07/01 02:27
ルーマンをはまるとネットでオバサン言葉を喋るようになる?
と言うか社会学者のBlogは言葉がオバサンぽいのはなぜ?
>120
例えばどれよ
122 :
名無しさん@社会人:04/07/01 03:14
はてなに常駐している社会学者たち。
北田以外にいるの?
『教育人間論のルーマン』
「〜のルーマン」って、えーかげんやめい!勁草!
ほんま気色悪いわ〜
125 :
名無しさん@社会人:04/07/01 20:10
>>122 はてなには他にも確実に5、6人は生業=社会学がいるようだが
126 :
名無しさん@社会人:04/07/02 06:48
社会学にはおばさんの噂話と通底するものがあるんじゃないのかね。
128 :
名無しさん@社会人:04/07/06 20:13
日本社会における、「おどし」の伝統とか、
社会学のテーマとしては悪くないよね。
129 :
名無しさん@社会人:04/07/23 22:36
物理学も数学もいつまでも一人の人間を崇めたりはしません。
科学とは乗り越え、乗り越えられていくものなのです。
130 :
名無しさん@社会人:04/07/23 22:46
まだ崇めているのはBBと日曜(ry
>131
おまえhidexだろ
システム論というのは官僚社会に受け入れられやすい論理だよね
システム論がというより、るーの「社会システム論」が。
138 :
名無しさん@社会人:04/07/27 23:37
西垣とか馬場とか酒井とか
139 :
名無しさん@社会人:04/07/28 01:44
西垣って誰よ?
あのSE崩れの工学部卒のこと?
馬場さんと並べるなんてなんてこと....
東大教授です
>>139 酒井につっこまず西垣につっこみますか。
>>133 それはハバーマスのいうような「システム」ではないの?
機能主義・進化論的説明は、しばしばそういう批判を受けるわな。
でも、逆機能や機能不全もあるからね。
さいかさん!
146 :
名無しさん@社会人:04/07/28 17:19
>>142 西垣って、つっこみどころ満載でしょ。
いわばITバブルの学者版みたいなもの。
エンジニアだったころは、
何も作れずにものだけ言う人をぼくらは「評論家」と呼んでる、などと言い、
そのうち自分が評論家になってしまうw
耳学問の一知半解で覚えたベンヤミンだのハーバーマスだのルーマンだのを
ちょこちょこ混ぜ込んだ「評論」を得意とする。
147 :
名無しさん@社会人:04/07/28 18:44
勝ち組ってやつやな
東大教授です。スタンフォード大留学、博士。
ルーマンはたしか役所の臨時職員でしたか
150 :
名無しさん@社会人:04/07/28 20:36
理系なんだから博士はあたりまえ>西垣
IT「学問」バブルで明治大学教授から東大へジャンプ。
つうか、ルーマン関係ないっしょ、あのシトはw
さいかさんはどこにジャンプするの?
ルーマンは、構造主義批判もすべてうまく構造主義のなかに回収しちゃった感じ。
注:
構造主義の祖ソシュールはシステム論者なので、
構造主義は本来はシステム主義と言うべきか
154 :
名無しさん@社会人:04/07/28 23:44
134 : :03/01/23 19:10
理論社会学と呼ばれてるモノの多くは、論理社会学か理屈社会学なんだよな。
論理的にモノを述べてるだけ。理屈こねてるだけ。
理論って反復性が前提なのに、社会学にはそれがないモノが多い。
社会という複雑で揺れ動く対象をテーマとしてるから仕方ない面もあるし、
俺は必ずしも、それは欠点じゃなくて、社会学の可能性とも思う。
でもやっぱり、数理社会学や自然科学から見て、
社会学は「理論」と呼べないよな。一部の哲学にも言えることだけど。
まあ……かくいう俺も「論理(理屈)」社会学やっとります。
ブルデューやらジジェクやらがどうたら、
それらを分析道具として使ってネット社会がどうたら……我ながらクダラネ
分析道具とかカコイイこと言いながら、他人の理屈を借用してるだけ。
論理に破綻がないように、新しい発想と表現をしてるだけ。
ここまで来ると、論理(ロジック)ですらなくて、修辞(レトリック)の世界だよね。
でも、こんなクズな俺でも一流大学院だったりするから社会学って不思議。
155 :
名無しさん@社会人:04/07/29 00:18
>>154 ブルデューやジジェクなんて読んでるから
レトリックに堕すんだろ。
ルーマンをきっちり読んでシステム論の思考を
身に付けるべきだな。
加えて、ルーマンが参照している多くの実証的な
諸研究を自分で当たってみる。
そうすれば、理論と実証がいかに高度に支えあうものか、
複雑な現実に接するためには複雑な理論が
必要なのだということがよくわかるとおもう。
1年半前のコピペにマジレスされても。
>>156 ブルデューとジジェクを同列に入れるというのもな。
しかもブルデューは精神分析嫌いの実証主義者なのに。
>>158 ブルデューが実証主義などというのははじめて聞いたな。
>>158 ブルデューが精神分析嫌いというのもはじめて聞いたな。
ジジェクやルーマンに比べれば、まだ実証主義だろう>ブルデュー
163 :
名無しさん@社会人:04/07/31 00:48
164 :
名無しさん@社会人:04/08/02 19:03
基礎情報学マンセーあげ
165 :
名無しさん@社会人:04/08/02 19:07
西垣?
どうなんだろうねw
166 :
名無しさん@社会人:04/08/03 18:35
きかないなあ。
仁栗栖 浪漫(にくるす・ろうまん)
小説家。紙切れをつなぎ合わせて執筆する独特な創作方法で知られる。
「酒屋の酒屋」で野間文芸新人賞受賞。ほかに「キンメダイの観察」「女と男と山本譲二」など。
あんた50代だろ。
169 :
名無しさん@社会人:04/08/13 23:26
>>165 西垣通の本を読んだときに、
やっと日本にもまともなルーマン読みが現れたと思ったよ
ルーマンもよろこんでいることだろう
小松丈晃っていいね。
↑誰か同意してくれ。
174 :
名無しさん@社会人:04/08/21 00:59
法政大学出版から翻訳が連続して出ますね。いつ出るかはわからないけど。
法政大学出版がんばってるね
出せばいいというものでも(ry
177 :
名無しさん@社会人:04/08/22 15:31
いや、ドイツ語読めないから翻訳はありがたいです。
翻訳が出ると使命を終える本もありそう・・・w
それはそれでよいこと。
180 :
名無しさん@社会人:04/08/23 10:02
ボルツを読んでいて、ルーマンの話題が出ていたので読んでみようと思いますが、どれから読み始めればよいですか?
やめなさい!
183 :
名無しさん@社会人:04/08/23 10:18
うっ
「土方」という文字を見たら、買ってはいけない。
買ってもいいけど、読んで分からなくても自分を責めるな。
訳者に「馬場」という文字を見たら、買ってもいい。
でも、解説で馬場ワールドに引き込まれる罠。
『批判理論と社会システム理論』も読んでおくべき。
187 :
名無しさん@社会人:04/08/23 17:13
182 184 185 186 の皆さんありがとうございます。まずは「信頼」から読んでみます。
188 :
名無しさん@社会人:04/08/24 01:35
『社会システム論』を読んでいたら頭が混乱してきました。どなたか以下の3点についてご意見
いただけないでしょうか。よろしくお願い致します。
1.意味システムに関する限り、システムと環境の差異は意味境界であると考えていいでしょうか。
2.また、もしそれが妥当する限りにおいて、システムと環境の差異は意味の形式である顕在性/可
能性の差異に重なるものとして考えていいでしょうか。
3.さらに、2.が妥当するとした場合、「環境にシステムが含まれる」との言明はどのように考えたら
よいでしょうか。顕在化されうる可能性として、含まれるということでしょうか。
189 :
名無しさん@社会人:04/08/24 14:34
良スレだな
190 :
名無しさん@社会人:04/08/24 18:04
ナセヒとか言う人のルーマン解説本は導入に使ってもよいですか?
そろそろ泰斗登場の悪寒
192 :
名無しさん@社会人:04/08/24 20:02
ルーマンに詳しいどなたか、188さんの疑問に答えてあげて。
酒井さんの中の人は北田問題でそれどころじゃない w
194 :
名無しさん@社会人:04/08/29 02:26
ルーマンやっている人はあまりここに来ないんでないかい。よそで聞いた方がよいよ。
「環境がシステムに含まれる」ならわかるけど
196 :
名無しさん@社会人:04/08/29 19:16
馬場氏や酒井氏に批判的な人がいるのは分かったけど、
どの辺が問題なの?
レッテルや悪口じゃなくて、理論的な難点を聞きたい
宮台もルーマン理論を引いてるけど、こっちはいいの?
馬場氏の翻訳はいいけど、Zaesurを句切りと訳すのはどうかね?
〔歴史の〕切れ目、というような意味だと思うが。
それと、「社会の法」邦訳書の表紙には、誤植がある。
GesellschaftがGesellscaftになってる。hが抜けてますよ
197 :
名無しさん@社会人:04/08/29 20:04
とりあえず馬場氏に関しては、理論上の難点というより、「理
解」上の難点が、氏の嫌煙される理由ではないだろうか。ジジ
ェク・バリバール・アルセチュール等に詳しくない読み手にと
っては、氏のルーマン研究はルーマン自身の文言より理解しに
くいという。
>>196 酒井って誰なの?馬場はそんなに批判されてると思わないけど?
少なくともこのスレでは。
199 :
名無しさん@社会人:04/08/29 20:43
>>196 俺は別に後者には批判的ではないが、
だって、後者の理論なんてないじゃんよ!
200 :
名無しさん@社会人:04/08/29 21:55
( ̄ー ̄)ノリツッコミ
201 :
名無しさん@社会人:04/08/29 22:38
馬場は浅田やあずまんの顔色見るところがいや。
ジジェク・バリバール・アルセチュールなんかに色気出さないで、
ルーマンと正面から勝負しろよ。
202 :
名無しさん@社会人:04/08/30 01:19
デリダまでならまだいいが、ジ・バ・アルともなると誤解すら
できない俺様ここにあり。。。
ルーマンを他の理論家の難解な言葉で説明しても
あんまり意味ないよね
両方に通じてないと理解できないわけだから
ルーマンを初心者にも分かる言葉で解説してほしいね
↓このタイトルで本書いてくれ
『サルでも分かるルーマン』
『3日で分かるルーマン』
『よいこのルーマン教室』
204 :
名無しさん@社会人:04/08/30 08:12
↑ワロタ!
ルーマンは同じようなことを何度も書くタイプだから、
いくつか読むとおおまかに言っていることはわかってくる。
ただ、脚注の文献には付き合いきれない。
あれこそカードシステムの作動の跡なんだろうけど。
>>196 > 宮台もルーマン理論を引いてるけど、こっちはいいの?
宮台さんの社会システム論とルーマンとはちがうね。
彼は必ずしもルーマン主義者ではないみたい。
207 :
名無しさん@社会人:04/09/01 11:42
質問です。ルーマン社会学では、形容詞と名詞を区別しないで用いるのがふつうですか?
208 :
名無しさん@社会人:04/09/01 11:43
>>207 質問の意味が分からない。
具体例を挙げて下さい。
>>206 宮台さんはルーマンよりもブルデューに近い面もあるよ。
211 :
名無しさん@社会人:04/09/02 14:19
9月24日発売
定価7980円(本体7600円+税)四六判
N. ルーマン著/馬場 靖雄 訳
《叢書ウニベルシタス800》
社会の芸術
ISBN4-588-00800-5 C1336
多様性と個性の世界――芸術。しかし、芸術は一体どのような
システムだろうか。それはまた、社会システムの中でどう存在
するのか。直観と想像力、知覚とコミュニケーションの機能に
注目しつつ、システムと環境、メディアと形式、観察の一次性
と二次性、自己言及と他者言及、等々の差異・区分によって芸
術システムを究明し、他の社会的諸機能システムとの相互的な
刺激の可能性を示唆する芸術の社会理論。
〔社会学・芸術〕
http://www.h-up.com/2004-09.html
212 :
名無しさん@社会人:04/09/02 16:11
ぷっ
213 :
名無しさん@社会人:04/09/02 16:14
芸術なんかやって、意味ある?w
こんなのどうでもいいから
早く 社会の社会 訳してよ。
215 :
名無しさん@社会人:04/09/02 16:24
芸術やって意味あるかどうかはさておくとしても。後期ルーマンを理解する上では必読文献であることは間違いない。
216 :
名無しさん@社会人:04/09/02 18:39
社会の経済を復刊してよ。
217 :
名無しさん@社会人:04/09/02 22:51
プクス
218 :
名無しさん@社会人:04/09/02 23:52
ルーマン・・・ねえ。
ある思想家の紹介やパクリしかできないのは恥ずかしい。
その紹介屋たちにしがみついて、自分を偉くみせるのは見苦しい。
そのルーマンも先人の功績をパクっているわけだが。
220 :
名無しさん@社会人:04/09/03 08:20
でも、ルーマンはパーソンズ教でもベルタランフィ教でもない。
紹介屋はただのルーマン教。
BBさん、親子訳もすべて訳してよ。高くても許すから。
>紹介屋はただのルーマン教。
まったく同感。
「ルーマソの正しい解釈」とかアホなこと抜かしていた奴もいたっけ。
単に他人の業績を紹介するだけに比べれば、「三流」調査屋の方がまだいいね。
独自に調査して新規のデータを得れるわけだしね。
そうか?
三流調査員のデータなんか、怖くて自分の論文では
使えないよ
むしろへボイオリジナルやら紹介よりも
翻訳のほうが役に立つと思うけど?
ルーマンのドイツ語原文読むのは大変だしね
もちろん翻訳者の研究者としての水準は
オリジナル論文で評価されるべきだろうけどね
>>220 紹介者もその紹介者流の一つの解釈をしている時点で
ルーマン自身とは違うはずだと思うけどね。
それとも完全なルーマンのコピペって解釈なの?
ルーマンとルーマンの解釈者とはすでに違うよ。
ルーマン紹介者のなかでも見解が異なるわけだし。
ルーマン主義者やマルクス主義者を自称している者
のなかですら実に多様だからね。
己の所属する小さな仲間内ではそうでしょうなw
翻訳の際に、翻訳者の解釈が入るというのは
当たり前の話
それでも、原書を読む際の助けにはなるし、
三流調査員のオリジナル論文よりは
有用性が高いと思うけど?
また、翻訳の際に訳者の解釈が介在する以上、
正しい解釈をめぐって問題にすることも無用な
議論とは言えないだろう
228 :
名無しさん@社会人:04/09/03 20:23
まあ、自分で原書を読めたらそんな心配もないのだが。
おまいら志低すぎ。
紹介屋だけいてもしょーがないだろうに。
>>1 おまいさんは文献読んだ?
漏れは図書館で「社会システム論」読んだけど
ちんぷんかんぷんだったぞ。
上下二冊でタウンページみたいな厚さだったし。
今日来たんだけど、ここの板って過疎ってる?
書き込んでもぜんぜん動きがないんだけど・・・
232 :
名無しさん@社会人:04/09/03 22:42
訓詁学は屑。
ルーマンって精神分析論者っぽいよね。予期理論を基礎にするところなんてまさにそう。
234 :
名無しさん@社会人:04/09/04 09:37
なるほど。そういう考え方もあるのか。で、ハマタはどうだい?
235 :
名無しさん@社会人:04/09/04 13:45
行政や企業から金ふんだくって予算消化するだけでも問題なのに
データねつ造などをして社会に害悪をまき散らす調査屋は屑。
236 :
名無しさん@社会人:04/09/04 13:54
で、宮台は、調査屋なのか?理論家なのか?
237 :
名無しさん@社会人:04/09/04 15:14
>>235 あんさん、そんなカキコすぐに言い返されちゃうに決まってるでしょ(笑
「調査屋」→「訓古学」もしくは「人文」にして、必要個所を返ればOK
感情的な反論は幼稚さの表れとしか受け取られないよ。
238 :
名無しさん@社会人:04/09/04 15:31
>>235 ほんと、人文だねぇw
その調査の壁を越えられないからこそ、お前らの研究は「理論」とは呼び得ない
わけだがw
ルーマソの呪文で経験的検証は不可能でしょw
検証不可能ですが「理論」ですって、あんたそれじゃ社会科学のリングで闘えないでそ。
ちゃんと自覚しろよ。我の「人文」っぷりを。
「理論」ではない、単なる「人文」の呪文。それが我のあるがままの姿だよ。
Looking-glass-self
我は自分の姿を鏡で見ることもできないわけだ。つまりは世間知らずの幼稚園児。
まずは第一次社会化から始めようか。
239 :
名無しさん@社会人:04/09/04 16:49
>>188 読む本が悪い。あれはメモ帳みたいなもの。
240 :
名無しさん@社会人:04/09/04 17:15
>>238 悔しかったんだな。わなび。長々書いて。馬鹿が。ぷ。
241 :
名無しさん@社会人:04/09/04 17:23
>>240 もしわなびなら、まともな調査なんかできないだろ。
わなびなんか、予算もないし、サンプリングとか、郵送法だとか、
電話調査だとか、使えないんじゃないの。学食かなんかで、
アンケートして、エクセルで集計している程度の奴が偉そうな
こというわけないじゃん。それなりの人ダヨきっと。
ルーマン理論の検証可能性はともかく、
規範的予期、認知的予期の区別はなるへそと
思ったけどな
ヨーロッパ人(とくにドイツ)と日本人のメンタリティを
読み解く上で重要だと思った
日本人は規範的予期が中心
ドイツ人は認知的予期が中心だと思う
そうそう、社会科学ってそもそも完全な検証は
不可能だと思う。実験装置が使えないんだから
でもそれを以って理論じゃないってのは
再起性の概念を理解してないんだろうな
>それなりの人ダヨきっと。
それなりの人がこういうこと書いてるようじゃますますヤバイw
244 :
名無しさん@社会人:04/09/04 22:05
>>242 門外漢だが、横やり申し訳ない。実験と検証はまったく違うのではないかな。
ところで、
>規範的予期、認知的予期の区別
を門外漢にも分かりやすく説明してもらえないかな?
ソースも含めてもらえるようだと嬉しいのだけど。
245 :
名無しさん@社会人:04/09/04 22:07
もう一点。最近のスレッドを呼んで分からないのは「わなび」という言葉。
固有名詞らしいが、どういう意味?
246 :
名無しさん@社会人:04/09/04 22:19
I わなび with you I わなび with you, baby..
なんてのはやっぱ違うよな。
規範的予期とは、違背されても維持される予期ね。
認知的予期とは、違背から学習しちゃう予期。
たとえば、244タンが答えを期待して質問をする。誰か答えてくれると思う。
でもスルーされる。
「あーそんなもんか、仕方ないよな。」これが認知的予期。
「なぜ俺の質問をスルーする?それは間違っている!」これが規範的予期。
248 :
名無しさん@社会人:04/09/04 22:59
>日本人は規範的予期が中心
>ドイツ人は認知的予期が中心だと思う
逆のような気がする、というより完全に逆。
249 :
名無しさん@社会人:04/09/04 23:21
244だけど、247さんには感謝です。
でも、やはり分かりにくい。「違背」という概念がキーになっているのかな?
