若いマルクスによる
経済学哲学草稿の疎外について
1、通説によれば疎外=産業社会、資本主義の発達による非人間化である。
鮭秀美によるとアルチュセールはこのころの若いマルクスとその後のマルクスには認識論的断絶
があるといい、廣松渉は経哲は古典的労働疎外論だがドイツイデオロギーからは断絶がある
ということをテキスト実証的に示した。
それに対し
2、小室直樹説によると疎外=人間の意思では変えられない社会法則であるという。
若いマルクスとその後のマルクスは社会科学的という点で
一貫性がある。
さてどっちが正しいのでしょうか?
小室説をとるのは小室直樹氏と小室学派の副島隆彦先生の約2名となっております
鮭秀美先生によりますと
若いマルクスは実存的、人間主義。
参照文献
ニッポンの知識人
アメリカの秘密
論理の方法
原著を読めばわかるはなしではある
小室説は明快で面白い
しかし内容は書いてあるも都合で実証が書いてない
そがいー実存問題であり
そこから主体的な回復をめざす
というのが主体的マルクス主義だったそうだ。
主体思想とやらのネーミングはここから思いついた発想だろう。
ファン書記は日本に留学経験があるとか聞いた事があるし
いかにも誠実で真面目、疎外論にはまりそうなタイプだ。
このスレは疎外されている。
バイトで延々荷物を一人で機械的に
やらされ、精神的にまいるという悩みを聞いた事があった。
これはまさに労働疎外的問題だ。
1はばか
初期マルクスと後期のマルクスの間に問題関心の変化があるのは確かに
事実だろうな。アルチュセールはその点を綿密なテクスト読解で明確にし
たが、ただしその論証は綿密すぎると言えなくもない(マルクスが考えて
いた以上のことをテクストから読み取ろうとしているという意味で)。
問題関心の転換はあったとしても、初期と後期の間にある種の一貫性が
あるのは確かだと思うから、その点に注目するのはそれはそれで「あり」
だと思う。初期マルクスには初期マルクスなりの意義があるのだし、やは
りそれは認めないといけないでしょう(ただしその問題点も見据えた上で)。
そういえば見田さんは「マルクスの思想的核心は疎外論にある」という
ようなことを言っていたな。
見田ゼミ生ですか。
時代は物象化論だよ。
つまり、物象化現象ですね。サイババの。
なつかしいな
秩父と言えば自殺の名所。街全体から醸し出される異様な雰囲気から日本の怪奇映画のロケ地としてよく使われる。人口の割の伝統的な祭りが日本一多く、どの祭りも異様にテンションが高いあたりは閉鎖的で半廃墟化した街並に対して不気味でさえある。
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
へえ。
ほう。
dannko
まあ読み方によって、なんとでもよめるわな。
マルコヴィッチ(プラクシス学派)や城塚登は、疎外論中心でマルクスをとらえる。
サルトルもそうだ。そして疎外論から物象化論へと連続的にとらえるのだな。
これは最終的に「人間」への還元というのがある。
言い換えれば、人間ないしは人間の実践というものを根底に据えるわけだな。
アルチュセールは、そうではなくて、社会的諸関係・構造という次元で思考する
(構造論的因果性)。疎外論は、人間還元論・主体のプロブレマッティク、
哲学的人間学、要するに表出的因果性でだめだというわけだ。
どちらの立場も、マルクスのテクストに真理が内包されているという護教論的
立場にとどまっている。
疎外論は、有機体的ホーリズムであろうとリベラルなアトミズムであろうと、
しょせん普遍的実体という形而上学の罠を逃れられない。
構造主義は広松渉の関係の第一次性論であれアルチュセールの構造的因果性であれ
マルクス主義の労働・生産過程を前提とする人間主義を残している。
その意味で価値実体に対する価値形態論の意義を明らかにした宇野弘蔵こそ
完全に疎外論を克服した唯一の理論家といえるだろう。
だいたい労働価値説というのが、
「表出的因果性」じゃあないですか。
「価値実体」なんて神秘的なモノを想定したりして。
これじゃあ経済学を「労働の哲学」にしてしまうことになる。
マルクス主義の場合、搾取を批判するために
古典派経済学から、「労働の哲学」を導入したわけだな。
宇野弘蔵とやらもそういう限界をこえてないのじゃないのかな。
読んだことないけど。
まあマルクス主義というのは、根底的には、「社会主義の哲学」ないしは
「哲学的社会主義」だということになる。
宇野はマルクス的価値実体論も社会主義の必然性も『資本論』では
論証不可能なものとして否定した。それは、読みようでは
アルチュセール以上の科学主義ではあるが、
>>22ケンジのいう
「表出的因果性」を完全に免れていることは確かだ。
わが国で疎外論批判を語るなら、宇野理論くらい勉強しといた
ほうがいい。
広松は?
