第0世代 展望を失った世代【1950年代後半生まれ】――モダニズムへの懐疑
1950年代後半に生まれたのが第0世代。この世代は、70年代前半に10代半ばを迎え
団塊の世代の次に位置し、現在は40代半ばになっていていわば社会の中核をなしている世代でしょう。
彼らが多感な年代を過ごした時代背景を読み解くキーワードは、「学生運動の残像」と「高度経済成長の終焉」
があげられるでしょうか。デモの際に死者まで出した60年安保の喧騒から10年。日米安全保障条約は
自動延長され、若者たちにとって最大の関心事の一つであった学生運動はこの時代、すでに
“残像”となっていました。70年代も半ばにさしかかると、学生運動が敗北した後の残像は若者に社会と対峙する
スタイルの変更を余儀なくさせる。一般市民を巻き込んだテロ行為と内ゲバで自滅していく姿をさらして
しまっては世間を巻き込んで社会的ムーヴメントを起こすことなどできるわけもなく
当時、10代半ばを迎えていた第0世代は、理想を胸に熱く全力で社会にぶつかっていくというスタイルを
信じられなくなっていました。そこへ追い打ちをかけるように、73年の第1次オイルショックによって高度経済成長が
終わりを告げる。いくら昨日と同じように一生懸命働いても、もう昨日と同じ成果を手にすることが出来なく
なってしまったのです。右肩上がりのGDPは決して永遠ではないという今日では当たり前の事実が、
初めて人々に現実感をともなって認識された。そして社会は精神的拠り所に不安を抱くようになりました。
そんな時代に登場した第0世代は、「モダニズムへの懐疑」という空気を吸って成長しました。
第0世代は、その人格形成の最も重要な時期を、あらゆる方面で「展望」が挫折した時代に生きた。
そしてそれまでの若者なら一度は経験してきた社会へのプロテストという通過儀礼も経ることなく、
社会性を獲得するチャンスを徐々に失っていく。彼らは現代へと続く若者の系譜の起点となる、まさに第0世代。
第1世代 ポパイ世代【1960年代前半生まれ】――“日常”が“人生”を超える
1960年代前半に生まれたのが第1世代。1970年代後半に思春期を迎えた彼らに最も影響を与えたものとして
象徴的なのは、雑誌「popeye」でしょう。いわば、彼らは「ポパイ世代」だと、
レイトカマーの旗手・ソシオエコノミストである波頭は言います。
「popなeyeで物事をとらえてみよう」。1976年8月、平凡出版(現マガジンハウス)から創刊された
雑誌「popeye」は、こんなキャッチフレーズを掲げて華々しく登場しました。戦後生まれが初めて総人口の
過半数に達し、ロッキード事件で前首相が逮捕され、村上龍の「限りなく透明に近いブルー」が
芥川賞を受賞したこの年、雑誌「popeye」は若者たちの行動に大きな影響力をもちはじめていました。
いまの若い人たちには想像もできないかも知れませんが、そのころまでは無駄口を叩かず、人前で髪型など
気にせず、テーブルの上に出されたメシは何であろうと文句を言わずに食べるのが男というものだったのです。
今日のランチはどこで食べようか、明日のデートには何を着ていこうかと考えるのは“女子供”のすることで、
日本男児としてあるべき姿ではなかったのです。そこへ「popeye」が現われて、エロでもインテリジェンスでも
ない、建前としてのヘーゲルと本音としてのハダカの中間にある“遊び”に、真正面から取り組んだ雑誌ということで
耳時を集めました。男がオシャレに興味をもつことのどこが悪いのか、そう開き直って男の“遊び”に
市民権を与えようとしました。
そして若い女性たちもまた、ボーイフレンドが「popeye」に感化されて、眉目よく、
モテる男に変貌していくことを歓迎したのでした。そのようなコンセプトを持った雑誌が一世を風靡したことは、
当時の若者たちに一種のミーイズム(自己中心主義)が浸透しはじめていたことを象徴しています。
すなわち彼らにとって大切なのは「社会」よりも「ボク」なのであり、政治が腐敗しようと勇気や良心が踏みにじられようと、
今日の午後を過ごす喫茶店や明日のデートに着て行く服のほうがより重要な生活のテーマとなったのです。
つまり「人生」ではなく「日常」こそが、若者にとっての最大の関心事になったのでした。