あと、上の例でも「維持される」「学習される」というニュアンスがつかめない。
せっかくなので、ソースとともに示していただけるともう少し興味がわくんだけど。
>>249 「違背」というのは、みこみはずれということです。
「維持される」というのは、みこみはずれでも、そのみこみを変えないこと。
「学習される」というのは、みこみはずれなら、みこみを変えて現実をうけいれることっす。
『法社会学』読むと、例が載っています。
ルーマンが出している例でいうと、新任の秘書と初めて会うとき。
金髪の美人だと予期してガカーリしても、その予期は変えざるをえない。(認知的予期)
しかし、仕事ができると思っていたところ、できない秘書だったら、予期は変えない。
できない秘書が悪い!(規範的予期)
>>238 いかにも人文的なカキコだね。いや、コミック的と言うべきか。
理論よりも気分で書いている。
予期に関する記述なんて、すごく常識的なことを言っていて逆の意味でびっくりしました。
>>252 たしかに常識的ではありますが、法律学が伝統的に前提にしてきた規範/事実という区別を、意味がないと否定したことになる。
これは法学者にはショッキングなことで、そこに一つの意味があったのです。
254 :
名無しさん@社会人:04/09/05 00:22
244です。250さんのレスには感謝です。
だいぶすっきりしました。
> 「あーそんなもんか、仕方ないよな。」これが認知的予期。
この説明だと、諦念が認知的予期だと誤解されるだろ
「あーそんなもんか。仕方ないよな」というのも、己の規範に
照らして判断しているから、規範的予期だろう
認知的予期というのは、
「こういうときは、こうなるのか。なるほど覚えておこう」という
学習的態度のこと。
落ち着きはらったドイツ人メンタリティがコレに近い
他方、日本人の場合は規範的予期が主。
「てやんでえ、店のしきたりに従わない奴は出てけ!」
と叫ぶ寿司屋の親父は、規範的予期に反したという
認識が瞬時に怒りに変わる典型的な日本人メンタリティ。
ドイツ人がこういう反応することは稀。
近代科学を生み出したヨーロッパ人の規範的予期と
厳格な儒教精神によって形成された日本人の規範的予期
こうした理解のために有用だね、ルーマン理論は。
ただし、ラディカルな構成主義認識論というのには賛成できないが
方法論、認識論の領域ではルーマンは駄目だ
> 近代科学を生み出したヨーロッパ人の規範的予期と
訂正、
近代科学を生み出したヨーロッパ人の認知的予期
>>255 あなたの説明は間違いです。
認知的か規範的かの違いは、心理的な態度やメンタリティの違いではありません。
違背の事実に対して、予期が放棄されるか維持されるかという区別です。
諦念によろうが、落ち着き払おうが、予期が放棄されれば等価です。
ですから、日独のメンタリティの違いをこの区別で理解するというのも、不可能です。
要は、期待外れの原因を、自分に帰属させるか、
環境に帰属させるか、の違いだよね。
期待外れに出会い、その際期待を修正するのであれば、
それは「認識」と呼ばれるものであり、それに対し期待外れに出あっても
その原因をその対象のせいにすれば、
期待は修正しなくても良い、つまり期待は抗事実的に維持される。
従来社会学では規範といったものはいわば内面化され、
人々が一方的にそれに服従し、その行動を規律化し
それによって秩序維持に貢献するのだとされてきたのだが、
この規範的期待の議論はそれが誤っていることを鮮やかに示している。
というのは、規範とは、逸脱的振る舞いを削減することにではなく、
あべこべに、そうした逸脱的振る舞いに抗して、
抗事実的に維持されることにこそその特徴があるのだから。
したがって規範とは、複雑性の削減ではなく縮減に貢献する、と。
>>259 そうですね。
私はErwartungはニュートラルに「予期」と訳したい、というのと
期待外れの「原因」ではなく「責任」としたい、という違いはありますが、
ご意見はその通りだと思います。
>>259 ルーマンスレで久々に見たGJレスだね。
「あーそんなもんか、仕方ないよな。」という諦念は、いっときのものかも
知れないのです。
今回レスが付かない→仕方がない→今度は頑張ろう
というように、規範が維持される可能性もある。
諦念的な判断は、規範的予期の場合もありうるのですよ。
その意味で、諦念を認知的予期とする説明は失当。
認知的予期は、こういう場合はこうなのか、では次回もこうなる
だろうと予期が変更されること。こうした学習的態度で行われる
予期の変更が認知的予期。
諦念と認知的予期を混同するのでは両者の基本的区別が
分かっていない証拠。
> 認知的か規範的かの違いは、心理的な態度やメンタリティの違いではありません。
> 違背の事実に対して、予期が放棄されるか維持されるかという区別です
認知的予期、規範的予期は、メンタリティと関わっています。
予期しない出来事に遭遇したとき、学習的態度で、そうか、こういうときは
こうなるのか、と認識すること(認知的予期)
予期しない出来事に遭遇したとき、規範を基準にして、対象を批判し、
己の規範を維持すること(規範的予期)
いずれの態度を傾向的に採りやすいかということは、メンタリティと
深く関わりがあります。
> 認知的か規範的かの違いは、心理的な態度やメンタリティの違いではありません。
噴飯ものの珍説です。
認知的予期、規範的予期が、心理システムや態度に関わることは、ルーマンの
『法社会学』で明示的に触れられています。
予期と心理の関係についてルーマンは述べています。
「心理システムにおける単純化は、なによりも他人の予期を予期することが、
自己自身のやりとりとして、自己自身の状態に対する反応として行われうる
(行われなければならない場合すら、かなりある)ということに依拠している
ように思われる」(ルーマン『法社会学』p42以降参照)
心理と予期を切り離すようなルーマン解釈はデタラメだということです。
>>262 認知的予期が違背から学習する予期であることは、
>>247の最初の2行に断ってあり、誤解がないはずです。揚げ足取りにしか見えません。
>>263 そうですか、それではあなたはその線で研究を進めて下さい、というしかありません。
しかし、ルーマンはメンタリティについて議論しているのではないことは確かでしょう。
ましてや
>>255-256のような暴論は、ルーマンとは無関係です。
> 認知的か規範的かの違いは、心理的な態度やメンタリティの違いではありません
認知的予期、規範的予期を態度の問題と切り離すのは珍説にすぎません。
なぜなら、両者は、態度の違いを示す概念だからです。
ルーマンは述べています。
「違背された予期を変更して、予期に反した現実に適応する方法と、
予期を固持し、予期に反した現実にさからってそのままやっていく
方法とである。前者の<態度>が支配的である場合を認知的予期、
後者の<態度>が支配的である場合を規範的予期と呼ぶことがで
きる。」 ルーマン『法社会学』p.49
<>で強調したように、ルーマンは態度の問題にこそ、認知的予期
規範的予期という概念を使用しています。このように、両概念は、
心理や態度と切り離しては理解できません。
> 認知的か規範的かの違いは、心理的な態度やメンタリティの違いではありません。
> 違背の事実に対して、予期が放棄されるか維持されるかという区別です
心理や態度、メンタリティーと無関係な、規範的予期、認知的予期
なるものは存在しません。
上のような理解は、およそ両概念の本質を見誤るものです。
>>267 >>258は
>>255への批判なのですが。
>>255が問題にしているような心理・態度(「諦念」「落ち着き払った」)は、規範的か認知的かという概念の区別において問題にはなっていない、と言っているのですが。
269 :
名無しさん@社会人:04/09/05 21:57
ルーマンと尊師、信奉のされ方に類似性を感じる。
> 認知的か規範的かの違いは、心理的な態度やメンタリティの違いではありません
この批判は、私の書き込みを曲解したものです。
私は、認知的予期、規範的予期が、メンタリティの相違を理解
する上でも有用であると言ったにすぎません。
認知的、規範的の違いが、即、メンタリティの違いを言いあらわ
しているとは言ってないでしょう。
しかし、規範に反する他人の態度を見ると即怒りに変わる日本的
態度やメンタリティを、規範的予期の概念を使って説明することは可能
(この場合、予期は維持される)
逆に、規範に反する他人の行動を、あの人はこういうときこうするのか
というように学習的態度で望むドイツ的態度やメンタリティ(このとき予期
は変更される)を認知的予期の概念で説明することは可能。
なんで同じところを何回も引用してコメントしてるの?
読んでて意味がわからないんだけど。
>>259 > 従来社会学では規範といったものはいわば内面化され、
> 人々が一方的にそれに服従し、その行動を規律化し
> それによって秩序維持に貢献するのだとされてきたのだが、
> この規範的期待の議論はそれが誤っていることを鮮やかに示している。
誤っていることを示しているとも言えないと思います。
ルーマンの予期理論がそれほど画期的であるとも思えません。
人びとはその規範的期待を規範意識として結果的に内面化するんですよね。
> というのは、規範とは、逸脱的振る舞いを削減することにではなく、
> あべこべに、そうした逸脱的振る舞いに抗して、
> 抗事実的に維持されることにこそその特徴があるのだから。
> したがって規範とは、複雑性の削減ではなく縮減に貢献する、と。
ですからそれは排除の構造と言われていたことと同じですよね。
認知的予期と規範的予期とをそれほどきっぱり分けられるもんなんでしょうかね。
まあ、これは理念型にすぎないんでしょうが。
>>272 厨房レベルの一行レスしか書けない香具師が
「素朴」なんて言ってもなー
>>274 規範的予期と認知的予期は画然と分けられません。
だから、ルーマンは両者が分けられないのを前提にして
いずれの態度が傾向として大きいかによって、認知的
予期と規範的予期を分けています。
両者の区別は、態度の傾向の差として表れます。
>>266 参照
↓新カント二元論的ルーマン理解(w
> 規範的予期とは、違背されても維持される予期ね。
> 認知的予期とは、違背から学習しちゃう予期
違背によって予期が維持されるか、学習によって予期が
変更されるかは、態度の傾向を区別するためのメルクマール
であって、このメルクマールによって区別されているのは
あくまでも態度の傾向。
こうした正確な理解がないところに態度を欠落させた珍説が
生み出される。
規範的予期と認知的予期は、違背によって予期が維持されるか
放棄されるかというメルクマールによって区別される態度の傾向
であって、峻別できません。
それゆえ、規範的予期と認知的予期は、互いに接しており
一方が他方へと以降することがありうる。
新カント的二元論的な予期理解では、
認知的予期と規範的予期の相互移行が理解できない。
では、嫌々ながら予期を捨てたら、その予期は
規範的予期でしょうか、認知的予期でしょうか。
279 :
名無しさん@社会人:04/09/07 13:58
無茶苦茶な議論が展開されてるな。
Erwartungという概念は心理的現象を想起させるから誤解を招く恐れがあるが
他に言いようがないのでそう言ってるってルーマンもどこかで書いてたと思うが
あまりに昔のことなので詳細は忘れた(w
とにかく心理的レベルにおける期待とコミュニケーションのレベルにおける期待を
区別できないようじゃルーマンの初歩の初歩も分かってないことの証明。
すごーく単純な例を出そう。テレクラの会話で男女が待ち合わせの約束をしてるとする。
二人とも、じゃあ何時にどこで、服装・目印はこれこれと言っている。
しかし実は二人とも行く気なんてさらさらなくて最初からスッポカそうと思ってる。
つまり心理的には期待は成立していない。しかしコミュニケーションの水準では成立してる。
もっともこのコミュニケーションはカジュアルかつ二人だけのGeheimnisなので
観察されることはない。そこで、男女どちらかの浮気調査をしている探偵が盗聴していたとしよう。
探偵は二人の会話を聞いて、紛れもなく期待に基づいて指定の時間・場所に現れる。
しかし誰も来ない。その時点においてコミュニケーションレベルの期待への違背に気づく。
社会において起きてることは、この例を複雑化しただけだよ。
だから期待への違背の処理様式がメンタリティに結びついてるなんて説は
社会システム論とは最も遠いところにあるトンデモ。
せいぜいeinfach soziale Systeme、相互作用においてしか言えない罠。
法システムが違背に対してどう処理するか。
通常は違背者に非があると帰属されてサンクションが用意されているが、
稀には法の方が間違ってるとして改正されたりもする罠。
このへん状況に応じてどう処理するかは、法のプログラムで規定されているし
世論や政治やら環境からの影響を受けることももちろんあるが、
ハッキリ言えることは法曹個々人のメンタリティなどではなく法システムの作動として
決定づけられるということ。メンタリティなんかで左右されちゃたまんねー。
>>273 内面化など特に必要はないよ。
知っているが守る気はさらさらなくても構わないし、
それどころか、参与者の一定人数がそういった規範の
存在を知らなくても構わない。
つまるところ、その規範の内容について事細かに知らず、
あるいは自分としてはその規範が正しいとは思わず、
正統性もなく、自分としても従うつもりはさらさらない場合であっても、
「皆そう考えているだろう」といった信憑性が
結果的に維持されればそれで構わないわけだ。
それによって規範は社会的に存続する。
その存続への寄与には、実に多くの多様な心理状態が
機能的に等価に作用するだろう。
心から信じているのか、疑ってかかっているのか、単に知らないままだが
たまたま規範に従ったような振る舞いをしているのであろうかによらず。
したがって、この社会的な期待は心理状態から自律性を獲得する。
従って「内面化」は、あってもなくても構わない、
それほど興味深いものではないということになる。
282 :
名無しさん@社会人:04/09/07 15:12
違背とかいってんじゃねーよ
>>279 分かってないのは藻前。
ルーマン『社会システム理論(下)』の心理システムの個体性
においては、心理システムにおけるErwartungが論じられている。
(ただし邦訳書ではErwartungは「期待」と訳されているが)
しったか君、ごくろうさま(w
>>280 それは君の理解した機械的システム論だろ。
規範的予期、認知的予期は、法システムに限定された
カテゴリーではないんだよ
ルーマンの社会システム論は、心理システムも
含むんだよ
社会システム理論(下)を読めば明らかなんだけど
ルーマンの言う「予期構造」を、機械的にとらえたがる
から、予期構造を心理やメンタリティと峻別したがるん
でしょうね。規範の内面化を欠落させる珍説も生み出される
ルーマンはパーソンズを批判する文脈で、予期構造
の主観性について明確に言及しています。
「パーソンズは、相互的な制裁行動による相互補完的な
予期の学習のみをとらえたにすぎず、主観的な予期構造と
その中に構築される--他人の予期を共予期する--主体
自身の同一性をとらえてはいないのである。」
ルーマン『法社会学』p.45
他人の予期を予期することは、メンタリティと切り離して
できるものではありません。ドイツ人のメンタリティ、日本人
のメンタリティを知らなければ、他人の予期を予期することは
できない。
>ドイツ人のメンタリティ、日本人のメンタリティを知らなければ、
>他人の予期を予期することはできない。
いいかげんにしろ、馬鹿。
> 状況に応じてどう処理するかは、法のプログラムで規定されているし
> 世論や政治やら環境からの影響を受けることももちろんあるが、
> ハッキリ言えることは法曹個々人のメンタリティなどではなく法システムの作動として
> 決定づけられるということ。メンタリティなんかで左右されちゃたまんねー
実に機械的な理解ですね
法プログラムに、違反した場合の効果が書かれていると言っても、
自由心証主義が採られる場合には、裁判官のメンタリティが大きく
作用する。ルーマンは裁判官による法創造についても語っていた
はずですがね
>>280 のお馬鹿さんには、次の言葉をプレゼントしよう
「自然法の崩壊以来、法の妥当根拠は共通の確信に
求められるとされてきた。しかしより詳細に検討すると、
このような観念は空中楼閣にすぎないことがわかる。
いったい誰がいつ、たとえば民法1753条のことで
共通の確信に達したと言うのか?」
ルーマン『法社会学』p.77
法文に書いてあるからといっても、それによって
予期構造は、完全には固定されません。
283-285はヴァカ。つか、只のヒキコモリ低学歴ルーマンヲタ。
心的システム無しに作動するコミュニケーションなどありえないのは自明。
あらゆる社会的システムは心的システムとの構造的カップリングの上に成立してる。
「にもかかわらず」コミュニケーション=社会的システムは、心的シーケンスとは異なる
創発的に自己完結したEinheitなのだよ。それがオートポイエーシスという概念のイロハ。
心的システムと社会システムを峻別しないルーマン論なんて何の意味もねー。
だいたい『法社会学』っていつの本だよ?(w
当時のルーマンはまだ自己言及的システムの理論に到達してないからね。
少なくとも80年代以降の議論と突き合わせないと参考にならん。
(昔の本の方がプラクティカルな面白さがある点は否定しないが)
ちなみに285がメンタリティと言ってるものは、強いて言えば「文化」やね。
Soziologische Aufklarungの5巻に文化についての記述があった筈。
読んでみれば。
>>287 出来損ないのリアリズム法学みたいな議論だな。
ルーマンが裁判官個人のメンタリティをそこまで重視していたなら、
法のオートポイエーシス理論はどう説明するんだよ。
ドイツ人が落ち着いていて、日本人はそうではないという
デンパ学説の根拠を示してほしい。
それと近代科学とやらが、どう関係するのかもね。
日本の社会学も厳しいな、こりゃ・・・
>>289 ↓心理システムにおいても、予期は論じられますが、何か?
「心理システムにおける単純化は、なによりも、
他人の予期を予期することが、自己自身のやりとり
として、自己自身の状態に対する反応として行われ
うるということに依拠している」法社会学邦訳 p.42
>>289の前半はいいが、後半のような反論の仕方はどんなものだろう。
規範的予期/認知的予期の議論の部分は、80年代以降でもそれほど変わっていないと思うんですけど。
>法のオートポイエーシス理論
法文に規定された要件・効果による独自の作用として
法のオートポイエーシスを理解するのは単純素朴です。
実際、今日の法文は、昔ながらの条件プログラム
ではなく、目的プログラムとして書かれることも増えて
います。要件、効果による作動の固定化という単純
素朴な見方で法のオートポイエーシスを理解するから
破綻に陥るのですよ
296 :
名無しさん@社会人:04/09/07 20:08
>>289 >「にもかかわらず」コミュニケーション=社会的システムは、心的シーケンスとは異なる
>創発的に自己完結したEinheitなのだよ。それがオートポイエーシスという概念のイロハ。
>心的システムと社会システムを峻別しないルーマン論なんて何の意味もねー。
確かに。で、同様の事柄はErwartungに関しても言えるんですよね。となると、心的システムに固有の
構造たるErwartung(「意識のオートポイエーシス」参照)と社会システムに固有の構造たるErwart
ungとがあり、両者は相互に還元不可能で、且つ後者は前者に対し創発関係に立つ、という理解でよろ
しいか。しかしこの場合、後者の創発性とは具体的にどのような事態を想像すればよいのだろうか。
>>295 まさか目的プログラムだと、裁判官の勝手な主観で判決が書かれるとでも思ってんの?
298 :
名無しさん@社会人:04/09/07 20:23
>>296 >後者の創発性
289じゃないけど、これは別に難しい問題じゃないよ。
原基的には、相互的な期待の水準で生じると考えればいい。
詳しくはダブルコンティンジェンシーの議論を参照。
具体的に、というのであれば「公式組織の機能…」での序盤での
社会的な行動期待の安定化に関する議論が具体的でわかりやすいと思う。
無論、その時点ではまだ理論的には洗練されてはいないけど。
「自然法の崩壊以来、法の妥当根拠は共通の確信に
求められるとされてきた。しかしより詳細に検討すると、
このような観念は空中楼閣にすぎないことがわかる。
いったい誰がいつ、たとえば民法1753条のことで
共通の確信に達したと言うのか?」
ルーマン『法社会学』p.77
ていうか、この引用はまさしく、心の中での「確信」といったものとは
法規範の妥当性は関係ない、といったことを述べているわけだが。
我々が心のそこから確信しようがしまいが、法規範はコミュニケーション・プロセスを
通じて産出されていくし、逆に言えば、どれだけ心の底から切実に、誠実に
ある期待を信じているのだと訴えようが、それが法コミュニケーションに接続して
いかないのであれば、法システムの観点からは無意味なわけだ。
300 :
名無しさん@社会人:04/09/07 20:42
>>298 296だけど、的確なコメントどうも有難う。ただ一つわからんことがある。
「相互的な期待の水準」というのは「他者の期待を期待する」という意味での「再帰
的な期待の水準」ということ?仮にそうだとすると、他者の期待を「期待する」のは
やはり心的システムだろうから、この点で、「再帰的な期待」=社会システムに固有
の期待水準は、心的システムの期待水準に対し、「還元不可能」という意味で
創発しているとはいいづらいと思うのだけれども。どうだろう。今手元に「公的組織・・・」
がないから、教えてくれた箇所を読めないのが残念。
禿しくチャーリーの予感!