広松は、アルチュセールと同様に初期マルクスと後期の認識論的切断を
はかり、これを疎外論から物象化論への転換として理解した。
この関係の第一次性論によるマルクス解釈はアルチュセールをはるかに
超えた世界的水準にあるといってよいだろう。
しかし広松は唯物史観(マルクス主義)の確立については、エンゲルスの
主導性を認めており、『資本論』や社会主義に関する理解では、
非常にオーソドックスなロシア的・正統的な理解にとどまっている。
労働生産過程を前提とした価値実体論や、その否定の否定による
弁証法的な社会主義の必然性を肯定している。
疎外論を本当に克服しようと考えるなら、広松的関係主義を
はるかに早く、しかもより徹底的に完成したものとして
宇野理論を読み込むべきだろう。
宇野ちよ 宇野こーいちろう とかなら読んでもいいけどな。
大塚先生の社会K学の方法を読むと
P11、P15あたり
まるくすの言う疎外とはなにかとかたっている。
これが小室説そのまんま。というより大塚先生起源なのだろうね。
大塚先生の釈迦方みんな読んでるはずなのに、おおつかせつを知ってる人はほとんどいない。
マルクス疎外概念に関し単純な労働疎外論というのが大方の理解である。
ところで、経哲から社会科学的方法についての努力が見られるが
一応の形で成功したのはドイツイデオロギーからだとある。
つまりアルチュセールや広松と同じことを指摘している。
まあ社会科学的視点から見れば誰でもそう思うのではないかという感じもするが
大塚先生は1964の時点でこうシテキシテイル。
あるちゅせーるや広松より早いかもしれない。
話は変わるが、後半p208から209にかけてにしべすすむ風の伝統概念
の誤り、不都合性を指摘していて、これに西部風の伝統主義者は勝てない
とおもわれる。
さて西部進は社会科学者であり、この本は当然読んでいたはずだが
身についていなかったようである。その点宮台は、まったく同じことをいって
西部を批判していた。
1.小室は大塚の押し掛け直弟子である。
2.>社会科学的視点から見れば誰でもそう思う・・・1964年の時点で・・・
ルカーチやフロムなどの疎外論=初期マルクス評価は露西亜マルクス主義の
主流に抗して出されたのであり、主流派の見解は初期マルクス無視だった。
3.スターリン批判後の実存主義的マルクス主義に対して廣松やアル中セールが
弁証法的?に登場したのである。
4.大塚は実存主義的文脈とはまた異なった主流派批判の流れで読まれていたが、
宇野派はそれが資本主義の本質=労働力商品化を見失っていると批判していた。
→降旗節雄など、1960年代後半
5.廣松が〈価値形態〉の対自対他的四肢構造で否定したのが価値<実体。説ではないのか?
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
隔世の感。
疎外論が持つimplicationは、現代社会でもそれなりに生きていると思うけど。
見田さんも、「マルクス思想の核心(疎外論)は近代が終わるまで有効であ
る」といったことを言っていた。これに対して、桜井さんは、初期マルクスの
意義はその批判的なimplicationであって、見田さんが言うような「ロマンティ
シズム」ではないと言っていた。
いずれにしても、やはり隔世の感がするのも事実かも。
ただ、最近仏ではマルクスの初期論稿を巡る哲学的研究が行われていて、
それはそれで、アクチュアルな問題なのかもしれない。ただ、仏には仏の
特殊な事情があったりするんだけど。
>35
見田さんとどのようなご関係で?
そういうエピソードもっと聞きたいです。
あと、桜井さんって誰です?
