戦後の日本の経済発展は目覚ましく、日本企業が成長を支えたというのは、誰もが認める点ですが、いまだに企業中心主義が生きいて、これが「豊かな国の貧しい国民」を生み出す原因の一つとなっているようです。
「物やサービスを供給してお金をかせぐという機能は、日本の会社も外国の会社も同じである。
しかし、・・・・・・日本の大企業には、もしかするとそれより重要かもしれない、社会を統制するという機能がある。日本の大企業は、欧米の企業がしようと思っても決してできない方法で、人々の間の秩序を保っている」
とウォルフレン氏は指摘しています。
「思考、時間、情動――その多くを、サラリーマンは会社に捧げるように強いられる。それは当然多くの結果をもたらす。なかでも重大な結果の一つは、サラリーマンが会社以外のことに自分を強く一体化させる時間も気力もなくなってしまうことだ。
ときには、自分の家族にすら自分をしっかりと一体化できない。
だから、「サラリーマンは会社と結婚している」と言われてきたわけである」。
日本企業では、社員の政治活動は、それが基本的人権に基づくものであっても、歓迎されることはなく、出世のためには致命傷にもなりなねないということは、サラリーマンでは誰でも知っていると思われます。
日本にしっかりとした労働市場(転職を促進する制度と組織)がないことも、サラリーマンの選択の幅を狭めているようです。「大部分のサラリーマンがよりよい給料や労働条件を求めて転職できるようになれば、日本の雇用関係は根本的に変わるはずだ。
しかし現状では、日本のサラリーマンには、みずからを会社にしっかりと一体化させて生きるより道がない。ほかの国でなら家庭や親友のためにだけ捧げられる心の中身まで、会社に差しださざるをえないのだ」と同氏は指摘しています。
つまり、日本のサラリーマンの「会社への忠誠心」や「愛社精神」が強いと言われるのは、日本人の精神構造のためではなく、単にサラリーマンには、表向き会社に忠誠心がある「ふり」をする以外に選択の余地がないためであるということになります。