どうも
>>298は違う気がする。
なぜそこで相補性が出てくるんだ?
法曹のメンタリティがどのこの言ってる椰子が居るようだが、一言で済む話。
「法曹のメンタリティは、法にとってシステム(の一部)ですか、環境ですか?」
で296さん、あなた自己言及以降のルーマンのもっとぉぉぉぉも大切な部分分かってない。
>心的システムに固有の
>構造たるErwartung(「意識のオートポイエーシス」参照)と社会システムに固有の構造たるErwart
>ungとがあり、両者は相互に還元不可能で、且つ後者は前者に対し創発関係に立つ、という理解でよろ
>しいか。しかしこの場合、後者の創発性とは具体的にどのような事態を想像すればよいのだろうか。
ここんとこをこれでもかとクドく論じたのがSoziale Systeme(1984)の3章と4章。
とにかく嫁。
残念ながら、『公的組織』を読んでもそのへんは分からない。古いからね。
この時期のルーマンに引きずられて橋爪大三郎がトンチキな議論してたよな。
(なんだっけ、法のゲーム理路がハートしたとかいう本w)
これは橋爪も悪いがルーマンも悪い。
嫁というだけじゃなくて簡単に説明してくださいよ。
で
>>295 >法文に規定された要件・効果による独自の作用として
>法のオートポイエーシスを理解するのは単純素朴です。
あたりめえだ。
因果連関(あえて「因果」と言うが)がシステム内部で完結するなら
オートポイエーシスだの並行的mitlaufende自己言及だのとややこしい議論する必要すらない。
システムは因果性を環境に帰属する。
にもかかわらず、それ自体もシステムの作用なんだ。
それが自己言及的に閉鎖した、しかしながら環境開放的なシステムということ。
わかる?
>>304 訳本あるだろが、佐藤便のやつ。
3章4章だけなら一晩ガンバりゃ嫁るだろ? 甘えんな。
漏れが読んだ時にゃ訳本なんかなかった。
298だが、俺もまだわかってない部分が多いみたいなんで
あまり言うのはやめておこう。
期待の相補性というか、社会システムの創発性はダブルコンティンジェンシーの水準で
現われると理解していた。
無論、「僕は君がそう期待していると期待している」という期待が
僕の心の中で確証されるか否か、といったことが重要なのではないことは
わかっているつもり。
つまり、コミュニケーションが接続して「ああ、この期待は当てはまったな」
といった心の中での確信が得られることが重要なのではない。
問題は、コミュニケーションが実際に接続していくかどうか、だと。
「公式組織…」を挙げたのは、つまり組織における公式的な期待が、
もはや個々の成員の経験といったものから独立し、組織の決定に依存するようになる、
といったこと、およびそれがどのようにして成り立っているのかを
原初的な集団レベルから説き起こしているのでわかりやすいと思ったまで。
要件・効果の判断は、因果連関なのかね。
大分論点が拡大してきたけど、
もともとは、認知的予期、規範的予期という
概念が、心理的な態度にも関わるか否かという
点だった。
279氏は、社会システムと心理しステムの区別に依拠して、
両予期概念は、社会システムにおける概念だから、
心理システムにおけるものとして考えるのはおかしいと
主張する。これは一見もっともらしい。
298さんの理解の方向性でぜんぜん間違ってないよ。
しかし、ルーマンは言っている。
「期待Erwartung(=予期)の概念は、このことに相応して、
心理システムの場合にも社会システムの場合にも
使用でき、また、心理システムにおいて使用される期待(=予期)
と社会システムにおいて使用される期待(=予期)とが依存
し合っているというこを把握できるように、広く解さなければ
ならない。」社会システム理論(下)邦訳 p.503
これで議論は終わったと思いますが?
要するに、279氏の誤りは期待=予期(Erwartung)を
社会システムの場合にしか使用できないという虚偽の
前提に立つものだったということです。
要するに、予期概念は、社会システムのレベルでも、
心理システムのレベルでも、論じうるということ。
このことがハッキリしておれば、予期概念が心理的
態度ではない、という珍説も生み出されずに済んだ
はずなのですが。
心理システムが社会システムの環境だとしても、
心理システム上でも、予期概念が用いられれる
のであるから、予期概念を心理的な態度と切り離す
のは誤謬であると。
結論的にはこう言えるでしょうね
>>311 おい糞ゴミ野郎、漏れがいつ、Erwartungは社会システムにしか使用できんと言ったか?
そもそもコミュニケーションは心的システム抜きには存在しないと最初から言っとろうが?
物理的(?)に還元するなら、予期など何らかの脳内神経パルスとしてしか存在する筈ない罠。
にもかかわらず、コミュニケーション構造としての予期は心的構造とは水準が異なる。
両者の連関は、初期には「相互浸透」、後には「構造的カップリング」として問題とされている。
ここに余り立ち入るとコミュニケーション理論としてのルーマン理論を捉え損なう。
さらりとこなすのが吉。
段落の頭を1マス空ける坊やは糞説垂れ流すのはやめて早く寝ちまえ。
>>310 うおー安心したー。
>>309 >これは一見もっともらしい。
いや、もっともらしいというか、それを認めるか否かがまさしく、
社会システム理論を理解できるかどうか、それどころか「社会」学を
理解できるかどうかの分かれ目にさえなっていると思う。
ちょっと大げさに言えば、デュルケムが社会的事実のリアリティを
「道徳的義務感」によって説明したあたりから問題があった、と思っている。
(別にその時点から間違った方向に進んだ、というわけではないけど)
> コミュニケーション構造としての予期は心的構造とは水準が異なる。
それはそうだが、心理システム上でも予期概念が用いられる
以上、予期概念が心理的態度と無関係だという君の珍説は
いずれにしても誤りだったということになる。
> おい糞ゴミ野郎
誤りを指摘されたからと言って、逆切れはいけませんね
みっともないですよ?
>>315 あなたは、心理や意識や主観やメンタリティという言葉を、適当に使っているんだよ。
それでルーマンの理解をめちゃくちゃにしているわけ。
自分の立論の粗雑さがわかってる?
そもそも、規範的予期・認知的予期の区別を論じていたのに、「落ち着いたメンタリティのドイツ人」などと珍妙な説を持ち出して、混乱をもたらしたわけです。
>>315 漏れは279でこう書いてるよナー。
>とにかく心理的レベルにおける期待とコミュニケーションのレベルにおける期待を
>区別できないようじゃルーマンの初歩の初歩も分かってないことの証明。
・・・これをどう読んだら、予期概念が心的システムと「無関係」と読める?
漏れは両者を区別しろと言ってるだけだ。
繰り返す、珍説を述べるな糞ゴミ野郎。
でもって、心的システムがどんな予期をしてるかは、社会システムには「無関係」だ。
「無関係」というのはプロセス的創発性と自己言及的閉鎖性のレベルにおいてであって、
構造的カップリングとか言い出すと関係を認める部分が出てくるからややこしい。
これはロジックの水準の違いであって矛盾はしないのだが、とりあえずルーマンのエッセンスは
「無関係」の方にあるので、そっちがきちんと理解できるまでは構造的カップリング云々には
言及しない方が吉なんだよ。
少なくとも、心的予期に言及するのは心理学であって社会システム論ではない罠。
社会システム論にとって心的システムはあくまでブラックボックス也。
真っ黒だからこそ、コミュニケーションという超越的第三項(と敢えて言っておこうw)
を立てて相互作用を可能にするわけだ。
「黒さこそが透明性を生む」みたいなことが3章に書いてある。
(100%記憶だけに基づいて言ってるから細かい語句についての突っ込みはやめてくれ)
>>314 仰る通りで、「道徳的連帯」からパーソンズ=規範内面化論への道はまっしぐらだ罠。
んでもそれが当時の理論水準だかんね。仕方ないずら。
ルーマンをあれこれ引用して、「ここでも『心理』といっている!」「ここでも『態度』と言っている!」などと発見しても、無意味なんですよ。
それであなたの珍妙なメンタリティ論の説得性は増しません。
もひとつ補足すると、珍説氏の「メンタリティ」論は、Kulturの概念の他にも、
symbiotische Mechanismの概念によってもあるていど説明できそうな気がするな。
これはS.A.の2巻あたりで出てきて、その後立ち消えになった概念だけども。
これは、社会的(sozilaじゃなくてgesellschaftlichの方ね)に一般化された
身体的機能のことで、機能システムとシンボリックメディアの分出との関わりで論じられてる。
経済→欲求、政治→暴力、学→知覚、家族→セクシュアリティ、てな感じだったかな?
それと同じ意味で、「メンタリティ」もsympsycische Mechanismと言える鴨ね。
何の「蓄積」も無い人間が、書物で知った知識で、
ナンジャカンジャ言うん、おもろい!
321 :
名無しさん@社会人:04/09/07 22:07
322 :
名無しさん@社会人:04/09/07 22:21
>>279 横レス失礼。
>すごーく単純な例を出そう。テレクラの会話で男女が待ち合わせの約束をしてるとする。
>二人とも、じゃあ何時にどこで、服装・目印はこれこれと言っている。
>しかし実は二人とも行く気なんてさらさらなくて最初からスッポカそうと思ってる。
>つまり心理的には期待は成立していない。しかしコミュニケーションの水準では成立してる。
この際、コミュニケーションの水準で期待が成立するのは、心的システムが、一方で「こりゃ
口先だけだな、実際に会うことはないな」と期待し、他方でそうした「口先だけのコミュニケ
ーションに接続する後続のコミュニケーション」を期待しているから成立するのではないです
か。最も単純な二者間の相互作用システムを考えた場合、その要素たるコミュニケーションが
情報・伝達・理解という三つの選択作用の総合体として、それに後続するさらなるコミュニケ
ーションとの関係でbasale Selbstreferenzを介しつつ、当システムに関与する二つの心的シス
テムのいずれの状態にも還元され得ない独自の秩序水準にある統一体をなすというのは理解でき
ますが、期待概念に関しても、そうした事柄が言えるのでしょうか。勿論ルーマンが繰り返し、
社会システムの期待が意味の形式であり、またそのシステムの歴史に関係するものであると述べ、
その意味で心的システムに還元され得ないものであるということを述べていることは承知してい
ます。
さらに補足すると、symbiotische Mechanismとしての欲求だの暴力だのを、
人間に「アプリオリに」備わったものと素朴に捉えちゃなんねー。
それはあくまで社会=コミュニケーション=言語による構成物なのよね。
システムが何事かを環境に帰属するために作り出した、ね。
つまり人間は社会化を経て初めて経済学が規定するところの
利益の最大化を求める(=正しい欲求を持つ)経済人になる、と。
これってすごーく社会学的に普通な考え方だと思うよん。
でもって「●●人的メンタリティ」なんてネタにも応用可能と思うがな。
むろん、個別的に測定可能な心的傾性とその統計的分布ってのも確かにあるし、
そういう側面(というか視点)を否定するわけじゃないけどね。
それは多かれ少なかれ社会によって「作られた」もんだ罠。
祭りは終りか?
ほんでさ、
>>311の引用
「期待Erwartung(=予期)の概念は、このことに相応して、
心理システムの場合にも社会システムの場合にも
使用でき、また、心理システムにおいて使用される期待(=予期)
と社会システムにおいて使用される期待(=予期)とが依存
し合っているというこを把握できるように、広く解さなければ
ならない。」社会システム理論(下)邦訳 p.503
これはまさに、一般に心的概念として捉えられている「予期」を
私は社会システムの概念として使いますよ〜、というルーマンの注意書きであってね、
読み方が全く逆向き、裏返しなんだよ珍説氏は。
>>322 ある種、鋭い指摘だと思うけどね。
あるコミュニケーションにおいて何が伝達され理解されたか、なんてことは
接続コミュニケーションの中の明示的だか暗黙的だかの自己言及によって
遡及的にしかconfirmしえないものだからね。
とりあえず、話を分かりやすくするために漏れは第三の観察者(探偵)を想定したけども
純粋な二者関係だとどうだろね。二人が本当にそれっきりになった場合(お互いに自分は
行かなかったけども相手は来て待ちぼうけ食らったと考えてる可能性大)、
一方が気が変わって行った場合、一方ないし両方が待ちぼうけしてる相手の姿を見ようと
待ち合わせの場所に変装して行って観察した場合、等々、シミュってみたらいいんじゃない?(w
まあこういう単純かつ極限的な例を元に議論するのは難しいんだよね。
> これはまさに、一般に心的概念として捉えられている「予期」を
> 私は社会システムの概念として使いますよ〜、というルーマンの注意書きであってね、
ルーマンは、予期の概念を 社会システムに限定するとは
一言も述べていません↓
「期待Erwartung(=予期)の概念は、このことに相応して、
心理システムの場合にも社会システムの場合にも
使用でき、また、心理システムにおいて使用される期待(=予期)
と社会システムにおいて使用される期待(=予期)とが依存
し合っているというこを把握できるように、広く解さなければ
ならない。」社会システム理論(下)邦訳 p.503
ハッキリと、予期の概念は、社会システム、心理システムの
双方で使われると言っていますよ。
心理システムに関わる用語として、予期概念が使われた
とき、それは心理的態度に関わる概念として使われることは
自明。
279氏は、明らかに予期概念を社会システムに限定する
という珍説を開陳している↓
> Erwartungという概念は心理的現象を想起させるから誤解を招く恐れがあるが
> 他に言いようがないのでそう言ってるって
ルーマンの予期概念は、心理システム、社会システムの双方の
レベルで使われ、両者を包含する概念です。
したがって、予期を心理システムに関わるものとして理解するのは
誤解ではありません。
>>311 で述べられているように、予期概念が社会システム、
心理システムの双方で用いられるということは、当然にも
予期概念の二重性を意味します。
@心理システムに関わる用語として予期概念が用いられた場合、
それは、当然にも心理的な態度に関わる用語となります
A社会システムに関わる用語として予期概念が用いられた場合、
それはコミュニケーション構造に関わる用語となります。
279のお馬鹿さんは、予期概念をもっぱらAの意味として理解し、
心理的態度を表す概念でもあるとする私の理解をさかんに批判
してられるが、しょせんは蟷螂の斧。
ルーマンの予期概念は@も含むものであるため、予期概念が
心理的態度と無関係とする理解は成り立たない。
279のお馬鹿さんは、予期概念をもっぱらAにかかわる
狭い概念として誤って一面的に理解している。
しかし、予期概念は、@とAの双方を含む概念として
広く理解しなければならない。
予期概念は心理システム、社会システムの両レベルに
またがる広い概念であって、Aの意味に限定できない。
心理システムが社会システムの環境であったとしても
予期概念をAの意味に限定することはできない。
ルーマンが予期概念を「広く解さなければならない」
と書いているのはその趣旨である。
広く解することとミソもクソもゴッチャにすることは違うんだけどなあ
別にごっちゃにはしてません。
予期概念のふたつの意味、@とAを明確に区別したうえで、
両者を包含するものとしてルーマンの予期概念理解しています。
なぜルーマンは「予期」という概念を立てているんだろうかね。
334 :
名無しさん@社会人:04/09/08 00:23
自分でかいといてすっとぼけてblogで冷静よそおうヤシもいるし
どうでもいいが、(日)と(月)を明確に区別しろとか抜かす阿呆が何言ってもなあ(w
心的予期は心的予期で立派に議論の対象になるから、しても構わんよ。
しかし社会システム、しかもGesellschaftを論じる際にはやめろということ。
これ以上はスレ汚しだから書くな、粘着阿呆。
>>333 意味システムにおいて「構造」に相当するものが予期だからですよ。
また日曜のアホが出てるな
この、メンタリティメンタリティと繰り返すヴァカは何が言いたいのかね?
少なくともルーマンスレで開陳するような内容じゃないだろうに。
> 心的予期は心的予期で立派に議論の対象になるから、しても構わんよ。
> しかし社会システム、しかもGesellschaftを論じる際にはやめろということ
上の見解は別に反対しません
ただ、私がメンタリティについて言及したのは
>>242 のレスが初めてなんだけど、そのときは別に
社会システムにおける予期概念だとは言ってない
んだよね
私は、予期概念が心理システムにおいても使用可能
だということを前提にして、<だから>規範的予期、認知
的予期は、メンタリティを読み解く上でも使用可能だと言った
に過ぎません
> メンタリティメンタリティ
> 少なくともルーマンスレで開陳するような内容じゃないだろうに
ルーマンは、どこかでメンタリティについて
言及していたのですよ
今、どの本だったか思い出せないので引用
できないけど、ルーマンがメンタリティについて
どこかで語っていたのは確かなこと
また見つけ次第引用するけど、別にルーマン理論の可能性
について、このスレで広く議論してもいいじゃないか
社会システムに限定したスレではなく、ルーマン関連のネタ
であれば、このスレに書き込んでもOKなわけだから
うわーデムパゆんゆん
>>341 あんまりみっともないマネはやめたら?
279氏って、あの香具師だろ
手癖で分かるんだよな
ルーマンは少なくともKausalitaet im Suedenという論文で
メンタリティMentalitaetについても明示的に論じていますが、
何か? 知ったか小僧の279君、何か釈明はありますか?(笑)
まあ、いずれにしても、ルーマン理論におけるメンタリティ
というテーマで論じても別に無問題だと思うが
気に入らなければ、スルーしてくれ
もともと噛み付いてきたのは279氏のほうなんだから
>>343 その論文でルーマンは「ドイツ人は落ち着いている、認知的だ」って言ってんの?w
>>344 今、この論文をじっくり読んでる暇ないけど、
メンタリティは、コミュニケーション・プロセス、あるいは
内的心理プロセスからも区別されるものである・・・云々
・・・と書いてあります。
かなり含蓄が深いですね
だからルーマン理論におけるメンタリティ概念の位置づけ
というテーマは、それとして問題になるだろうね
ルーマン理論とメンタリティについて論じることが
デムパなんて言ってる香具師のほうが、よほどデムパだよな(w
>>279 > すごーく単純な例を出そう。テレクラの会話で男女が待ち合わせの約束をしてるとする。
> 二人とも、じゃあ何時にどこで、服装・目印はこれこれと言っている。
> しかし実は二人とも行く気なんてさらさらなくて最初からスッポカそうと思ってる。
> つまり心理的には期待は成立していない。しかしコミュニケーションの水準では成立してる。
コミュニケーションから独立に心的システムが存在し得るとは思えません。
この場合、主体は、相手がすっぽかすかもしれないと心理的に予期するということも
あるわけで、それも期待の一種です。ルーマンのいう予期はそうしたネガティブな予期の
予期を含めた概念はわけですよね?
私の理解では、期待というより予期が成立するのは、社交的システムと心的システムとの
構造的カップリングにおいてであって、すなわちシステム相互の構造化として予期概念を
使用しているのではないでしょうか?