何年か前に出ていたクレアかなんか?(失念)の「私の進める5冊」みたいな
企画で、見田宗介氏は、柳田の著作とともにマルクスをあげていて、そうしたこ
とを言っていました。私が読んだのは、情況の社会学特集だったと思います。>
桜井洋氏まちがっていたら、ごめんなさい。
あー、どうも俺はノケ者の立場でないと落ち着けねぇ(笑
クレアってなーにー?
age
41 :
名無しさん@社会人:2005/06/30(木) 15:35:33
, -+--、
」_─‐、:i'
、'~ィ (_,ノI'、_):ァ bk´ 〉
i;;;i . !rヮj ,ィ 〉;;i
ヽ `ー-‐'⌒::::`ル:::::::r~`( /
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( r' ヽ 〉
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ヽ__l / /
__,,ノ:::;::〉 ト、:::`ー'〉
` - ‐'` ` ‐ '
406 :名無しさん@恐縮です :2005/07/30(土) 01:47:07 ID:PsZ5M2J60
>>400 お〜、初のGoodjob扱いだ。ちょっと嬉しい。
ついでだが、他のタレントにもリンクできるので探してみ。
http://idol3.jirashi.net/ 407 :名無しさん@恐縮です :2005/07/30(土) 01:49:46 ID:WaKtMhSm0
パリ、カサブランカ、伊豆大島ってなんかウケた
408 :名無しさん@恐縮です :2005/07/30(土) 02:30:42 ID:qkSOvdNq0
>>406 Good Job! なんだが、リンクの中にあき竹城って・・・
409 :名無しさん@恐縮です :2005/07/30(土) 02:35:43 ID:N3RqqFqM0
>>406 http://idol3.jirashi.net/log/table.shtml ここから入ったほうがはやいけどなぁ
43 :
名無しさん@社会人:2005/11/03(木) 01:22:15
広松が疎外論から物象化論へなんて言ってたけど、
資本論の原書を読むと、キチンと「疎外Entfremdung」というシニフィアンが出てくる。
広松説はハッタリ。
やはり疎外論が妥当か。
44 :
名無しさん@社会人:2005/11/05(土) 09:16:02
まあ、エロ松はその昔は
ブントだったらしいけど、
基本的には文献学者で観
念論者だもんね。
45 :
名無しさん@社会人:2005/11/09(水) 21:40:02
エーリッヒフロムも疎外について良く語っていました。
フロムさんは急進的な回答を求めず、人の幸福について実に見事な示唆を
されていましたが、この方微妙にマイナーな気がするのですが。
アメリカでは狂人扱いされて無視されたのでしょうか。
フロムの一般的な評価をお知りのかたいらっしゃりませんか。
46 :
名無しさん@社会人:2005/11/10(木) 00:08:22
アメリカでは知らんが日本だと
まあ普通の大学生なら読んでないとおかしいというような
古典的必読テキストでしょうね。
吉本隆明経由の疎外=表出論しか知らん
48 :
名無しさん@社会人:2005/11/10(木) 14:13:01
実に真っ当で実生活にも学術にも役に立ちそうなのに、あまり聞かんのですよね
この方の名前。他の著名人に比べて。
50 :
名無しさん@社会人:2005/11/10(木) 23:25:33
会社で、疎外にされてる俺はどうしたらいいのでしょうか?
51 :
名無しさん@社会人:2005/11/11(金) 00:48:34
著名、、なのか。
そうなのか。少なくとも同じような内容を言っているものやら、名前やら聞いたことがなかったぞ。
大学で専門でやる奴の中ではそれは有名かも知れんが、一般レベルでも?
ざっと見回してフロムの影響受けている人の本は多いのでつか?
52 :
名無しさん@社会人:2005/11/11(金) 00:49:49
まあ普通の大学生なら読んでないとおかしい。
そうか。たまたま縁がなかったのかな。
吉本より日本で知名度が低い気がするのだが、気のせい?