ただ、それでもまだ、この世代の若者たちは「popeye」との出会いを経験したというにすぎません。
このころはまだ、東京に住む一部のオシャレな若者が熱烈に支持したにとどまって、地方の一般的な中高生は
「平凡パンチ」と「週刊プレイボーイ」を読んでいた。以後、「ポパイ世代」は本格的にマス化していきます。
第2世代 夜を失くした世代【1960年代後半生まれ】――孤独と内省の消失
1960年代後半に生まれた第2世代が10代半ばを過ごした80年代前半、いよいよ「ポパイ世代」は日本中の若者
たちを巻き込んでマス化していく。その背景には、自動車産業を代表選手とする日本の産業界の世界的飛躍と
経済的繁栄がありました。80年、自動車の生産台数が1000万台を突破し、アメリカを抜いて世界第1位に躍り出た。
そして、84年にはついに1人当たりGDPが1万ドルを超えました。80年代前半に日本が西欧主要国と並ぶ高付加価値
産出国となったという事実は、あらためて認識しておく必要があるでしょう。なぜなら、日本がその後、
生み出した莫大な付加価値で世界一の消費大国となっていき、やがてバブル景気へと突き進んで行く発射台となったのが、
一人当たりGDPが一万ドルを超えたこの時点だったのですから。実際84年のDCブランドブームは、その萌芽がうかがえます。
日本経済がいよいよ世界一の債権国へと成長していくなかで物心がついた第2世代の若者たちは、社会の経済的豊かさ
に支えられてより享楽的なライフスタイルを身につけていきました。同時に、彼らはそれまで世の中がもっていた
普遍的価値や意義的価値を崩壊させていきました。その傾向に拍車をかけた事項として、忘れてならない要素に
「夜の消滅」があります。80年代に入り、日本の夜は夜でなくなってしまいました。どういうことかと言うと、
その最も象徴的なモノとして、83年4月より放送を開始した「オールナイトフジ」などに代表されるテレビ深夜番組の
存在があげられます。テレビが深夜放送の時間を延長していったことで、若者たちは夜も娯楽を手に入れました。
70年代までの日本には、まだ夜が夜として存在していました。
そして若者にとって夜は自己と向き合わねばならない孤独の時間でした。
一般的に東京で独り暮しをする学生の部屋に電話などなかった70年代。自分の部屋にテレビが
あるなら裕福なほうで、学生は小さなラジオが一つあれば、それで満足すべき時代でした。友人と酒を飲んで家に帰れば
ラジオを聴くか、本を読むか、そうでなければ寝るしかありませんでした。一人で過ごす時間が増えると、自然、
人間は内省的にならざるを得ません。人生とは何なのか… 恋愛とは… 友人とは… 家族とは…
答えがあるのかも定かではないそんな哲学的な疑問をひたすら大真面目で考えるっていうのが、70年代までの
若者たちの普遍的な姿かたちでした。いまでは信じられないかも知れませんが、親友と男同士で文通し、
お互いの悩みを打ち明け、励まし合う学生が未だ大勢いた時代。ところが、夜が夜でなくなった時代に生きた
第2世代の若者たちは、そうした孤独で内省的な時間をもたずに成長する事になってしまいました(そりゃ中には
夜の時間を内省的なことに充てた賢明な若者もいたでしょうけど)その一方で、物質的豊かさだけは手に入れ、
周囲には娯楽があふれていきました。やがて、世の中の全ての精神的意義や社会的価値はリアリティを失い、
刹那的な快さや楽しさが、彼らの社会化をいっそう阻んで行くことになります。
第3世代 バブル世代【1970年代前半生まれ】――社会的規範の喪失
1980年代後半に10代半ばを迎えた世代が、第3世代です。この世代以降若者たちのなかから
規範や社会性といった、従来“大人”になるために不可欠と考えられてきた要素が完全に消滅して
しまいます。その最大の要因はいうまでもなくバブル景気でした。86年12月から始まった好況の連続は、
以降、91年9月までの5年間続き、その間に若者の価値観や日常だけでなく、それまでの日本を根底から
変えてしまいました。このころの日本はモノの値段も人々の働き方も消費のスタイルも明らかに異常でした。
その結果、コツコツ真面目に働くという勤労の価値観は潮が退くように世間から忘れ去られ、適当に