>>346 社会システム論(下)邦訳の解説者佐藤勉氏も
そういう理解のようですね
p.961以下参照
結局のところ、ルーマン理論において期待=予期とは
心理システムにも関わる概念であり、社会システム
とのカップリングに資するのが期待=予期であると。
要するに、予期を心理システムと無関係だなんて
言う香具師は、馬鹿であると。
結論的には、こういうことですね
342=343=345=346=347=粘着氏
さっきからメンタリティ厨がうるさいが、
結局ルーマンが言わんとしたことを
全然理解して無いな・・・。
コミュニケーションが生じている場合には、当然
心理システムも作動している。
しかしながら、そのこととコミュニケーションで
生じることは原理的に関係ない。
期待が心理システムにも関わるのは当たり前。
問題は、心理システム水準での期待は
社会システムを論じる際にはカッコに括って構わない、
というか、どのシステムに準拠するのかを明確に
区別しなくてはならない、ということ。
このことがメンタリティ厨は全然わかってない。
>>343 その場合のメンタリティって、パースンの扱いと
似たようなものじゃないの?
いずれにせよ、このスレで論じられていた
メンタリティの扱われ方は疑いなく電波だった。
351 :
名無しさん@社会人:04/09/08 14:46
>>349 心的システムから創発した、社会システムに固有のErwartung構造というものが
いかなるものであるのか、具体的に示して貰えませぬか。社会システムをシステムレフ
ァレンツとし、心的システムに依拠せずに。
352 :
名無しさん@社会人:04/09/08 14:59
おいおいてめえら!ウダウダ言ってると、日曜社会学がだまっちゃいないぞ!!
>>351 意味形成過程は別に心の中だけの過程ではない。
ある事柄に引き続いて別の事柄を思い浮かべることでも意味は得られるが、
同じことは彼の目配せに対して机の上の缶を右端に寄せるといったことでも意味は構成される。
(そして、この缶の動きに意味を付与するのは引き続くコミュニケーションによってであって、
俺の心理的内容や私的な思い込みなどではない。そのコミュニケーションはまた更なるコミュニケーションによって、
それはまた別のコミュニケーションによって…という形で意味が付与される)
かなり乱暴に言えば、意味を差異とし、そして差異を構成する最小限の単位として
音素があるのだとすれば、差異を構成する限りでそれは意識でもいいし身振りでもかまわない。
意識に基づいて進行する意味構成プロセスが心理システムだとすれば
コミュニケーションに基づく意味構成プロセスが社会システムだということになる。
見苦しい自作自演が続いてるな
そこまでして間違いを隠蔽したいのか
> 心理システム水準での期待は
> 社会システムを論じる際にはカッコに括って構わない
期待=予期は心理システムと社会システムのカップリングに
資するものとされているため、心理システムとの連関
なしに予期=期待を把握することはできません
心理システムと社会システムのレベルの違いなんて
単純な話ですべてを切り盛りしようとするところに、馬鹿の
馬鹿たるゆえんがある。
357 :
名無しさん@社会人:04/09/08 17:11
>>354 コメントどもです。おっしゃることはよくわかります。心的システムにおいて
は、その要素たるGedanke A に後続のGedanke B が接続することにより(基底的
自己言及的に)Gedanke A が同定され、Gedanke B に関しても、後続のGedanke
Cが接続し・・・という形で、閉鎖的な要素連関としての心的システムが成立する。
同様のことは、社会システムに関しても言え、この時、これらの二つのシステムは
相互に還元不可能な閉鎖的なシステムであると。それはおっしゃる通りだと思うの
ですが、問題はErwartungに関してもそうしたことが言えますですかということです。
>同じことは彼の目配せに対して机の上の缶を右端に寄せるといったことでも意味は構成される。
>(そして、この缶の動きに意味を付与するのは引き続くコミュニケーションによってであって、
>俺の心理的内容や私的な思い込みなどではない。そのコミュニケーションはまた更なるコミュ
>ニケーションによって、それはまた別のコミュニケーションによって…という形で意味が付与
>される)
この場合、彼の目配せが何らかの「情報」をもった伝達として理解されるのは、その時、それを
理解する心的システムが既に何らかの予期を抱いていることによりanschliessende Kommunikati-
onの諸可能性を大まかに縮減しており、そのような予期地平から選択として(=そうした予期地平
に対する差異として)、彼の目配せがそれを理解する心的システムに現れるからではないですか。
この理解(=「缶を右端に寄せる」)が相手に情報・伝達の区別を用いて理解されてはじめて、「目
配せ」の社会的意味が定まることは確かだと思いますが。
意外と良スレに育ちつつある希ガス
>>350 メンタリティがパーソンと同じだとしたら、
それは心理システム内部のことではないことになり
ますます社会学の中で論じてもいいことになるよ
メンタリティの問題を不問に伏そうと虚しい努力を
している厨房がいるが、お笑い種だよ
>この理解(=「缶を右端に寄せる」)が相手に情報・伝達の区別を用いて理解されて
>はじめて、「目配せ」の社会的意味が定まることは確かだと思いますが。
いや、これだと心理内部の確信の話になってしまうような。
社会システムにとっては、俺の振る舞いについての彼の理解が、彼の心の中でではなくて
(例えば「よし、あの缶の動きは「イエス」だ!」といったような「確信」ではなくて)、
彼のいわば外面的な振る舞いがそうした理解を示すものとして、続くコミュニケーションにおいて観察されるかどうか、
コミュニケートされるかどうかなわけでしょ?
社会システムにとってのリアリティは、あくまでコミュニケーションの事実的な接続、
コミュニケーションが今まさに進行しているということによってしか確かめようがないわけで。
うーん、例えば私的言語の不可能性の話とかがわかりやすいのかな。
規則に従うということは、規則に従うと「信じる」ことではないわけでしょ?
まあ俺の理解も間違っているのかもしれないので参考程度に聞いてほしい。
>>360 ごもっとも。その点に関しては完全に同意します。私が360さんの「引用さ
れた部分」で言いたかったのは、理解も心的な「確信」といったものでは
社会システムにとって効果を及ぼすことができず、ある人Aの理解もまた情
報・伝達の区別によって他の人bに理解されなければ(当然この他の人bの理
解も情報・伝達の区別によってある人Aに理解されなければ)社会システムに
効果を及ぼしえない、ということです。357で述べた、心的システムに還元
され得ない社会システムに固有のErwartungとはいかなるものであるかと
いう点についてもご意見頂けると幸いです。Erwartungの問題とこの問題は
別問題であると考えます。
「心的システム=社会的システム」だとは誰もここで言っていないはずで、
議論の焦点はそういうところではないはずなのですが・・・
>>361 >心的システムに還元され得ない社会システムに固有のErwartung
うーん、個人的な見解で言わせてもらえれば、例えば「言語」が一番手っ取り早いんじゃないかな。
個々の成員の理解を事細かに見れば、全員が一致してすべての文法事項にわたって
同じ内容を心に抱いているなどということはありえず、またすべての語彙や語法を身につけているなど
といったことは全くありそうにもない。そしてそれはどんどん変化していってしまう。
にもかかわらず、個々の成員の心理内容に左右されず、それは妥当する。
存在論的に理解しないするとわかりづらいと思う。「モノ」としてどこかにあるわけではない。
特定の、変化しない、固定化された、時間を止めて静的に記述可能な内容をもったモノとして
捉えるとわかりづらいと思う。
ただただ、コミュニケーションが進行している、という事実によってしかそのリアリティは
確かめようがない(というよりは、そもそもそのシステムはそのリアリティを外部からの
観察に依拠しておらず、自分の作動そのものに依存している)
けどそれもひとつのリアリティとして認めましょう、
というのが「社会」システム論の(というか「社会的事実」に固有のリアリティを認めようという意味では
社会学の存立基盤でさえあると思うんだけど)根拠だと思っている。
また、社会システムに準拠する、というのはそういうことだと思っている。
>>359 >メンタリティがパーソンと同じだとしたら、
>それは心理システム内部のことではない
つまり、そういうことだよな。
わかってもらえればそれでいい。
357さんはさっきから、ある特定の心理システムに準拠して、
そこから物事を見ている、ように思うんだけどどうだろう?
そして357さんが準拠している人は、たまたま「ラッキー」なことに、
その社会の中でかなり「うまく生きている」人なように思える。
いちいちコンフリクトに遭遇せず、孤立もせず、疎外感を味わったりもせず、
普通にやっていける人。
でも、実に多くの人が、「しまった、今まで全然勘違いしていた」とか
「よくわからないけど、みんなに合わせておこう」とか
「何で自分だけこうも浮いてしまうんだろう」とか感じてしまっていると思う。
そういった、個々人の個別の期待が裏切られるといったこととは別に、
社会的な期待は妥当してしまっているわけで、そうした事態を捉えるために
社会システムに準拠して、社会システムに固有のリアリティを認めよう、
というのが社会システム論の発想のひとつだと思っているんだけど。
(別にルーマンが批判的意図に基づいてシステム論を構想したというわけではないが)
>>メンタリティがパーソンと同じだとしたら、 >
>それは心理システム内部のことではない
> つまり、そういうことだよな。
> わかってもらえればそれでいい
それなら、メンタリティについて、心理システム上の問題
(心理学の問題)ではなく、ルーマン社会学内部の問題
として論じてもよいということになるな
で、結論↓
一、メンタリティの問題をルーマン社会学の外に放逐することはできない
二、予期概念は、心理システムと無関係ではありえず、心理システム上
の概念として、また社会システムと心理システムの構造的カップリングに
関わる概念としても使用される
363 わざわざコメントどうもありがとう。うーん社会的なErwartungが言語ですか。
確かにこれらの間には何らかの関連はあると思うのでちと自分なりによく考えてみます。
>ただただ、コミュニケーションが進行している、という事実によってしかそのリアリティは
>確かめようがない(というよりは、そもそもそのシステムはそのリアリティを外部からの
>観察に依拠しておらず、自分の作動そのものに依存している)けどそれもひとつのリアリ
>ティとして認めましょう、というのが「社会」システム論の(というか「社会的事実」に固
>有のリアリティを認めようという意味では社会学の存立基盤でさえあると思うんだけど)
>根拠だと思っている。
>また、社会システムに準拠する、というのはそういうことだと思っている。
この点に関しても完全に同意します。私も社会システムは心的システムやLebenに還元されえ
ない固有の動態を有するものだと考えます。ただ、そうだとしても、社会システムに固有のE
rwartungとはいかなるものであるのか、という問いは解決されていないとも思います。心的
システムが一切erwartenしないという意味で社会システムに固有のErwartungなんてありえる
んですか、ということです。
>>365 ルーマンがメンタリティについて述べていたことは、俺もちょっと
記憶が確かじゃないんだけど、要は例えば
「女性は思慮が浅くて激情的だ」とか「老人は知的で紳士だ」
「教師は人格的にも陶冶されている」「肉体労働者は粗雑だ」
「ドイツ人は知性にあふれている」・・・といったメンタリティが社会的に
付与される、といったことだったと思う。
例えば女性が何を言っても、その言説の背後にそうしたメンタリティを読み込まれてしまう、とか。
それを取り消そうとムキになるほど、ますます「やっぱり女だから」とみなされる。
身体障害者などの「弱者」についても、メンタリティが勝手に読み込まれてしまう
例として挙げられると思う。
でもこれは厳密に言えば心理システムの問題じゃない。
そうしたメンタリティに心理システムの水準で適応するかどうか、といった問題も
あると思うけど、それはそれで二次的な問題だと思う。
結論については同意するけど。
>>366 まあ、あくまでここは2chで、俺は名無しなんでその程度に考えておいてください。
俺もまた考えてみますんで。
368 :
名無しさん@社会人:04/09/08 20:08
このやり合いのなかに、東大人社研関係者が少なくとも2人いることにきがついた
サムイ
>>367 コメントどうもです。そうかもしれません。よく考えて見ますです、はい。
ところで、どなたか、ルーマンのErwartung概念を主題に論じた文献ご存知
ないですかねー。日本語でもドイツ語でも英語でも良いです。。。
く だ ら な い ね
>>281 > つまるところ、その規範の内容について事細かに知らず、
> あるいは自分としてはその規範が正しいとは思わず、
> 正統性もなく、自分としても従うつもりはさらさらない場合であっても、
> 「皆そう考えているだろう」といった信憑性が
> 結果的に維持されればそれで構わないわけだ。
> それによって規範は社会的に存続する。
そこで「信憑性」という言い方をしちゃうと、まるで心的システムを前提としているか
のように聞えてしまいますね。
予期を予期し、その予期を予期する・・・(予期の連鎖)というのは、まるで他者の欲望を
欲望するという欲望の連鎖を想起させますね。
ルーマンはラカンあたりには言及しているんでしょうか。
>>369 Soziale Systemeの8章。
>>371 ラカンつっか、20世紀末の認識論はおおむね似たようなところに収束してるからね。
俺に言わせれば、同じ事柄を別の言葉で表現している程度にしか思えないな。
ルーマン自身によるラカンへの直接的言及は1990年までの文献を見る限り無い。
それ以降のは散発的にしか読んでないから知らん。
ちなみにルーマン理論をラカン的用語で再構築したのが大澤真幸だと思われ。
東大系の人らは、こういう換骨奪胎的な剽窃(と言ったら大袈裟か)が多かったね。
バカ正直に真っ向から学説研究してる人らは少々マヌケに見える。
>>371 ラカンにもルーマンにもやはり
ソシュールの言語システム論の影響があるんでは?
>>371 ヘーゲル、コジェーヴあたりの系譜かな?
ルーマンがその欲望を予期に置き換えたのは明らかだね。
ルーマンはソシュールやラカンをかなり意識している感じがするね。
>>371 予期の予期などの議論はミードじゃないのかな?
でも、ミードに依存している、というよりは、
ミードが上手く言い当てている部分もあるので
用いている、といったほうが適切だと思うけど。
他にシンボルの定義とかはパーソンズもあるけど、
やっぱりミードの議論に基本的に基づいていると思うし。
そのほかにはやっぱりゴフマンとかじゃないかな。
ラカンの影響はあまりないような気がする。
>>375 社会学内にかぎった系譜ではミードあたりの名が出てくるんでしょうね。
しかしそのミードも。
377 :
名無しさん@社会人:04/09/09 10:45
あのー、予期の予期=ダブルコンティンジェンシーは、
パーソンズからモロに引き継がれたシステム論の正統命題なんですけど。
なんでもかんでも自分が引っ張りたいものに結びつけないように。
どーでもいいが、このスレの皆さん、SEXしてますか?
379 :
名無しさん@社会人:04/09/09 12:17
俺は最低でも週に一回はやってるぜ。
俺って誰よ?(w
>>374 欲望を欲望するというのは、模倣欲望のジラール、承認欲望のコジェーヴあたりだろうね。
381←アフォ
ルーマンはもう古い。これからは泰斗が来る。間違いない。
385 :
名無しさん@社会人:04/09/09 18:38
ヘーゲル、ホッブス、パーソンズ、ラカン、ルーマンまで
永井俊哉氏辺りが全部まとめて論じているよ。
>>386 >永井俊哉氏辺りが
胡散臭さ爆発だな・・・
388 :
名無しさん@社会人:04/09/09 22:36
馬鹿はどうせ誰にも相手にされないからほっとけ
ルーマンは、精神分析理論の心理的な自己防衛(免疫)システム論を
そのままそっくり(と言ったら語弊があるけど)、社会システム論に応用した
という印象を強く受けるんだよね。
>>389 気のせいだな。
初期の「公式組織の機能とその派生的問題」を読んでみな。
システム論の基本的な発想はそこからさほど変わってない。
>>389 それは、ルーマンがというよりは、社会組織論やシステム理論そのものが
といったほうがよいのでは?
つか、そんなこと言ってて何が楽しいの?
自己言及システムってのはまるで自我システムだよね。
精神分析大嫌い
永井俊哉先生はホントにわかりやすいわ
>>389 予期構造の未分化形式(発達形式?)を分類しているところなんかも精神分析論的だよね。
予期の連鎖・・・シニフィアンの連鎖・・・
ルーマンの法社会学の予期に関する記述(特に「予期を予期しうる者」という表現)
を読んでいると、まるで心理学屋の本を読んでいるかのように錯覚させられてしまう。
400 :
名無しさん@社会人:04/09/10 21:53:44
ほ〜。と、400。
ルーマンへの心理学的アプローチって、流行なのか?
全然納得できないんだけれど、面白いか?
特定の人間が書き込み続けているのだろうか。
法社会学しか読んでない人が
何回か書き込んでいるのかもしれない。
ま、ルーマンのアプローチが誰に似ているだとか
不毛な散策は放っておいて、俺は福祉国家の
政治理論を読むのさー。
2章が分厚すぎだろ、なんだこのバランスは。
>>402 390 名前:名無しさん@社会人[sage] 投稿日:04/09/10 11:11
>>389 気のせいだな。
初期の「公式組織の機能とその派生的問題」を読んでみな。
システム論の基本的な発想はそこからさほど変わってない。
>>401 流行か流行でないかに関心があるの?
単に納得できないと言うだけじゃねえ。
けっきょく感情論ばかりで
誰も異論を書けないわけですか。
>>401 > ルーマンへの心理学的アプローチって、流行なのか?
いやいや、心理学的アプローチを擁護しているわけではなくて、
ルーマン主義者がどう否定するかなと思ってね。
408 :
名無しさん@社会人:04/09/11 13:23:13
>>399 >ルーマンの法社会学の予期に関する記述(特に「予期を予期しうる者」という表現)
>を読んでいると、まるで心理学屋の本を読んでいるかのように錯覚させられてしまう。
読み手の問題もあるが、そう読めても仕方ない罠。
橋爪大三郎も、「言語ゲームと社会理論」では全く同様の解釈を行って、
「予期の予期をいくら重ねても一致に至るはずはない」と批判していた。
この問題は80年代の著作でクリアになった。
今、心理学的とか何とか言ってる椰子は読み方が足りないだけ。
2ちゃんは学会じゃないから、アマチュアが勝手なこと言うのも仕方ないが。
409 :
名無しさん@社会人:04/09/11 16:52:07
>>408 社会システム理論(Soziale Systeme) @翻503(原362)、A翻549(原399)、
B翻566ff.(原411ff.)。@・A・Bのいずれにおいてもルーマンは社会シ
ステムの予期構造と心的システムの予期構造は異なるという趣旨のことを
述べているが、どのように異なるのかは明示的には述べていないと思われ
(特に予期の予期について論じたBの箇所)。そこまで言うのだったら是非
あんたがルーマンになりかわりこの点を明示的に述べてちゃうだい。
411 :
名無しさん@社会人:04/09/11 20:58:10
仕方ない。イタコを召喚だ。↓よろしく。
2ちゃんねらのみなさんこんにちは。
ニクラス・ルーマンです。
おおついに降臨。
おおついに降臨。
>412
テクノクラートのイデオローグはあの世に(・∀・)カエレ!!
それではみなさん、さようなら。
あの世でお会いしましょう!
ボクじゃあダメかな?
ニセモノ(・∀・)カエレ!!
この祭りは全部、●斗の仕組んだことらしい。
●斗が心理学専攻の院生に成りすまし、釣りを仕掛けたようだ。
あいつはルーマンの読みもダメダメだしもうどうしようもね〜
リデル&スコット降臨希望
で。408はどこいった。
423 :
279:04/09/12 01:43:50
心的システムの予期と社会システムの予期とが同じなのか違うのかと
粘着し続けてる椰子がいるようだが、同じとか違うとか言う以前の問題だろ?
つまり、心的システムがどんな予期をしたのか、本人以外の誰に分かるっての?
そりゃおまいの予期はおまいには分かるだろう。しかし漏れの予期がおまいにわかるのか?
