人々をあえて無知に保つ伝統は、徳川幕府の公式の政策に起源を持つとウォルフレン氏は指摘しています。
「民(たみ)は知しらしむべからず、依(よ)らしむべし」(人民には情報を与えるな、ただお上の意向に従わせろ)ということばにその政策が要約されているようです。
明治政府は、近代国家建設のための教育を普及することが必要であると同時に、平民のなかの頭のいい人たちが真実を知ることになった場合に政権に対して不満を持つようになるのは困るという事情から、
人々を「普通の人」と「文化人」という二つのグループに分けるという「名案」を考え付いたようです。
専門家、知識人、研究者などから構成される「文化人」に好きなことを考え、仲間内でその考えを議論する比較的大きな自由が与えられたそうです。ただ、「文化人」も1925年の「治安維持法」の制定で、国を批判できなくなりました。
「人々を二つのグループに分ける伝統は続いている。一般の人々はあい変わらず無知のまま保たれ、幻想だけがばらまかれているが、それは日本では秘密主義が、いまなお権力行使の重要な技法だからである」と同氏は指摘しています。
日本の支配階級は、政治家、官僚、知識人、編集者などの高い地位にあるさまざまな人々から構成され、これらの人々が同盟関係にあるようです。
「この支配階級の人々は情報に精通している・・・彼らは、現実のタテマエ論的説明で満足するほかない他の大多数の日本人から、知識の量という点で分離されている。
こうして「知る者」と政治的に無知な者(イノセント)との古くからの分離が今なお続いている」と同氏は述べています。
「無知な人々」を無知な状態にあることで満足させるのに重要な役割を演じているのが、支配階級に含まれている新聞をはじめとする、報道機関のようです。
「日本のたいていの新聞は、新聞の第一の使命は市民に情報を提供することだなどとは思っていない。
だから新聞は「純朴」だが政治的には無知な日本人の層を存続させるのに手を貸している。メディアは、日本では政治・経済・生活上の「タテマエ」という表向きのリアリティを管理するための、つゆ払いの役目を果たしている」ようです