働いていても「何とかなるさ」という空気が蔓延する。このころの土地と株式のキャピタルゲインの
総計は、日本のGDPをはるかに上回り、例えば87年のキャピタルゲインはGDPの約1.4倍にも達してしまいました。
つまり日本の全国民が1年間働いて生み出した価値の合計より、土地や株式の値上がりによる儲けの方が
大きくなったのです。
こういった実のない世相を背景に多感な青春時代を送ったのが、この第3世代の若者たちで、
一生懸命働くより土地を転がし株を売買してるほうがより大きな富を手にできるという大人社会の
現実に彼らが努力や誠実、モラルといった言葉から背を向けてしまったのも無理からぬこと
だったのではないでしょうか。彼らにとって勤勉や誠実さといった従来の価値観はもはや懐疑の対象
ではなくなって、単に喜劇的な存在にまでなってしまいました。また、性に対する若者たちの倫理観が大きく
揺らいだのつていう点でも線引きが出来ると思います。バブルの第3世代の80年代後半には「倫理観」という
言葉が現実的な言葉を失ってしまいました。10代の女子中高生の妊娠中絶が2万8000件を超えて
過去最高記録を樹立したのは86年のことでした。とはいえ古臭い、女性の性的な人権を著しく束縛してしまう
ような倫理観より、社会の経済的文化的発展段階に応じてセックスに関する世間の倫理観は変化していくのが
必然的な流れのように思いますが、その是非はともかくとしても、バブル景気を背景にした80年代後半に、
のちのブルセラや援助交際につながっていく素地としての規範や社会性、倫理観の崩壊が認められるという
点ではこの「バブル世代」がイマドキの若者の原型になってると言えます。
第4世代 コギャル世代【1970年代後半生まれ】――“ブルセラとケータイによる街の生活”
90年代前半に10代半ばを経験した第4世代は、物心ついた自分の目でバブル景気が去った“宴のあと”を
目撃しました。とはいえ、93年あたりまではまだまだバブルの残り香が濃厚に漂っていたわけで、彼らは
バブルの空気と宴のあととの両方を見て育った世代です。彼らもまた、前の第3世代の流儀を引き継いで
努力や規範誠実モラルといった従来の価値観とは縁がなく、そういった“過去の遺物”に何の意義も
見出そうとせず、無視しているといったほうが適当でしょうか。真面目に働いたところでどんないいことがあるというのか。
バブルの恩恵を享受したのはヤクザまがいの地上げ屋だったり、株のインサイダー取引で暴利をむさぼる
政治化だったのではないでしょうか。そしてまた、彼らは社会に蔓延しつつあった虚無という流感に感染しました。
第3世代が育った80年代後半に見られる規範の崩壊は「真面目に働かなくても何とかなるさ」という、バブル景気に
裏づけられたオプティミズムを背景にしていました。ところが、この頃になると80年代に日本経済が放っていた熱気は
徐々に冷却されていき、「真面目に働いても何ともならないさ」というニヒリズムによって、規範は完全に消失してしまう。
90年代前半、バブル経済の破裂とともに完全に消えうせたのが、大人社会の魅力と規範だったというわけです。
バブル景気のころまでは道徳的な規範を横に置いてうまく立ち回ればバブル的享楽は手に入れられるという、
濁った魅力が大人の社会にはまだ残っていました。ところが、バブル崩壊によってうまく立ち回って羽振りの
よかった連中も、コツコツ真面目に働いてきたオヤジたちも共に吹っ飛んでしまった現実を目の当たりにして
大人社会の魅力は完全に消え失せてしまう。そこで彼らはそれならと、自分たちで自分たちのための社会を作る方に向かう。
祈りしも、汚職事件の連続で大人たちは自身をなくし、家庭も学校も若者をつなぎ止める強制力を失った時代。
そういった従来の共同体では彼らが「街」に出て気ままに放縦な行動をとることを抑えることが出来ませんでした。
若者は、規範と努力を強制する家庭や学校を抜け出し、享楽と放縦を許容してくれる「街」を自分たちの
生活の場としました。「街」で彼らが充実した日常を送るために必要なのは、享楽を買う金と、その享楽を
わかち合うための仲間でした。この二つは彼らが「街」で生活するうえでの、言わば“必需品”だったのです。
そして彼らがその必需品を得るための手段としたのが「ブルセラ、援助交際」という経済活動と、