むろん、インテンシブなコミュニケーションによって相当の所までは遡追できるだろう。
しかしそれもまた「コミュニケーション」に他ならないことを忘れてはならない。
コミュニケーションとは我々の間主観性の絶対に超えられない地平なのだ。
超えようとしても、待っているのは無限遡及だけだ。
結局の所、我々は自身以外の他我についてはコミュニケーション=社会システムを通じて
間接的に観察するほかはない。
補足するならば、厳密な意味で「何がコミュニケートされたか」を、個々の自我が
完全に特定することもまた不可能だ。自我とコミュニケーションは異なる意味のシーケンス、
異なるパースペクティブであるからだ。各人は、コミュニケートされた内容についての
個別バラバラの個人的解釈を持つに過ぎない。厳密には。
ポイントは、「コミュニケートされたはずの情報」という仮想の共通視座を誰もが想定し、
それに注意を向け、特定する努力を行い、またその前提を利用して次のアクションを起こす
という点に存する。これこそが、「予期の予期」から「一致」という飛躍が生まれる原理だ。
>>423 >コミュニケーションとは我々の間主観性の絶対に超えられない地平なのだ。
それこそまさしく精神分析論的な
425 :
名無しさん :04/09/12 03:29:05
リデスコは匿名でいるであろう。
427 :
名無しさん@社会人:04/09/12 20:23:15
ルーマンさん、再降臨プリーズ!↓
ん?ボクのこと呼んだかい?
429 :
名無しさん@社会人:04/09/12 20:29:01
あっ、来てくれたんだ!ありがとうございます。
ボクの友達のニコラスはあまりに自分のこと理解してもらえない
って部屋でスネてるからボクが来ちゃいましたw
431 :
名無しさん@社会人:04/09/12 22:17:37
ニセモノかい!
二「ク」ラスですよ、副島先生。
433 :
名無しさん@社会人:04/09/12 23:14:13
>つまり、心的システムがどんな予期をしたのか、本人以外の誰に分かるっての?
>そりゃおまいの予期はおまいには分かるだろう。
素人の発想だな。
玄人は他人の予期がわかるってか?
そりゃすげぇ(w
435 :
名無しさん@社会人:04/09/13 00:45:13
>そりゃおまいの予期はおまいには分かるだろう。
ここが素人。
無意識があることを忘れるな
この文章に括弧を付けまくる御仁は日曜なんとかさんですか?
釣りですか?
|
〜〜〜〜〜〜〜〜|〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
>( c´_ゝ`) |
|
>( c´_ゝ`) J
>( c´_ゝ`)
|
〜〜〜〜〜〜〜〜|〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
| >( c´,_ゝ`)
|
J >( c´,_ゝ`)
>( c´,_ゝ`)
>( c´,_ゝ`) ←小松
|
J >( c´,_ゝ`) ←酒井
>( c´,_ゝ`) ←馬場
|
J (´ι_`)< クルッ 彡 ・・・ ←酒井
443 :
名無しさん@社会人:04/09/13 07:58:17
ニ「コ」ラスさん、何のコメントもなかったねぇ。
444 :
名無しさん@社会人:04/09/13 14:11:34
ルーマンのような難解なのを勉強してると、どうしても訓詁解釈に陥りがち
教条的な信者にならずに距離を置いてルーマンとつきあうのは難しいと思われ
ルーマニアン
446 :
名無しさん@社会人:04/09/13 16:17:46
|
J (;´Д`)ハァハァ< クルッ 彡 ・・・ ←酒井
L(・∀・)イイ!! hidex
447 :
名無しさん@社会人:04/09/13 16:31:19
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
オラオラ
釣り人→。。゛(ノ><)ノ ヒィ−−−−−−−−>(# ̄  ̄)←馬場
o(T△T=T△T)o ジタバタ←酒井
448 :
名無しさん@社会人:04/09/13 17:06:26
ルーマンつながりで、何か面白い事を言ってくれよ↓
ルーマン釣り?
泰斗だって、泰斗・・・泰斗という言葉を知らない人は
辞典で調べてみてくれ。
451 :
名無しさん@社会人:04/09/13 21:30:55
しょうがない。↓の人がまとめてくれ。
452 :
名無しさん@社会人:04/09/13 21:55:33
たいと【泰斗】その方面の大家として仰ぎ尊敬される人。権威者。
三省堂 新明解国語辞典 第5版[小型版]より
つまりルーマンの権威者という意味のリングネーム。
村上先生、翻訳の本文で解説が暴走 w
訳注にすべきじゃないか?
455 :
名無しさん@社会人:04/09/15 09:33:55
新刊のことですか?
456 :
名無しさん@社会人:04/09/15 10:06:20
みんなドイツ語はどれくらいできるの?
You can easily recognize from this sentence that my writing ability
in German is astonishingly proficient.
458 :
名無しさん@社会人:04/09/15 14:40:50
↑ つまり、関西弁に訳すと、「自分はおどろくほどドイツ語ができます」
→「自分はおどろくほどドイツ語はできません」てか?
459 :
名無しさん@社会人:04/09/15 17:08:40
ギャーハッハッハッ、ゲーニン、ゲーニン、ジャーマンゲーニン!
とりあえずコノスレにHidexはいるの?
461 :
名無しさん@社会人:04/09/17 10:01:48
ダメ本ジョージ。
システムにとっては環境とはそのシステムに内在するものとしなければ、
構造主義以前の素朴な主体と客体の二分法になってしまうと思うんだけど。
オートポイエーシスというのは、システムと環境との差異がそのシステムによって
普段に生成される自己参照的機能であるということでしょ?
>>462 環境と区別されるからシステムなのに、その環境がどうしてシステムに内在できるの?
>>462 システム論は素朴な主客二元論だってば。
466 :
名無しさん@社会人:04/09/17 22:31:21
何かまた議論がループしそうなんで、ルーマンさん、再降臨プリーズ!
呼んだ?
468 :
名無しさん@社会人:04/09/17 23:24:12
↑この議論に決着つけてください!
そこで再参入ですよ。
470 :
名無しさん@社会人:04/09/18 03:22:53
おまえ、安い仕事しっかりだろ!!
471 :
名無しさん@社会人:04/09/18 12:37:32
みんなドイツ語で読んでる?
472 :
名無しさん@社会人:04/09/18 18:26:36
ルーマンさん、ここで反論ですよ。システムに引っ掛けて面白いやつ頼みますよ!
もう見てらんない。
消防にも分かるようにルーマン理論を説明キボンヌ
無理です。お砂場で遊んでなさい。
476 :
名無しさん@社会人:04/09/19 00:58:04
結論が出たみたいなんで、ルーマンさんおかえり下さい。また困った時に降臨お願いします。
477 :
泰斗:04/09/19 00:59:12
呼んだ?
478 :
名無しさん@社会人:04/09/19 04:41:22
場違い覚悟で、私などが書き込んでいいのだろうかと躊躇しつつ、書き込みさせて頂きます。
「社会の芸術」という本の購入を注文しようかと考えています。学部生です。
クニール/ナセヒ『ルーマン社会システム理論』をノートをとりつつ三度読み返し、
それとなく納得できたような気がするといった全くの素人です。
素人ながら、大変刺激的な内容でした。
クニール/ナセヒ『ルーマン社会システム理論』を読み、これがどのように
応用されるのかについて興味があり、また多少なりとも「芸術」に携わっていますので、
1,2ヶ月の時間をとり読んでみたいという気持ちがあります。
なにぶん、ルーマンに関しては、先にあげた本以外は読んだことがありません。
ネットで検索しましたが、わかりませんでしたので、ご教授願いたいと思います。
情けない質問になりますが。。
ページ数はどの程度のものですか。
またどの程度の知識前提を必要としていますか(「ルーマン社会システム理論』程度の予備知識で
読むことができるものですか?)
注文すれば即購入してもらるはずですが、値段もはりますし、躊躇する気持ちはあります。
ご教授頂ければと願います。よろしくお願いします。
481 :
名無しさん@社会人:04/09/21 00:23:57
副島
>>478 なに悩んでんだ? 図書館に入れてもらえばいいじゃん。
著者がノレーマソですし、躊躇する気持ちはあります。
ノレーマソは顔が長いですし、スペンサーブラウソとか口走りますし、躊躇する気持ちはあります。
485 :
名無しさん@社会人:04/09/23 00:57:56
みんなドイツ語で読んでる?
486 :
名無しさん@社会人:04/09/23 00:59:52
みんなドイツ語で読んでる?
読んでるよ。なんで何度も聞くんだよ。
おまいは日本語で読んでなさい。
488 :
名無しさん@社会人:04/09/23 01:01:49
ここから専門用語はドイツ語でいきましょう。
490 :
では早速ドイツ語で:04/09/23 03:40:21
D'accord, monsieur. Est-ce que Luhmann est un grand biologiste anglais?
491 :
名無しさん@社会人:04/09/23 09:58:12
わかんねえよ。ルーマンさん、助けて〜↓
No, he isn't.
Humberto Maturana is a biologist.
493 :
名無しさん@社会人:04/09/23 21:39:25
英仏じゃなくドイツ語まだあぁ〜?
Ich bin ein Student.
Что в том Доброго?
小松先生、好きです。
497 :
ジャーマン投げっ放し:04/09/24 15:35:11
土方昭訳『エコロジーの社会理論』(新泉社)の初版(1987)は実に素晴らしかった。
数ページおきに「ビネーレコード」という暗号が出てきて、読者の知的興味をよりいっそう刺激する翻訳になっていた。
果たしてあの暗号が「バイナリー・コード」のドイツ語読みをカタカナに直訳したものだと瞬時に見破れた読者が何人いただろうか?
498 :
名無しさん@社会人:04/09/24 20:23:18
土方訳マンセー!
499 :
名無しさん@社会人:04/09/24 20:23:55
土方訳マンセー!ね、ルーマンさん↓
Ja, Mansei, bitte.
501 :
名無しさん@社会人:04/09/24 23:11:24
もしかしてドイツ語わからず、翻訳しか読んでない人ばかり?
もしかして人文バカり?
503 :
投げっ放しジャーマン:04/09/25 08:45:07
英訳で読めば十分じゃない?
504 :
名無しさん@社会人:04/09/25 18:37:45
日本語訳のどこが具体的に間違っているのよ。ルーマン学者様。
506 :
名無しさん@社会人:04/09/25 19:52:43
日本語訳のどこが間違っているかといえば、やはり
土方が訳していることが間違っているということに
つきるだろう。
「クロス表」を「十字架の図」と訳していたという噂を聞いたが本当か>土方
508 :
名無しさん@社会人:04/09/25 20:08:30
>>506 原書、自分で読めばいいじゃん。
原書も読まず語るのは学部学生ならともかく・・・・・。
509 :
名無しさん@社会人:04/09/25 22:41:53
ルーマンさん、土方訳はど〜なの?↓
日本では原著を読むと立派な学者という指標があるみたい。
原著で読んでそれを日本に紹介すると学者認定みたいな。
>>510 そうだね。
特に日本のルーマン学者は、ルーマンに憑依されるだけ。
ルーマンに憑依されるならまだ立派なもんだ。
実際には(略
>>510 ねえよ。訓詁学の世界でだけだって。
翻訳してもオリジナルな学説が出せるわけではない。
>>513 なにいってんだか。訓古学の世界だってそんなに甘いわけないだろ。
ルーマン訓古学者はたいていドイツ語できましぇん。
何て水準の低い話をしているんだ・・・
ここには学部生しかいないようですね。
じゃあ水準の高い話とやらをしてみて下さい。
実はみんな翻訳しか読んでないね?
ここも語学自慢スレと化しているなぁ
521 :
名無しさん@社会人:04/10/02 22:32:05
同意。
522 :
名無しさん@社会人:04/10/02 23:17:45
漏れは一応ドイツ語のやつもってまし
523 :
名無しさん@社会人:04/10/03 00:12:37
117 :雑感 :03/08/09 10:25
『社会学評論』を見ても、英語の論文ばかり引用しているのに、自分は一本も海外雑誌に発表していない先生方が多い。
要するに海外文献の紹介が彼らの「研究」のようだ。
オリジナリティのある研究もあるようだが、日本人の間でしか読まれていない。狭い仲間の間での評価・批判しか受けていない研究が、国際的に競争力をもてるはずはない。
基本的に問題なのは、日本の社会学界の「閉鎖性」だと思う。外とウチの間に見えない区別を作り上げ、自分たちの世界だけで自己満足し、外の世界と競争しようという意識が低すぎるのだ。
「英語で書かなくてもよい」は、第三者から見ると滑稽な意見だが、こういう風土に慣れてしまうと、当然のように感じられるのだろう。
524 :
名無しさん@社会人:04/10/03 00:22:31
134 : :03/01/23 19:10
理論社会学と呼ばれてるモノの多くは、論理社会学か理屈社会学なんだよな。
論理的にモノを述べてるだけ。理屈こねてるだけ。
理論って反復性が前提なのに、社会学にはそれがないモノが多い。
社会という複雑で揺れ動く対象をテーマとしてるから仕方ない面もあるし、
俺は必ずしも、それは欠点じゃなくて、社会学の可能性とも思う。
でもやっぱり、数理社会学や自然科学から見て、
社会学は「理論」と呼べないよな。一部の哲学にも言えることだけど。
まあ……かくいう俺も「論理(理屈)」社会学やっとります。
ブルデューやらジジェクやらがどうたら、
それらを分析道具として使ってネット社会がどうたら……我ながらクダラネ
分析道具とかカコイイこと言いながら、他人の理屈を借用してるだけ。
論理に破綻がないように、新しい発想と表現をしてるだけ。
ここまで来ると、論理(ロジック)ですらなくて、修辞(レトリック)の世界だよね。
でも、こんなクズな俺でも一流大学院だったりするから社会学って不思議。
誰も語学自慢なんかしていないと思うが・・・
大体、ルーマンをドイツ語で読めると自慢になるのか?
多少の自慢にはなるんでしょ。だから散々このスレでも自慢したがって
いるわけだし。
ドイツ語できないでルーマン語るw
529 :
名無しさん@社会人:04/10/03 02:48:45
ルーマンはルーマン語だろ
530 :
名無しさん@社会人:04/10/03 08:07:03
ルーマンさん、一言。↓
日本語でもかまへんて。
>>524 ま、コピペにマジレスになっちゃうが、
それはブルデューやジジェクなぞを読んでいるからだ。
ルーマンを読め。
どこがマジレスなんだ。と釣られてみる。
534 :
名無しさん@社会人:04/10/03 19:32:57
まあ、もちつけ。
日本の社会学のレベルが低い理由。
・数学ができない
・そのくせ仏独もダメダメだったりする。
ってことの象徴がこのスレ。翻訳でしかわかってない。
テキスト・クリティークの基本は原語で読むことだ。
>>524 ブルデューは実証主義者じゃないのか?
たしかに旧態依然とした実証主義者ではないだろうが。
>>532 ルーマンこそ理屈のこねくりまわしの典型的社会学者じゃないの?
538 :
名無しさん@社会人:04/10/12 18:28:04
↑こんな事言われてますよ、ルーマンさん。反論してください。↓
539 :
D'accord.:04/10/12 21:44:36
Je suis le sociologue le plus intelligent dans le monde.
10行くらいレスしてくださいよ(w
541 :
名無しさん@社会人:04/10/12 22:04:14
ルーマンの熱狂的な読者がいっぱいいる国って知ってる?
542 :
名無しさん@社会人:04/10/12 22:04:41
ルーマニア
543 :
名無しさん@社会人:04/10/13 03:08:24
↑うまい!
544 :
名無しさん@社会人:04/10/13 03:49:10
なんでルーマニアなの?
社会学人気あるの?
_| ̄|○
546 :
名無しさん@社会人:04/10/13 15:51:20
547 :
名無しさん@社会人:04/10/13 17:24:44
↑本当のバカきたーーーーーー!
548 :
hidex7777 ◆mQhidexIOw :04/10/13 18:32:51
544はうまい。
>>537 たしかにルーマンの書物は
理屈のこねくりまわしに思えても仕方がないね。
システム論なんて素人目にはそう映っても仕方ない。
玄人目には理屈のこねくりまわしじゃないんですか?
551 :
名無しさん@社会人:04/10/13 21:52:47
>>549 >理屈のこねくりまわし
その「理屈」がレトリカルすぎて、論理的整合性が弱い。
大澤真幸の『行為の代数学』のような数学的形式化・体系化がないと、社会システム論はレトリカルな「理屈のこねくりまわし」におちいりがち。
552 :
名無しさん@社会人:04/10/13 22:02:08
↑大澤、キター!
定期的に釣り人が出てくるな。
↑行為の代数学とか言ってますよ黒木さん。どうしましょ↓
555 :
名無しさん@社会人:04/10/14 00:32:42
公文式からやり直せ。
>>551 大澤の方がよほど「理屈のこねくりまわし」と感じるが。
557 :
名無しさん@社会人:04/10/14 00:39:15
ドイツ語も算数も出来ない連中には永遠にルーマンなんてわかりましぇんよ。
どなたか、再参入(re-entry)とは何か説明して下さい。
559 :
名無しさん@社会人:04/10/14 01:51:39
ルーマンさん、お願いします↓
560 :
名無しさん@社会人:04/10/14 20:48:11
ルーマンの近代の観察って読みずらいね。
社会システム論もこうなの?
561 :
名無しさん@社会人:04/10/14 22:46:30
システム論は読物というか…
この人はオートポイエーシスと言い出す前の方が面白かったね。
563 :
名無しさん@社会人:04/10/14 23:55:07
この人の社会システム論は宮台のパクリらしいよ。
564 :
名無しさん@社会人:04/10/14 23:59:20
566 :
名無しさん@社会人:04/10/15 00:03:09
ルーマンの論文、
Politische Verfassungen im Kontext des Gesellschaftssystem, 1973
Verfassung als evolutionaere Errungenschaft, 1994
って、某先生が良く引いてるけど
これって、邦訳ないわけ?
二外はフラ語だったので、ドイツ語はサパーリ読めません
土方訳でもいいから、教えてm<(. .)>m
568 :
名無しさん@社会人:04/10/15 21:23:51
ない。
誰かカードボックスって実際に見たこと無い?
そんなうまい整理方法があるんなら真似したいんだけど
どういう風にやるのかよくわからん
571 :
名無しさん@社会人:04/10/17 14:08:52
坂板元の講談社現代新書にカードについて載ってるよ。
坂板じゃなくて板坂。
って釣りか?
板坂とか野口とかに言われてもなあ。
ルーマンのカードシステムだからこそ、興味があるのに。
574 :
名無しさん@社会人:04/10/17 21:26:04
572 ただの変換ミスです。ごめんなさい。
カードボックスが勝手にアイデアを生み出してくれる・・・
そんなことが本当に実現したらいいなあ・・・
576 :
名無しさん@社会人:04/10/18 00:19:21
このドラエモン頼みののびた野郎が
577 :
名無しさん@社会人:04/10/18 01:42:07
本丸は、たるるーと頼みじゃねえぞ、ノビタが!
カードシステムが公開されたら、あの世にいるルーマンとしては
恥ずかしいだろうな
基本的に他人に見られる前提で書いてるわけじゃないから
漏れは、手帳を忘れて知人に拾われた経験があるけど
中身を見られて死ぬほど恥ずかしかった
カードシステム公開したら、ルーマンの霊も浮かばれないだろうね
それでも、ルーマン信者は見たがるんだろうか
いや、生前でも他人に見せていたと思ったが。
カード並べながら思いつきをしゃべる。
それを隣にいる人が書き取る。
それが本になる。
That's 晩年のルーマンスタイル。
∧_∧
( ´∀`)
( )
| | |
(__)_)
今のインターネット上の情報ってあちこちにリンクが張り巡らされているけれど、
思えばルーマンのカードシステムってその先駆けみたいなもんだったね。
583 :
名無しさん@社会人:04/10/18 19:16:42
ノレーマソさんはだめだ! ブラックジャック先生、お願いします↓
584 :
間黒男:04/10/19 12:03:35
では3000万円現金で頂こうか。
理学部の人間なんすけどシステム理論勉強したいんです。
1冊目にゲオルグクニールの本がよいってどっかで見たんで読もうと思うんですが
2冊目には何が良いでそゆか?