だから、おめーらが左に傾きすぎてるから知らないだけだって。
ウヨクは昔から理論武装に使ってるんだってw
54 :
名無しさん@社会人:2005/11/11(金) 01:12:21
最近はまるきり知的関心のない学生も多いが
読書家の中では初歩の初歩、これを知らんと話にならんというような本だよ。
内容も文章も平易だし。菊と刀レベルかな。
大学の先生にフロムがとかきいて知らない人は
100パーセントいないだろう。
岸田秀やつるみわたる等も著作でふれていたな。
>>52 フロム読んでる学生が普通なわけない
つうか思想書読んでる時点で普通じゃない
56 :
名無しさん@社会人:2005/11/11(金) 19:31:17
そういえば教科書に載ってたな、という程度。
58 :
多岐山やよひ:2005/11/11(金) 20:55:03
高等学校で現代社会、倫理社会を学習しておれば
名前は知っているはずである.
59 :
弾切れた日本兵:2005/11/11(金) 23:49:59
社会学における疎外論は既に下火になっています。
シカゴ学派によるコミュニティ存続論をご覧になれば分かりやすいと思います。
しかし、私見としては、疎外と言う言葉が直接当てはまるとは思いませんが、
それに似た社会現象として、コミュニケーションのメディアナイゼーションが挙げられると思います。
対話がオミットされつつある社会。
もう一つくらい例を挙げますと、都市におけるマイノリティの所謂ブルーカラー階層以下の労働者について、
「内部化された外部」という表現でもって説明される事があります。社会構造の一部としては内部の存在であるが、
非労働的な関係、つまり第一次関係としては自己の所属する階層以上の人間との関係が極めて希薄であるという事実。
出稼ぎ労働者で車の整備工場なんかで働いている人たちは、同じエスニシティの集団を形成し、そこで自治的な集団を
形成することが多いらしいのです。
(注、ここでの社会階層とは賃金のみを基準として考えたもの)
60 :
名無しさん@社会人:2005/11/12(土) 09:24:12
高校で倫理取らなかったのが間違いかw
61 :
名無しさん@社会人:2005/11/12(土) 09:25:47
本に載ってる本を読むのが最近の選書ですが、社会心理学でいい本はありますでしょうか。
フロムはこの方法でなく、たまたま100円でブックオフで出会いました。
古くさいけどクルト・レヴィンとか面白かった
63 :
名無しさん@社会人:2005/11/13(日) 20:39:44
早速探します。
64 :
名無しさん@社会人:2005/11/20(日) 20:55:47
ファッションや化粧があまり好きではないんですね。自分。
例によってファッションの消極面の否定とともに積極面まで自分は否定してしまってるように思うのです。
ファッションの積極面、良いところとは何なのでしょうか。
疎外論と関係があるように思うのです。
みんな背広を着る、化粧をする。
これは個人の表現ではなく、個人から隔離したところで他者とあわす行為のような気がします。
純朴な女性にほのかな思いを持っていたところ、びしっと決まった姿を見たときなんかショックを受けたのですね。
別にけばい訳でもなく、標準的な総合職の女性のスタイルな訳だが。
65 :
多岐山やよひ:2005/11/21(月) 07:21:39
ブスはせめて化粧してから外に出てきてほしいものです
66 :
名無しさん@社会人:2005/11/21(月) 07:37:03
>>64 オタクだろ。
裸で暮らすのでなく、散髪する以上、
残念ながらファッションと無縁の人間はいない。
「ファッション嫌い」の人も、
それ固有のファションをしているのだよ。
疎外論というか、
むしろ文明に対する呪詛があるんじゃないの?
「自然」を重んじたり。
69 :
64:2005/12/12(月) 23:37:00
自らの意思の表現がファッションであるのか、
何かに駆り立てられて自己を疎外したファッションをしているのか
の違いではないでしょうか。
また、疎外された人間たちは、疎外したファッションを共有し、
排他的な集団を形成するでしょうし、それに合わせられない人間は気後れを感じることもあります。
私は合わせられないどころか、疎外に敵意を感じる人間でした。
敵意自体が如何に不要なものであるかもフロムの本に書いてあったので
それも日々実践してゆこうと思います。
カントも敵意の克服は30代ー。
70 :
64:2005/12/12(月) 23:40:53
格好(むしろそれを含めた雰囲気)が違うと浮きますか?
それが疎外された社会に反するものなら浮きます。
人間の実存と一体化した社会なら、浮きません。(程度は低くなるかな)
71 :
名無しさん@社会人:2006/07/07(金) 14:26:49
そうね