「ポケベル、ケータイ」というネットワークツールでした。どんな社会でも経済的自立がその社会の価値観や
文化の独自性を守るための必要条件です。若者たちが街につくった享楽と放縦の擬似共同体といえど、
この原則から逃れ得るわけもなく、彼&彼女らは最も「ラク」に多くの金を得るために、バンツを売り、
援交したってわけ。これで遊ぶ金は出来ました。もう一つの必需品である仲間はポケベルとケータイであっという間に
集まった。80年代まで家庭用の設置電話で個人の電話番号をもつなんて、若者には不可能なことでしたが
90年代に入って始まった通信の個人化の流れと重なり、大学生はおろか高校生までがマイポケベル・マイケータイを
所有するに至りました。こういったツールを駆使してルールと規範に縛られず、かといって孤独にさいなまれることもない、
浅くルーズな人間関係を「街」の仲間のなかに広げていきました。こうして第4世代は、ブルセラ経済によって金を得、
自分専用のポケベルとケータイを活用して新しい人間関係をつくり上げ、自分たち流の文化をもつ「街」という住み家を作り上げた。
第5世代 漂白の世代【1980年代前半生まれ】――不安と無力化による停滞
90年代後半に思春期を迎えた彼らは、現在、20歳前後とまさにイマドキの若者の代表と言えるでしょう。
彼らがその多感な時期を過ごした90年代後半がどういった時代だったかは、いまさら皆さんに説明するまでも
ないでしょう。95年1月阪神淡路大震災、同年3月地下鉄サリン事件、97年6月神戸児童連続殺傷事件(酒鬼薔薇事件)
といった事件が世を騒がせ、98年毒物カレー事件、99年桶川、池袋、下関で通り魔事件が起きるなど、
殺伐とした事件が相次いだのは記憶に新しいところでしょうか。また、失業率は史上最悪の記録を次々と塗り替え、
企業倒産件数も10年前の3倍に膨れ上がり、年を追うごとに不況は深刻化して行く。
政治化の汚職、企業の不祥事も跡を絶たず社会は混迷を深め閉塞感が高まり、まさに世紀末と呼ぶに相応しい時代。
第5世代の若者たちはそうした90年代後半の日本社会の沈滞にともなって、ますます夢や希望が抱けなくなっていきました。
それは、第4世代が感染したもの以上にやっかいで絶望的な虚無でした。そして、彼らのエネルギーレベル自体が低下してしまい、
遊びも学びも仕事もそして欲望さえも、内向化と矮小化が進んで行くことになる。第5世代とはまさに現代の若者といえるのであり、
できるだけ何ともかかわらずに生きる「漂白の世代」というわけです。この世代が登場するに至って第4世代が築き上げた
若者の城ともいうべき「街」から若者の姿が消えた。「街」は、堅苦しい規範を不要としあらゆる享楽と放縦を許してくれた、
若者たち自身が打ち立てた彼らのための“自由の城”のはずでした。しかし、規範なき放縦の世界には規律と自由の
二律背反の緊張のなかでこそ成立し得る安定は存在せず、そこは長く居つづけるには決して住みよい場所ではなかったということです。
むしろ解放された欲望がそのはけ口を求めて流転を繰り返す不安定な場所でしかなかったのでしょう。
第5世代の若者は「街」の生活に興奮と享楽じゃなく、消耗と虚無を感じたのでした。放縦にあかせて自傷的なまでに遊ぶのは面倒になり、
援助交際をしてまで欲しいものもなくなり、仲間に気を遣ってまでやり取りする実のない稀薄なコミュニケーションもウザく
なっていった。ごく少数の気の合う仲間うちで金をかけずに家でマターリしたり、家にひきこもったりするのが第5世代の生活の主流に
なっていきました。仕事方面ではフリーターが一時話題になりましたが、この世代になると彼らは生意気ですらなく、
ただ無力で弱いだけ。ますます社会から遠のき、流転と漂白に身をゆだね沈滞と無力化の沼に沈んでいったのが、
この第5世代の特徴と言えるでしょうか。以上のようなプロセスをたどって2000年を迎えるまでに、規範の主体たる家族や学校、
地域社会といった共同体は完全に崩壊し、それとともに規範の強制力を失って、社会性もモラルも誠実も友愛ももはや若者の
リアリティではなくなってしまいました。刹那的な享楽と稀薄な人間関係のなかで彷徨っているだけというのが、
イマドキの若者の姿と言えるでしょうか。