ルーマンさんの研究をしている人に質問です。
人文丸出しで恥ずかしくない?
中途半端な数理社会学の方が恥ずかしいです。
数理社会学ってどれだけの功績を出しているの?
587が自分の論文リストを出せばいい
591 :
名無しさん@社会人:04/10/19 21:04:59
Q「何を専攻されているんですか?」
A「ルーマン訓詁学です。ちなみにドイツ語わかりません。」
でも、ルーマン訳している人もドイツ語分かっていなかったりする。
馬場先生すら誤訳あり。
誤訳が恥ずかしい訳じゃない。
人文である。そのこと自体が恥ずかしいこと。
594 :
名無しさん@社会人:04/10/19 23:56:06
人文である。そのこと自体は恥ずかしくない。
文学・歴史の前で社会科学系のふりをし、経済・法律の前で人文になる。
この態度が一番恥ずかしい。訓詁学系ってたいがいそういう態度取る。
いや、人文はそれ自体恥ずかしいことだと思う。
人文てなに?
うーん、ルーマンのどこが人文なんだろう?
まあ明らかに理論まともにやってない人のやっかみなんだろうけどね。
何でもかんでも人文て言ってれば多少は気は紛れるかもしれないけど、
社会学がきちんと学問として成り立つには、きちんとした理論が必要で、
今のところどう見てもルーマンを越える水準のものはない。
実際、ルーマンの理論は実証的にも実に使いやすい。
かなり整理されているから、ややこしいルーマン解釈学にも
陥りづらいし、さらに言えば「ルーマン」という著者を持ち出すこと抜きでも
利用できる(から、実際ルーマンに言及することなく彼の概念や
アイデアを用いる人がごろごろいる)。
>596
科学ではありえないもの。
経験的検証不可能な、「理論」という名の思想・哲学。
うーんん、、
印象論でいいかな?
るーまん=廃れてる
あくまでも、印象ね。
俗流マルクス主義のように、俗流ルーマン主義ができつつあるね。
>>598 でもまあ、人間を扱うあらゆる学問は、結局
あいまいなものを持ち出すしかないんだけどね。
「利害」「効用」「動機」「期待」・・・
物理的に見れば、ある人の身体行動を「動機」とか
「利害」などという非物理的観念の作用として説明するのは、
それ自体まやかしということになる。
究極的には、「意思による選択」も因果作用によって
説明すべきだろうし、そうなれば心理学も経済学も社会学も
皆、脳生理学と物理学に吸収されるべきなんだろうな。
>>601 でも、いまある社会制度はそういう思考法で成り立っていないよ。
自然科学厨は近代初期からずっといるわけだが、
結局社会学的に見ると、それも一つの信念に他ならないわけだよ。
ラ・メトリのような古典的機械論者も、
昨今の脳生理学者もメンタリティーは一緒。
人文厨は近代初期からずっといるわけだが、
結局社会学的に見ると、それも一つの宗教に他ならないわけだよ。
麻原のようなカルトも、
昨今のルーマン・ファンもメンタリティーは一緒。
早い話が、社会学それ自体が人文だと。
実証だなんだと言っても、まだ社会を脳生理学的な次元から物理的因果的に
説明しえてないからな。
「常識」によりかかって「人格」だの「動機」だの「規則」だの
それ自体説明されねばならない観念に依存しているうちはまともな科学じゃないよ。
実証主義的社会学、などといっても自然科学から見れば人文といっしょ。
まともな科学扱いされてないしね。
社会学嫌いのみなさんは経済学は科学だと思ってるのかしらん?
608 :
名無しさん@社会人:04/10/20 17:27:28
経済学が科学であるか否かはともかく、社会学は人文(笑
つうか自然科学者の方法まんまで社会的事象を扱えないのは自明だし。
>>609 そうだね。何をどういうレベルで説明するかってこと。
もっとも、ルーマンも怪しげな論理学を振り回して
「科学」を装うのはどうかと思うけど・・・
611 :
名無しさん@社会人:04/10/20 19:36:05
つっか単に数学もドイツ語もできない奴は馬鹿です。ルーマンでも誰でもいいが、他人の引用、それも翻訳なら学部学生でも出来る。
612 :
名無しさん@社会人:04/10/20 19:38:20
数 学 ル サ ン チ マ ン を 何 故 に ル ー マ ン 好 き は 持 つ の か ?
こ れ 自 体 が 社 会 学 の テ ー マ た り う る で あ ろ う 。
613 :
名無しさん@社会人:04/10/20 19:39:40
134 : :03/01/23 19:10
理論社会学と呼ばれてるモノの多くは、論理社会学か理屈社会学なんだよな。
論理的にモノを述べてるだけ。理屈こねてるだけ。
理論って反復性が前提なのに、社会学にはそれがないモノが多い。
社会という複雑で揺れ動く対象をテーマとしてるから仕方ない面もあるし、
俺は必ずしも、それは欠点じゃなくて、社会学の可能性とも思う。
でもやっぱり、数理社会学や自然科学から見て、
社会学は「理論」と呼べないよな。一部の哲学にも言えることだけど。
まあ……かくいう俺も「論理(理屈)」社会学やっとります。
ブルデューやらジジェクやらがどうたら、
それらを分析道具として使ってネット社会がどうたら……我ながらクダラネ
分析道具とかカコイイこと言いながら、他人の理屈を借用してるだけ。
論理に破綻がないように、新しい発想と表現をしてるだけ。
ここまで来ると、論理(ロジック)ですらなくて、修辞(レトリック)の世界だよね。
でも、こんなクズな俺でも一流大学院だったりするから社会学って不思議。
数 学 ル サ ン チ マ ン を 何 故 に ル ー マ ン 好 き は 持 つ の か ?
こ の 問 い 自 体 が 数 学 ル サ ン チ マ ン で あ ろ う 。
615 :
名無しさん@社会人:04/10/20 20:39:57
数 学 出 来 な い か ら 社 会 学 ♪
数 学 出 来 な い か ら 社 会 学 ♪
数 学 出 来 な い か ら 社 会 学 ♪
数 学 出 来 な い か ら 社 会 学 ♪
数 学 出 来 な い か ら 社 会 学 ♪
数 学 出 来 な い か ら 社 会 学 ♪
数 学 出 来 な い か ら 社 会 学 ♪
数 学 出 来 な い か ら 社 会 学 ♪
616 :
名無しさん@社会人:04/10/20 20:41:03
知の欺瞞で叩かれた電波学者は数学ルサンチマン
そんな電波を信奉してたアホはきっと614。
ルーマンは数学といっても、スペンサーブラウンだからねえ。
人文や哲学などが一般的にクダラナイかどうかは
このスレとは関係ないだろ
知の欺瞞で叩いてたほうのソーカルにしても、
人間認識を客観的実在の近似的反映と言っている
のだから、ある意味で唯物論哲学の立場に近いと言える
だから哲学一般がクダラナイのではなく、中身によって
判断すべきだろう。ポストモダン系哲学がレトリックに
陥っていてクダラナイってのは同意
ルーマンのラディカルな構成主義認識論というのも
まあ、間違いなくクダラナイ部類だろうね
ルーマンの認識論の水準は凡庸だと思うね
そういう漏れは社会科学系(非社会学)
複雑性の縮減なんて分かりやすい話だよね。
閉鎖性と開放性の話も、知ってしまえばつまらん。
620 :
名無しさん@社会人:04/10/20 22:00:59
ドイツ語もフランス語もできずにルーマンだのブリュデューだのほざくDQN
ドイツ語もフランス語も両方出来てもDQNはDQN
むしろドイツ語やフランス語が出来るくらいで(ry
理論書を読む能力というのもあるだろう
反人文厨にもdqnは多い。
623 :
名無しさん@社会人:04/10/21 01:34:27
ここチンコの周りのいぼいぼの数報告するスレにしようぜ
俺24個だった
624 :
名無しさん@社会人:04/10/21 01:47:21
625 :
名無しさん@社会人:04/10/21 20:59:07
ドイツ語もフランス語もできずにルーマンだのブリュデューだのほざくDQN
は算数も出来なくて数理社会学を叩きたくなる。
こういう連中のいう理論書なんて翻訳なら学部生でも読めるものばかり・・・・・。
こうして日本社会学会は数理社会学会に完全に凌駕されていくのであった・・・・。
で、数理社会学の業績リストは?
よくある理論嫌いはわかるが、数理社会学と言われても、ねえ・・・。
個人的には嫌いじゃないし、ゲーム理論も部分的には有効だと思う、
が・・・
数理社会学って社会のなにを解明したの?
629 :
名無しさん@社会人:04/10/22 02:29:25
それはともかく、ルーマンこやってる香具師は人文確定ということで。
630 :
名無しさん@社会人:04/10/22 04:04:34
>それはともかく
w)
相変わらず、すごい低いレベルの争いだな・・・
ガキのケンカかよw
この世に大人はいないよ。いるのは、大人ぶったガキばかりだ。
635 :
名無しさん@社会人:04/10/22 12:55:28
636 :
名無しさん@社会人:04/10/23 03:00:12
ルーマン読むと賢くなれますか??
>>636 ルーマンに詳しくなれる。それだけです。
まんこ不動産
社会の社会、読んだ人います?
数理社会学を勉強して何かの役に立ちますか?
それはともかく
ルーマンって誰?イケメンなの??
643 :
名無しさん@社会人:04/10/24 22:44:22
イケメンであったかどうかは定かではないが
ハ ゲ で あ っ た
ということは確実に言うことができる。
ルーマンの知性にハーバーマスの髪の毛が加われば
史上最強の社会学者になっただろうな。
パーソンズもハゲだったよね。
お前ら、レベル低いな
648 :
名無しさん@社会人:04/10/26 01:14:52
システム論...
薄毛現象は、いったいどのような複雑性を縮減しているのか。
>>649 あるいは複雑な女関係を築けるかもしれない可能性の縮減。
>>650 そうでもないのですが、どんな確変が漏れには起きているのですか?
>>651 人文とは電波の異名であるという、至極当然の認識を獲得する可能性の上昇。
換言すれば、dqからの一抜け。
>>652 違う違う。
ハゲなのに複雑な女関係を築けてしまっているのです。
この悩みでますます毛髪が縮減されていきます。
>>653 ハゲとモテかたは直接の関係はなし。
ハゲ・システムは抜ける/抜けないのコードで作動していて、
恋愛システムはモテる/モテないのコードで作動しているから。
そ れ は と も か く
人文とは電波の異名であるという
w
今見ると不思議な世界でした。ありがたう
ま、〜さんを研究してます、
なんて事は、数歩譲って学問だとみなしてあげたとしても、
社会科学のそれではないよな。
控えめに見ても。
草稿の一部の読み合わせ作業にご協力いただいた、
酒鬼薔薇聖斗氏を初めとするメーリングリスト
「バモイドオキ神・フォーラム」のメンバー諸氏には
特に謝意を表しておきたい。
660 :
名無しさん@社会人:04/11/29 08:24:35
なんなのこのスレ?
661 :
名無しさん@社会人:04/11/30 05:17:57
宮台さん、一般向けの本を書いているのだから、こんどわかりやすいルーマンのチャート式参考書書いてちょ。
読者はど素人を想定してね。パソコンの超図解シリーズみたいなので。
662 :
質問:04/12/05 12:57:19
どなたかdouble contingencyを初めて二重の偶発性って訳した人は誰だかご存知ですか?
663 :
名無しさん@社会人:04/12/05 13:04:15
ルーマンじゃなくて、パーソンズを訳した人だろうな。
664 :
質問:04/12/05 13:10:56
>663
あ,そうなんですか。
ということは,パーソンズのdouble contingencyを「二重の条件依存性」,ルーマンのdouble contingencyを「二重の偶発性」っていうように区別して訳がなされているわけじゃないのですね。
佐藤勉訳『社会体系論』では「二重の条件依存性」と訳されていることからも
わかるように、パーソンズ研究者の間では佐藤訳の通りかカタカナ表記が一般的で、
「偶発性」という語は使われていなかったし、パーソンズ理論では「条件依存性」で
無問題だった。
その後ルーマンはdoppelte Kontingenzは単なる依存性ではないと主張しつつ、
スコラ哲学に依拠してKontingenzを「必然性と不可能性の両方が否定されている
こと」として定義した。そうすると内容的に考えてKontingenzを「条件依存性」と
訳すのはまずいということで、偶発性という訳語が採用された。
こうしてルーマンにおけるdoppelte Kontingenzは「二重の偶発性」と訳されるのが
普通になった。
誰が最初かは知らんがね。H方親子かも。
666 :
名無しさん@社会人:04/12/05 14:49:55
でも「偶発性」ってよく意味わかんねえ。
「偶然性」よりかっこいいかなとは思うけど。
667 :
質問:04/12/05 15:23:23
>>665 とてもわかりやすい解説ありがとうございました。ということはやはりパーソンズとルーマンそれぞれが用いるdouble contingencyの概念の際を計るために日本語の訳語が違うわけですね。
最初に「二重の偶発性」という訳語を用いたのは誰かはご存じないですか?
668 :
質問:04/12/05 15:25:01
>>667 訂正「際を計る」→「差異を図る」です。失礼しました。
669 :
大阪の某女子大生:04/12/05 16:42:13
どうか皆さん教えてください!
私は大阪の女子大生です。実は
くじで外れてルーマン狂の先生のゼミに入ってしまい、
今度レポートの番がまわってきました。
課題は「ルーマンの法の妥当性」なのですが
4000字なんて書けそうにもありません。
何をどのような順でかけばいいですか?
また、結論は(ルーマン狂の先生お気に入りにするため)
どのようにもっていったらいいですか?
どうか、みなさんヒントをください。
宜しくお願い申し上げます。大阪Y・A子
>ルーマン狂の先生
福井康太?
671 :
質問:04/12/05 17:56:37
>>669 本当の女子大生は自分のことを女子大生なんていわないもんだ。
>>669 本当の女子大生は自分のことを女子大生なんていわないもんだ。
673 :
大阪の某女子大生:04/12/05 18:12:22
皆さん、669についてのヒントをください。
本当もなにも10日までに書き上げないとです。
時間がないので、どうか力を貸してください。
嫌いっていうわけでもないんですが
くじ運が悪いのは生まれつき・・・・・。
とにかく、書かねばです。ヒントください!
674 :
大阪の某女子大生:04/12/05 18:46:33
コーネル派の先生とルーマン派の先生は
見解が対立しているのでしょうか?
つまり、ルーマン派の先生に
コーネルの解釈が妥当と書くとマズイのですか?
675 :
名無しさん@社会人:04/12/05 18:56:50
福井康太の本を読め。
それがメンドイなら上記本の書評を読め。
676 :
大阪の某女子大生:04/12/05 19:02:11
社会人さん、恐縮です。
本当に困っています。有難うございます。
ところで、すみません、上記本とは何の本でしょうか?
あとルーマン派の先生に
コーネルの解釈が妥当と書くとマズイのですか?
少しは読んだのですが、論理的な思考が苦手で
どうも理解できず、時間もせまってて・・・。
助けてください。
677 :
名無しさん@社会人:04/12/05 19:42:53
>女子大生
天才ババボンを引用することをお忘れなく。
これ絶対。
一般的なことかいときゃいいんじゃないの?
福井氏の「法理論のルーマン」から適当に抜き出して。
679 :
大阪の某女子大生:04/12/05 20:52:24
有難うございます。
・・・その>適当にというのがわからないんです。
ここに書き込む立場の者じゃないんですが
なにせ、そのくじがはずれて・・・。
それで、どんな結論にもっていくのか
そのために、どのへんを書けばいいのかと
思って、思い切って(&せっぱつまって)書き込みしました。
アホで、すみません。
680 :
名無しさん@社会人:04/12/05 21:12:40
法が妥当するのは、そう法で決めたからだ。
これがルーマン派の結論です。これを目指してください。
先生はルーマン狂なら、たぶんこのスレを見ているだろうな。
教え子に何かアドバイスないのかい?(w
今度レポートをするバカ女には問答無用で不可をつけます!
682 :
名無しさん@社会人:04/12/05 22:14:58
嘘でも、「当たりくじでルーマン」と書くべきだったw
683 :
大阪の某女子大生:04/12/05 22:19:37
ありがとうございます。
>法が妥当するのは、そう法で決めたからだ。
>これがルーマン派の結論です。これを目指してください。
ここまで行き着くか不安・・・あほ学生ですけど、大阪市内に就職内定
で、卒業かかってます・・・くじ あたりです。
これから、がんばります。
みなさん、助けて・・・。
685 :
名無しさん@社会人:04/12/05 22:36:00
法の妥当性についてルーマンがどう考えたのかを
素人がいきなり4000字も書くのはつらいだろう。
jこういうときは、法の妥当性についてルーマン以外の
学者たちがどう考えたかを書くのと、ルーマンとはどう
いう人なのかを書くので字数を埋める。どちらも入門書
やネットでも検索できるはず。
686 :
大阪の某女子大生:04/12/05 23:29:44
てゆーかぁ、みんな出し惜しみしないでさっさと教えなよ。
どうせルーマンキチガイのあの教師と同じでキモオタ揃いなんだろ?
キモイんだよ、おめーら。
閉鎖性とかいって、ひきこもって
あたしをオカズにマスかいてるんじゃねーぞ、こら。
1人800字ずつ、この下に書きな。5人で完了じゃん。
こっちは彼氏とデートで時間がないんだよ!
687 :
名無しさん@社会人:04/12/06 00:04:25
>大阪の某女子大生さん
いやいや、決して出し惜しみしているわけでなくて、
ちょっとまとめるのに時間がかかったんですよ。
名前欄に僕の名前 山崎渉 と入れて書き込んで
くだされば、私がまとめたレポートが読めます。
あまりうまくまとまってませんけど、参考にしてください。
688 :
大阪の某女子大生:04/12/06 00:15:27
>名前欄に僕の名前 山崎渉 と入れて書き込んで
>くだされば、私がまとめたレポートが読めます
ありがとうございます。
どこの名前欄にいれるのですか
ここの書き込みにいれましたが
本文がないとエラーがでました。
お手数かけます。
ちなみに686は私がかいたものではありません。
689 :
名無しさん@社会人:04/12/06 00:24:56
あなたが「大阪の某女子大生」と書いてあるところに 山崎渉 と入れてください。
そして本文には Luhman LAW と書いて下さい。
690 :
名無しさん@社会人:04/12/06 00:27:24
おっと、Luhmann、か。。。orz
山崎は危険。
692 :
名無しさん@社会人:04/12/06 01:50:03
おいおい、ちゃんとアドバイスしてやれよ。
『電車男』に続く新たな2chの伝説が花開くぞ。
『ルーマン女』とか。
693 :
名無しさん@社会人:04/12/06 02:00:46
ネットで検索したそれらしい文章を適当に切り張りして、
あらできあがり、これ最強。
文句を言われたら、ベンヤミンの夢想を実現しましたと言う。
694 :
名無しさん@社会人:04/12/06 02:07:06
酒井泰斗という人のblogに言って
質問してみると、何でも丁寧に教えてくれますよ。
強烈な電波だけどね
酒鬼薔薇 聖斗と名前がにている。
ルーマンをやっているらしいし、きっと酒鬼薔薇を尊敬する一人なんだろな。
697 :
i60-35-4-239.s04.a011.ap.plala.or.jp:04/12/06 10:56:19
Luhman LAW
698 :
名無しさん@社会人:04/12/06 15:51:33
ドイツ人にありがちなNが2個のマンなんだけど、
しかし、やっちゃいましたな。
689は責任を持ってレポートをアップすること。
それが社会学的啓蒙ということです(ナンノコッチャ)。
699 :
名無しさん@社会人:04/12/06 18:43:43
>大阪の女子大生さん
ルーマン狂の先生がここを見ていないといいですね
ふふふ
700 :
名無しさん@社会人:04/12/06 21:55:31
みんなひどいよ。
ピュアなハートはどこに行ったの?
702 :
名無しさん@社会人:04/12/07 09:53:10
てゆうかを使う時点で、30歳以上w
703 :
名無しさん@社会人:04/12/07 11:31:28
> 強烈な電波だけどね
どの辺が?
肉入り・ピーマン
ダグラス・マッカーサー
ニコラウス・クザーヌス
708 :
名無しさん@社会人:04/12/13 01:53:37
>>702 そうなんだ! 三十路しか使わないのか!
俺、連発してるわ!! わー恥ずかしい!
三十路の・ウーマン
佐久間さん、見てますよね?
でも、小松さんが好きなんです。
ごめんなさい。
>>710 本人明らかにこのスレ見てるね。
でも話題が出ただけでプライベートモードにするなんて
ちょっと自意識過剰気味。
・・・って、かいたらまた降臨したりして(w
ルーマンとデリダには多くの共通点がある。
ルーマンは実際、デリダの思想を参照しているし、批判的な部分はあれ、
社会システム論の再構成においてかなりの程度影響をされているでしょ
715 :
名無しさん@社会人:04/12/27 16:55:32
北田暁大ってルーマン論者としてはどうなんですか?
716 :
名無しさん@社会人:04/12/27 22:08:06
どうなんでしょw
717 :
名無しさん@社会人:04/12/27 23:46:36
>>715 ルーマン論者って・・・
そもそも北田にまともなルーマン論なんてないだろ。
718 :
名無しさん@社会人:04/12/28 00:24:26
ローティとかルーマンとか
適当に言ってみているだけでしょ。
719 :
名無しさん@社会人:04/12/28 03:34:45
つうか、このスレみてて、誰もルーマンわかってなさげ。
しかも自覚ありげ。
俺は間違いなくルーマンって適当に言ってみてるだけ。
720 :
名無しさん@社会人:04/12/28 12:12:24
われこそは日本一のルーマン読み!!
馬場でも酒井でも、かかってこいや!
721 :
名無しさん@社会人:04/12/28 12:27:24
>>721 ルーマン本のツン読日本一だけど、何か質問でも?
723 :
名無しさん@社会人:04/12/28 13:04:41
>>722 ヘーゲルの『大論理学』と後期ルーマン理論との関係を教えて下さい。
>>723 実に簡単な質問だけど、いまちょっと忙しいんだ。
酒井くんのブログに書き込むと親切に答えてくれるよ。
ドイツ語読めずにルーマン語って楽しい?
726 :
名無しさん@社会人:04/12/30 03:53:56
というより、なんで今さらルーマンやってんの?
727 :
名無しさん@社会人:04/12/30 07:48:13
ルーマン訳だれのがいい?
729 :
名無しさん@社会人:04/12/30 09:29:42
馬場は『社会の芸術』だけ訳注がやたら熱心(w
731 :
名無しさん@社会人:04/12/31 12:14:19
カオス理論: 物理現象は決定論的な法則に従う(依存する)
だから予測可能
しかし、物理現象は「初期条件への敏感な依存性」の為、予測が不可能になる
たとえば、一匹の蝶の羽ばたきが、三週間後の気候を大きく変える可能性がある
二重の偶発性:すべての現象が他の現象に依存するため、どんな現象も全く予期することが不可能
よって偶発的になり、合意は成り立たず、根拠なき信頼(たぶんうまくいくだろう)
しか成立しなくなる
どの現象も永遠に依存しあうので決定は無限に先送りされる(オートポイエーシス)
こういうことですか?
酒井くんのブログみたら、もう2chは見てません
なんて書いてあった
見てるくせに www
734 :
名無しさん@社会人:04/12/31 23:12:25
735 :
名無しさん@社会人:05/01/01 00:54:54
クリッチリーは、まず現代哲学の地勢図を「知識」対「知恵」という古典的な対立軸を設定することによって描き始める。
分析哲学が目指すのは「知識」の探求であり、その場合の知識とは何よりも自然科学的知識を意味する。
哲学的問題はすべて科学的方法に基づく経験的・因果的探求によって解答が与えられるのであり、哲学者の役割は「科学という水晶宮の用務員」にとどまる。
現代分析哲学の主流は、濃淡の差はあれ、このような「自然主義」への傾向性を分け持っている。
それに対して、大陸哲学は「知恵」の探求を第一義的なものと考える。
哲学がそもそもの初めから取り組んできた「人生の意味」や「よく生きる」といった問題圏へのこだわりである。
しかし、このこだわりが度を越して「科学の拒絶」にまで行き着き、「経典の釈義」に明け暮れるようになると、哲学は学問性を失い、哲学者はこけおどしの秘教的ジャーゴンを振り回す「尊師」とその口真似をする忠実な「弟子」とになりさがる。
野家啓一
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000268724/qid%3D1104359929/249-1006186-7285906
いつのまにソーカル・スレになったんだよ。
ルーマンのネタないの?
738 :
名無しさん@社会人:05/01/03 00:48:57
>>733 いや別にこんなところチェックする必要ないでしょ。
739 :
名無しさん@社会人:05/01/03 01:39:14
ところがチェックしまくりなんだな。
どうでもいいだろ。ネタとしても相手するような文章でもないし。
自己言及されてるんだから当然見るだろ。
自分のことが話題にされているのを知っていたら、
誰だって気になる。
それを我慢するってのは、普通は無理だ。
・・・でも、酒井タンには優しくしてあげてね。
僕らのアイドルなんだからさ。
自己言及も何もわかりやすい文体で何回も書き込みして
はしゃいでるから話題になるだけだろ。大体哲板のブログスレでも
たまに話題になるけど、文章の内容の話題が出たこと
なんて全然無い。文章が話題になっても反応がキモいとかそんなん
ばっかだし。
まじでどうでもいいから話題にすんな。
743 :
名無しさん@社会人:05/01/05 00:30:46
ぶっちゃけ、哲学でも社会学でも似たようなもんだな。
大真面目な人には悪いが、妄想科学小説並だと思う。
> 妄想科学小説並だと思う
どの辺が?
具体的に言ってくれるとウレスィです。
745 :
名無しさん@社会人:05/01/07 04:55:32
酒井泰斗ってそもそも何してる人なの? 宮台のゼミに通ってる(た?)とか、
全然人物像がみえてこないんだけど。
どうでもいいっしょ。
スレ違い。
747 :
名無しさん@社会人:05/01/07 09:19:23
カルトクイズ泰斗
第1問 泰斗は10代半ば、どうやって生き延びたか。三択
1.岩波文庫の仏教経典とニーチェを支えになんとか生き延びた
2.プレイボーイとGOROをおかずになんとか生き延びた
3.ドラえもんとドラミちゃんを支えになんとか野比のび太
社会構造とゼマンティクが無いなあ。
ところで
William Rasch, Niklas Luhmann's Modernity: The Paradoxes of Diffentiation
読んだ人いたら感想キボン。
酒井タンのブログ見ると、日本語の本ばっかり
紹介されてるけど、ドイツ語も読めるんだよね?
750 :
名無しさん@社会人:05/01/08 12:22:15
ヒドイヒドイって言われてる土方訳だけどさ、
具体的に、どういう箇所がヒドイわけ?
もれはドイツ語分かるから、具体的に指摘して
ほしいんだよね。
> 「ビネーレコード」
これだけだと、ちょっと弱い。87年出版ってことは、翻訳作業は86年とかだろ。
そのころは、まだインターネットもなく、144のパソ通くらいだから、
バイナリーという言葉を知らなくても無理はない。漏れもそのころはバイナリー
なんて言葉しらなかったよ。今でこそ知られているけど。
だから音訳に走ったって、それほど非難できないだろ。
具体的に指摘しる!
751 :
名無しさん@社会人:05/01/08 19:13:43
宮台に何教えてもらってるんだろうね。ちょっと意外だな。
酒井って宮台の弟子なの?
753 :
名無しさん@社会人:05/01/09 13:13:33
ルーマンなんて、全部ゲーム理論で説明できる典型だな。
754 :
名無しさん@社会人:05/01/09 13:42:21
結局、土方訳のヒドサは論証できずか・・・
馬B、S井あたりの流言蜚語じゃないんだろうな(w
755 :
名無しさん@社会人:05/01/09 13:55:24
そんなことない。
756 :
名無しさん@社会人:05/01/09 23:56:20
ルーマンなんて、ゲーム理論に取って代わられてるじゃんw
ゲーム理論って言いたいだけかい?
758 :
名無しさん@社会人:05/01/10 03:16:26
『社会の芸術』の中身を全部ゲーム理論で説明してくれ
漏れ様の訳を舐めるなよ!
760 :
名無しさん@社会人:05/01/10 15:53:12
これからの社会学者の必須条件(これができないとドキュソ)
・統計学が出来る
・ゲーム理論が出来る
・微分方程式でモデルが作れる
>>760 スレ違い
ゲーム理論厨は、逝ってよし。
何とかの一つ覚えみたいで恥ずかしいぞ
762 :
名無しさん@社会人:05/01/10 18:52:21
ゲーム理論家でルーマン読んでる連中多いんだけどね。
最近ゲーム理論の本読んだけど、確かに参考になる箇所多いとは思う。
ただ、たとえばそこから近代における機能分化についてとか、
近年の福祉国家の変容の分析へと直接行き着けるとは思えない。
いずれにせよ、相互に否定し合う関係には無いだろう。
向きになって対立を煽り立てることには何の意味も無い。
764 :
名無しさん@社会人:05/01/10 20:18:04
ゲーム理論家はルーマン読めるが、
ルーマン訓詁学徒は数学出来ないからゲーム理論わからない・・・・
>>764 わかったわかった。
ところで行為と体験についてルーマンが詳しく論じている論文って無い?
ハバマスルマーン論争と「社会システム論」は読んだんだけど。
766 :
名無しさん@社会人:05/01/10 22:51:44
社会システム論の上巻にくわしくのってるよん
767 :
土K昭:05/01/11 10:32:23
舐めるなよ!
「セックスは男にとっては行為だが、女にとっては体験だ。」
二クラス・ルーマン
769 :
名無しさん@社会人:05/01/11 23:21:49
a
770 :
名無しさん@社会人:05/01/12 17:30:31
ルーマン・デリダの論争を読みたいんですがどの本を買えばいいのか教えてください
772 :
名無しさん@社会人:05/01/12 18:43:13
「社会の芸術」を買おうとしたが分厚さに驚きやめた。俺の判断は正しかったのか。
>>772 分厚いとは思わんが読まなくても困りはしない。
774 :
名無しさん@社会人:05/01/13 05:12:39
>>773 分厚いと思わないって凄いなw
邦訳800ページくらいあるがあれは大著ではないのか…
>>774 日本語で読むんだろ?
厚いとかいうなよ。1冊なんだし。
776 :
名無しさん@社会人:05/01/13 15:28:47
宮台先生のルーマン解説書を読みたいなあ
777 :
名無しさん@社会人:05/01/13 15:35:12
宮台真司
(一橋大学大学院社会学研究科教授)
778 :
名無しさん@社会人:05/01/13 17:55:47
宮台: 吉いくぞう問題を理解するだけで十分
クリッチリーは、まず現代哲学の地勢図を「知識」対「知恵」という古典的な対立軸を設定することによって描き始める。
分析哲学が目指すのは「知識」の探求であり、その場合の知識とは何よりも自然科学的知識を意味する。
哲学的問題はすべて科学的方法に基づく経験的・因果的探求によって解答が与えられるのであり、哲学者の役割は「科学という水晶宮の用務員」にとどまる。
現代分析哲学の主流は、濃淡の差はあれ、このような「自然主義」への傾向性を分け持っている。
それに対して、大陸哲学は「知恵」の探求を第一義的なものと考える。
哲学がそもそもの初めから取り組んできた「人生の意味」や「よく生きる」といった問題圏へのこだわりである。
しかし、このこだわりが度を越して「科学の拒絶」にまで行き着き、「経典の釈義」に明け暮れるようになると、哲学は学問性を失い、哲学者はこけおどしの秘教的ジャーゴンを振り回す「尊師」とその口真似をする忠実な「弟子」とになりさがる。
野家啓一
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000268724/qid%3D1104359929/249-1006186-7285906
おまえには言われたくない。>野家
783 :
名無しさん@社会人:05/01/25 05:04:29
ルーマンの言葉を並べ替えてるルーマン学者って沢山いるよね。でもそういうのって
ルーマン知らない人に対してはルーマン読めって言ってるのと同じなわけでしょ。
ルーマン知らない人にも説得力もって伝えられる言葉を今持ってる人って
宮台センセイの他に誰がいますか?
浅学なだけで煽りじゃないです。
>>734 そもそも学部教養レベルに及ばないスレじゃないの?(w
>>783 高橋徹がいる。
宮台は全然駄目。馬場は関心が広そうで狭い。
786 :
名無しさん@社会人:05/01/25 22:14:03
クリッチリーは、まず現代哲学の地勢図を「知識」対「知恵」という古典的な対立軸を設定することによって描き始める。
分析哲学が目指すのは「知識」の探求であり、その場合の知識とは何よりも自然科学的知識を意味する。
哲学的問題はすべて科学的方法に基づく経験的・因果的探求によって解答が与えられるのであり、哲学者の役割は「科学という水晶宮の用務員」にとどまる。
現代分析哲学の主流は、濃淡の差はあれ、このような「自然主義」への傾向性を分け持っている。
それに対して、大陸哲学は「知恵」の探求を第一義的なものと考える。
哲学がそもそもの初めから取り組んできた「人生の意味」や「よく生きる」といった問題圏へのこだわりである。
しかし、このこだわりが度を越して「科学の拒絶」にまで行き着き、「経典の釈義」に明け暮れるようになると、哲学は学問性を失い、哲学者はこけおどしの秘教的ジャーゴンを振り回す「尊師」とその口真似をする忠実な「弟子」とになりさがる。
野家啓一
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000268724/qid%3D1104359929/249-1006186-7285906
787 :
名無しさん@社会人:05/01/26 01:22:00
祝!『社会の芸術』がレッシング翻訳賞受賞!
きょう東京ドイツ文化会館(赤坂)でレセプションです。
ウソつけ。
789 :
名無しさん@社会人:05/01/27 01:25:23
永井俊哉って椰子のサイト初めて見た。
稀に見るアフォやな。
超越論的主体性の問題って、そんな視点から世界を眺めるなら
最初っからルーマンなんて読まなければいいだけの話。
論外ってことで------終了-------
790 :
名無しさん@社会人:05/01/27 01:55:48
祝!『社会の法』が受賞!
でした。勘違いスマソ。
791 :
名無しさん@社会人:05/01/27 17:57:39
ニコラス・ルーマン
792 :
名無しさん@社会人:05/01/29 00:19:13
ドイツで無視される日本のルーマン訓詁学。
訓詁学としても中途半端。
ウェーバーでいうと折原・世良級の学者が、ルーマンにはいない。
794 :
名無しさん@社会人:05/01/30 02:27:26
清水太郎さんは今なにをしてるんだろう
795 :
名無しさん@社会人:05/02/03 21:09:53
外国文献の寄せ集めで論文書いてる
796 :
名無しさん@社会人:05/02/03 23:53:05
最近見ないね。どこに書いてる?
デビュー派手だったのに
797 :
名無しさん@社会人:05/02/03 23:55:51
ルーマンは論理的思考力が足りないね。
798 :
名無しさん@社会人:05/02/04 20:24:16
いまさらルーマンなんて読んでる奴てアフォしかいないだろ。
あと、Sってのもどうしようもない香具師だな。
あいつは原書も読めないわで、足引っ張りまくり、そのうえサイトで
つまらん読書体験さらしてオナニー。露出癖のある変態ですか?
東大・阪大・東工大あたりのゲーム理論専攻のほうが訓詁学系社会学徒よりルーマン読んでますが?
800 :
名無しさん@社会人:05/02/05 01:00:14
>>799 だからルーマン読んでるような奴はアフォって言っているだろうが
なにか文句ある?
>>800 東大・阪大・東工大あたりのゲーム理論専攻は別にルーマンなんて片手間ですが。
イギリスの社会学だとゲーム理論“も”使ってルーマンできないと落ちこぼれです。
訓詁学なら学部生でも出来ます。
またゲーム理論厨が出没してるな。
ゲーム理論を使ってルーマンやりたいなら、せいぜい頑張って
勝手にやってればいいんだし。
ゲーム理論を受け入れないから、オチこぼれなんて言って
んのは、方法論的個人主義を理解しない単なるドキュソだよ。
どころで、S井って、ドイツ語読めずに、ルーマン、ルーマンって
騒いでたの? (驚愕
>どころで、S井って、ドイツ語読めずに、ルーマン、ルーマンって
騒いでたの? (驚愕
それはないだろ。
ゲーム理論厨は、
どうせ全員がゲーム理論やったら用済みになる人材だろう。
バカだよな、担い手が一定数だからかろうじて生き残れるのに。
社会の最底辺にいて国によって真っ先に使い捨てられるくせに、お国のために
サヨクを叩いてるつもりのウヨ厨みたいなものですか?
おいおい、S井が「モテル技術」などの恋愛攻略本をいっぱい買ってるぞ。
これらの本をシステム論的に分析するんだろうか。
恋愛において、いかに不確定性を縮減するか、みたいなね。
それとも、恋愛関係で悩んでるのかね、彼?
808 :
名無しさん@社会人:05/02/06 11:02:53
>>807 来月、木鐸社から出る『情熱としての愛』の予習だろw
809 :
名無しさん@社会人:05/02/06 11:20:46
ゲーム理論なんて1ヶ月もあれば理解できるのにね。
すっぱい葡萄の論理で一生、ゲーム理論ルサンチマンをもって生きテクダサい。
810 :
名無しさん@社会人:05/02/06 11:43:50
ルーマンは最高の知性でしたか?ルーマンフォーラムの人たち答えてよ。
811 :
名無しさん@社会人:05/02/06 12:43:54
さかっている茶菓胃はさかしらだが
婆はうんこではない。
812 :
名無しさん@社会人:05/02/06 16:56:28
泰斗かわいいよ泰斗
813 :
名無しさん@社会人:05/02/06 20:22:06
酒井さんおかしくなったの?
>>813 S田なんて典型的な数学ルサンチマン子。九九も怪しいぞ。
所詮、クロトだしな。
S田なんて社会学を訓詁学化する典型だしなw
S田って誰だよ?
817 :
名無しさん@社会人:05/02/07 01:16:26
西北OBの訓詁学者だろw
> 婆はうんこではない
京都弁で「ババ」と言えば、うんこのことなのだが。
なんか知人から、「ルーマン左派」なるシューレがあると聞いたんだけど、
具体的には、どういう理論家を指しているんでしょうか?
教えて君で、スマソ。
820 :
名無しさん@社会人:05/02/11 00:02:54
なんか、日本政治学会年報に書いてたけど、
名古屋大学の小野耕二っていう政治学者が
「ルーマンの政治理論」みたいなのを出すらしいよ(そのうち)
821 :
名無しさん@社会人:05/02/11 15:34:04
コードとプログラムの違いを知りたい
>>821 プログラムが規準で、コードが振り分けの値と考えればいいかな。
法システムなら合法・不法がコードで、その規準となる法律がプログラム。
なるほど、ありがとう
824 :
名無しさん@社会人:05/02/12 14:41:28
SGKは条件付けと動機付けの間に新種の結合を作る
825 :
名無しさん@社会人:05/02/13 05:00:11
SGKは接続可能性を高める
826 :
名無しさん@社会人:05/02/13 12:28:22
SGKはペナルティー・エリアの外からならどんなボールでも止める
827 :
名無しさん@社会人:05/02/13 18:13:59
若林
森崎君
829 :
名無しさん@社会人:05/02/13 22:22:25
岬太郎がやってきた、の巻
830 :
名無しさん@社会人:05/02/17 01:58:20
社会学に限らず哲学なんかもそーなんだけどさ、
訓詁学の人たちって自分たちが訓詁してる学者が完全に時代遅れとなったらどーすんの?
正直20世紀前半以前の学者で今でも通用するやつってどれくらいいるの?
必要以上に人文学を貶めるつもりはないけどさ、今更人文学が世間から隔絶されて殻に閉じこもる
ことの免罪符になるわけじゃなし、オウムみたいにカルト化するんじゃないかと怖いんだよね。
831 :
名無しさん@社会人:05/02/17 02:01:17
>学者が完全に時代遅れとなったらどーすんの?
既にそうなった学者もいるし、少し調べればわかるはずなのだがw
物事を調べる方法だけはもう1度大学に入りなおして学んだほうがよいと思われ
832 :
名無しさん@社会人:05/02/17 02:09:43
いや別に煽るつもりはないし、大学に入りなおして人文学を専攻するのも面白うそうではあるんだけどさ、
正直いまさら人文学的伝統にしがみつく意義がわからないんだよね。
今度の大学改革でもどー考えても一番やばいのは人文学でしょ。
なんでやばいのかも人文学の人たちは骨身にしみてわかってるはずだしさ。
833 :
名無しさん@社会人:05/02/17 03:00:06
人文学の世界にだって自然科学や社会科学の発展に懸命に対応しようとしてる人たちだっているのにさ、
そういう人たちも人文学の殻に閉じこもる以外能のない連中とともに心中しなきゃならないわけ?
世間は同じ「人文学」という枠組みでしか見てくんないわけだし。
あーだんだんハラがたってきたw
全然ルーマンの話題にならないな(w
>>819 ぐぐれ。
ちなみに馬場先生はルーマン過G派なんだとかw
ルーマンおフランス派だろ?w
S井くんはルーマン何派?
838 :
名無しさん@社会人:05/02/17 20:05:47
>>834 関係あるよ ルーマソが人文受難のこの時代を生き残れるかってことだろ
839 :
名無しさん@社会人:05/02/17 20:14:34
厳しい就職戦線を勝ち抜いてようやく某大学への就職を決めたルーマソ訓詁学者クソ
今日は納税者たる市民の皆様への日ごろの成果の説明会です。
「ワタクシ、リーマソ訓詁学をやっております●●と申します!」
元気いっぱいのアイサツです。ところが質疑応答がはじまると雲行きが怪しくなりました。
「この21世紀において過去の学者を訓詁するのにどのような意義があるのですか?」
「質的研究というの名の質の低い研究をなさってるのはアナタですか?」
などと市民の皆様の鋭い質問にタジタジです。
どうなるルーマソ訓詁学者クソ?!
840 :
名無しさん@社会人:05/02/17 20:39:18
ヘーゲル訓詁学
マルクス訓詁学
ルーマソ訓詁学
一番笑えるのはどれ?
841 :
名無しさん@社会人:05/02/17 20:40:54
現代に蘇るマルクス(w
842 :
名無しさん@社会人:05/02/17 21:05:18
あなた方まったくわかってないようですね。
ヘーゲル訓詁学はマルクス訓詁学はルーマソ訓詁学は偉大です、無敵です。
不況にあえぐ経済のもと大学の経理課や学生課には毎日のように父親がリストラに
あったため学費が払えない、という深刻な相談が寄せられます。
しかしそれでも偉大なる訓詁学者たちは自室に閉じこもり葉巻をくゆらせながら人生の意味だとか
生きる目的は何かだとか高尚な思索に思いを馳せます。これがどれほど大切なことかあなた方には
これっぽっちもわかってないようですね。少々の犠牲がなんだというのです?
ヘーゲルはマルクスはルーマソは神です、超越者です、宇宙の神秘そのものです。
訓詁学者は彼ら偉大な教祖に使える司祭なのです。教祖のお言葉は絶対です。疑うことは許されません。
それが、科学者だとか経済学者だとかわけのわからん理解できない数字を使う黒魔術師などといった下賎の民には解せんのでしょう。
現実に役立つことを行うだけが学問ではありません。
学費が払えないなら大学などやめればよろしい。そんなことで我々の高尚にして不可侵な神聖な行為を邪魔しないでください。
迷惑です。
844 :
名無しさん@社会人:05/02/17 22:02:08
多呂○先生最強
S井って酒井泰斗のことじゃないの?
酒井って宮台の弟子なの?
848 :
名無しさん@社会人:05/02/19 04:30:29
ルーマソは神。ルーマソは絶対者。ルーマソは宇宙の法則。
これになぜ気づかないのです? バカなんですか?
そこのキミ、数字なんぞいじくりまわすのはやめて今すぐルーマソに帰依しなさい。
今なら入信料とありがたい壷がセットで大変お求め安くなっております。
そして日曜日は社会学。これが現代式のミサのあり方。これ最強。
世界中の社会科学者はルーマソを信じなさい。ただ信じれば良いのです。
そうすれば論文が増え、研究職につけ、死ねば極楽浄土へいけるでしょう。
ルーマソを信じねばルーマソの怒りに触れ災いがもたらされるでしょう。
社会学とは宗教であり科学ではありません。実証も反証も必要ありません。
ただルーマソが我々に託された経典を読み、彼の言葉の理解に勤めるのです。
そうすれば救われます。死ねば天国へいけます。天国では4人の処女が与えられます。
どんなプレイもOKです。夢の5Pも可能です。天国までいってさらに腹上死というのもオツなもんです。
これでもまだアナタはルーマソを信じないのですか?
850 :
名無しさん@社会人:05/02/19 15:15:33
>>848 南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
問「天国っていいとこですか?」
答「そりゃ、いいとこだろうよ、なにせ、行って戻って
きた奴なんて、一人もいないんだから」
日曜って、あの誤読電波?
>>851 よければどの辺が誤読してるか、教えてくれません?
初心者なので、日曜に書いてあることもたまに参考にしたりしてます。
良くなかったかな?
853 :
名無しさん@社会人:05/02/21 18:02:50
酒井のブログや日曜社会学を見て思った
誤訳を指摘すんなら正しい翻訳例示してくれ
なんか違うんだよなぁ、とか言われてもわからん
なんで日曜の話が出るとこんなにシツコク
>>853みたいな書きこ
が増えるんだろか。。 以後日曜の話はやめましょ
うんざりですよ、はい
>>853 たしかに、自分の思う正しい翻訳例を示したうえで批判するなら
正々堂々とした批判という感じがするけど、誤訳だというだけで
自分の見解を示さないのは、ちょっとズルイよね。
>>854 ルーマン関連のサイトの話なんだから、別に話題にしたっていいだろ。
その話題が気に入らなければスルーすればいいこと。
他人の言論の自由を抑圧しないようにね。
>>855 だったらはじめから誤訳云々の話をスルーしたらいいじゃん
言論の自由とか言うなよ。気持ち悪い
泰斗降臨?
858 :
名無しさん@社会人:05/02/22 00:13:38
やっぱりルーマソって宗教だったんだね。
つか知の欺瞞のドイツ版があったらルーマソも確実に入ってくるよね
数学や分析哲学からかなり流用してるし。
ここで息巻いてる人達はそこらへんの知識はまったく持ってないようだけど。
そもそも知の欺瞞自体電波だからどうでもいい
861 :
名無しさん@社会人:05/02/22 00:18:31
また泰斗降臨?
なるほどね。
煽りを入れて話題を変える・・・
分かりやすい香具師だなw
w←これなに?
864 :
名無しさん@社会人:05/02/22 04:11:53
S氏ってわざわざ話題にあげるまでもない人だと思うけど。
ルーマンに関して、何も参考にならない、ただの2ちゃんねらーでしょ。
俺がしらないだけかな。
865 :
名無しさん@社会人:05/02/22 05:24:17
>>860 よければどの辺がデムパしてるか、教えてくれません?
初心者なので、『「知」の欺瞞』に書いてあることもたまに参考にしたりしてます。
良くなかったかな?
>>863 (笑) のこと。waraiの略なんです。
>>865 初心者なら勉強して出直してきて下さい。教えてもらうだけの教えて君
はネットでいちばん嫌われる行為なんで。ルーマン云々以前の問題です。
868 :
名無しさん@社会人:05/02/22 18:52:06
あの酒井っていう人アンタッチャブル山崎に似てる
ルーマン理解に対してかなり自信あるみたいだね
友近だかデパ地下だかいう名前のバンドやってたね。
870 :
名無しさん@社会人:05/02/22 22:51:22
すくなくとも
>>852 はスレの趣旨に合致してるだろ。
玄人なんていませんですよ
泰斗がいるじゃないか。
おお 社会学の泰斗か。
酒井泰斗だよ。別名アンタッチャブル山崎。
ttp://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20050205 勁草の企画の肩を持つわけではないが、ここしばらくの「数理社会学」は、
(合理的選択理論の延長としての)ゲーム理論と、(グラフ理論を基礎とし
た)ネットワーク理論という二つの焦点を持った、以前よりずっと落ち着い
て生産的な研究プログラムになりつつある。
「一見すると数理的手法になじまない意味世界の解明」にしても、ではいっ
たいこれまで「意味世界の解明」を目指した作業の蓄積を顧みたときに、我々
はいったいどの程度のことを達成してきたのか、虚心に振り返るならば、
数理的アプローチを頭から馬鹿にできるほどの成果がすでに非数理的アプ
ローチによって蓄積されてきた、とは言い難いのではないか。
むしろ管見の限りでは、デイヴィッド・ルイスによる、ゲーム理論的な枠組
みを用いての「コンヴェンション」概念の定式化の試み、あるいはダン・スペ
ルベルによる、人文社会科学への自然主義的・物質主義的アプローチとしての
「表象の疫学」といった、「意味」現象へのフォーマルな――広い意味での数
理的なアプローチは、「意味世界の解明」の試みの中ではむしろ優れた達成と
言えるのではないか。
問題があるとすれば数理的アプローチの是非よりもむしろ、そのようなアプ
ローチにおいて社会学者は周辺分野の専門家たち――ゲーム理論を磨いてきた
数理経済学者たち、言語行為のモデル化に取り組んできた計算言語学者たち、
あるいはマルチエージェントシステムに取り組んできた人工知能学者たち――に対して決定的に後れをとっており、その後れはなまなかなことではとりかえせないのではないか、ということである。ネットワーク理論でさえ、むしろ社会心理学者の方が先んじているのではないか。
その意味でcontractio氏の「社会学雲散霧消への水先案内人」なる形容はか
なり当たってはいると思う。
>>876=contractio(別名アンタッチャブル山崎)
法社会学みたいに、規範や慣習の解釈が必要な分野もあるし、社会学全体が
数理化することはないんじゃないかな
それともゲーム理論って法社会学とかにも応用可能なの?
可能だとしても限定的なんじゃないか
>「一見すると数理的手法になじまない意味世界の解明」にしても、ではいっ
たいこれまで「意味世界の解明」を目指した作業の蓄積を顧みたときに、我々
はいったいどの程度のことを達成してきたのか
んー、個人的には稲葉さんの言ってることはよくわかるよ。
つかルーマン自身、社会心理学とかゲーム理論関連からかなり刺激を受けてるしね。
個人的にはシステム論とそれらが対立するとは思えない。
ただ、例えば経済学においてじゃあ何もかもが数理化されているのかと言えば、
そうとも言えない気はする。
数理モデルを構築するための前提それ自体は、別に数理的に導かれているとは思えないし。
サイモンの「システムの科学」とか読んでると、かなりルーマンの議論と重なる印象を受ける。
人工知能研究はどうなんだろうね…。個人的には興味があってちょくちょく
人工知能関連の文献読んでたりするんだけど…。
数理モデルの最先端ってよく知らないんだけど、
現実の紛争や社会運動の展開を予測しろと言ったら、
政治制度や法制度や経済制度といったファクターまでコントロールして
ちゃんと予測できるの?
できるわけない。俺の印象で悪いけど、正直似非科学を装った社会学以上の
中身になってないと思う。叩かれそうだけどショガネ
つか今更ゲーム理論とか遅すぎるし、そのうち複雑系とか言い出しそうで怖い
つーか、自己言及性を認めることと、
数理モデルによる未来の客観的予測を肯定すること
とは矛盾すると思うけど。
数理はあくまで補助手段であって、それで何でもできる、
未来も客観的に予測できるとするとルーマンの言う自己言及性を
否定することになると思うんだけど、どうよ?
>>882 いや、そこまで込み入った話でも無いと思うんだが。
自己言及性を数理化するとか、そういったのは人工知能方面での試みだと
思うけど、ゲーム理論とかで言われている数理化というのはそういった
水準の話じゃないし。
だからその程度の数理モデル化なら、できるところからやっていけばいい。
でもそのことが、システム理論と相互に否定しあうなんて話になるわけがない。
ルーマンの自己言及性論も、システムが自己言及をいかに隠蔽しているか、
展開しているかの社会構造史研究、みたいなもんでしょ。
自己言及性を論理学的に明らかにするという試みでは全然ない。
自己言及も何もシステムの定義があいまいだし矛盾ですらないと思う。
ゲーデルとその前史を理解しないで自己言及性なんて言ってみても無意味
でしょ。
人工知能じゃなくて人工社会研究はどこまで逝っているの?
>>885 >システムの定義があいまい
ルーマンによる定義があいまいという意味?
>>881 >正直似非科学を装った社会学以上の 中身になってないと思う。
禿同。自分の見解を正当化するために数学を利用してるに過ぎない希ガス。
経済学がいい例。
うちのゼミの先生はゲーム理論で社会契約論者を論じ、今度は政治思想史をカオス理論を使って読み解くそうな。
そんで、今年の正月にカオスを研究するために、MITの学会に出席。
ま、理系出身(理論物理学)の政治学者だからしかたないけど...
>>888 人にもよるんじゃないのか?
どういう方かわからんが、その方ちょっと極端?
ゲーム理論で自殺ってどうやって説明できるんだろうな。
自殺ってたいてい一人でするからなあ。
ゲーム理論は社会集団行動じゃないと。
集団自殺もあるけど・・・
ま た 泰 斗 か !
∧_∧ ┌───────
◯( ´∀` )◯ < まったり革命!
\ / └───────
_/ __ \_
(_/ \_)
lll
>896
私的な怨みということでいいですね?
いいんですね?
900 :
泰斗LOVE☆:05/03/03 20:29:02
900いただきます
902 :
名無しさん@社会人:05/03/05 16:38:26
次回からルーマンスレのほかに
泰斗ヲチスレも立てたほうがいいんじゃないの。
粘着隔離スレとして
903 :
名無しさん@社会人:05/03/06 02:56:00
それより、タイト自作自演スレをたてて隔離した方がよくないか?
904 :
名無しさん@社会人:05/03/06 12:39:23
鯛徒の場合、スレより板だろ。
905 :
名無しさん@社会人:05/03/06 13:04:24
いいね、酒井泰斗板。
でも、最近は泰斗ネタしか盛り上がらないよ (; ;)
やっぱ泰斗くんは僕らのアイドルさ!
酒井ニート
909 :
名無しさん@社会人:05/03/15 07:49:23
泰斗って、土方訳をボロクソにけなして
買ってはいけません、なんて言ってるわりには
ブロクで『法と社会システム』(現在、絶版)の復刊云々って
書いてるよね
結局は土方訳を読んでるくせにね。
910 :
名無しさん@社会人:05/03/15 18:06:18
>>911 まあ、いいじゃないか。
彼も漏れたちとコミュニケーションしたいんだよ。
もう少し、優しくするように。
ということで、このスレももうすぐ終わり。
次スレは、
【泰斗と】二クラス・ルーマン2【愉快な仲間たち】
になります。それと、漏れは泰斗じゃないよ
↓テンプレ不要なので念のため
昭と透が違うっつーのは言い訳になるのか?
土方訳はそんなに悪いんですか?
どこがそんなに悪いんでしょうか?
これから読もうと思ってるんですが、その辺教えてください。
読んで意味わかるか?
日本語にさえなっとらんだろ?
泰斗はブロクに自分の読書履歴を書いているが、これもある種の自己観察システム。
しかし、自己観察行為の対象からは、つねに自己観察そのものが排除される。
たとえば土方訳をけなしておいて、その復刊を願うというパラドックスは、
外部観察システムによって初めて記録されうる。その意味で、このスレは、
泰斗のブロクの外部観察システムであり、このシステムにとって泰斗の
ブロクは観察対象としての環境であると言える。
しかしながら、泰斗自身が、この外部観察スレに書き込みを行うことで、
システム/環境、の差異が、観察システムとしてのこのスレッド内部で再生産される。
つまり、泰斗の書き込み/その他の書き込み、という形で、スレッド内部に
システム/環境ー差異が再生産される。これが、スペンサー・ブラウンのいう
再参入(再導入)である。
こうした、スレ内部に再生産されたシステム/環境ー差異を適格に表現したものこそ
【泰斗と愉快な仲間たち】なるフレーズに他ならない。
918 :
名無しさん@社会人:2005/04/04(月) 19:52:30
ルーマン・フォーラム再起動age
919 :
名無しさん@社会人:2005/04/05(火) 01:57:43
再起動しなくていい
次スレは
ルーマン・フォーラムに登録してる香具師の数→
に決定
サクセス・ヒューマン
922 :
保守:2005/04/19(火) 09:48:07
age
悪辣・高慢
924 :
名無しさん@社会人:2005/04/23(土) 20:34:07
925 :
名無しさん@社会人:2005/04/23(土) 21:51:14
酒井さんなんで最近おかしくなったの?
>>924 構造と体系(システム)とを混同しているという言い方だと
抽象的にすぎるかな。
>>924 教育制度の(見せ掛けの)相対的自律性を堅守せよというわけか?
>かつての不良学生の「番」の秩序
>学生・院生の自主的な非公式勉強ネットワーク
裏番!自主ゼミ!
ただの懐古趣味じゃん ww
次期スレタイはこれで↓
【daisensei】二クラス・ルーマン2【酒井泰斗】
930 :
名無しさん@社会人:2005/04/25(月) 16:36:36
そもそも単なる一般人だろ酒井とは、
単なるルーマンが趣味の素人、
ネットをうまく使って売名はしているが、
そんな一般人が気になるオマエラはバカですか?
>>930 酒井を一般人扱いするのは酒井の思う壺。
>>924 カッコつきで「貨幣の社会学」と書いてあるが、ナイジェル・ドットのことを指しているのか?
しかしそこで言っていることはドットが言っていることそのまんまじゃないのか?
933 :
名無しさん@社会人:2005/04/25(月) 20:32:30
>>931 単にお喋りな一般人だろ
まったく社会学のこと分かってないし、ルーマンのことも分かってないし
ついでに言えば電波だしな。
信頼の和訳どっちがお薦め?
原文嫁とかいわんで
大庭=正村訳でしょ。
泰斗の自作自演レベルだけは2ch初心者レベルのまま変わらんけどな。
泰斗を敬うな。しかし侮るな。
生かさず殺さず、泳がせろ。
939 :
名無しさん@社会人:2005/04/26(火) 12:22:47
創文社のPR誌である「創文」に、
清水太郎氏がルーマンについて連載の論考を寄稿していて驚いた。
清水太郎氏の復活を祝う。
わーい、ジャブジャブ
942 :
名無しさん@社会人:2005/04/26(火) 18:37:53
泰斗が?